第30話 料理人はもてなされる
「中央のここは初めてじゃのう」
「あら?素直に貴賓席は初めてといえば良いじゃない。全く、捻くれた部下を持つのも大変じゃなくって?」
優雅に脚を組んだレベッカはくすり、と笑った。全てが計算されていて、本当に……。
「絵画?」
「あら?絵に興味があって?」
「あ、いえ……あはは」
現実感のない絵画みたいなんだよな、とは流石に申し訳なくて言えない。俺が笑って誤魔化すと、「どうせくだらんことでも考えてたんじゃろ」とバルトロに一蹴され、ぐうの音も出ない。
「それにしてもあなたたち、通行証もないのにどうやって入るつもりだったのかしら。呆れたわねえ」
「そんなもんは現地で適当なアホをぶちのめして手に入れれば済む話じゃからの。本当は下級の
「下級、ってことは、ここは……」
「ここは最上級。もちろん状態は最高の奴隷が売られるわ、
彼女の説明によると、最上級は限定された出品者、そして購入者のみが立ち入れる異能でできた札をあらかじめ渡されるのだという。バルトロが行こうとしていた下級はもっと会場は広く、叩き売りのようにして奴隷は販売されるのだという。
「掘り出し物、という点に限るなら下級でしょうけれど、あくまで値段は値段だわ。こちらの奴隷に関しては、希望すれば『お試し』ができるのよ。例えば性奴隷としてだけではなく家事能力を兼ね備えた人間が欲しい場合に、とんでもない粗相ばかりする奴隷だったら困るでしょう?」
「例えがひどいですけど、まあ……俺たちの求めている人材は確かに即戦力かつ才能のある人間ですね。料理ができる人が一人、欲しいんです」
「あなたも料理人でしょう、ずいぶん妙なもの欲しがるのね?」
「俺だけだと流石に手が回らなくて……できれば菓子作りに長けた人材が良いな、と思ってるんです」
「なるほどね。今日の目録はどうなっているの?」
「はい。こちらになっております」
横に立っていた女性がサッと分厚い目録を取り出し、目的のページを過たず開いて見せると、レベッカはふうん、と顎をちょいとあげて背もたれに体を預ける。
「ああ、下級の方で自称菓子職人が二人、料理人が三人、それから最上級で料理人が一人なのね。あまり料理人には興味はないけれど、そうねえ……今日の縁もあるのだし、私が今回の菓子職人を全員『抑えて』紹介してあげるわ」
バルトロはふう、と息を吐いてレベッカを睨むが、彼女は気にした風もなくただ微笑んでゆったりと脚を組んでいる。
「何が望みじゃ?」
「いいえ?この
苦虫を噛み潰したようなバルトロと、柔らかく微笑んだ二人の間に一瞬青い火花が散ったような気さえしたが、その直後会場へ数人の男女が入ってくる。空色から明けのようにグラデーションになった鮮やかな長髪を靡かせながら、顔のいい男はストン、とここほどではないものの豪奢な椅子へと腰掛ける。
「あら?
「
途端、恐ろしいほどの大声が響き渡った。
「誰だぁああああああ!!今
「お、おお、恐ろしい地獄耳は相変わらずじゃな。マルコ、少し挨拶に出てくるからお前さんは……まあ、色仕掛けに惑わされんようにな」
しゅる、と風が渦を巻いてカーテンを揺らし、瞬きの間に男の元にバルトロの見慣れた姿が現れる。
「
その名前が出た瞬間に俺の顔が引き攣ってしまったのを、止められた人はいないだろう。そうでなくても俺は嘘がつけないだの、顔に全て出ると言われるタイプなのである。
「……そう、やはり……生きていたのねえ、
「……の、ノーコメントで……」
顔を逸らした俺の顎に、くい、と指が添えられる。彼女の不思議な色の瞳がこちらをじい、と見つめ、唇は弧を描く。あまりに芸術品めいた美貌にドキドキするというよりは妙に冷静な気分になって俺は彼女の顔を見つめ返す。
「そう焦らなくてもいいのよ。私は一度壊れたおもちゃには興味はないし、それにあなたにも興味はない。私は何にも興味がないわ、
「……どうでもいい、という割には探ってきますね」
「ふふ、からかうのが楽しくてつい。でも、そうねえ……
少し目を閉じ、そしてふふ、と笑う。
「……さて、そろそろ始まるわね。人も集まったみたいだし」
「空席が目立ちますけど……」
「こんなものよ。最上級とはいえ突発的な入場者もないわけではないの。今回の
「出品、ですか……」
俺がその言葉にここがどんな場所なのか思い知らされるような心地がしていると、レベッカはころころと鈴を転がしたような笑い声を上げた。
「本当にマフィアらしくないわねえ!
「く、ぐっ……」
「下級は大体人として扱われたらいい方ですよ。中級から最上級にかけてはある程度違いはあれど、契約書を作って働かせるから安心して働ける人材派遣業者のようなもの、でございます」
そこへ会話に割り込んできたのは、見知らぬ男だ。バーテンダーのように蝶ネクタイを締め、そして白シャツの上にベストを着用した男が恭しくお辞儀をしている。顔はなんとも特徴がない。何か言い表そうとするたびに違和感が出るほどの特徴のなさだ。
「あの、あなたは……」
「申し遅れました、私は
「──おぉ、添え人もおるんじゃな。ノルマン、何かつまむ物とそれから酒を人数分じゃ」
ブワリ、と風を巻き上げて現れたバルトロにまるで驚く様子もなく彼は胸に手を当てて了承の意を示す。
「ちょっと、私の分はいらないわよ?」
「左様でしたら、お客様の分は水に変更させていただきます」
「そうしてちょうだい」
キィ────ン、という音が響いて、それから会場全体に声が響く。声を張っているというより、音を全体に届けているようなそんな声だ。
『皆様、当
長々と挨拶が始まる中、皆酒や軽食を注文し始める。おそらく長々とした前説はいつものことなのだろう、皆手慣れた様子だ。
「お待たせいたしました。こちら、オリーブとサーモン、クリームチーズとセミドライトマトのカナッペでございます。お酒は赤ワイン、89年のマイヤーレ・ディ・チンタをお持ちいたしました」
グラスを受け取り、その言葉に驚きながらもまだ偽物だという可能性があるし、と思いながらグラスを傾けて色味を見る。グラスからの馥郁とした香りにギョッとしてそれからノルマンを見た。彼は空とぼけたような表情をしていたが、それから失礼致します、と部屋の隅へと戻っていった。
「なんじゃマルコ、辛気臭い顔をしおって」
「……本物ですよ、この89年のマイヤーレ・ディ・チンタ。飲むのも恐れ多い価格がするほど……よく似た乱造ワインが作られるほど、コレクターの間では幻と扱われてるんです。本物の一杯で金貨をグラスと同じ程まで積み上げてもいい、と言われる程のワインです」
「おやおや、私の説明が全て取られてしまいましたね。その通りです」
「ほぉ〜、マルコ、お前ワインにも造詣が深いんじゃな」
「客のほんの少しのおこぼれ程度ですけどね。でも、本当に高くて、それでいて本当にいいワインなんです」
口に入れた途端、豊かなアタックとビロードのような舌触りが広がり、そして穏やかな酸味と共にほんのりとした甘味が続く。ミディアムボディでありながらも香りは華やかかつ新鮮な葡萄の香りを残している。余韻は長く、そこにオリーブとサーモンのカナッペを放り込めばたまらないほどに美味しいと感じてしまう。
しかし、やはり少し粗の残るカナッペである。少し口に入れた後、惜しいな、と思う。ちょっとディルを上にあしらえばいいし、作り置きだからかカナッペの下のクラッカーにほんのり水分が染み込んでいて、口当たりはさっくりというよりもろい。
しかし、組み合わせは完璧に近いし実際に美味しい物だし、なんなら人が作ってくれるだけで美味しいと思う。仕事柄頭でこうすればもっと良くなる、と思ってはいても、やはり他人が作ってくれる食事に関しては無条件で美味い。
インプットかアウトプットかの違いもあるだろうが。
『それではお待たせいたしました!皆様にご紹介いたしますのは、第一番!髪の長い少女でございます!ご覧ください、この彼女の髪を!光を受けて黄金の如く輝くその髪、切るも愛でるもあなた次第!』
司会者が持ち上げた髪は身の丈を覆ってさらに余りあるほどで、地面に引きずるほどの長さ。彼女の美貌は流石に人智を超えた……とは言い難いものの、髪に関してだけはボスのものに匹敵するほどの美しさがある。
「ワン、私あれを買うわ。競るほどではないけれど欲しいから」
「承知いたしました」
バルコニーからは赤い垂幕をするり、と落とす。それを見て数人が黒い布を出す。
「バルトロさん、俺ここのシステムがわからないんですけど……」
「ああ、そうじゃな。基本的に金額は競る相手がなければ公開しないんじゃ。赤は欲しいが他にどうしても、という者が居れば譲る、黄色は絶対に譲らない、黒は必要はないから譲る、という感じじゃな。細かな仕組みは他にもあるが──」
ずる、と他の者が緑の布を出した。
「あれは価格交渉したい、というサインじゃな。しかし勝者はおそらくレベッカじゃろう」
レベッカからの耳打ちを受け、数度ノルマンがサインを送ると相手は黒い布へとすげかえる。
「……おぉ……」
「今、お前さんの数年分の給料が動いとるからな?」
「正直実感はまるでないです」
「ま、それはそうじゃろ。《ノーヴェ》の名前は伊達ではないからのう……今日はいくら散財するつもりで来たんだかわかったものではないぞ」
不敵に微笑む彼女はさらに数人を同様に競り落とした後、ようやく矛を収めるかのように沈黙した。
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