第36話 料理人は見てしまう
放っておけ、と言われたのを鵜呑みにして置いてはきたものの、正直に言えば気にならないとはいえない。なにしろ好みもわからないうちに食事の内容をいじるなんて……と思いつつ、今日の料理はファゴッティーニと言う詰め物をしたパスタ、それからカツオのブレザオラにアーティチョークを添えた物である。
ファゴッティーニの中身はディルとエビを合わせたもので、コクと旨みを感じられるようエビの内臓までしっかりと合わせていく。それでいてプリプリとした身の食感は残しておきたいので粗めに潰し、刻んだディルや香草、つなぎのじゃがいものピューレと共に混ぜ合わせる。生地は柔らかいエビの殻をパリリと素揚げしたものを乾燥させ、粉にしたものを混ぜ込んである。ソースはトマトで酸味と爽やかさを足してあげている。噛み締めた瞬間に甲殻類特有の旨みが突き抜けていき、エビの身の歯ごたえとディルの爽やかさ、そしてほんの少しの苦味がアクセントとなる。
次に準備するのは、と言うより準備していたのはカツオだ。このカツオを2日後ほど塩漬けし、その後水分を拭き取って赤ワインに漬け込んだ後、乾燥させてやる。こうすることで水分が飛び、旨みがギュッと内側に閉じ込められた鰹が出来上がるのだ。
「……これいい匂いするな。アジミはないのか?」
ひょこりと頭を出した
「
「お!やったー!」
とはいえ、塩分過多にならないよう厚みで調整するだけなのだが。
リゾットはアサリとレモンを使ったさっぱりしたものに仕上げていく。米はわずかに芯が残るか残らないか程度の硬さになり、レモンの香りがふわりとしながらも貝の持つ潮の香りを活かしていく。最後にきゅっと添えたレモンを一振り絞れば、もたれがちな舌に新鮮さを与えてくれる。
最後にイタリアンパセリを散らしたところで
「ジュル……」
「うわ!?ちょっと
「むぐぐー」
脛をぺろぺろされるのは正直気が散るしいつ噛み砕かれるか気が気ではないんだが……と思っていると、彼女は耳をピンと立てて、チラリと俺の顔を見た。
「外で
「ああ、そうですか?ちょうどいいですし、好みでも聞いておきましょうか」
扉を開けると、ギョッとした顔で驚いたもののすぐに俺のことを睨みつけてくる。身長は俺より高く思えるが、それは足元のハイヒールのせいもあるだろう。
「……何かしら?」
「あの、味の好みと、食べられないものがあれば教えてください。もし苦手なものがあれば──」
「大体なんでも食べられるから。ああ、でも、私赤ワインだけはどうしても飲めないから、よろしくね」
「料理に使われてるだけなら問題ないですかね?」
「わからないわ。普段食べてるものに赤ワインが入ってるかどうかなんて気にしたことないもの」
「あ、はい。じゃあ、今日少しだけ出してみて様子をみてみましょうか」
「……あなた、よく普通に喋れるわね。私がこのファミリーから出て行けって言っても、すぐに言うこと聞きそうなくらい素直で気味の悪い男」
綺麗に引かれたアイランを歪めながら彼はそう口にする。俺は少しだけ考えたものの、それはないな、と首を左右に振った。
「確かに、俺がファミリーに来たのはここ以外に行き場所がなかったからです。でも、今は自分の腕が毎日試されている感じがして、リストランテで働いていた時よりも楽しいと思っているんですよ」
「へえ、ただの偽善者じゃない」
「その偽善者ですが、明日からあなたに
「……なんですって?」
「じゃあ、よろしくお願いします」
ポカンとあっけにとられている顔を尻目に、俺はキッチンへ続く扉を後ろ手に閉めた。
「マルコは明日から
「ええ、まあ。でも、俺としては
そう、たとえば皿が俺の領域だとして、盛り付けが自分の思った通りにいき、皿が配膳されるまで美しい状態で保たれているとか、あとは毒が入っていないかどうかを判別できるとか。
そういう使い方しかできない気がする。
「マルコはヘンだなー。テキをベシベシやっつけるのが楽しいんだろ!」
「
むぬぬ、と彼女は唸りながら手伝いのおまけのリンゴソルベに釣られて皿を出していく。
「オマエの手伝いにする女いただろ?る……ルク、なんとか!」
「ああ、ルクレツィアですか?彼女がどうしたんです?」
「あいつもここでなんか作るんなら、色々もらえるだろ?」
「……ああ、そうですね、ルクレツィアにも
「そういえば、聞くのを忘れてたんですが……
「ん?そういうのはバルトロとか
自信満々に答えられて、少しガクッとしながらも盛り付けを進めていく。リゾットなどは温かいうちに適温で、食べごろになるように
「お待たせしました」
「ああ、待ってたぞ。今日は何だ?」
「エビとディルのファゴッティーニ、カツオのブレオザラを添えた秋野菜のサラダ、アサリとレモンのリゾット、リンゴのソルベです。食後のコーヒーはローズさんにお任せしても?」
「ええ、問題ありません」
蓮根、南瓜などを素揚げし、パリパリとしたチップスに仕上げたものを乗せた生野菜のサラダ。これに添えるのはカツオのブレオザラで、ねっとりとした口当たりとともに生ハムめいた塩気とカツオのもつ独特な香りが赤ワインのわずかな渋みとともに口の中で旨みを放つ。
そして秋野菜のもつ土の香りが独特に広がり、陸と海のハーモニーが広がる。
「……くぅ、サラダで酒を飲むつもりはなかったんじゃがのう……」
「美味しそうに飲んでますな、バルトロどの……」
「俺も……」
「ボスはまだ体が出来上がっていない状態ですので、16歳を超えたら飲みましょうね」
「くッ……マルコ!」
「え、えー……急にはできませんけど、ちょっと考えてみますね。どうせ年齢はいずれ元に戻ると思いますけど、やっぱりノンアルコールがいいってタイミングもあるでしょうし……」
そう口にした瞬間、カチン!という鋭い音が響き渡った。フォークと皿がぶつかり合った音だ。
「……あなた、本気で言ってるのね。料理人のくせに……あなた、まだこちらの世界に来たばかりなんですって?こんなお気楽な奴がいるなんてね」
「おい、
「私ははっきりと言うわよ。仲良しごっこがしたいだけの集まりに、
そして彼はカタン、と食器を机に置き、立ちあがろうとする。俺は慌てて立ち上がり、そして
「食事、美味しくなかったのであれば別のものを作りますから──」
「や──やめてよッ」
腕を振り払おうとしたのに合わせて掴んでいた手のひらから解放すると、あからさまにほっとしたような表情になる。
「別のものもいいわ。今は食欲がないの!」
「……そうですか、では後で何か作って
思わず振り返れば可愛らしいクマのぬいぐるみを置いてちんまりと座っている、短めのおかっぱの少年がキラキラと輝く笑顔でムシャムシャとリゾットを貪り食っていた。
「んん〜〜〜!!美味しいね、これ!」
少年はこの重たい空気をものともせずに、
「……あ、あのー……?」
「何じゃ……帰ってきておったんか、
「ジジィとは失礼だなぁ、こんなにカワイイ僕に向かって」
クリンとしたまるい瞳、サラサラの髪は丸く綺麗なシルエットに整えられ、小さな手足が一生懸命に主張する様は微笑ましい。ほとんどの人が可愛らしいと思うような外見で、半ズボンの下から覗く膝小僧にはピンク色の絆創膏が貼られている。
突然の登場に対してバルトロの安心したような態度とは裏腹に、俺はめちゃくちゃ動揺していた。何があれって到着のことを聞いていなかったのに
「ローズねぇねも久しぶり!」
「ええ、久しぶりですね、
「……あ、あの……えー、あの????」
ローズのことをねぇねと呼ぶ少年に困惑しながらもキョロキョロしていると、バルトロが食事を中断して俺の肩を叩く。
「ああ、落ち着け、マルコ。
「雑に、と言うより当然の感情だと思いますけど。俺はそもそも一般人である自覚がありますし……正直会ったことのある
「あの女を見てその言葉を吐ける方が怖いんじゃが?」
ここにいる全員、かなり悲観的な方だから俺みたいな能天気なやつがいたらなかなか腹立たしく感じるだろう。でも、その考えは先を無くしていく考え方だ。
「ねえ、お兄ちゃんがこの料理作ったの?」
「ッ!?」
いつの間にか胸元に飛び込んできていた少年に驚いて両腕をあげてしまったものの、椅子の上に座ったままだと無理のある体勢だったらしく、俺は彼を抱え込んだまま思い切り後ろに倒れ込んだ。腕の中の小さな体躯をグッと守るように抱え込みながら衝撃に若干息が詰まる。
「け、怪我は!?」
「な、ないけど……」
「あの……大丈夫ですか?」
「ん?ううん、何でもないよ。ありがと、お兄ちゃん」
兄。
お兄ちゃん、か。
言い知れぬ気持ちになりながら、俺は彼の乱れた服の裾をはたいて直す。兄として、してやれなかったことばかりで、両親からの期待に応えている弟の姿を思い出しながら、俺は少しだけ物悲しい気持ちになった。
「よかったです。じゃあ、食べちゃいましょうか」
少年のほっぺたが赤く染まり、それからハシバミ色の瞳がキラキラと輝いた。
「うん!食べる!えへへ、お兄ちゃんのお料理美味しいね!」
りんごのソルベは俺の指定した通り、盛り付けてから時間が経ったのにも関わらず霜も浮かず、また一切溶けることもなかった。この技術を戦いに活かせるんだろうか、本当に。
何はともあれ、今日は本当に疲れた1日だったとベッドの中でぼんやりする。
「あ」
そういえば
「……やべえ」
明日の朝でいいかな、と思ったところでいや、お腹を空かせた状態が健全であるわけがないという想像が頭を進んでいき、俺は数十秒悩んだところで軽くホットサンドでも渡せばいいか、とベッドから飛び起きた。なお、
美女との同衾というより、本当にアホっぽい犬を抱き上げて連れていくという感覚にもうなってしまっている。
冷凍していたクロワッサン種をそのままオーブンへと放り込み、その間に挟むものを準備する。トマト、チーズ、玉ねぎ、それからブラックペッパーにローズマリー。美容に気をつけていそうだったので飲み物はアーモンドミルクを少し温め、蜂蜜を入れたもの。
扉をノックしかけたところで、それがすでに開けられていることに気づいた。俺が不可解に思いながらトレーを持ったまま足で押すと、簡単に開く。
「失礼しま〜……」
思ったよりも殺風景な家具だが、普段よく使うのであろう化粧道具はあちこちに散乱している。ベッド脇には今日彼が来ていたボルドーのドレスじみたフリルがついたスーツが引っ掛けられており、天蓋のついたベッドの隙間から腕がだらんと垂れている。
「か、
「……ん゛ぅ……」
「お食事お持ちしましたよ〜……ここに置いていきますね」
とりあえず食べるまでは温かいから、とそのままベッドサイドにあるローテーブルに置いたところで腕が動いて、それからずるり、という動きでセットされていない髪型の半裸の大男が滑り落ちてきた。
「……あ」
「あ……?」
1分くらい、たっぷり見つめあっただろうか。
今日見た目力の強さとはまるで別の、細くてキッとした目。おそらく描くのに邪魔な部分を剃ってしまったのであろう、細い眉。そしてあの陰影ある顔とは違う、どことなくのっぺりした印象を与える顔。
「だ……誰です?」
「んぎゃあああああああ!?!?何あんたこんなところに入ってきてどういうつもり!?防衛機構は!?プライバシーの侵害よ!すっぴん見られたああああ!!」
「扉は開いてましたよ。そもそも
「あなたのことが気に入らないって言ってるのになかなかお馬鹿なことを言ってる自覚はあるのかしらァ!?」
それは大いに自覚ありだ、と頷きながらも俺ははいこれ、とベッドサイドにあるクロワッサンサンドを示した。枕で顔を覆う
「軽いものですが、こちらどうぞ」
「……あんたって心がないのかしら。これだけ嫌味を言われて引き下がらないなんて、変ね」
「心がない……というより、気にしてもしょうがないかな、と。だって、
「あんた……ッなんて……」
「あ、言い忘れてましたけど、
「キィぃいいイイイイイイ!!出ておいき!!明日から力の限りぶん殴ってやるわあああああ!!」
ぶち、と血管が切れるような音が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
人体からそんな音がしてはならない。
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