第26話 料理人は特訓する

俺が受け身を習ったのは、周囲のいじめっ子に対抗するためだ、というのは家族の誰にも話したことはない。どころか、弟の組み手の相手をする際にカカシとして役に立つからという理由で覚えたと思われていることだろう。


「がッ……」

けれど、今はただそんな情けない理由でも習得していたことには感謝している。


流れる銀閃のように髪が見えたかと思えば、次の瞬間には手刀が腹部へと食い込む。くるり、と片足を軸にして回転し、そのまま踵が肋骨に横なぎにぶつかり、体がみしり、と歪んだ気さえした。


数メートル吹っ飛ばされた後、無理やり手をついて衝撃を吸収する。その長い脚をスリットから見せびらかすようにプラプラと揺らし、それからはぁーあ、とこれみよがしに息を吐いてみせる。

「弱いなーマルコは!」

「くッ……銀灰グリージョさんに言われると余計にイラっとするのはなぜだ……」

「なーんだ腹へってるのか?イライラしてるのはよくないな!ほら!くえ!」

口元に押し付けられたそのままのバゲットをむしゃむしゃと食べていると、廊下からおおやっとるの、という声が聞こえてきた。


「バルトロさん!」

「なんじゃ、やられとるようじゃの。慈愛カリタ、少し診てやれ」

「もちろんですとも。マルコ氏、少々失礼しますぞ。んへへ……」

よだれを垂らしそうな顔をしながら、慈愛カリタはするすると手を全身に当てていく。少し妙な顔をしたものの、体内に浸透してくる能力を今度は意識的に拒まない用にしていると、少し顔を赤らめ、息を荒げながらもたれかかってくる。色っぽい様子だが、俺は頭を振ってアニーは苦しんでいるんだから、と煩悩を飛ばす。


開きっぱなしになった彼女の口からつぅ、とよだれが垂れた瞬間、全身の痛みがふわりと掻き消える。アニーは軽く口元を拭い、それから正眼に俺を見据える。

「んんッ……本当に軽い打撲でしたな。マルコ氏、また怪我などをしたら呼んでくだされ」

「……だ、打撲……」

確かに、これまで怪我をした時もそうだったがはっきりとした大怪我をしたことはない。現にボコボコにされていてもまあまあな打撲で済んでいるから、おそらくだが……。


異能アビリタは発現時から完全にオフにすることはできん。例えばお主が寝ている間、アニーはお主の治療に難儀していたじゃろう?」

「確かに、そうでした。でもそれはあくまで……俺の体内に限ったことですよね」

「お主の能力はさまざまなことができる、と聞いておるが、銀灰グリージョの蹴りは岩をも砕くが、噛みついて首を落としたこともあるくらいじゃ。お主の体に傷が残っていないのは銀灰グリージョが手加減しているからじゃな」

「あれで……」


ドン引きしながら足で顔を掻きむしっているのを見るとすごく複雑な気持ちになる。美女が何をやってるんだか、という呆れとそれからあれに負けたのか、という敗北感。

「しかし、手加減をされたからといって五体満足でいられるからには、間違いなくマルコの体内には異能アビリタが発現しておる。まあ、仮にじゃぞ、仮にお主の能力が『なんでもできる』とすればどうじゃ?」

「確かに、色々やりましたけど……でも、俺の家から出た途端に全部消えましたし、もしかしたら夢を見せるとか、幻覚系かも……」

「だとしたらあの場にいた全員が幻を見た、ということもありうるな。しかしそれじゃあ一体なぜ今は耐えられておるんじゃ?」

「……」


俺はその言葉に沈黙しか返せずに、押し黙ってしまう。


「でも……そんな暴虐な力があっていいんですかね?」

「バカを言うな、お前さんわかっていないようじゃが──うちにいる最強カンピオーネも同じような能力じゃぞ?」

「え!?ど、どういうことですか?」

「奴の能力は、守護じゃな。自身の立てた領域の中でのみ仲間がデタラメに強化され、能力の制限から解放される──マルコとの相性は悪いじゃろうが、ワシの知る限り彼女がそれを使って負けたところを見たことはない。まあ、本人はよわっちいままじゃがな」

「……つまり……?」

「ワシが休憩を挟んでお前さんを運搬したのも、ある程度反動が来るからじゃ。ワシの場合は睡眠を取らんとならん。それを無制限に使えるとしたら……恐ろしいじゃろ?」


確かに、バルトロの能力はシンプルかつ強力。風を操り自由自在に攻撃をする。

「一方でお前さんは自分の持つ領域、物品に対して異能アビリタを自在に発動する。じゃから、お前さんの持っているもの、確実に自分のものだと言えるものを使うしかない。お前さんが怪我をしないのは……おそらく、異能アビリタの発動条件に当てはまっておるからじゃ」

「……そうか、俺自身も……」

とはいえ、だ。


異能アビリタがうまく発動できる!って感じるのはやっぱり、俺の持ってる場所って気がします」

「ま、そうじゃろうな。体で異能アビリタを使うのは、あまりおすすめせんよ。何せ、マルコの場合は発動にかかる反動がそのまま体に跳ね返ってくる。空間に異能アビリタを流すのとまた異なる感覚じゃと聞いたことがあるのでな」

「……う、先は長そうですね……」

「ひとまず、『もの』に異能アビリタを使ってみたらどうじゃ?」


そうですね、と俺は頷いた。

銀灰グリージョさん!すいませんけど、ちょっと待っててください!」

「んあ?いいけど……」

ファ、とあくびをして彼女はゆらゆらと中庭の土の上に横になる。前回の風呂の時も相当暴れたと聞いたが……もしかしてその面倒って俺がみなくてはいけないのか?


俺の物、と言ってもこの屋敷に関して俺の私物をそう多く持ってきている訳ではない。包丁は料理以外に使いたくはないし、レシピ本も然りである。ふと、部屋に戻ったところでテーブルの上に転がしてあったカフスボタンが目に入った。

ナイフとフォークの形をしたそれに少し目を細めて、それから手に取った。


「貰い物だけど、俺の物……ではあるな」

食器の形をしてはいるものの、俺の物ではあるし……殺傷能力もあまり高くはなさそうだ。異能アビリタを使えば、手に馴染む大きさのナイフとフォークに変化する。


「……今から食事でも始めるのか?」

背後から突然かけられた言葉に驚いて取り落とすと、カフスボタンに戻ってそれは床に落ちた。振り向くと、白皙の美少年がゆるい笑みを浮かべて立っていた。


「……どうやら手から離れると、能力が切れるみたいですね……」

ボスの言葉にそう答えると、「繋がりが弱いんだ」と彼は口にした。


「能力を発動するにあたって重要なのは、思い込みだ。条件はいくらでも拡充できる。例えばお前が本気で世界が自分のものだと思い込んでいるなら……お前はこの空間でも自由に能力が振るえるし、俺たちを変化させることもできるだろう。しかしそれができないのは、お前が『所有する』ということに対して非常にシビアな観念を持っているからだ。現に退職金扱いで所有しなくては手に入れられなかったキッチンでしか、お前は能力を発動できていない」

「まあ、そうですね。俺の知る限りでは……」

「中庭をお前にやる、と言っても正式に買取をしない以上はお前は間違いなく断るだろう。つまるところ、お前は……堅物というか、いい機会を逃すタイプだな」


断言されて少し気まずくなり、視線を逸らす。


「まあ、バルトロからいいものをもらえたようだし、この数日でそいつをモノにしろよ。くれぐれも、使いすぎてへばらんようにな。夕飯までオートミールはごめんだ」

「……が、頑張ります」

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