第25話 料理人は思い出す
「共同戦を行うことにした。相手は
食卓に並べられたオートミールの前で悲しげな顔をしている全員に向かって、ボスはそう言い放った。
「なんだってオートミールの前でこんな……ワシが早う帰ってきたんはなんのためじゃったんじゃ……」
「いいじゃないですか、オートミール。俺は好きですよ?手早く食べられますし」
「後で、私の部屋に来てください。マルコ……」
クワリと目を見開いたローズが感情を滲ませながらこちらをガン見してくる。俺は思わず目を逸らしたが、まだピリつくような視線を感じてもそもそと口に牛乳でひたひたのオートミールを運ぶ。
「ローズ、それくらいにしろ。バルトロの情報網から上がってきた話では、五日後に
「
ローズはしみじみとそう呟いて、ボスはその言葉に頷いた。
「そうだ。ローズ、お前を護衛として認定していたが
「……け、喧嘩の仕方、ですか……」
「ああ、そうだ。怪我に関しては
あの銀色の閃光にしか見えない
「お、俺、受け身くらいしか取れないですけど……」
「受け身が取れれば十分だ。
ケラケラと笑いながらそう命令するボスに、俺はがくりと肩を落とす。
「格落ち《プロッシモ》ながら、
「
声が揃った返事に、俺は最初ドギマギしたが、どうやらいつものことだったようで小さくボスは頷いた。
「よし。それじゃ、マルコ。夕飯は頼んだぞ」
「はい、任せてください」
食べ終わったオートミールの皿を片付け終わると、背後から「忘れずに私の部屋へ」と小さな声で囁かれた。
「……ヒ、ヒェ〜〜〜〜……」
本当に行かなきゃいけないの?冗談だと思ってたんだけどなあ……。
赤い薔薇の彫り込まれたその扉は、茨と蛇のある扉の横にある角の部屋にあった。軽くノックをすると、はい、という声と共に扉が開いた。特徴的な二つ縛りのふわふわした髪が現れ、それからピョコリと頭が出てくる。
「……マルコでしたか。中へどうぞ」
ローズの部屋は思っていたよりも簡素であった。俺の部屋とは異なり、床は大理石のような材質であるものの、トレーニング器具が置かれており、そのほかには寝台と鏡台のみが存在している。
「すみませんが、椅子はないのでベッドにでも座ってください」
「え……!?」
俺の動揺をよそに、彼女はスタスタと歩いていく。おずおずとベッドに腰をおろしたところで、鏡台の机に置いていた水差しを手に取って、中身があることを揺らして確認した後にコップへと注いで自分で飲み干す。
……いや自分で飲むんかい、と思ったのは内緒である。
「その……私の部屋に来てもらったのはですね……その……」
「え、ええと、ローズさん……?」
彼女はきつく目を瞑り、それから決意したように赤紫のアイラインを引いた目をこちらへ向けた。
「料理を、教えて欲しいのです」
「……料理を」
俺は少々意外だったものの、その言葉に軽く頷いた。
「良いですよ。正直、俺も自分が倒れた時に何もできないのは困っていましたし……料理人として雇われて、今は曲がりなりにもファミリーにはなりましたけれど、やっぱり俺が倒れてしまって料理人としての職能を果たせない以上、俺の立場というものがありますから」
「……い、良いのですか?私は割に不器用ですし……」
「料理に求められるのは、器用さではないですよ。実際、言われたことを言われただけやれれば問題ないですし、それに、俺はローズさんのこと不器用とは思ったことはないです」
ローズはぽかんと口を開けていたが、はっと我に返り、それを誤魔化すようにコップの水を口へと忙しなく運ぶ。
「マルコ、あの……」
「初めは、簡単なものから始めましょう。最初からうまくできるなら、俺だって10年近くかけて修行してませんから」
「……は、はい。ありがとう、ございます……」
ほんのりと頬を染めて嬉しそうに笑う彼女に、俺は少しだけ俺が料理人を志した時のことを思い出した。
収穫祭の当日に両親からの小遣いもなく、宿の手伝いをさせられていたものの、弟は俺の代わりに洗濯物を干しておいてあげるから、と言って自分の小遣いを分けてくれた。少し後ろめたい気持ちはあったものの、弟はお土産よろしくね、と言ってさっさと洗濯物を干しに行ったため、二人で楽しめる何か面白そうなものでもあれば、と思ったのが始まりだった。
収穫祭の時、俺の手にあったのはたったの100ゾエ。まともに遊べば2、3店舗で尽きてしまう金だから、最初は慎重に見て回っていたけれども次第に祭りの雰囲気に吸い寄せられるようにして的当てなんかを楽しんだ後、気がつけば手元には20ゾエしか残っていなかった。
「……20ゾエじゃ、何もできないよ……」
買おうと思っていた土産も何もかもが遠く、俺は地面にうずくまった。そこへ、天啓のように目の前にぼとり、と財布が落ちていったのだ。それを思わず手に取れば、ずしりとした重みが手に伝わってきた。
「……ッ」
ごくり、と頭の中にやりたいことが次々と浮かんでいく。この金さえあればやれることはいくらだって──しかし、そう考えたのも束の間、人の声がして思わず財布を拾い上げてしまった。
「お、俺は……」
でも、これを使って買い物をしても、どうせ言い訳なんてできない。それに、きっと弟に顔向けできない。きっと後悔する。
きっと──。
祭りをやっている組合の近くへ行くと、「だからあ!」と必死になって説明をしている男がいた。
「財布がなかったんだって、気づいたら!」
「はいはい、言い訳はいいから……こっちに来い!」
「落としたんだよ!黒い革に、縞のある財布だ!誰か、見てないのかよ!」
「この祭りで中身なんかないに決まってるだろ!」
「泥棒はどこにでもいるからな」
ゲラゲラと笑う大人たちの酔っ払った声に、男はギリギリと歯を食いしばってそれからがくりと項垂れる。俺は手元にある財布をまじまじと見つめた。
「あ、あの……お、おじさん!もしかしてこれ、おじさんの財布?」
黒い革に縞模様の入った財布を見て、彼は目を輝かせた。
「坊主それだ!ありがとよお!!」
ぎゅむぎゅむと逞しい腕に抱きしめられた胸元から異国の香水の強い香りがして、俺は思わず咳き込んだ。
「おっと、すまねえ。俺はウィラッチェ、ちょいと西の方からきたんだ。いやあ、助かったぜ坊主」
「い、いえ……」
手から離れていく財布を少しだけ見つめて、それから俺は振り切るように走り出そうとした、その時だった。
「なあ、坊主。ちょいと飯を食ってかないか?」
「え、えと……ご飯ですか?」
「ああ、そうだ。ここいらじゃあ美味しい飯はないが、うちの料理人なら美味いものを作ってやれるからな」
彼はそう言うと、町長の家に足を運んで行った。俺は足を踏み入れたこともないそこに躊躇していたものの、彼は躊躇うことなく俺のことを抱きかかえるとよっこらせ、と椅子に座らせた。
「さてと、何が食いたい?」
「お、お肉……」
「はっはっは、そうか肉か!アリー、何かうまい肉料理を出してやってくれ」
「かしこまりました」
なぜか、その瞬間聞こえた声に俺は振り向いて、そしてそこに立っていたまだ年の若い男が纏っている服に目がいった。
「アリーは俺の随一のコックでな、こいつが作る飯がまたうまいの何の……」
「こっく……?」
「ああ、料理人の呼び方だよ。この国ではシェフ、と言うんだったか……まあいいだろ?この国で拾ったんでな」
「シェフ、ですか?でも、料理は女の人がやるものだって、お父さんが……」
過去一度、手伝いをしようとしたらこっぴどく叱られたことがある。
「何、それはいけないな。えらい人間はみんな料理人を雇ってるんだが、1日に料理するその量も何もかもは膨大でな、男じゃないと偉い人間の料理人は務まらない。都会の方は男の方が多いぞ、料理人は」
「そう、なんだ……」
少し、胸を弾ませながら俺は料理が運ばれてくるのを待つ。
そして、運ばれてきたのは透き通ったコンソメだった。今でも夢に見るほどの琥珀色のそれに、俺は首を傾げる。それまで具の入っていないスープだけを口にしてきた俺に、それはよくわからない液体でしかなかった。
「あの、これは……?」
「飲んでみればわかる」
その言葉に、俺はそれをひと匙掬い上げて、口へと運んだ。野菜の甘み、旨み、塩気のバランスがちょうど良く混ざり合った味。
「ん、んんん〜〜〜〜〜ッ!!な、何これ!野菜がないのに、野菜の味がする!」
「だろう?美味いんだよこれ!」
そして次に運ばれてきた鳥の丸焼き。皮がパリッと、内側はジューシーに焼き上がったそれは、鳩肉だと言っていた。
この時期の鳩は脂を蓄えていて、木の実を多く食べているから肉も神経質に臭み消ししなくていい。
「……お、美味しい……っ」
気づけば俺は手掴みで骨をしゃぶっていた。
「あの、主人……このような躾のなっていない子供を同席させるなんて……」
「アリーさん!」
「ッうぇ!?」
「お、俺も、料理人になりたいです!こんな美味しい料理初めて食べました!」
彼は黒い巻毛を引っ張りながら、少し頬を赤くする。俺の言葉に照れている彼はスッと一冊の手帳を取り出した。
「これ、欲しいなら持っていけばいいんじゃないですか」
「これは……」
「レシピです」
「あ、アリー!?俺のレシピブックじゃないのか!?」
「あげた覚えはありません。それに、その中のものは、ちゃんと俺の頭の中にありますから」
ガヤガヤと騒いでいたのを見送りながら、俺はそれを抱きしめるように胸に抱えた。
「大事にします、アリーさん。ありがとうございます」
「まあ、気にしないでいいですから。君が門戸を叩けるよう、ちょっとしたアドバイスも載っていますし……大切にしてください」
その後母親にはこっぴどく叱られたが、弟が勉強している明かりを横から使わせてもらってレシピの解読を始めた。弟の計算したノートの裏を使い、拙い文字で書き写していく。
レシピの味はわからないが、ただただ基本的なことが書かれたそのノート。確かに、彼にはもう必要のないものなんだろう。けれど、今からの俺には必要なものだ、とその時は思っていた。
「アリーさん、どうしてるかな……あの商人のおっちゃんも元気だといいな」
そう呟いたところでローズの視線が刺さっていることに気がついた。
「あ、すいません、ぼーっとしちゃって!」
「いいえ。それで、料理の特訓はいつから──」
「っずどぉーーーーん!!おい!マルコ!」
蹴破られた扉に、ローズは頭を抱える。
「……どうやら、もう少し先になりそうですね」
「はい……」
ローズの率直な言葉に頷いたところで、
「ボスから聞いたぞ。オマエ、ケンカのしかたもわかんないんだって?オレが!トクベツに!教えてやる!」
ドヤ顔で胸を張っている彼女のお腹が小さく鳴り響いた。
「その前にメシだ!ハラペコはよくないからな」
「そうですね。空腹はよくないので、ちょっと食べましょうか」
俺はベッドから立ち上がり、
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