第23話 宿の主人は見誤る

※※マルコの父親の視点となります※※胸糞注意



昔から、鈍臭くて不出来な子どもだった。

弟のドミニクと違って勉強もできなければ、運動も大して能がない。


顔も妻に似て凡庸で、こんな女を娶らなければと思ったことも何度かある。しかし、弟のドミニクがそうすると生まれなかったから、相対的に見ればこれは成功だった。


俺はこんな宿屋の店主に収まる立場じゃない──そう考えていた俺にとって、子供の成功は足掛かりの一つだった。商人としての伝手も密かに伸ばしていた俺は宿の仕事をほとんど妻に任せ始めた。

子供が成功すれば親は注目を集める。ドミニクが村のバックアップで都会に出ていくということが決まったとき、小さな村の三人ばかりの合議に招かれた。そこで、俺はとある提案をした。


「……村に、マフィアを招くのはどうでしょう?」

「マフィアを……?」

「危険ではないのかね」

心の中でずるりと舌を舐めるようにして落ちて来るのを待ち構える。


「危険ではないですよ。むしろ、村にマフィアがいない方が、ここに来る行商人が狙われて少なくなったり、村自体が襲われたり……良いカモにされるそうなんです。長いことここにマフィアが来なかったのは村自体が貧しいからであり、今回ドミニクが村の支援で都会に出ることによってルオフーネも注目されていくだろうと俺は考えています。だからこそ、今なんです」

「しかし……マフィアが満足するほどの利益を供与できるかが問題だと、わしは思うがね」

「実は──俺の知る限りでは、金払いの良い客は決まって『教会』を訪れるんです。何がそんなに彼らを惹きつけるのかは分かりません。けれど、『教会』を渡す……というのはどうでしょう?」


ここで俺は勝ちを確信していたし、年寄りたちも生活が便利になるのなら、と密かに協力してくれることを約束した。しかしながら、この開始は数年後になる。


問題の一つ目は、長男であるマルコの家出だった。

何が問題かと言えば、宿の仕事を割合多くさせていたために人員の欠けが起こったことで俺の手が宿の経営なんかに──富を生み出せる手が丁寧にベッドシーツの皺伸ばしなんてさせられてしまうことだ。

さらに問題は、家出をするほどひどい扱いをさせられていたのでは、ということを噂として流されたから年寄り連中の動きが鈍くなって閉まったこと。


加えて、マフィア側の食いつきもそうよくはなかった。


「……ルオフーネの教会?あそこか……」

その後黙り込んだ相手は静かになって、それから決まって『NO』を突き返してくる。良い条件なのに何が不満なのかと問えば、彼らは何も知らないのか、という顔でこう口にする。

「悪いが、俺は全てトゥットを敵に回すつもりはない」

「……全てとはなんだ?」

「さあ、自分で考えるんだな」


彼らに門前払いを食らいながら、最後に当たったファミリーはようやく首を縦に振ってくれた。ごく最近立ち上げられたそこはボスを頂点として他の全ての構成員が平等という珍しいファミリーである。普通はボスを頂点にはしているものの、幹部というシステムがあって彼らは独自裁量できる部下を持っている。だというのに不思議なこともあるものだな、と思っていると、ボスと呼ばれる男と布一枚を隔てて会うことになった。

あれよあれよという展開だったが、俺は説明力には自信がある。


「──というわけです。いかがでしょう?」

「ふむ、面白い」

存外若い声が響いてきたが、新興ということならそういうこともあるんだろう、と努めて気にしないように気合いを入れ直していると、今度は向こう側から声が飛んできた。


「その教会の詳細は知っているのかな?」

「い、いえ……詳細というわけではないですが、ええ、どうやら教会の土地の権利書は町長が持っているらしく……」

「そうか。それは……実に重畳」


布の奥で、含み笑いをする気配がした。


「──なら、私本人とはいかないが一部の人間を送ろう」

「……あ、ありがとうございます!」


マフィアの人間は教会へと踏み入り、そして全ては1日で済んだという。宿に結果が報告された時は胸を撫で下ろしたし、俺はこれで富を手に入れられる。揉み手をしながら報告してきた人間に尋ねる。

「それで、その……お告げソーニョの取り扱いの件ですが……」

「ああ、それだが──」




苛々させられる。判断力のないマフィアと手を組んでしまった、と思うが彼らももしかしたら入手のために汲々としているのかもしれない。

だったら、より大きいところと手を組めば──。


そう思っていたところの矢先、ひょっこりと家出をしていた長男が戻ってきた。やはり都会で成功なんてできるわけがない、ただの凡百の一人だったのだと思っていると、やけに仕立ての良い服を着て、羽ぶりの良さそうな男を一人連れている。

自分のしわがれて汚れが染み付いた手が目に入って、それから埃と汗で薄汚れた服に苛ついた。


「なんだ、今更戻ってきて……」

そんな悪態がぽろりと漏れたが、マルコには大して効いていないのかわからないが、むしろ羽振りの良さそうな男の側がマルコの背を押して鍵を受け取り、2階へと消えていく。

「あ、あなた……マルコが、どうしましょう……」

妻はオロオロとしてみっともない姿を晒しているが、俺は鼻の頭に皺を寄せて考え込んでいた。ふと、天才的な閃きが頭を駆け抜ける。


「あれは、貸衣装だ」

「貸衣装……?」

「そうだ。いくら借金したかはわからないが、まともに得た金なわけがない。考えてもみろ、ドミニクと違ってマルコは出来が悪いんだぞ。あの横にいる男も間違いなく演技をしている男だ、間違いない」

「で、でも……」

「黙れ。俺が間違いないと言ってるんだから間違いないんだ」

テーブルを人差し指でトントンと叩きながらそう口にすれば、妻はそうよね、と呟いてそれから急いでマルコの部屋へと小走りに歩いて行った。俺はまだ宿の仕事をしなければいけない。マルコが戻ってきたら全てを押し付けてやろう、そうすれば手には持ちきれないほどの黄金の煌めきが──。


そう、考えていた。


「俺は、この家とは、縁を──」

なぜマルコはこの宿を継ぐだけで俺の富の恩恵にあずかれるというのに、それを断るのか。あまりに理解不能で、どうしようもない愚図な息子に大して怒りのままに怒鳴りつけようとしたところで、突如としてノックがなされる。

「うるせぇ!今立て込んでんだ、後にしろ!」

そう叫んだが、相手は気にせずにマルコを連れ出して行った。


それから恥知らずにも教育の甲斐なく、マルコは調理場に入って料理を始めた。料理なんてものは女がするものであり、男はどっしりと座ってそれを迎える立場だ。死ぬほど不味ければ頭からかけてやればいいし、それでも気に入らなければ食卓からはたき落としてやれば良いだけのことだ。


妻の作る料理はまあまあ美味しいのだし、あえて調理場に入って作ることもない。宿の人間でさえ満足しているのだから。

しかし──扉を突き抜けるような芳しい香りが、胃袋を刺激する。


瀟洒な見た目の料理を普段使っている皿に美しく盛り付けると、マルコはぼんやりとした顔でその実に美味そうな料理を口へと運び始めた。自然と湧き立ってくる唾液を押さえつけるようにして、妻が制止するのも聞かずに台所にまだ残っていた、使い終えた鍋を手にとる。

そこに残っていた白い液体を指で掬い取り、そして──口に運んだ瞬間に理解した。


震えるほどに美味しい生クリームのコクとナッツの香ばしさ、ほのかな甘味、そして肉の脂の香り。バターの甘さが溶け込んでいて白ワインの華やかな香りがわずかに残る。

震える手がもう一度、と鍋に伸ばされた瞬間に、はっと我に帰る。


今、俺はあれほど軽侮していたマルコの料理をもう少しでも食べたいと思っていたのか?

料理など取るに足らない、くだらない、と嘲笑っていた俺が間違いを認められるほどに美味いと感じてしまったのか?


それを理解した途端に怒りがマグマのようにふつふつと湧き上がり、そしてマルコの姿が遠目に見えた瞬間に一気に爆発した。片手に持っていた鍋で勢いよくマルコの頭めがけて振り下ろす、それだけでこの苛立ちの元凶は消えて無くなる!!




──しかし、それは叶わなかった。

鍋は見えない壁に阻まれて、俺はそのまま床に勢いよく転がった。

「宿に追い剥ぎがこうダイレクトに出てくるなんぞ、面白い宿じゃな?」

「うるさいッ!!黙れ、このっ……料理に何か薬物でも入れたんだろう!」

でなければこんなのに惑わされるはずがない。俺は妻の料理で満足していたし、妻もあれで料理上手を謳っていたから娶ったのだ。顔はやや間が抜けていて自分で物事を考えられない脳足りんの愚か者だが、それでも……。


「おぉ、何か入れておったのか。納得じゃな」

「い、入れるわけないでしょう!」

いきり立ったマルコに、眉毛の太い男はケラケラと笑って冗談じゃ、と言うと、鍋を持ってへたり込んでいた俺の頭をその大きく分厚い手で掴み上げる。


「薬物でも入っていたんなら、どれほど良かったじゃろうなあ。ワシも毎日こやつの飯を食わんと体が目覚めんのよ……さて、マルコ。どうする?」

この騒ぎにもかかわらず、食後の茶を啜っていた男は目を瞬かせた。

「そうですね……」

少しだけ首を捻り、それからにっこりと笑ってカップを置いた。


こんなに自信のある姿は一度も見たことなんかない、おずおずと差し出してきたような萎れた草花を怒鳴りつけてゴミだと捨てさせたときも、年少の試験で八割を取った時も同じテストを飛び級で解いていた弟に負けて情けないと嘲笑った時も……まるで別人のようだった。


「お……お前は、誰なんだ……ッ、この、悪魔」

「悪魔、良い呼び方じゃのう。美食もある意味堕落の始まり、マルコの人生はこの一雫を作り出し、そしてこの一雫に万金を積ませるためにある。どうじゃ、人生を狂わせる味じゃったろ?この鍋の中身は……のう?」

男の指は別のソースを掬い取り、そしてそれはぽたり、と口の中に落とされた。


舌で味わいながらまろやかに、かつ刺激的でゾクゾクするような背徳的な味が広がった。吐き出そうとしたのになぜか喉はそれを飲み込んでいく。

頭から手を離された俺はえずきながら床にくずおれる。鍋がぐわんぐわん、と音を立てながら転がっていった。

「バルトロさん、これで十分な罰にはなるでしょうか?」

「おお、そうじゃの。余程の用事がない限りはここに来ることはないじゃろうし……クククッ、まあ息子に突然殴りかかるような宿じゃ、稼げる額も高々知れておろう。オランヴィアナでも金を積んで余程のコネがなければ食えん味じゃぞ、運が良かったのう?」


ケラケラと笑いが響く中、怒りと恥ずかしさのあまり頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。妻があなた、と添えてきた手を勢いよく払いのけると彼女は悲鳴をあげて倒れる。

「大げさな事を!」

放っておけ、という言葉が聞こえた後、マルコの目はその後一切俺を捉えることはなく、口の中に刻まれた『美味』はただ鮮烈さを残したまま脳裏にへばりついた。

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