第2話 料理人は弁解する

「……ぅ、さむ……」

まだ9月だよなあ、そろそろ上着も出さないとダメかな。それにしても、肌寒い。布団をかけ直して眠りに……眠りに?腕が動かない──と思った瞬間に俺ははっと目を開いて辺りを見回す。首の後ろがジンジンと痛みを訴えてくるが、そんなことには構っていられない。やけにふかふかとしている深い濃赤のカーペットの上に転がされた俺は、自身がまず全裸であることに気がついた。


いや全裸じゃん!?

なんでパンツも取られてるの!?わけわからないんだけど!?

しかも両手しっかり後ろに回されて縛られてるし足も縛られてる!?


パニックになりかけたその時、部屋の扉が音もなく開いた。そこから顔を出した女性、いやツインテールの少女がチラリ、と俺の様子だけ見てサッと顔を引っ込める。ピンク色のふわふわとした髪の毛が遅れてサッと引っ込んでいった。


少しきつめの顔立ちだったけど美少女だったなあ、15くらいか、と想像して気が重たくなる。

全裸、見られてるんだよな……。


彼女はすぐにこの変質者から遠ざかるようにしてサッと扉を閉めて出ていった。賢明な判断力をお持ちですね!!できれば俺のことも助けて欲しいんだけど!!でも仕方ないねこんな変態を見たら誰でも逃げるよね!!

「いや、なんか……せめてこう、布とか……かけてくれないかな……」

薄暗く、蝋燭がゆらゆらと揺れる館がかなり豪奢に見えるのも、さらにアブノーマルな娼館に連れて行かれたような気分になってしまう。そういうところは高いんだぜ、なんて話していた同僚の言葉がリフレインしてなんとも言えない気持ちになりながらせめて局部は隠そうとモゾモゾしていると、扉がバン!という音と共に勢いよく開いた。


「おーおー、目ぇ覚めてやがる」

少し幼めの、高い声が響いてその人物は姿を現した。


金色の髪は絹糸のようににきらめいており、ほつれた後れ毛ですら黄金を糸にしましたと持ってこられたら信じてしまうくらいに見える。同じ色の長いまつ毛にふちどられた目はサファイアと並べてもどちらが宝石かわからないほど美しい。パーツの配置もまた完璧で、少し幼げながらも思春期特有の危うい魅力が詰まったバランスを保っていた。唇は少し薄いものの、少年にしては厚みがあってふっくらしているのも色気を感じさせる。料理に出会ってなかったら、画家になっていたかもしれないと思うほどの美貌だった。

明らかに釣り合っていない重々しい服装も、サイズの合っていない肩にかけたコートもまるで気にならない美貌ってあるもんだな、とわからされたような気がする。


そんな彼がにっ、と微笑んだ瞬間に我に返った。


全裸+縄の、成人済みの男は見せちゃダメだろこの美少年に!

しかし、彼は俺のそんな葛藤をよそに衝撃的な会話を始める。


「で?こいつがこの建物への侵入者ってわけだな?ローズ」

「はい、そうです。ボス」

「ぼ……ボス!?」


ツインテールの少女の言葉に俺は思わず声を出して驚いた。でも、流石にこれは仕方がない。なにしろマフィアの『ボス』にしては明らかに幼い歳にしか見えないのだから。

しかし、口を挟んだのが気に入らなかったのだろう、少女はコツコツとヒールの音を立てて歩いてくる。


ようやっとぼんやりとした彼女の姿が見えて、俺は息を呑んだ。

幼いと感じたのは首から上だけ、猫のようなつり目の童顔な彼女の体はかなりグラマラスだった。大きな胸を強調するようなハーネス、レザーのピッタリとしたハイウエストのパンツも印象的である。そして足元は黒のピンヒールを履いている。

離れたところから見るのとまた違う印象に少しどきりとしていると、彼女はそのピンヒールを履いている足を振り上げ……振り上げ!?


風切音と共に、ぷつりという音がした。前髪が一本持っていかれ、頭皮に鋭い痛みが残る。けれど、鼻に風穴を開けられそうになった恐怖でそんなことはすぐに吹き飛んでいった。


「そこまでにしろ、ローズ。こいつには聞くことがある。拷問するなら、その時にしろ」

「はい、ボス」

拷問!?

あまりのワードに目を白黒させながらのたうつが、美少年は全く気にした様子もなくローズと呼ばれた少女、否、女性の持ってきた椅子へと腰を下ろした。赤のベルベットが貼られた椅子で、肘置きにだらしなく腕をかけて座っているのになぜか絵になるなあ美少年は。

そしてローズはその椅子の斜め後ろへと控える。


「じゃあ、質問を始めよう。まずはお前の名を名乗れ」

「ま、マルコ……です。マルコ・ラディーチェ……」

「ふむ、まあよくある名前だが偽名の可能性もあるな。続けよう、どうしてここがわかった?俺たちは隠し通していたはずだが……蜘蛛ラーニョから聞いたのか?どこで俺の正体を掴んだかは知らないが──」

「しょ、正体……????」

俺があまりにぽかんとしている顔だったのか、彼はとぼけるな、と語気を強める。


「そんな演技をしても無駄だ。ローズ、やれ」

「はい、かしこまりました」

彼女が歩み寄ってくるのに俺はブンブンと首を振りながら叫ぶ。あれ、勢いよく振り下ろして体に穴でも開いたら死ぬ。確実に死ぬ。


「ちょ、ちょちょちょちょ、ちょっと待ってください!!いや、本当に!!」

「ローズ?」

「はい」

少し不承不承といった様子でローズが足を下ろすと、俺はほっと胸を撫で下ろして、それから事態を説明するべくぺろりと唇を舐める。


「あの、あのですね、ちょっと……誤解があるのかもしれないんですけど、俺は……その、ファミリー募集のチラシに、料理人の歓迎もあるっていうからここに来ただけなんですが……」

「ずいぶんと世迷言を言うな。人員の募集なんかはしてない。ローズ」

「はい」

一歩踏み出すまふ、という音がしたところで俺はぐちゃぐちゃになった頭で考える。証明は……証明はどうすればできるんだ!?無実のまま死ぬのはごめんだ。多分一生で一番思考能力が高かった気がするほどに脳が回転して、そしてはっと思い出した。


「チラシが!」

足を振り上げたところでローズの動きがピタリと止まる。

「チラシ?」

「チラシが、俺の上着のポケットに入ってるはずです!疑うなら、それを見てもらえると……嬉しい、です」

「……チラシだァ?それじゃあお前、料理人として雇われるためにこの場所まで、マフィアの居所だとわかっているここまでやってきたと?ただの、一般人が?」

「ほ……本当に仕事が見つからなくて、料理人を続けられるなら……どこでもいいから、と思って……」

語気は尻すぼみになっていくが、どうやら危機は脱せたようだった。


「ローズ、こいつの服を持ってこい」

「はい、かしこまりました」


ローズという女性が廊下へと出ていく。はあ、と重い溜息を吐きながら少年は立ち上がり、それから俺の顔の近くでしゃがんだ。

「どういう理由があるのかわからねえけどな、あんまり感心しねえな。ローズをけしかけた反応を見るに、本当に一般人なんだろう?ここいらは番外エクストラのマフィアもそれなりにいて、治安もあんまりよくねえんだ。それに、うちは今事情があってな、放り出されたらすぐにおうちに帰んな。それから、3日は家を出るな。俺からのアドバイスはそれだけだ」

その言葉尻には優しさが滲んでいて、俺はハッと彼の顔を見る。少し哀愁の滲んだ、そんな視線が俺を見た。気づけば、俺はこんなことを口にしていた。


「ま、待ってくださいよ、そんな──面接もしないでそんな無情な……」

一瞬呆気に取られた少年だが、その言葉を理解するや否や大笑いし始めた。


「は、ハッハッハ!!く、ククッ……お前なあ、それが全裸でいう事かよ……!ま、まあそこまで言うなら、面接をしてやんなくもねえが……」

さて、どうすっかなと言いながら彼は椅子に座り直してまだ笑いを堪えているような表情をした。ちょうどそのタイミングでローズが部屋へと戻ってくる。服を全てテーブルへと置いたのち、ローズの差し出した上着のポケットを弄って、四つ折りにしたその藁半紙を取り出した。

「……確かにうちの住所だな。それに裏には、料理人大歓迎……と。これが大々的に出回ってるなら早急に攻勢をかけにゃあならんが……」

「早急に対処が必要ですが、今動けば確実に仕留められます。まだ今は静観するべきかと」

「そうだな、大々的に出回っているならこいつ以外にも訪問者がわんさか出るだろう。一旦は落ち着いて、様子を見ることにするか」

「……あの、それでは彼のことはどうしましょうか?殺しますか?」


さらりと出たローズの言葉にうっ、と顔をひきつらせていると、美少年は口元にシニカルな笑みを浮かべた。死にたくないだろ?というような視線にブンブンと首を横に振ると、にんまりと笑う。

「どうせ、料理人というんだ。面接してやろうじゃねえの?」

「ボ……ボス!?本気ですか!?」

「ああ、本気だ。調理場には毒は置いているわけじゃない。服も没収して全裸だし、毒を隠し持てる要素もない。なら、一度料理を作らせてみてもいいだろう」

「そ……そんな……私の食事ではご不満ですか……」

「牛乳とオートミールがそろそろ嫌いになりそうでな。流石に、別のものが食いたい」

「──わ、わかりました……そ、それでは……私が彼の見張りにつきますので……」


明らかにショックを受けた様子だが、牛乳とオートミールばかり出ていたのだろう。嫌いになりそう、という言葉にはしみじみとした感情がこもっていた。余程料理が下手か、それとも……それはキッチンを見ればわかるだろう、と解けた縄に肩をぐるりと回す。


俺は返ってきた服にありがたみを感じながら袖を通し、キッチンへと案内される。廊下を少しの間歩くと、少し大きめの両開きの戸を開けた。

広がっている光景は、予想よりは酷くないものの、ある意味では予想外だった。


オートミールの箱がずらりと並べられた棚、棚、棚。

流石に冷蔵庫の中にも何かあるだろうと開くと、野菜が多少あるものの葉物は若干萎びていて、袋に入ったほうれん草はたぷり……と液が感じられた。背筋に走ったゾッとした感覚に震えながら、無事そうなパプリカやまだ柔らかさがないトマトなどに手を伸ばし、調理台へと並べていく。そこかしこに落ちているオートミールの粒を流し台へと払い落とした。

調味料はあるものをあるだけ買いました、という感じが強く乾燥ハーブなども普段使いしないようなものが並んでいる。

幸い、小麦類はきっちり粉を揃えているからいいが、パスタマシンやそれに類するものもない。


冷凍庫は恐ろしいことに、整理整頓のされていない生魚などをそのまま突っ込んだような……なかなかカオスなものだった。状態が悪いものは一部変色していて、このまま食べたらきっと吐き出してしまうだろうと思うくらいの。


「あ、あの、安物のワインなんかは?」

「一応こちらの場所にあるので全てですが……」

「あ、ありがとうございます」

ローズが見張る中、少し錆の浮いている包丁を指でなぞった。


酒も一通り、普段飲まないようなものまで揃っている。

状態の悪いキッチンだが、それでも……。


「ふぅ──よし。よろしくな、今日の相棒」

気合いを入れ直して、俺は包丁を握りしめた。

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