第15話 料理人は守られる

「まず、マルコ。お前は非戦闘員であることを、継承機関エレディタに宣言する」

継承機関エレディタ……ですか?あの、その機関のことを、俺はよく知らないんですが……」

「ああ、まあ……一般人は知らんだろうな」


継承機関エレディタはマフィアのファミリーとファミリーの間の抗争を取り持つが、実際にはそれだけでなく一般人の保護も行なっている。無差別に民間人を殺しまくればいずれ国が弱り、マフィアの維持や継承機関自体もなくなる。そうなれば他国からの干渉にも耐えられず、いずれ国が呑まれることをわかっているからだ。マフィアは一般人に対してそれなりに強く出ることは日常ではあるものの、継承機関が絡んだ時に限っては──即ち抗争時には一般人を巻き込むことは許されていない。事故で巻き込んだ時に限り金での解決をすることはできるものの、ボスの知り合いは継承機関エレディタにも金をむしられたために相当な金額を支払うことになったそうだ。


「向こう側が正式なマフィア立ち上げの申請を継承機関エレディタに出すことをしていないから、正直に言えば継承機関エレディタが反応してくれることはないかもしれないが、特殊技能を持っている者は割と別だ」

「……特殊技能ですか?」

「ああ、そうだ。料理や服飾、なんらかの技能を持っていれば配慮されることもあってな」

「そう、なんですか……」

「ああ。だから、正式な抗争の際にはそう気負う必要はないが、今回の場合状況が特殊になる。実際に継承機関が動いてくれるかどうかは博打になる。すまないが、今回ばかりは屋敷を離れるか、もしくは……」


少しだけ眉を寄せたボスに、俺はとんでもない、と手を振って答える。

「仕事を放棄するつもりはないですし、何より……食事がどれほど人に気力を与えるか、しっかり理解しているつもりです。過去にちょっとポカをやって、遭難したこともありまして……その時、一週間ぶりに食べた食事の味は、今でも思い出せるほどに美味しかったんです。だから、安心して食べることがどれほど人の心を守れるか、わかっているつもりですよ。それに、屋敷の中の娯楽もあまりないでしょうし……」

「そう、だな……正直、食事の時間が楽しみになりつつあるが、いいのか?本当に」

「ええ」


情が湧いた、と言えばいいだろうか。

どことなく、彼らが自分の知らないうちに死んでいくということにはなんとなく、寝覚が悪くなるかもしれない、ということを感じている。


あるいはそう仕向けられているのかもしれないな、と思いながらも、それでも不愉快でないのがなんとも言えない。初めは裸で縛り上げられてこの絨毯の上に転がされていたはずなのに、と少しだけ苦笑が漏れる。


「それに、俺自身の異能を使うこともできますから。最悪、逃げるだけならできますよ」

力こぶを見せるようにして、盛り上がった上腕二頭筋を叩くとバルトロがそれに触れておぉ、と感嘆の声を漏らす。

「よお鍛えとるのぉ……ものすごい筋肉じゃ」

「料理人は力仕事ですし、結構食材を捌いたりするのも力がいることも多いですからね。それに、食べている食材の栄養バランスもいいんですよ」

日が差しこみにくいからビタミンの多い食材を使いたいが、籠城することもあるとなると肝油などの食材も使っていかないとおそらくまずい。長期にわたるなら、ジャム類をたくさん作っても良さそうだし。


「保存食でも、できる限りバランスは取ろうと思ってますけど……正直、この館だと日光が当たらないのが難点ですね。一度美容のために日光を避けまくっていた偏食気味のお嬢様がお客にいらしたことがありましたけど、足を軽く別のお客様にぶつけて骨折し、お客様同士で問題に発展したことが……!!」

なんで料理長がいないんだ!!と副料理長三人で絶叫したこともしばしば。


「ですから、もしかすると体のために幾分補給をするようなことはあるかもしれないです」

「ああ、了解した。その分、食事は美味しいものを頼んだ」


しかし、そんな会話も備えも一切を灰塵に帰すような攻撃が襲いかかってくるとは、その時は微塵も考えていなかったのである。


翌朝に目覚めると、バルトロがむにゃむにゃ言いながら起きてきたが、まだ朝食はできていない。仕方がないので膝掛けを渡して、はちみつに漬けておいたレモンを一枚浮かべた白湯を渡すと、甘みに少しだけ口角を綻ばせてまたうとうとと椅子で眠り始める。いや、半分寝てはいるものの、その様子だといずれ目が覚めるだろう。

「おはようございます……」

ローズがふわ、とあくびをしながら髪を下ろした状態で挨拶する。彼女の気合いの入っていない服装は朝早くにしか見られないが、いつものツインテールよりだいぶ大人っぽく見える。ふわふわとしたゆるいウェーブのかかったピンクゴールドの髪は肩口にかかり、普段より柔らかい雰囲気の高級そうなショールを羽織っていて、透けた感じのあるシュミーズドレスでうろついているのも初めはギョッとした。しかし、朝だけああいう気の抜けた格好であるので、きっと夜型であるのだろう。


なぜか不思議と今日はみんな早いな、と思ったところで、ボスが眠たげな目をこすりながらふわあ、とあくびをしつつ現れた。

「……なんだ……みんな起きてるのか?」

「ええ、珍しく皆さん早いですね。まあバルトロさんは起きているのかちょっと疑問ですけど」

「んんうぬぬぬぬ……どかーーーーん!!おはようボス!」


そこでボスの表情が凍りついた。

「……銀灰グリージョまで、起きているのか?」

「ボス……?──まさか全員、起床済みですか?」

「何じゃ?……全員起きておるのか?」


ローズやバルトロが途端に顔をしかめ、それからバルトロの異能の気配がぶわり、と濃くなった。銀灰グリージョもまた鼻をくんくんと鳴らした。

「……ここにいるやつ以外のニオイはないぞ」

「ボス、私は即時着替えてきます」

「ああ、そうしてくれ。バルトロも、顔でも洗ってタバコでも吸ってこい。しばらくはのびのび吸えなくなるだろうからな。それから、マルコ」

「……は、はい!」

「おそらくだが、もう館から出ることはできなくなっている。悪いが──最後の晩餐のつもりで、食事を作ってほしい。ああ、だが食べ過ぎて困るということがないように、な」


「最後の……晩餐?」

どういう意味なのだろうか、と思ったが、彼はそう言った直後に苦々しげに吐き捨てた。


「全員が揃って早朝から目覚めている時は、決まって襲撃がある。なぜだかはわからんが……」

「襲撃!?こんな悠長にしている場合じゃ……」

「そうだ。だから、お前は朝食を摂ったのちに秘密の通路を通り、ここから逃げてもらうことにする」

「なッ……んで……?」


初め、俺はなぜだ、と詰め寄ろうとした。けれどそれはある意味ではお門違いな詰問で、そして──俺はどこまで行っても部外者でしかないのだ、と。

そう思いはしたけれど、それでも昨日は確かにここにいてもいい、と言っていたはずなのに、と弱々しい思いが口から飛び出た。


「……マルコ、お前のことを必要としないということじゃない。俺たちはお前の食事がないと生きていけないと思っているくらいには毎日の食事を楽しみにしているし、他のところで飯が食えなくなったと嘆きたいくらいだ。しかし、だからこそ──事情が違う。俺たちは二週間で、奴らの拠点を逆に襲撃するつもりだったし、そのための人員を揃えるつもりでいたし、相手が襲撃してくるにはまだ時間がある、と考えていた」

理由は簡単なことだ、と彼は口にする。


茨姫スピーネ眠り姫ソンノの二人だが、彼らは能力を使っている間は動くことが出来なくてな。つまり、彼ら自身が移動すれば能力のパスは途切れるから、彼ら自身がはっきりと信用できる相手を探すのに時間がかかるだろうと予想されたこと。それから──彼らが逃走する際に金銭を持っていかなかったことも理由の一つだな」

「……そう、ですか……でも、徒党を組んでステラを探している、って……」

「そうだな。だから本来は茨姫スピーネ眠り姫ソンノに関しては、裏社会から抜けたという処理をするつもりだった。正直、彼女らに関しては……裏社会に向いている能力ではあるが、いずれファミリーからは離れた方がいいだろう、ということを話していたくらいでな。年齢もかなり俺たちより若いし、ローズと違って性格も優しい子達だった」

「ローズさんが聞いたら怒りますよ……?」

「怒りませんよ。私は」


耳元で囁かれた言葉にゾワッとして耳を抑え、勢いよく振り向くといつものローズがそこに無表情のまま立っていた。

しかし、その姿はいつもの服とは異なっていた。


ウエストをいつも絞っているコルセットではなく、燕尾服の一部のようにも見える、金色のボタンのついたカマーバンドを着用している。ズボンは相変わらず脚のラインを強調するような黒一色のぴっちりしたものだが、よく見れば細かな模様が織り込まれていて動くたびに美しく映える。袖口が膨らんだパフスリーブのスタンドカラーシャツは仕立てが良いものの、それを押し上げる膨らみの方が気になるのは仕方がないことだと思う。男なら誰だって見る。

黒い手袋はレザー仕上げにも関わらず、ピッタリとしていて縫い目もない。サスペンダーはいつもの通りついているのに、その金属の輝きにも細かい装飾があったりして、いつもと違う高級感がある。


「これで戦うんですか……」

「死装束は、豪華な方が良いでしょう」

「……ッ」

不意に出たその言葉の重み。どうしようもなく胸を衝く痛みに、俺はシャツをぎゅうっと握りしめる。


「……俺は」

「おぉー!その衣装を見るのも、久方ぶりじゃのー!」


バルトロもまた、いつもと違ってしっかりと髪をセットしており、いつもの柄物のシャツではなく黒いシャツを着て、首元には赤の艶のあるスカーフがちらりと見えている。襟を跨ぐようにつけられた金色の鎖が眩しい。

スーツはいつもと異なって白であり、余計に眩しい。

「……バルトロはいつも違う服装ですね」

「おしゃれに気を使っていると言わんかい、阿呆」

「どうせ血まみれになるというのに、白を選ぶあたりも悪趣味だと思います」

「歯にきぬ着せぬ物言いじゃの……」


若干ムッとした表情ながら、胸元から取り出したサングラスをかけると余計に眉毛が目立って気になるが、目線がわかりにくくなった。しかし、顔がいかつさもあるだけにかなり強面に見えるが……。


「ボスー、オレもなんか着てきた方がいいのか?」

「お前はいつもボロボロにするだろ。なんか新しいの着てこい」

「ヘァーイ」


適当な返事を返された銀灰グリージョだが、服を持っているんだろうか……と不安に思ったものの、シャツにロングスカートで現れたのは意外だった。

銀灰グリージョさんもスカート履くんですね……」

「ああ、こいつな……」

若干呆れたようなボスに疑問を抱いていると、バルトロがこっそりと囁いた。

銀灰グリージョはのう、ズボンが壊滅的に苦手なんじゃ。相当ゆるいものばかり履くんじゃが、一度無理やり着せたら仕立てのいいものだったのに相当暴れての……」

「聞こえてるぞ蜘蛛ラーニョ!」

「おお、怖い怖い。しかしここに来た時はズボンを履いておったな。なんでじゃ?」

「オレもマルダシは嫌だったからな。あるものを着ただけだ」

「……ヒェ〜〜〜〜〜!!成長しとる!あの野蛮人未満じゃった銀灰グリージョが……!」


バルトロの心底の驚きを見るに、銀灰グリージョは相当嫌がっていたようである。俺は彼女が何か言いたげに口をもごもごとさせているのを見て、少しだけ笑った。

まるで、今から戦いがあるというのに穏やかで、楽しげな雰囲気が流れる中、俺は時間がそろそろ足りなくなってしまうと踏んでそれを終わらせる言葉を口にする。


「では、少々お待ちください。今から朝食を作りますから」


目指すのは、最高の朝食だ。最高の朝食と言っても多種多様、その目的は様々だ。朝の活力を得るための朝食や、優雅に過ごすための朝食。そして──今回求められているのは、これを食べた後なら死んでもいいかな、という朝食。


「……はぁ……食べさせたくないんだけどなあ……こんなのは」

まずはローズのもの。

新鮮なフルーツ類を添え、少しだけバニラの香りが漂うシロップをつける。りんごやいちじく、バナナや梨などのフルーツの上にザクロの粒が散りばめられ、皿の上はたちまちパレットのように色鮮やかになり、美しく飾り切りしたフルーツが綺麗に並べられている様は絵画のようにさえ思える。

そこに、乳脂肪分の少なめな生クリームを泡立てたものを合わせる。


それから栗のペーストから作ったポタージュ。こっくりとした甘みが特徴的で、色は派手さがないもののコンソメとの相性は抜群である。

そして、メインとなるガレットだが、これは甘さを抑えてあえてもっちりと焼き上げてある。その上から新雪のように振り掛けた粉砂糖が美しい。

蜂蜜を足したホットミルクを添えれば、甘党であれば大歓喜するような朝食になるだろう。


次はバルトロ。

ガレットの生地を流用するが、バルトロのものはポーチドエッグを使ったエッグベネディクト風のものにする。ああ見えて卵が割と好きなようで、オムレツを朝に出した時にはおかわりをしていたほどだ。

オランデーズソースには白ワインビネガーを使う。ほんの少し酸味を飛ばすために火にかけると、きつい酢酸の匂いがすうっと抜けていく。そこに卵黄を人肌に温めながら、塩と胡椒を加え、湯煎しつつ分離しないよう混ぜ合わせていく。最後に溶かしバターを少しずつ加えていけば出来上がり。


厚切りのベーコン、柔らかなベビーリーフ、オランデーズソースとトロトロの半熟のポーチドエッグが混じり合い、卵にナイフを入れた瞬間黄金の海が皿の上に広がる。それをもっちりとした生地で掬い上げ、口に運んだ時の幸福感たるや心底羨ましいほどだ。


そしてもう一つ用意するのはフレッシュジュース。オレンジの少し甘みの強いものを生で絞る。ああ見えて甘いものも好きなバルトロだが、彼はそんなに量が食べられない。なら、と考えたのがフレッシュジュースだ。

食後にはやや苦めのカラメルをかけたプリン、クレマ・カタラーナを準備する。生クリームを使ったもっちりとした食感、これは本当は今日のおやつにしようと思っていたのだけれど。


ローズの時に使った生クリームに、アルコールを飛ばしたブランデーをちょっぴり足して横に添える。


「さて──」

次だ。


ローズの時にも出した栗のポタージュは、多分銀灰グリージョも喜ぶだろう。

薄くスライスした生ハムと鶏肉のソテー、それだけでは塩分が強いので横に肉汁を吸わせられるかみごたえのある無塩の丸パンを添える。カリカリとした食感が楽しい野菜スティック、そしてモッツァレラチーズ。ヨーグルトにはバナナを切って入れた。

犬の好物は高タンパク質や、糖質の高い甘みのある果物、乳製品などなのでこんな状態になってしまったけれど、正直に言えば……。

ま、まあ……犬には最高の朝食、か?


「よ、よーし、次に行こう」


さて。


オーブンがそろそろ温まった頃合いだろう。

「……よし」

暇な時に作って冷凍していたクロワッサンの生地の表面に溶き卵を塗る。クロワッサンとパイ生地の違いは発酵をしているかしていないか。クロワッサンのあの複雑な旨みや香りは発酵から生み出され、豊富なバターの香りと混じり合う。

オーブンへと放り込み、高温で下までさっくりと焼き上げている横で、ベーコンを焼く。厚切りではなく、普通の厚みで、脂身はぷりっとしながらも肉の旨みを閉じ込めるように焼き上げると、最後に目玉焼き。


サニーサイドアップ、片面焼きと言われる焼き方で、たっぷり油を引いたフライパンへ卵を落とし、白身の端っこがくるんと巻き上がり、少し焦げてきたあたりでフライパンから皿へと移すと美しい黄身の色と濃厚な風味、とろけるような口当たりが楽しめる。


表面に軽く塩と胡椒を振り掛けたあと、ベーコンと目玉焼きの横にフリルレタスを引いて、かぼちゃとレーズンのサラダを乗せる。

そして、コンソメスープ。これに関しては何かに使う用ではなく、ただ『コンソメ』として飲むためのコンソメスープだ。

具がないのにシンプルに澄んだ琥珀色のスープは、それだけですでに完成されている。盛り付けたところで、ちょうどクロワッサンも焼き上がった。


「……美味しいな」

少しだけ味を見て、塩加減を調節しながら、最後にプリンをバルトロとは違って少しパフェのように、飾りフルーツなどを駆使しながら盛り付ける。横にバルトロと同じように酒の香りのするクリームを絞った後、額の汗を軽く拭う。

こんなに多種多様な朝食を作ったのは初めてかもしれないな、と思いながらカートに全てを乗せ、運んでいく。


これほど足取りが重いのは、初日に命を脅かされながら食事を運んだ時以来かもしれない。死刑囚に食事を運ぶ看守の気分がわかるような気さえした。


「……今日は、いい天気だな──」

わずかに差し込んだ陽光に少しだけ目を細めて、それから廊下を歩き始めた。

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