第28話 料理人はやらかす

自分に能力をかける、というのはまずほとんどの場合は無意識を意識する、というところからスタートする、とボスはのたまった。

「外から入ってくる異能アビリタとの摩擦はあるんだろう?」

「そこから意識しようとも思ったんですけど、どうにも……」

そうだな、とボスは少し顎にしなやかな指先を当てて眉間に皺を寄せる。


「もしかすると、お前……自分のことを俺がボスだから、と所有権を俺に移してるんじゃないか?たとえそれが無意識下のことだろうと、それが影響して能力はうまく発動せずにいる。そう考えるとおかしくはないと思うんだが……」

「う、うーん……そう言われると、そうかもしれないです」

「じゃあ、まずはそこの意識改善だな。お前自身も意識してなかったことなら、早々の改善は無理だろう、気長にやれ。それからやっぱり銀灰グリージョと組み手をして、人に暴力を振るうこと、人から暴力を振るわれることに慣れておけ。お前が攻撃したことは一度もない、と銀灰グリージョが嘆いていたぞ。どうせ腹に風穴が空くほどぶっ飛ばしたところで即死じゃなきゃあ慈愛カリタが治すんだから、一発ぶん殴ってやれ」


そんな言葉をもらったものの、俺にできるのはひたすら防御に徹することばかりだ。

「コウゲキ、しろ!アホ!」

「殴る理由もないのに殴れますか!っっうッ!!」

そう言い返した瞬間に蹴りが横から殴り込まれるように入ってきた。見覚えのある、赤と黒のピンヒール。顔の皮膚を削り取るようなその蹴りには、出会った時から同じように躊躇がない。


「すみません。ボスがバルトロたちと一緒に書類仕事を始めて手が空いたものですから」

「……ローズ、さん」

「マルコ、あなたの弱点は攻撃できないことです。その高耐久の体は時間を稼ぐには問題ないでしょう。しかし、攻撃できなければ盾で耐えることなど意味がありません。ですので……ここからは2対1、というのはいかがでしょうか?」


今ですら泣きそうなくらい痛いのに、という言葉を無理やり飲み込んで俺は半身になって構える。ローズの体は常なら見惚れるほどのグラマラスなものであるのに、その体は空中にふわりと重力など感じさせないような動きで飛び上がり、回転する。体の前で構えた両腕が弾け飛ぶほどの重たい蹴り。そして、背後の獣の気配は転がることすら許さないとばかりに追撃を始める。


崩れかけた体勢に向かって飛びかかり、彼女の口元のうっすらと伸びていた犬歯は今や荒々しささえ感じるほど大きく変じており、そして肩に近い二の腕にずぶりと突き刺さる。ねじ込まれた犬歯よりも熱い口内の温度、ぬるつきがやけに気になったが、痛みはただ遅れて駆け込んできただけだった。

「──ッ!!」

焼けた杭でもねじ込まれたのではないかと思うほどの痛み。


銀灰グリージョはそのまま細い首の筋肉と身体中のバネを使って俺を空中へと放り投げる。ゴロゴロと転がる、と予想していた俺を襲ったのは、まるで断頭台ギロチンにも似たピンヒールの一撃だった。

脳天に直撃し、そして俺はくわんくわん、と揺れる視界のまま、意識を失った。



目が覚めて頭の痛みにうめくと、柔らかい枕が頭の上下に当たっているような気がして訝しく思う。

「アニー、やはり膝枕はやりすぎでは……」

「いえいえ、やりすぎも何もそれはローズ殿たちのことですぞ。吾輩、相当驚いたのですからな!」

「残り日数が少ないのですし、あなたもいるとなれば少々無茶を──おや、目覚めましたか」


ズキズキと痛む脳天を抑えながら起き上がると、やはりそこには頬をわずかながら上気させたアニーがいた。柔らかい枕だと思ったのは彼女の太ももとおっぱいだったようだ。……そうとわかっていたら……いやそれはよくない、と軽く頭を振って意識を覚醒させる。


「マルコ氏!銀灰グリージョ殿の咬み傷の方はいささかも痛みませんかな?」

「あ、はい。……普通に、ローズさんから食らった傷の方が痛いですが……ローズさんってなんの異能アビリタを持ってるんですか?」

「私は普通の人間ですが」

「え?」


俺の聞き間違いだろうか、と思ったがどうやら彼女は本気で言っているようで、俺が聞き返そうと声を上げることすらできなかった。

「……不思議に思っているようですが、大体異能アビリタ持ちがこんなに集まっていることすら珍しいのです。今回戦う15《クィンディチ》も、ボスと取り巻き二人を除けばあとは能力は持っていないのですよ」

「そ、そういえば……確かに」

今まで生活する上で俺以外が異能アビリタを使っているのは大道芸人くらいでしか見たことはない。大道芸人も、短い間の物質の転移くらいではあったがそれでも客は大盛り上がりだったほどだ。


異能アビリタを有効活用できる職場がない故にかなりの人間が被差別によってこちら側に落ちてきます」

「それはいささか語弊があるというものですぞ、ローズ殿。異能アビリタ使いは差別されますがな、吾輩の知る限り軍属になる者も多いのです。そこからあぶれた者は、当然ながら社会生活に馴染めずこちらに落ちてくるのですよ。吾輩も、昔は戦場で駆けずり回ったものですが……軍から追放されてしまったあとうまく日常に馴染むことができず、こうなってしまった次第でありますよ」


確かに、アニーの能力ならばきっと軍でも引っ張りだこだろう。

慈愛カリタは確かに強力ではありますが、吾輩の能力の効果がそうと知った軍上層部は戦場の中心まで引きずりだしましてな、吾輩も流石にキレまして……」

「切れる……?アニーさんが怒るところなんて、想像がつきませんが……」

「吾輩も若かったのでありますよ。それに、マルコ氏の思っている以上に軍部はよくないところですぞ。たとえば──」


アニーがそう言いかけたところで、ローズがパン、と手を打った音が中庭に響いた。銀灰グリージョは体を揺らして目をこすりながら体を起こし、俺たちもまた驚いて彼女の方を向いた。

彼女は口に微笑みを浮かべることなく、その猫のような瞳をキュッと細めた。

「アニー、話が脱線しております。マルコはそろそろ痛みも気にならないくらい抜けた頃でしょう」

「……はい」

俺は体にえい、と力を入れて立ち上がる。またボコボコにされるのか、と思っていると、ローズは歩いてこちらへと近づいてきた。


「な、なんですか……?」

「先に一発打ち込んできてみてください」

「え、えーと……」

「先ほどは防御を見ました。今度は攻撃の番です。あなたが攻撃しない限り、私から手を出すことはありませんが……舐めた攻撃を出すようであればその頭は胴体と永遠にさようなら、ですね」


表情があまりに変わらない。

「冗談……ですよね?」

「私は冗談は口にするタイプではありませんが」


ヒュルリ、と通り過ぎた秋風に、背筋がゾワ、と粟立つ。これはきっと訓練でかいた汗がただ風で冷えただけだ、と自分に言い聞かせ、それから拳をグッと握りしめる。


「い、行きます!」

勢いよく駆け寄って、そして突き出したかに思えた拳。しかし──。


ぱしり、という肌と肌がぶつかり合う音。そしてがり、と片方のピンヒールの踵が地面を半円状に削る音がしただけで、俺の拳は止められていた。両手を盃のようにして体の前で肘をクッションのようにして受け止めたらしく、反動を体をひねって足から地面へと受け流したのだろう。


「……お別れしますか?胴体と」

「いいいいいやです!それより今なんで……」

「あからさまに胴体を狙いすました一撃でした。動作は重たく意図を隠すこともできず、そして何より『殺意』が不足しているのです」

「さ、殺意……?」

「ええ、単純に殺意と言っても通じないでしょうから一つ私があなたに教えましょう。防御をお願いします」

「は……はいッ!」


彼女は拳を構え、そして懐に滑り込むようにして拳を突き出す。

「ッ……」

耐えられないほどではないが、それなりの衝撃を伴う。なんとか耐えたものの、よろめきそうだ。


「では、次の一撃を入れますね。これで私はあなたを殺すつもりで行きます」

「……は、はいッ!」


そう言った瞬間に、足首をなにか冷たいものに握られたような悪寒が体を駆け抜ける。そして次の瞬間、俺の防御している腕が折れた。

みしみし、と言う衝撃が走り、そして全身を突き抜ける。なすすべもなく吹っ飛ばされたあと、立ちあがろうと腕を立てた瞬間に力がまるで入らないことに気がついた。

そして、ぐたりとした腕に驚愕してはっきりとした痛みが襲いかかってくる。


「アニー、これでは話もできません。治療を」

「う、承りました。しかしやりすぎですぞ、ローズ殿……」

「いいえ、彼をできるだけ早く戦いに慣らさなくてはなりません。非戦闘員を抱えている余裕はうちのファミリーにはないのです」


アニーが腕に触れ、そして痛みがじわりじわりと引きながらも時々引き攣るような痛みが走る。最も痛かったのは骨の位置を直された時だった。必死で噛み締めていた奥歯さえ割れるのではないかと思うほど気を使えないくらいに泣き喚いてしまった。


「……では、先ほどの打撃の違いを説明しましょう」

ローズはその拳を握りしめ、それから真っ直ぐに拳を突き出す。正拳突き、みたところなんの問題も無いように思えるが、彼女はそれを否定する。

「あなたの打っていた拳はこう。打撃とはその打点の面積が増せば増すほど、一点への破壊力は減ります。その逆も然り……あなたも体感した通り、二番目の拳はその打ち方が違います」

下から突き上げるように、中指の突き出した骨を当てるイメージでと彼女は語った。

「これがあの破壊力、あなたへの殺意の正体です。あなたが打った拳は漫然としていて、まるで相手への殺意がない。例え先ほどの拳を受け止められなかったとしても相手は死ぬことはないでしょう」


しかし、と彼女は一言こう告げる。


「マルコ、あなたは手加減をしていられるほどの強者でもないくせに思い上がっているのではないですか?」


俺はその言葉に愕然としながら、ローズがただただ庭から去っていくのを見つめていた。銀灰グリージョは不思議そうに足で頭をかいたが、それからチラリ、と俺を見上げた。

「……泣いてるのか?」

「な、泣いてないですよ」

「う、ウソをつくな!どうみても泣いてるぞ!マルコ、まだどこか痛いのか?」

ぺろぺろと頬を舐めてくる舌は俺の目からこぼれ落ちた水滴を拾いとった。


「オレの毛撫でてもいいんだぞ?いつか……?前に洗ったからツヤツヤだし、えっと、それから、それから……」

オロオロしている銀灰グリージョの頭をグリングリン、と撫でると彼女は満足げな声を漏らしたが、正直ベタベタしている。


銀灰グリージョさん、髪……いつ洗ったって言いました?」

微笑んだままそう聞くと、彼女は「五日!」と弾けるような笑顔で答えた。


「いつか……五日?それからどこで寝てるんでしたっけ?」

「んん……?中庭ここ!」

あまりの返答に頬がぴしり、と固まったのを感じた。

銀灰グリージョさん。お風呂に行きましょうか」

「え?」

「お風呂です」

「や、やだぞ。オレ風呂嫌いだし……ま、マルコ!離せ〜〜〜〜!オマエ訓練の時よりチカラ強いぞ!!」


小脇に抱えてお湯を溜めたバスタブに放り込み、それから諦めたのかおとなしくなった銀灰グリージョの髪を無心で洗い始める。もはや女性だとかそういうラインではない。ただ汚い子供や犬を洗っている気分で何度かお湯を掛け流し、ようやくシャンプーの泡立ちが戻ってきたところで安心した。


銀灰グリージョも最初は嫌がっていたものの、お湯の温かさにうとうとしながら頭を洗われていた。これ幸いとひとまず全身の汚れを落とそうとしたところで部屋の外からノックが聞こえた。


「はーい!」

俺がガチャリ、と扉を開けると、そこにはバルトロが立っていた。

「あ、バルトロさん。ちょうどよかったです」

「何がじゃ?なんぞ足りんもんでもあるのか?」

ちょうどよかった、と言われるような用事があるとは思えないが、と言う顔をしていたが、今はちょっと猫の手でも借りたい気分だ。


「すいませんけど、銀灰グリージョさんの着替えをとって来てくれませんか?今風呂に入れていてすっかり失念してしまって」

そう言った途端、バルトロが勢いよく三歩俺から遠ざかるように後ずさる。


「……マルコ、女は星の数ほどおるんじゃ。悪いことは言わんから……」

そのセリフを頭の中で噛み砕くのに、3秒ほどかかった。


自分の頬が熱くなっていくのを感じて慌てて言い返す。

「ちッ違います!!あまりに汚くて!」

「いやわかるわかる、あんな美人と打ちおうとったら感性がイカレるのも確かじゃ、しかしマルコお主道は道でも最悪な方に……」

「違います!!」


結局そんな誤解を解くまでにたっぷり数分は言い争いをしており、結局夕飯の時にもボスからいじられ、ローズにはじっとりとした目を、アニーからは仕方がない孫を見るような目で見られた。

唯一渦中の人物である銀灰グリージョは、ボスがからかいで投げた「それでマルコの腕前はどうだったんだ?」と言う問いに戦いの感想を聞かれたと思ったのか、満面の笑みと大声でこう答えた。


「ヘタクソだ!!」


合掌。

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