第13話 料理人はたしなめる

「ん、うまいな。見た目も普段のパイと違って美しい」

「ワシにはちと甘いが悪くはないのう」

「では、それをください。もう食べないのですよね」

「そんなことは言っておらんのじゃが?おいフォークを向けるな阿呆!」

バルトロは少し文句を言ったものの、口に運ぶたびに頬をほころばせているあたり、彼自身もはっきり口にはしないが甘いものは好きなのだろう。ただし、量はあまり食べられない。それはボスも同じようだ。

一方、ローズは甘いものならいくらでも食べられる口のようで、甘いものを食べているときに紅茶にドボドボと砂糖を入れているのを目撃し、衝撃を受けたことがある。


「……銀灰グリージョだが、あいつを迎えるにあたって一つ懸念がある。それは俺のことをまだボスとして仰いでくれるかどうか、だ。実際の肉弾戦になれば、確実にバルトロでも奴を制御しきれんし……」

「まだ異能アビリタの発動さえできれば、違ったかもわからんですけど……正直、能力のないボスを銀灰グリージョがはっきりと慕うとは、ワシは言えません」

「だろうな。バルトロの能力は自らの視認性がない相手を捕まえられないのが難点だ。となると、ローズに対応を頼むことになるが……」

「私は、慈愛カリタがいなくても問題ありません」

俺はそそくさとカートを引っ込めるべく、それに手を伸ばしかける。しかし、ちら、とボスがこちらを見て笑った。


「……マルコ?」

「な、なんでしょう?」

「一つ、銀灰グリージョに料理を作ってやってはくれないか?やつがこの先、お前の言うことを聞いてくれるような……そんな食事をさせれば、お前経由で俺の言うことを聞いてくれるんじゃないか、と思ってな」

「……できない、って言葉以外は聞く気はないですよね?」

「ああ、ない。だが、お前ができないと言えば──ローズが大ケガをするだけだな?」

そんなことを引き合いに出さなくても、引き受けるつもりだと諦めたように吐き出せば、彼は満足げに笑った。


「じゃ、そうしてくれ」

「……でも、正直……俺は杞憂だと思ってますよ。銀灰グリージョさんは元々、力を失っていたボスに従ってはいたんでしょう?」

「……実を言えば、銀灰グリージョには詳しいことを話していない。力を失わず、ただ縮んだだけだとそう思っているはずだ。しかし、異能アビリタを失う前には俺と銀灰グリージョは時々手合わせする仲でな。あいつも俺もそれを楽しみにしていたし、毎度毎度俺は銀灰グリージョを子供扱いしていたから……ほら、嫌がるだろう?ガキはそう言うこと」


なるほど、相手に無理やり言う事を聞かせていた気持ちがなきにしもあらず、加えて子供のような相手に対して少しばかり大人気ない事をしていたと言う負い目もあるのだろう。

自覚があるならやめればいいのに、と思ったが、あの傍若無人な銀灰グリージョがまともに集団内で生活している図がまるで想像できないし、加えて集団内でもきっとガス抜きがわりに手合わせとしてボス自ら嫌われ役をやってたんだろうな、と言うことは想像できる。


「仕方がないですね。じゃあ、とりあえず夕飯の仕込みは任せてください」

「──ああ、頼んだ」

苦笑、としか言いようのないその表情は、それでもどこか諦念のようなものを含んでいる気がした。ひたすらに、重たい感情を飲み込んだ上澄みのような。


かつて働いていたレストランで、俺は弟子を取れるような人間じゃなかったんだよな、と言いながら副料理長として働いていた男。彼は以前は別のレストランで料理長として働いていたところをスカウトされたと言っていたが、彼はマフィアの抗争に巻き込まれて瓦礫の下敷きになり、その後遺症で足が動きにくくなり、歩き回って食材を買い付けたりすることが困難になってしまった。

まだ目利きも教えていない段階だっただけに店を維持していくことが困難になったところを料理長にスカウトされた、と言っていた。


それまで普通にできていたことができなくなる。

それまでの関係も、技術も、何もかもが手からこぼれ落ちていく。それはきっと俺には推し量れないほどの深い絶望でもある。


「では、一つボスにはお願いしたいことがあります。銀灰グリージョとの、昔話を聞かせてもらえないですか?そこに彼女の好みとか、そう言うものを理解する手がかりがあるかもしれないので」

「……ああ、確かにほぼ初対面のお前に対してあいつの事をなんとかしてくれと言うのも無茶振りだな。では、少し長くなるが──」






彼女との出会いは雪が降っていた日だった。

銀灰グリージョと言う名前の他に、ただ犬、と呼ばれていたそんな少女は敵対していた組織の下っ端のさらに下請けのような場所から派遣されてきた、一人の殺し屋として襲いかかってきた。


銀灰グリージョ異能アビリタは常時半分発動しているような感じで、完全に発動すると身体能力の上昇に加え、白銀色の髪に変貌して耳や手足が狼のものへと変化する。しかし、使い続ければいずれ変貌は止まらず、獣の姿になっていくのだという恐ろしいデメリット付きの能力であるのだという。


そんな彼女だが、襲いかかったはいいもののほとんど鎧袖一触、銀灰グリージョはほとんど攻撃を当てることすらなく一撃で伸されたと言う。そして、銀灰グリージョを置いて歩き去ろうとしたボスは、そこでふと彼女の体から発せられた大音量の腹の音にギョッとして、それからケタケタと笑ったと言う。

そして、ちょうど手持ちにあったチョコレートを渡したのだという。


「当時は犬にチョコなんかやってはいけない、と言うことは知らなくてな。あいつはなんの疑いもなく食べて、それから……」


それから、数日後にげっそりした顔でボスの前に現れたのだという。

「オマエ〜〜〜〜〜!!オレに何を食わせた!!」

「敵からもらったものは食わねえよ普通」

「ムキィイイイイ!!」

それからと言うものの、二人のじゃれあいは定番のようになり、護衛も段々と呆れた雰囲気になってきていた。そんな日々が続いていたある日、銀灰グリージョはいつものように襲いかかってきた。しかし、普段であればそこそこ投げ飛ばされた時点で諦めると言うのに、今回は全く諦めることはなく、むしろ暴れ回った。そこで護衛が動き出し、その四肢を地面へと縫い止める。


「ゔゔゔゔゔゔッ!!!」

およそ人とは思えぬほどに変じた彼女の頭を、ボスがサッカボールのように蹴飛ばすとギャイン、と言う悲鳴が響き渡る。そこでしおしおと変化は元に戻っていき、そして静かに項垂れる。

「……コロしてくれ……」

「なぜだ?」

「もう、ゴハンくれない、言われた……」

「そうか。じゃあ、うちに来るか?」

「……どういうことダ?」

「もっと美味いメシを食わしてやるって言ってんだ。もう暴れるんじゃねえぞ」

「……メシ、くれるなら、ついてく!」


そういうわけで銀灰グリージョはファミリーに入り、そして仲間として認められたのだという。





「……バルトロさん、すみません。お願いしちゃって」

「ああ、ええわええわ。ワシも興味あるしのう、その『チョコレート』には」

「まあ……製菓材料の店で一度見たこっきりですから、意外とない、と言われちゃうかもしれない材料ですが」

「しかし、お前もえげつないこと考えるもんじゃのう。それで苦しんだことのある相手に対して、チョコレートを渡すなんて」


市場に到着した後、俺は目的の店へと入る。果たして、目的とする材料はそこにあった。

「これと、ココナツオイルですね」

それなりのお値段はするが、これで彼女の本当のところの証明ができる。


まずは購入した茶色の粉。これをボウルに決まった量はかりとり、それからバターとココナツオイルを合わせたものを湯煎して、粉を投入する。そして牛乳を少々、そして砂糖。

分離しないようにある程度低い温度を心がけながら、型に流し込んで冷ます。


ひとかけ味見を済ませると、冷蔵庫にそれを入れて、夕飯の支度を始める。

最高に、美味しいものを準備しなくてはならないのだから。


まずは緩やかに火入れをした、ブルーレアのもも肉。

付け合わせには季節の野菜、さつまいもや蓮根などを素揚げしたもの。コンソメを煮切り、塩を合わせて旨味の強い粉にしたものをかける。

ソースは肉に合わせた、カカオソース。もちろん銀灰グリージョに関しては、別のものを使う。


スープは牛のフォンドヴォーを使ったもの。実は玉ねぎを買い忘れて、ちょっと改造を加えていたのが吉だったようだが、これに関してはしっかり後で考えよう。焼いて甘みの増した人参とキャベツの上からチーズと一緒にオーブンで焼きつつ煮込む。

湯むきしたトマトに塩とさっぱりとした柑橘の汁を合わせたあと、他の野菜も加えて和えたサラダ、ヨーグルトとかぼちゃのおかずよりのタルト。


「ふぅ……あとは肉をいいタイミングで焼くだけ、か」


冷蔵庫に入っているチョコレートの味見を終えて、俺は軽く頷いた。初めてではないにしろ、やはり本物のショコラティエならば味が劣る、と言われそうな出来だ。

「……やっぱり本職ではないからなあ」

それでも、かつての経験がここで活きてくるのは本当に嬉しいことだし、軽々しい気持ちであげたものがやはり毒でなくて、よかった。


「さて、吉とでるか、凶とでるか……」

窓を見上げたが、やはり高い位置にあるそこは破れた形跡は微塵も残っていない。この館ですらこうなのだから、全盛期の本拠地は一体どうなっていたんだろうかと考えると末恐ろしい。そんな相手のおかげで今や立派に料理人として働けているのだから、世の中分かったもんじゃないな、と俺は軽く笑う。


この期に及んでまだ床で寝こけてゴロゴロとしている銀灰グリージョだが、流石にみかねたローズが首根っこを引っ掴んでずるずると引きずり、夕飯の時間に備えて風呂に入れますので、と立ち去っていった。悲鳴が聞こえたものの、正直同情する気にはなれないほどの衛生状態である。寝転んでいた場所の汚れを拭い取ると、雑巾は土埃に塗れていた。


ひきつる顔を抑えながら、手を洗おうと流しに手と雑巾を差し出してそれから石鹸でゴシゴシと洗い終えると、そのまま調理の仕上げへ移ることにした。

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