第8話 蜘蛛は話す
「まず、裏切ったのが確定しているんは、
ずず、と淹れてもらった紅茶を行儀悪く音を立てて啜りながら、バルトロ──
「今ワシらを追い立てておるのは
「……他の者たちは、どうしているのです?」
「独自にファミリーを立てたのが二人、残りはボスと同じく息を潜めておるんじゃ。独自にファミリーを創設した方はむしろボスのために人を集めようとしておるだけじゃが、本人らが上に立つのは向いとらんからのぉ……」
ローズは悲しそうな顔をしているが、それも長年見てきたからこそわかる物であり、傍目に見れば仏頂面にしか見えない。彼女は少しだけ眉をひそめた後、キッとバルトロを睨みつけた。
「何じゃ、そんな顔しよってからに」
「なぜ、あの部外者をここへ寄越したのですか?」
「ローズは料理ができんと思っての。必要なのは栄養ですー、とか言ってロクなもんをボスに食わせとらんかったんじゃあなかろうな?」
「そ……そんなことは……」
「いや、実際には助かったよ、
その事実を並べられてローズは少しだけ赤面し、ボスもまた席についたためバルトロは姿勢を正した。
ローズは幼い時にボスに拾われた。だから、ボスも自分の子供のごとく可愛がっているのだが……。
正直、バルトロ自身はボスに連れて行ってもらえる側だと考えていた。あの時ボスを刺した
けれど、実際はバルトロは置いていかれ、そして彼は──拗ねたのである。
盛大に。
ボスの居場所を突き止めるのはそう難しいことではなかった。急に動き出した建物のことをしらみつぶしに探し、そして身を隠そうとしている動きを洗い出せば良い。
けれど、このまま押しかけるのは何だかシャクだと思った彼はとある行動をとることに決めたのである。
ちょうど失職していたマルコは、その界隈では有名であり、ちょうどマルコの元職場の料理長がその名声でもってありとあらゆるキッチンから締め出したということも大っぴらに広まっていた。ゆえに、マルコに目をつけるまでそう時間はかからない。
そして、バルトロが持っている
こんなんに釣れるのか、よっぽど困窮してたんじゃなあ、とバルトロが一人ごちるほどにはあっさりと。
奇しくもローズがあの男を館に留めることに同意したようで、バルトロはその結果に若干不服に思っていた。
「なぜ……なぜワシは連れていってもらえなかったんじゃ」
ならば、とマルコに今度は接触する。思っていたよりもとぼけた男で、料理のことになると一変するような面もあるものの、ほとんど一般人に近い男だ。
そう、『一般人に近い』。
(ワシはこの男に一体なんで、こうも違和感を覚えておるんじゃろうか)
バルトロは静かにその男の過去の生育環境を調べたものの、田舎出身でありとあらゆるタイミングで弟と比較されてきたものの、それなりに純真な願いを持って都会に来て、実際に才能があったために副料理長にまで上り詰めたそんな男。
調べても調べても、まるで黒い噂も、裏も一切ない。
一般人と手放しで言えるわけではないのに、なぜこうも──バルトロがそう考えていると、お待たせしました、という軽い声と共にいい香りを放つカートを当の本人が運んでくる。
「今日はりんごとバルサミコ酢のソースの豚肉のコンフィ、秋野菜のグリル添えです。それからペスカトーレ。デザートにはアップルパイを用意しました」
それぞれの前に置かれた皿に、バルトロはゴクリと喉を上下させた。湯気を立てる彼の料理は、今に限ってはどれほどの美女がベッドの上で手招いていようとこちらを選ぶ、というほどの蠱惑的な香りを放っている。
「うまそうじゃな……」
「夕飯も期待していてくださいね。イワシのパン粉チーズ焼きなんですけど、いくらでも食べられるんですよこれが」
そう言って彼はお辞儀をして、カートと共に消えようとする。
「何じゃ、お前は一緒に食べんのか?」
「俺はファミリーじゃないですよ?」
あまりにあっけからんとした態度に思わず息を呑んだ。本来この館に入っている者たちは皆、このテーブルか、そうでなくとも皆で集まって食べていた。だから、自然とその質問をしてしまったのだ。
なるほど、とバルトロは違和感の正体に気づいた。
きちんと、彼は俺たちとの線引きをしている。
自分が部外者であることを理解するというのは案外に難しいものだがそれを自然にやっているということは、自分を常に客観視していると言えば聞こえは良いが──それが本当に人として、健全なのか?
「マルコの料理を前に考え事とは良い度胸だな、
「ああッ!?ワシの……」
肉の一枚をかっさらわれ、思わずそんな情けない声を漏らしてしまう。バルトロが恨めしく自らの上司を見つめると、むしゃむしゃと満足げな顔で食べている様子に何も言えなくなってしまう。彼が嬉しそうなら、自分も嬉しいことだ。
「心配することはない。マルコがここを出ていく時が来るなら、それは奴が骨になった時だ」
「……!!それは、ボス……」
ソースで汚れた唇を軽くナフキンで拭い、そしてニヤリと笑いをこぼす。その笑みは獰猛で、どう考えても美少年風な今の顔には似合いもしない。けれどその笑いに、ローズもバルトロもはっきりとかつてのボスの姿を見たような気がした。
あの青年も不憫なものだ、とバルトロは少しだけ苦笑いしてコンフィを口に運ぶ。なにしろあのボスにここまで言わせたのだ──どうせ逃げられまい。それはそれとして、ちょっとだけそうまで言わせたことに嫉妬してしまうのだが、とバルトロが思っていると。
「何じゃ、これ……うまいのぉ……」
豚という概念が更新されるほど、柔らかでじゅんわりとした食感。ぱさつきはなく、噛み締めるほどに旨みが染み出すような料理は嫌な臭みが一切残らず喉の奥に消えていった。思わず口から漏れた賞賛は、心の底からのものだった。
ああ、こりゃ逃がしてはもらえなさそうじゃな、と漏らすと、やけににんまりと微笑んだ美少年はそうだろう、と言いながらグラスの中の炭酸水を一息に飲み干した。
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