第13話 料理人は肉を焼く

さて、今日のお茶の時間のためにアップルパイを作るべく、リンゴの無事な部分を確保して皮と芯を取り除く。一口大に切り落とすと、ゴロリと大きな実に砂糖を馴染ませ、それからレモンを回しかけると弱火でチリチリと水分が出るように蓋をして煮ていく。リンゴ自身とレモンの酸味でおいしく仕上がるように、時折鍋をゆすったりして様子を見ていく。煮崩れるより、少しりんごとしての形が残っている方が個人的には美味しいと思う。

皮から色を煮出すタイプのレシピもあるが、この皮からだと綺麗に色は出てこないし、今日はあくまで黄金色に仕上がるように調整する。


さて、リンゴを煮ている間にパイ生地を用意する。何度も折り重ねたパイのふんわり、ほろほろとした食感も捨てがたいが、今日はざくざくとした歯触りのしっかりしたパイ生地を準備する。生地を休ませつつ、りんごの仕上がりを見る。個人的には酸味が残っている方が好みなのだけど、少し甘めに、そして最後の仕上げにまだ温かい鍋にバターのかけらを入れる。

じゅわああ、という音と共にキャラメルに似た香りが漂う台所で、全体にバターを絡めたツヤツヤのリンゴが出来上がった。一旦それをバットに移して冷ます。こうするとパイ生地がりんごの熱でダレずにさっくりと焼き上がるのである。


パイ生地を伸ばしたものをタルト型に合わせて伸ばし、しっかりと押し付けて薄めに、だが厚みにむらが出ないようにしていくと、横からはみでた部分を包丁ですっぱりと削ぎ落としていく。


そしたら飾り用に冷やしておいた生地を抜き型で抜いていく。花柄などに抜いたそれを飾りで置きながら、パイ表面は短冊に切ったものを編み込んでいく。火の通りを考えながらなので多少怪しいところはあるが。


際に三つ編みにした生地を飾り付けて、綺麗に飾り終えたパイを温めていたオーブンへと放り込み終えたところで、開けていた扉からコンコン、という音がする。

「今少しいいか?」

金の長髪を編み込んでいる美少年は、普段よりも少し楽そうな格好で扉に寄りかかるようにして立っている。絵姿にしたら人気が出そうだな、と思いながら彼に快く応じる。


「ええ、どうしました?珍しいですね、こんなところに顔を出すなんて」

「まあな。実は……ちょっと新しく来るやつの話をしてただろう?」

「あー、えっと……確か銀灰グリージョさんでしたっけ?」

「ああ。あいつについてはちょっと先にお前に話しておこうと思ってな。ちょっと制御しにくいというか……」

「制御しにくい、ですか?ボスが?」


今までの姿を見る限り、多少癖の強い行動があってもボスが言葉をかければ全て収まるくらいだと思っていたのだが、と不思議そうにボスを見れば、彼は若干苦い顔をする。

銀灰グリージョに関しては……こう言うしかないんだが、本当に……その、突然走り出す五歳児に大人の食欲と、暴力を存分に振るえる体を与えたみたいな感じと思って欲しい」

「五歳児」

「そうだ。だから、最初は間違いなくお前は嫌われるだろうが……できれば根気強く付き合ってやってほしい。必要なら、異能アビリタを使っての制圧をしても構わん」


そんなにかあ……。


「わかりました。でも、とりあえずいつ頃到着するかだけは教えてもらえると助かります」

「ああ、そうだな。早ければ明日の朝にはもう到着すると思うが……」

「あ、そうなんですね。そしたら、いつでも肉料理を出せるようにしておきます」


肉の熟成をできれば本当は良かったのだが、正直この施設でやるには限界があるし、失敗した時が恐ろしい。最初から熟成肉を買ってしまえば解決である。

肉はブルーレアというレアよりもだいぶ生に近いものの、赤身を準備する。


これに関しては生でも食べられるくらいの衛生状況の肉を準備しなければならないのが問題だ。

牛の脂は人の体温では溶けにくい。ゆえに、その脂を噛み締めたときに口の中で溶け出さず、生に近い状態だとサシの入ったものは蝋燭を噛んでいるような心持ちにすらなる。しかし、表面から火を入れることで噛んだときに脂が口の中に広がって直に脂の旨みや香り、甘みを感じられる。肉の旨みもやはり、火を通した方が焼きによる香りが足されていくために臭みを気にすることなく食べられるため、実際に食べるならやはりレアからミディアムレアが最も美味しい食べ方だ。


しかし、生の方を好むのであれば話は異なってくる。生肉特有の旨みがあるのも事実だからこそ、レアが愛されている理由がある。

ゆえに準備する肉は、牛もも肉。


「ちょっとだけ先に焼いて味を見ておくか……」

一部を切り分け、残りを冷蔵庫にしまうと表面にさらりと塩を振る。常温に戻しつつ、塩をなじませていく。ガーリックなどは今回、なしで焼いていこう。肉自体の味を見たいから、余計な味付けはしないでいく。


肉の中心まで温度が戻ったら、フライパンには牛脂を落とし込む。この牛脂の質も割合に重要で、よりおいしさを求めるならバターの方が美味しいこともある。赤身なら尚更脂の旨みがくっついてくれるからだ。とはいえ、今日はわざわざ自分のために澄ましバターまで作ることもあるまい。

温度を見て、肉を熱された鉄板の上に落とす。溶けた牛脂の香りと肉の焼ける香ばしい香りが混じり合い、換気扇からふわっと抜けていく──そんな至福の一時の、はずだった。


半分開いていた窓を蹴破りながら、銀色に煌めく何かが陽光と共に飛び込んでくる。飛び散る窓ガラスは美しくキラキラと輝きながらダイヤモンドのごとく輝き、そして──瞬く間に元の窓へと戻っていく。


「……は?」

しかし、手は知らず知らずのうちに肉をちょうどいいタイミングでひっくり返していた。

銀色の煌めきと見間違えたのは陽光のせいでもあったのだろう、よくよくあかりの元でじっくりと見てみれば薄汚れているし、匂いもそれなりに強い。銀色の、整えればさぞ艶やかであろう銀髪は切れたり、泥で汚されていて、褐色の肌は少し荒れており栄養が不足しているのか若干色艶も悪い。


しかし、その意思の強そうな銀色の瞳はただただ美しかった。野生味溢れるとでも言おうか、凄みのあるボスの瞳とはまた違った美しさ。


「お」

「お……?」

「おにく!!!!」

「ちょっと待ってくださいね!?まだ焼けてないですから!それに熱いし!素手でフライパン持たないでください!!」

フライパンにつかみ掛かろうとするのを必死で抑え込み、そして完璧な焼き具合のそれを皿に乗せる。本当は肉汁を落ち着かせる時間も欲しかったんだが、とブルーレアのそれを包丁で切り分けていく。


一枚をフォークに刺して差し出すと、彼女はキョトンとした顔をして、それから横に置いている皿の方を鷲掴みにした。そうじゃない。


「オレんだぞ!一枚やるからあっちいけ!」

「……ハァ……」

そして彼女は大きく口をあけ、肉の一枚を口に放り込んで目を見開いた。


「なんだ……コレ?なあなあなあ、なんだこれ!?」

「何がですか!?」

エプロンの紐の結び目をバッチリガッチリキャッチされて若干後ろにのけぞりつつ半ば怒鳴るようにして返事をすると、綺麗な目が近づけられて、濡れた犬のような匂いがする。キラキラとした瞳は美しいのに、なぜか若干めんどくさそうな、そんな雰囲気が。

「いつもオレが食ってるナマの肉よりウマイ!」

「それは、当たり前です。この俺が焼いたんですから」

「……そうだ!お前はダレだ!!」

ガルガル、と思い出したように威圧する彼女に、俺は額に手を当てる。疲れた体を支えるように戸棚の取手を掴むと、彼女はむ、とまだ皿に残っている肉を手に取った。それから俺と肉を交互に見る。


「……オマエは肉くれたから一度だけ見逃してやる」

「いや不法侵入してるのあなたの方ですよね……?」

「なんだフホーなんとかって。んむ、うま!」

むしゃむしゃと手掴みで肉を食っているので、仕方がない、と夜のために煮込み続けていたフォンドヴォーをひとすくいとり、死ぬほど余っているオートミールをぶち込んで温める。


若干薄味かな、と思うくらいの塩、それからチーズを足してオートミール粥をよそうと皿を未練がましくぺろぺろと舐めている彼女に差し出した。

「しばらくぶりの食事ならこれも食べてください。熱いから、スプーンも」

「ん!なんだオマエいいやつだな!」

スプーンを握り込むようにして口に運び、それからアチィ!とやっているのを見ると本当に子供みたいだ。すると、開いている扉に駆け込んでくるようにしてバルトロが走り込んできた。鬼気迫ると言う表情の彼はどうやら異能アビリタを使ってここまで来たのか、濃い気配を残しながら息急ききっていた。

「い、いたぁああああああ!?この狼女やりよった!!あまりの出来事に幻かと思うたわ!!銀灰グリージョ!!この阿呆狼!!」


やっぱり……ということは、この銀髪の彼女が銀灰グリージョか。


はぐはぐとオートミール粥を口に放り込みながら笑顔で食べているのを見つつ、この組織これで大丈夫なんだろうか……と思っていると、バルトロがしかし、と呆れたように言い放つ。

「なんじゃ、普段より大人しいのぉ」

「大人しいんですか!?これで!?窓突き破って入ってきましたよ!?」

「入ってきた直後にぶち殺されんかっただけでも上出来じゃな。しかし……よぉ大人しくさせたのぉ」

「これを大人しくさせたと言うんですかね……」


オートミール粥の入っていた器を満足げにペロペロとなめながら笑っているのを見てそう言うと、バルトロは「食い意地のはったやつじゃしな……キッチンで暴れまわってても不思議じゃないわい」と言う。

「何て恐ろしい……俺のキッチン……いや施設は全てボスのものですけど、それでもここをあずかる立場というものがあるじゃないですか?それを荒らそうだなんて……」

「お、おう、言い訳せんでもええが……一旦ローズには侵入者があったことは伝えたんじゃが、おそらくボスを守るために一室に閉じ込めてるんじゃろ。ちょっくら伝えてくるから、ここで銀灰グリージョと大人しゅう待っとれ」


その言葉に、そんな話を聞かされたのに今から二人きりにするってことですかと言おうとした時には、すでに空気がぶわっと膨れ上がったあとでその姿はかき消えていた。

銀灰グリージョは犬の如くちょこんと座り、それから体をゆったり地面に転がしてくぁあ、と一つあくびをした。

「おいオマエ、オレのボスはここにいるんだろ」

「ボスはいるが……正直俺はファミリーじゃない。ただの雇われのシェフだよ」

「ヤトワレってなんだ?ファミリーじゃないやつをローズがここにおくワケがないからオマエもファミリーだ」


断定されて俺は苦笑するが、たぶん理解できないんだろうと少し考えて、それから例えばなしで納得させるか、と俺は話し出す。

「ローズさんは料理が下手で、おいしい料理をボスに食べさせるために俺のことを捕まえてきて働かせてるんです。だから、俺はあくまでもファミリーに捕まってるだけですよ」

「んん~……?わからん!眠い」

こんなのはどうしたらいいかわからない。俺はもういいか、と匙を投げてそろそろ焼き上がるであろうアップルパイの様子を見る。うん、焼き目も焦げている様子はないし、なかなか使い勝手のいいオーブンである。


「アップルパイは……」

「グピー……」

ね、寝てる……。


俺はとんでもなく疲れる予感に額を抑えて、それからアップルパイをケーキクーラーに乗せる。しばらく冷やしてからでないと型から外せないのに、熱々が美味しいのがアップルパイである。これがアップルパイのジレンマ。いや、そもそもアップルパイを型に入れて焼くほうが間違っている、と言われればそれまでなのだが。


「ん、そろそろ冷えたか」

瓶の上にアップルパイを型ごと置いて、それから型を端っこから慎重にカリカリとやると、いきなりストンと型が外れる。型は二重底のような構造になっていて、底に金属板を残すのみだ。


「……銀灰グリージョが来ていると聞きましたが、どうやら眠っているようですね?」

「あ、はい。それより、アップルパイ、今ならまだあったかいですよ」

「あ……!」

ローズがわずかに目を輝かせ、それからほんのりと頬が染まった。


「で、では……お茶にする事を提案してきます」

決して自分の欲求ではないぞ、という事を念押しするように、彼女は咳払いを一つしてから楚々として部屋を出ていったものの、足音には若干弾んだような感じが残っていてやはり甘いものには勝てないか、と俺は苦笑した。

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