第20話 料理人は意識する

鍋の中の豚肉からは脂が溶け出して、くつくつと小さな音を立てている。タイムとローズマリー、セロリの葉を数束紐で括ったブーケガルニと一緒に煮ているこの豚肉だが、実はリエットにしようと思っている。ツナの油漬けに似たもので、塩と香草で煮込んだ豚を細かくほぐし、空気を抜いて豚自身の脂で閉じ込めたら数週間は日持ちする食べ物である。

本当は玉ねぎやにんにくを入れるのだけど、入れなくても肉自体の旨みを楽しめるからこれでもいいかな、と妥協してセロリとにんじんのぶつ切りを入れたものである。ただし、別の鍋でもニンニクと玉ねぎを入れたものを作っていることは作っている。夜食などでちょっとバゲットを切って一緒に出せば酒のつまみには最高だ。


レバーパテのように細かくすりつぶすタイプもあるのだけど、肉の繊維を緩くほぐしたものも最高に美味しい。豚の脂は牛のものと違って口の中の温度で溶け、噛み締めるほどに旨みがじんわりと広がっていくのが良いところ。

ただし、水分量に気をつけないとリエットが緩くなってしまうので様子を見つつにはなるのだが。


お湯から瓶を引き上げ、ひっくり返して水分が蒸発するのを待つと布巾の上においた。瓶には紙を貼り付けて、『銀灰グリージョ用』と書き記す。

銀灰グリージョのものは実はワインを使えない。犬はブドウを食べられないので、糖蜜を使った蒸留酒を薄めて使っている。


味見をしたところで、少し甘いかな、という感じがしたものの俺はひとまずこれでいいかと鍋の火を止め、ざるに具材をあけ、ボウルに煮汁を落とす。一回り大きいボウルに仕込んだ氷水で冷やすと、煮汁は徐々に冷えて脂とそれ以外の旨みの詰まった汁に変わる。

その間にほぐしていた肉と野菜の山に煮汁を様子を見ながら足していき、ちょうどいいところで少しだけとって味を見る。

「うん、うまい。ニンニクなくても案外ハーブだけでなんとかなるんだな……」

そう一人ごちながら瓶にリエットを詰めていき、そして最後の方に残っていた脂を再度溶かして蓋をする。


「それにしても、意外だったな……アニーさんって辛いもの、好きなんだなあ……」

数日前の宴会を思い出しつつ、俺はひたすら作業に没頭する。ふと、戸口のところを叩く音がして振り向いた。そこにはバルトロが立っており、呆れたような表情をしている。

「何をしとるんじゃ、今日は異能アビリタを見てもらう日じゃろ」

「え?あ、いけない……」

「早めに声をかけておいてよかったわい。昼食を食べたら即刻向かうぞ。今日の夕飯は外で食べてきてもええそうじゃ」


「外で、食べてきても……?」

「んん?なんじゃ知らんのか。異能アビリタを見れるもんは少なくての〜、ちとワシの能力でも遠いんじゃ。車は途中で燃料を足すこともできん田舎じゃぞ?」

「田舎……」


そういえば上京してから首都のオランディアナにいるはずの弟にも会ってはないな、と思う。

「……なんじゃマルコ、その顔は」

「いえ……久々に家族のことを思い出しまして。別にそんな大したことじゃあないんですよ」

「そうかのう。これから行く街はルオフーネと言うてな」

「ルオフーネ!?」

俺は思わず立ち上がる。

「な、なんじゃマルコ……」

「あ、いえ、取り乱しました……え、えっと、俺の生家がある街なんですよ。すごくいっぱい知り合いがいまして……」

「はあ!?……なんじゃ、そしたら泊まりにした方がええのう。ワシがちとボスに言ってくるから待っとれよ」

「ちょ、ちょっと待ってください!ホント、大丈夫なんで!」

バルトロは訝しげな顔をしたものの、本当に大丈夫です、と重ねて言った。


「実は家出同然で飛び出してきたので、居心地が悪くって」

「……それなら、余計に話をするべきじゃぞ、マルコ」

真顔で諭されるが、どうせ家に帰ったところでかけられる言葉は決まっている。

「帰っても、帰らなくても同じことですよ。地元でも、弟は天才児とか言われていて結構有名でしたし、親もそう考えていて実家を継がされそうになったんです。もちろん何度も交渉して、喧嘩しての結果ですけど……」

料理人になると言った時も、料理なんてものは女のすることだ、男がすることではない──という言葉を吐かれ、レシピを詰め込んだ本に唾を吐かれて靴で踏みつけられた。


「なので、できれば会いたくはないです」

そうきっぱりと言ったところ、バルトロはなぜか愉快そうな表情をして腕を組んだ。

「クックック、なるほどのう。しかし、余計に会いに行っておいた方がええぞ、マルコ」

「え……?なんでですか?」

「そりゃ簡単な話じゃ。お前さんの服も、身だしなみも、ありとあらゆることをしっかりさせたのは、ワシらの品格を保つためじゃ。もちろん、強さとしての『格』であればうちは上の方じゃ。しかし単純な戦闘力では『品格』は得られん。力とは暴力であり、金であり、そしてその両方を牛耳れるのが権力じゃ」

「……確かに、そうですが……」

「じゃから、ワシらが身につけるものは品質が良く、そして見た目にも高価とわかる代物じゃ。つまり……お前さんは国内最高峰のリストランテに就職後、とんでもない金持ちの家に引き抜かれて何不自由なく生活できていることを見た目にわかるようにすれば、相手も自然とお前さんを見下すことはするまいて」


なるほど……と俺は少しだけ考える。

確かに料理人だからといって、成り上がれない訳でもない。それに、両親のことは心底嫌っているわけじゃないし、自分たちの生活がある中でもこのオランヴィアナに暮らす弟に対して仕送りをしている。


それに、正直なところ……両親を見返してやりたいという気持ちがないわけじゃない。弟に対しては出来がいいのは兄として嬉しく思うが、その出来の良し悪しで扱いに差をつけて俺を貶めたことについてはやや腹立たしいと思ったこともかなりある。

「やります、その作戦」

「おう、そしたらお前の部屋に行って身だしなみを整えるぞ」


まずは衣服。

シャツは肌馴染みのいい少し光沢のあるスタンドカラーのもの、ただし体型にフィットしたものを。体型を服の上からどう割り出したかは知らないが、件の服を勧めてもらった店員には感謝しきりである。

「それから、これじゃな」

「ベルト……?」

「いんや、シャツガーターじゃ。男がつけるには少々抵抗があるかもしれんが、お前さんはかなり動く方じゃし、着崩れないようにするためにはあったほうが良いの」

「な、なるほど……」


俺はおっかなびっくりとそれを装着してみたものの、思っていたよりシャツがピンと張って、それだけでしっかりとした身だしなみが演出できるのもいい。

「太ももに違和感はありますけど、動き回るたびにシャツがよれなくていいですね」

「そうじゃろ。……というか、お前さんそのヨレヨレの下着は捨てんかい」

「いやあ、どうも真新しいやつだと居心地悪くって……やっぱり変えたほうがいいですよね?」

「今回に限ってはまあ仕方がないの。買いに行く時間もないから仕方なし、じゃな」

それから紺色の艶のあるツイールのベストに合わせたズボン、そして靴もしっかりとした革のストレートチップ、という種類の形。つま先がしっかりと尖っていて、紐で結ぶタイプのものである。

飾りのボタンが銀色のため、それに合わせて選んでもらったカフスボタンはフォークとナイフを交差させたデザインだ。


「いやー、いつ使うか悩んでおったが……お前さんのほうが相応しい代物じゃな。今度使わなさそうなのはお前さんにやるとしようかの」

「あ、ありがとうございます……?」

「ああ、そう気にせんで良いわ。ワシも使い所がなくて悩んでたものばかりじゃからの」


ジャケットも合わせて、最後にチーフをポケットに綺麗に折って入れると、満足げな顔で頷いた。

「美的センスがないわけじゃなかろう?最後に髪をセットするぞ」

「は、はあ……」

ワックスをつけられて後ろに流すように櫛で整え終えると、顔周りがスッキリした印象になる。今まではかなりモサモサしていて毛の量も多かったから、若干不思議な気分だ。

「どうじゃ?」

「おしゃれっていいですね。バルトロさんが毎日ああも着飾っている理由がわかる気がします。でも、俺にはあまり向いてないかな、とも思いました。毎日これは……できないですね……」

そう呟くと、バルトロは俺のあんまりな言葉にも関わらず吹き出した。


「おしゃれなんてものはのう、本人がしたい時にすればええんじゃ。ただし、時と場合によって使い分ける必要がある。ワシは好きじゃからしておるが、マルコは違うじゃろう?」

「そ、そうですね……でも、たまにならこういう格好をしてもいいかもしれないです。もし別の機会があればまた聞いてもいいですか?」

「おう、どんとこい」


よし、と俺は立ち上がる。

「これで準備完了ですね!」

「待て待て。明日の準備もせんと、旅行に行けるわけもないじゃろうが」

「……あ、確かにそうですね……」

「ご両親に会った時に安心して優秀なシェフじゃと言うつもりが……」

ガックリと肩を落としたバルトロにえへ、と笑ったものの背中をべしり、と叩かれた。


旅装を整え終わると、玄関口までローズが見送りをしてくれた。

「では、くれぐれも気をつけてください。ルオフーネの『町付き』のファミリーはどれもよそ者には厳しいですから、特にバルトロは目立つ真似をしないように」

「なんじゃ、情報屋としてなら一級品じゃぞ?ワシは。田舎であっても立ち回りは心得ておる。まずはマルコに紹介してもらってじゃな……」

「いや、俺の顔もそう広いわけではないですけど……」

複雑な気持ちになりつつもそう呟くと、「逆に信用できる相手ということじゃろ」と言われてさらに複雑な気持ちになる。


「弟の元彼女とか弟の親友とかが……ですか?」

「悪いの。今の言葉は全て忘れておくれ。泣かんでくれマルコ……」

「友達がいないことがそれほど悪いこととは思いません。私は友達はいませんでしたが、家族がいますから」

ローズがどん、と叩いた胸を張った。


「ローズ……お前は少々友人を作ったほうが良いと、ワシは思うぞ」

「そうですか」


片手を振って見送ってくれるのを後にしてドアを閉めると、ふと思い出したことがあって俺はバルトロに質問してみた。

「あの、バルトロさん。ローズさんも若くて、そんな茨姫スピーネさんとかとは年の方も変わらないですよね?」

「そうじゃのぉ、ローズは19じゃな」

「う、うわ……年下だ……ま、まあ、それは置いておいて。ボスがあのお姫様たちには『マフィアに向いていない』と言ってましたけど、ボスが彼女ローズだけをそばにおく理由はなんなんですか?」

バルトロは少し目を丸くして、それから空を見上げる。


「ま、道中時間はある。途中の休憩地点でゆっくりと話そうかのう」


バルトロの風に巻き上げられる経験で初めに思ったのは、まず木が倒れるほどの暴風の中、真綿に包まれながらお手玉されたらこんなものだろうか……ということ。想像してみてほしい、自分に一切の衣服の乱れも見られないのにとんでもない風に包まれたまま勢いよく上空を飛んでいく気分を。


まずは不安。

バルトロがたとえば何かに襲撃されれば自分は落ちて死ぬ。操作をミスっても死ぬ。バルトロの気分次第で殺すこともできる。


次に、嘔吐感。

風の中をものすごいスピードで移動していくだけあって、最初はその感覚に慣れずに到着後に地面で吐きまくっていたことさえある。


「ふぅ……一旦休憩じゃな」

「は、はぁ……はぁ……」

「なんじゃ、また吐きそうか?」

「いえ、ある程度慣れはしたんですけどやっぱりどうしても右に左にゆすられると……」

「ほお。なら、長めに休憩を取らんとせっかくのいい服も台無しじゃな──さて、お前さんの求めていた昔話でもするとしようかの」


10年ほど前にさかのぼる、とバルトロは続けた。

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