第45話 蜘蛛は狼狽える

「……どうしようか」

まだ声変わりを迎えていないボーイソプラノの声が、何もない空間に響き渡る。明るいのにどことなく暗く、陰影があるのに影さえ明るい気がするような空間はぼうっとした状態で座っている青年が作り上げたものなのだろう。


「マルコがいませんね」

小さなローズの囁き声は全員にギリギリ聞こえるくらいで、すぐに銀灰グリージョが何か言おうとするがその口を慈愛カリタが塞ぐ。モゴモゴ言いながら身悶えている犬を抑えつつ、彼女は状況を確認するように呟いた。

「置いてきちゃった……ということでありますかな?」

「というよりは、アイツの素の異能アビリタ耐性が裏目に出てしまったってところじゃろうな。元々使おうと思っていた作戦も、この状況じゃと使えん可能性があったが……それにしたって不味すぎるのう」


そもそも、マルコがいなければ人数は不足し、戦闘が成り立たない可能性すらある。それをどうやって覆すか──まずは、マルコが不在であることを伝えてその上で継承機関エレディタの不手際から第36則を使って──。


「おいおいこりゃあ一体どういうことじゃ!?なんでうちのマルコがおらんのじゃ!」

「ぁへぇッ……?ピッ」

もはや疲労困憊のスーツの女性に怒鳴りつければ、彼女はことんと気絶してしまった。バルトロはその襟首を骨太な手でがっちりと掴み揺さぶるが、白目をむいている彼女はただガクガクとゆさぶられるだけである。

「なんじゃこいつ……!?おい起きんか!!こんのッ……!!」

「起きませんよ」

横から突如としてかけられたどことなく無気力な甘い声に、バルトロが右を見る。しかし、逆側から「こっちですよ」と声がかかる。恐る恐る逆側を向けば、同じようなスーツを着た黒髪で長身の女性がしゃがみ込んで座っていた。


「よくお眠りですね、マリーザは。あ、申し遅れました、私マルティーナと申します。本日の調停を行いますので、よろしくお願いします。マリーザは適当にその辺に放っておいてください」

「あ、ああ……」

「マリーザが一人置いてきてしまったということですが、申し訳ありませんがお外に置いてきた人に連絡を取る方法はありませんのでお外にいる人が継承機関エレディタに連絡をとって頂けるよう願っておいてください。ここの場所は外から干渉できないようになっていますが、緊急時には継承機関エレディタの者が入って来れるようにはなってます」

「……くそッ」


まずい──バルトロはギリ、と歯を噛み締めた。

何がまずいかといえば、マルコは間違いなく継承機関へ連絡する先を知らないし、ボスもまたマルコに教えてはいないだろう。ボスとローズは互いにヒソヒソと言葉を交わし合い、それから首を振って苦い顔をしている。


「どうするんじゃ、ボス!」

「……マルコを、信じる」

「信じるったって連絡先も知らんのじゃ何もできんじゃろうが!ワシは反対じゃぞ、こんな──」



雑音がそこへ、思い切り掻き鳴らされる。


「オイオイオイ、仲間割れかァ!?」

ボスの『エルマ』。紫のけたたましい色合いをした髪に、小柄な体躯、そして奇抜なファッションをした男が率いている集団は、これまたイロモノ集団とでも言うべきものだった。

「キャッハハッハッ!ボスぅ、猿みたいにアイツら慌ててますよぉ〜〜〜〜〜?キャッハハッハハァ〜〜〜〜〜!」

髪を優雅に縦ロールに巻き、そして目の部分には包帯を巻いている少女。しかし服はボス、と呼ばれている男と同じように奇抜であるが、彼よりもずっとまとまっている。

「……黙れ。お前が猿のようだ」

ごつい体格をピエロの衣装に包んだ男は手に持っている銀と黒のステッキを床に打ちつけた。熊のような大男、という言葉が似合うくらいの上背だ。事前に情報のあった『ピエロ』と考えて間違いないはず。

「同感ですわぁ。せめてもの救いは見てくれが多少いいことってだけですわねぇ」

波打つ金髪に青灰色の瞳、そして豪奢なドレス。丈は引きずるほどは長くないものの、どう見ても戦うことが出来なさそうな女性。

「同レベル……うるさい、香水臭い、だるい。帰っていい?」

小さな声で呟きながら頭を抑え、魔法使いが着ていそうな黒く重たいローブを着ている青年。髪は鬱陶しいほどに長く伸ばされ、顔を隠している。

そして無言で微笑みながら立っている、狐のような顔立ちに喪服めいた黒スーツを着た男。極東の方の顔立ち──情報にあった『ミゾネ』だ、とバルトロは警戒心を強めた。


向こう側から現れた集団に、ボスが厳しい表情を滲ませる。


「んでェ?どいつがボスなんだよ、鬱陶しいコバエみてぇに順位戦なんか仕掛けてきやがって!ぶっ殺す!」

殺す、という言葉にローズが殺気立つが、それを制するようにボスの手がスッと前に出された。


「それは手厳しい。私がステラ・ファミリーのボスをやっている」


そこで言葉は切られ、相手のボスは首を傾げた。

「名前は?」

この薄暗い空間の中でさえ輝くような金髪をさらり、と揺らしてボスは確実に嗤った。あ、これまずいやつだ──ほぼファミリー全員の心が一致したときにはすでに遅かった。


「ああ、失礼だが、許してほしい──格落ち《プロッシモ》ごときに名乗る名は持ち合わせていないのでな」

ぞわり、と背を軋ませるような悪寒がする。殺気が確実にボスに向けられているのだ、と言うことがわかった。


「……その言葉は忘れるんじゃねえぞ?番外エクストラ風情が。こちらの条件はお前たちの敗北時、全構成員を15番目クィンディチへ組み込むことだからなァ!?」

「弱い犬ほどよく吠える。やっと格落ちプロッシモから身分相応の立場に戻ることができるぞ。ラッキーだったな」

「こんのォ……!!試合なんて待ってられねぇ、ぶっ殺す!!」


まあまあボス落ち着いて、と向こうが宥める声を聞きながら、バルトロはボスに不安を囁く。

「い、いいんですかボス!こっちはマルコもいないのに……人数不足でどうやって、」

「俺が出る。最悪大怪我程度なら慈愛カリタに治してもらう。一戦目、慈愛カリタ、悪いがお前には試合を存分に長引かせてもらうからな」

「おひょ!?こ、心得ておりますぞ……し、しかし吾輩どうにも緊張してきてしまいましてな……異能アビリタの認識いかんによってはなかなかどうして侮れるものではありませんぞ?ガクブル」

「二戦目のローズと最強カンピオーネは、まず負けないだろう。三戦目、蜘蛛ラーニョ、お前もだ。そう考えればだいぶ気が楽だろう?」


各々がこくりと頷く。


「五戦目……銀灰グリージョ博愛バーチは……まあ頑張れ」

銀灰グリージョお姉ちゃんと組んだことはないからあんまり期待してないし、僕たちがマルコの前っていうのもなかなか気が重たいんだけどね。今回盤遊戯マロースティカじゃなくて本当に良かったよ。あれは構成員個人の戦闘力が試されるからね」

盤遊戯マロースティカで指示通り動かないわんこを躾けるのも一苦労じゃったしな」


ワハハ、と笑うとボスは顔を引き締める。

「四戦目のマルコが来ることはあまり期待できないが、この一戦で俺たちの運命は決まる。マルコが来なければ俺が代理で出るくらいは許されるだろうが、そこまでもつれ込んでいるとすれば──銀灰グリージョ博愛バーチというシナジーのかけらもない二人になんとかしてもらうことになるから、途中で四戦目と五戦目を交替してもらうことが出来ないかを交渉してみる」

「わかりました、ボス。ワシは一旦そちらに付き添っていた方がええでしょうな」

「ああ、頼む。バルトロは情報の上に継承機関エレディタ規則もまあまあ頭に入っているからな」


そんな話をしていると、「ではお時間になりましたので、そろそろ試合を始めましょうか」という言葉が無気力にかけられた。

一戦目、慈愛カリタが前の方へ進み出ると、向こう側は豪奢なドレスを着た女性が前へと進み出た。


「うふふ……!随分とだらしない体の女性ですわね、何だかとても興奮いたしますわ!!」

「わ、吾輩はいささか緊張しておりますゆえ、なるべくお手柔らかに……」

「あら。そうですの?うふふ、私はエウフェミアですわ。以後よろしくお願いします。丁寧に躾けてあげましてよ」

綺麗なカーテシーを披露する女性に、慈愛カリタは後ろを向いて3歩進み、綺麗に回れ右を決める。

「吾輩は──アンネマリーと申しましてな、あまりしっかりしたところでは育っておらず、いや、お恥ずかしい限りですぞ」


わずかに頬を染めて恥ずかしがっているふっくらとした体型の女性が、あまりに恐ろしいことを彼女は知らないのだろう。

かつて、戦場で不滅イモルターレと呼ばれたアンネマリーはふにゃりと気勢のない笑みを浮かべ──そして開始と同時にその脳天をエウフェミアが振り上げた足に仕込んでいた銃で撃ち抜かれた。

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