第34話 料理人は見守る
先頭をバルトロ、真ん中にルクレツィア、そして最後尾に俺と
会話は一切無く、いつもの執務室の前を通り過ぎていくその確かな足取りに俺は少し眉を顰めて
「あの、
「ん……こっちのヘヤはあんまり使わないんだ。オレが初めて入った時も似たヘヤに連れてかれた」
「初めて入ったとき……というといつのことです?」
「なんでオレに聞くんだよ。バルトロの方がセツメイはうまいだろ!」
げし、と脛を蹴り飛ばされて片足でぴょんぴょん痛みを逃がしていると、館の一番端にある部屋でバルトロの足が止まった。扉がなぜか禍々しく思えて二の腕を擦っていると、バルトロはくるりと振り向いてルクレツィアを睥睨する。
「ここじゃ。入れ」
「……」
肩を少しすぼめたルクレツィアのみが入室し、そして扉にはなぜか外から重々しいかんぬきをさす。
「外から鍵をかける、とは一体……」
「ん?ああ、お前さんの入り方は独特じゃったからのう。ステラ・ファミリーになるには二種類あっての、今まで敵ではなかったり、味方がファミリーへ吸収合併されるような方法と、もとより敵じゃった者がファミリーに加わる方法があるんじゃ。後者はワシ、それから
「通過儀礼……どんなものなんですゔッ!?」
腕に強い痺れと衝撃を受け、慌ててそちらを見ると青ざめた
ピンクブロンドの髪を揺らして、腰に手を当てた女性がそこに立っていた。
「なんじゃ、ローズか」
「なんだはないでしょう。今でもこの部屋の前に立つとあなたが無様に泣き喚いていた記憶が蘇ってくるようです。ああ口から全てがまろび出そう」
「やめんか!全く……」
バルトロが泣きわめくほどの通過儀礼とは、いったいなんなのだろうか。俺が不思議に思っていると、ローズがこっそりと耳打ちしてきた。
「ここでの通過儀礼は、部屋の中に軟禁されたあと一週間水と食料を断たれる、ただそれだけです」
「み、水もですか……」
「ええ。体を清拭できるように固く絞った布は手渡されますし寝具も上等です。ただ、飢えと乾きが体を襲う」
意外にも、
「お前は元の仲間たちに毒を打たれてるから、それを抜くのに一週間、水と飯を抜く。その間何も飲み食いしなかったらたらふく食わしてやる」
「……毒に関しては、チョコレートでこりごりだったようでしたから……」
「ああ、なるほど……」
俺が納得して頷くと、ローズはちょいちょいと手招きして横の小さな壁の隙間に指を差し入れる。どう見ても壁だったそこがギィイ、と言う音を立てて開いた。
「ここは?」
「中を覗き見れる場所ですね。声は通りますので、ご注意を」
ヒールのまま今度は音も立てずにゆっくりと滑るように歩き出したローズに驚いたが、一歩踏み出してわかった。全ての音を吸収するような分厚い絨毯が敷かれている。
そして、壁のその向こう側。
一段下がった場所、そこに豪華な天蓋付きのベッド、そして四方をしっかりと覆われているものの、上だけ開いていて丸見えなトイレがあった。娯楽としての本、一人で過ごせるようにありとあらゆるものが置かれている。驚くことに、透明な窓の向こうからは俺たちの姿が見えているはずなのに一切の反応がない。
「……プライバシーのかけらもありませんね」
小声で言うと、彼女は小さくそうですね、とつぶやいた。
「あなたが思うより、孤独もまた心を削ります。さて、外に出ましょうか」
俺たちが外へ出ると、片手を上げた美少年が笑ってよお、と声をかけてくる。
「全く、次々と面倒をかけるな、お前は」
「ボ、ボス!すみません、俺の監督が行き届いていなかったばかりに」
「いや、これに関してはバルトロにもある程度の責任がある。実際、お前の働いていた元レストランに一旦声をかけてもよかったはずだ。ある程度裏を見せておこうというバルトロの気遣いだったかもしれんが、裏目に出たな」
「申し訳ありません、ボス。ワシが軽率でした」
「いや、責めてるわけじゃねえ。バルトロの落ち度があったとすりゃ、事前に奴隷としての人材の購入にあたって調査をしなかったことだ。
「はい、十分に」
「ワシも安い人材じゃからと
ボスはクスリ、と笑ってそれから扉を指差した。
「ローズから部屋の詳細は聞いているな?」
「は、はい」
「あの女をファミリーに入れると言うより、お前預かりの部下にするための手順だ。一週間後には俺からではなく、お前が作った料理を自分で食べさせろ。抗争が終わった後で俺たちが生きていれば、あの女も無事ファミリーの傘下に入ったと言うことになる、と伝えてある。抗争の後、しっかり飯を食わせてやんな」
「はいッ!」
俺はこくんと頷くと、いい子だ、と通り過ぎざまに胸を拳でつつかれた。ふわりと香るペパーミントと柑橘のような香水は大人っぽいのに、と思いながら少しメニューを考え出すと、服の裾をくいくい、と引くような感じがして振り向く。
「あ、あの、今日のおやつは……」
「あ、はい。ボンボローニですよ。ふんわりとした生地にホイップクリームとカスタードを混ぜ合わせた軽さのあるホイップカスタードを詰めて……」
そこで左手を挙げようとして、気がついた。
「そういえば、折れてたんでした……腕」
「何故ですか!」
「……」
そろり、そろりと逃げようとしている
「
「た、タンレンのときは何も言わないじゃないか!!」
「折れた!?腕が!?吾輩の出番ですかな!?」
メガネをくいくいと上げながら現れた
「んんッ……たまりませんな……ホヒュ」
「あ、アニーさん!?ちょ、あの……ッ」
俺が顔を真っ赤にして首を左右にぶんぶん降っていると、はっと何かに気がついたように体を腕から離して二、三歩後ずさる。その顔は若干青ざめつつも、耳が真っ赤に染まっている。ローズもまたその雰囲気を察して俺のことを訝しげな顔で見る。
「あ、あの、あの、わ、吾輩……え、えと、その……はは、し、下着を着るのを忘れておりましたぞ……」
腕は治ったが場の空気は凍りついた。
「だっはっはっはっは!!そういうもんはおとなしく口に出さずに楽しんでおくもんじゃ!童貞が裏目に出たのうマルコ!」
「だ、黙ってくださいバルトロさん!」
俺もまた女性の下着というものに無知だったのが悪いのだが、普通の童貞はそんなこと知るわけがない。いつもより柔らか……じゃなかった、えー……なんて表現すりゃいいんだ。
「ま、あのアニーが赤面するのは見ものじゃったの。あやつ、なかなか自分のなりに気を使わんタチでの、これでそれなりに懲りることじゃろ」
「そんな軽々しく扱われたらアニーさんだって嫌でしょう。普段から自分も痛いはずの治療をこころよくしていただいてるのに、こんなことまでしでかしちゃって……」
「……ん?なんじゃお前さん、アニーの治療……まさか、こいつ……気づいておらんのか?」
一体なんのことだろうか、と俺は首を傾けた。
バルトロの頬がヒクヒクと引きつり、それから俺のことを呆れたような眼差しで見つめてくる。そんなに呆れられるようなことをしただろうか、と自らの言動を振り返っていると肩をポンと叩かれた。
「……マルコ、お前さんは純真でええのう」
「え、ええ?まあ、料理人にとっては新鮮さを感じられるので、純粋であることは大事ですね?」
「あ゛ぇ?あ、ああ……そうじゃな……面白いから黙っておくべきじゃろうか……」
何故か首を絞められたような声を出したバルトロは何事かぶつぶつと呟き、それから引き攣った表情のまま厨房を若干おぼつかない足取りで出ていった。
入れ違いに、厨房へ入ってきたローズは不可解なものを見るように眉根を寄せていたものの、俺へと視線を向けた時には表情はまた無に戻っていた。
「死体の処理ですが、
「そ、そうですか……」
やっぱり謎な存在、
「ファミリー以外は、裏切るものと割り切って取引をする。それがマフィアの世界というものですよ」
「あ、はい……」
あまりにベストタイミングだったために心でも読まれているのか、と思ったもののローズの言葉はさらに続いた。
「私が
「やっぱり心が読めてるじゃないですか……」
「あなたが分かりやすすぎるだけです。それよりも、マルコ。あなたの訓練に関してですが、
「え、ええと……それって、まさか」
「ええ。あと一時間後に到着します──
自然に喉が上下する。
「いったい、どんな人なんですか?」
「ふむ……酒と女が好きなクズ男ですね。見た目は少々風変わりですが」
あまりバルトロの言動にも苦言を呈することのなかったローズをもってして、クズと呼ばれる男。それにちょっと不安を抱く。
「……あの、俺、先行き不安なんですが……」
「問題ありません。あなたの料理の腕をもってすれば即座に陥落できる程度ですし、恐らくですが相性も悪くはないと思うので」
「……相性が悪くない……?」
どう考えても俺のような生真面目な男との相性は悪そうだが、といぶかしんでいるとローズは少し唇に微笑みをたたえる。わずかに、ほんのわずかな表情変化だったが、雪の隙間から芽吹いたようにすら思えた。
「彼は存外あなたと似ていますよ。クズというところは似ていませんが、彼は本当にボスのことを慕っているのです。あなたと同じように、大切なものを分かっているから……」
きれいなローズクォーツに似た瞳がふっと緩んだ。もしかすると、その
「恋仲だったんですか?」
「…………は?」
どすの効いた低い声が聞こえた。さっきまでのふわふわした雰囲気のようなものは消え去り剣呑な気配が足元から忍び寄ってくる。
「い……」
「い?」
冷や汗をかきながら、俺は一歩後退りした。ローズは一歩またこちらに踏み出す。床がばきり、と音を立てる。冷たい石でできた廊下がヒールのかかとに負けて割れている。あんな脚力でぶっとばされたら……。
「イヤナンデモアリマセン……料理作ってきます……」
そそくさと立ち去り、俺はキッチンにはいった。
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