第17話 蜘蛛は巡らす
何度か、地下からドン、ドン、という音が聞こえる。窓の外には太い茨が張り巡らされ、館全体を覆い尽くす。外の建物が崩壊していく音が激しく響き渡り、恐ろしいほどの振動に煙草の燃えさしがぽろりと落ちていく。
襲撃の予兆はなかったはずだ。情報でも金が動いただとかそういう話もなかったし、マルコを路地裏で襲った者たちも、
探知に引っかかる茨と死体の山に、わずかに頭痛がしつつも、未だ椅子に座って突き飛ばした暖炉の先を見つめる絶世の美少年の肩をトントン、とバルトロは叩く。
「……ボス」
は、とサファイアのような瞳が正気を取り戻すように動き出す。
「ああ、すまない。地下道もまさか無事なはずはないが、最期にどうしてもマルコの朝食が食べたくてな。あれで
「いんやぁ……あれでかなり暴力的な
「そう、だといいがな。まあ……最高の餞別ではあったが、あれを食わされて呑気に『これで死んでもいいや』なんて言える朝食では、断じてなかったな」
マルコ自身は気づかないうちにそうしていたのかもしれないが、とボスは立ち上がり、それから自らの指にはめた宝石のついた指輪を撫でさする。
「──エッグベネディクト、俺も食べたかったんだがな」
「ワシもクロワッサン食べたかったんですがの……それに、朝っぱらからフルーツたっぷりのガレットの皿なんぞ、子供の時分からの夢じゃった」
「私も甘いクロワッサンには興味があります。プリンも……最初出してもらえなかったのは仕返しかと思ったほどです」
ローズは少しだけ冷静な表情を崩してムッとする。それから色素の薄い瞳で
「ん?んお?なんだなんだ?オレのこと見て!そんなにかっこいいかあ〜?ぶへへ」
美女というべき
「
「そうだな。正直、俺もメニューを見た時は訝しんだが……やはり、皆に未練たらたらにさせるつもりだったんだろうな。さて──俺たちも未練たらたらなままおっ死ぬわけにはいかねえな?」
ぎらりと目を光らせ、その場にいた全員が、心を一つにする。
「勝って、あの姫たちをしばき倒した後はあいつの料理で最高に気分のいい宴会をするぞ」
「……なんというか、こんな理由で戦いに勝ちたいと思ったのは久方ぶりじゃのぉ。今までは殺し、殺される、隙を見せたらやられる、と切羽詰まっていたんじゃが……」
バルトロのそんな言葉に、
「俺はいつもそんな気分でいたぞ。なんならあの
「そうだそうだー!オレもだ!」
便乗した
「テキ、だ!!」
そう言って銀色の風のように四つ足で走り去っていく姿を見送ると、バルトロ自身も探知の端に侵入する感覚があるのを感じ、煙草を口から離すと火を消した。
「気分よく眠りたいもんですのう。じゃじゃ馬姫たちを持つと大変じゃ」
「……外のファミリーはおそらく、抗争を持ちかけられないほどに壊滅させられているだろう。かつては俺も使ったことのある手だが……それほどに、俺が許し難い存在になっているとは思わなかったな」
「裏切った者の感情など考えても仕方がありません。ボスは茨の届きにくい場所へと向かいましょう」
「ああ」
すでに館に侵入していた死体がドアを開けた瞬間に襲いかかってくるが、ローズの右足がうなりをあげて横なぎに死体をへし折った。くの字に曲がった死体はすでにパスを切ったようだ。
さて、とバルトロは一人残されたダイニングで首を捻り、顎に僅かに残った髭をこすりながら考える。
風から伝わってくる通り、今茨と死体に向かって
「誰じゃ」
「……さすが
背後から聞こえてきた声に、手に持っていたタバコが滑り落ちた。すでに火は消えていたのに、動揺して足でそれをぐりぐりと消してしまう。
「……ハァ……
鴉の喉を潰したようなだみ声と金属のたくさん詰まった箱を振ったような音が混じり合う、軋んだ声。
過去に一度喉を潰されてこうなったとか、色々な流言はあるもののどの噂も確証がない。
裏社会での役割は、死体に関わることならなんでも──管理と保管、破棄、再利用、葬儀等ありとあらゆることを行なっている。もちろんマフィアのファミリーの一つではあるが、ある意味表との窓口にもなっている場所でもある。
しかし──直接トップの
「一応、あなた方のところは元お得意様と言うことですので、今回の二人との取引内容をお教えしておこうかと思いまして。その方が……フェア、でしょう?」
「あの二人がお前さんらと手を組んだなら別じゃな。正式に抗争として扱うべきじゃった」
「『ステラ』の死体を手に入れるのが条件ですね。私であれば、細切れになったところからでも修復が可能ですし、生きている時の状態のような死体もご提供できますからね。そして私がこの話を
「お〜、なるほどのう。そろそろ黙らんかい」
「おっと……私に攻撃するおつもりですね。ですがそうはいきません。私の行ったことはあくまで『死体』のご提供をしたまでですので……ね」
声のしたと思った方向に勢いよく風の斬撃を飛ばしたが、直後館全体に鳴り響いた『音』に注意を引かれてしまう。
──人質を入手した。直ちに話し合いに応じよ。
「……人質ィ?」
「おや、人質になるような人員がいるとは思いませんでしたが……どうやら地下道から逃がした者のようですね?」
「マルコ!?あのアホンダラ何をやっとるんじゃ……」
思わず毒付いたものの、バルトロは思い切り息を吐き出して、それから玄関口を睨みつける。あの馬鹿正直なボスであれば、そこへ行くだろう。なら──。
「悪いのぅ、楽しく遊んでおる途中で女性を放り出すのは気が引けるんじゃが」
「……おや?いつ気づきました?」
言葉の端からは若干余裕が抜けている。それにちょっとばかりニヤリとしながら、バルトロは話し続ける。
「
まあ、他に分かっていることもいくつかあるのだが、と内心で呟く。
「……ふふふ、すみません。いえね、正直私自身について興味を持たれるとは思いませんでした。バルトロさん、あなたにも少々興味が湧いてきたので、ちょっと調べてみようと思います」
「ほぉ〜〜〜〜……?あと余命いくばくもないんじゃが」
「死体は多くを語るものですよ。それに──死は人の終わりではありませんので、周りの方々からも情報を聞けば、あなたの形がいずれはっきりとわかります。バルトロさんに関しては特にあのお二方も執着していなかったようですから」
「悪趣味じゃの……生きている間には関わりを持ちたくはないタイプじゃな、お前さん」
げえ、と舌を出したところで風に引っかかる気配は掻き消える。妙に気色の悪い感覚じゃ、と呟いたところで思い出したように玄関へと向かう。
あのぼんやりとした、間抜け顔のコックが捕まっていることを確信しながら、この窮地をどう切り抜けようかと思考を巡らせる。
「ワシが全力でもってこの状況をひっくり返すつもりでいても、
チッ、という舌うちが響いた。
「……まずは情報の共有じゃな」
くるり、と指を立て、その指先の空気が渦を巻く。
「聞こえておりますか、ボス」
『ああ、聞こえている。……マルコが捕まったか』
「ええ。ただ、悪い知らせが。──
『……は?
今千切ってはなげ、千切ってはなげを繰り返している
「……せめて
言っても詮なきことじゃが、と呟いて、それから
平凡そうで、ちょっと間の抜けた顔の男が、手足に棘を打ち込まれて若干しょんぼりというか、困ったような表情で近くにあるデカい花に向けて何事かしゃべっている。
「だから、すみませんがちょっとトイレに行かせて欲しくて、交渉が始まったらちょっと下ろしてもらっても……あ、バルトロさん」
「何をやっとるんじゃ、お前……」
彼女の茨についている棘はわずかな毒を持っていて、痛みを増幅させるようで強い
ちなみにだが、
「……あれが平気そうということは……相当強い
「
「どうどう、落ち着かんかい。マルコを殺すつもりならすぐにやっておるじゃろ。交渉に入るとボスが言っておった」
「コーショー」
「ずいぶんと久しぶりと言うべきか──俺の死体が欲しいんだって?
柔らかい声だが、重たく威厳があり、そしてどこか人を揶揄うような軽さもある言葉が広い玄関ホールに反響する。
──久しぶりですね、
「そうだな。ずいぶんと荒れている様子だ。お前も……人質を取るなんて品のない行為をするように育てた覚えは、ないんだがな」
──品より勝利を求めますので。では──
「い、一旦下ろしてください……流石に漏れそうだし、この状態は肩がいかれそうなんですが……」
──ふむ。まあ、良いでしょう。どうせこの距離では風がさらう事も不可能です。
まあ数%かは不可能というわけではないがの、と内心イライラしつつボスの表情を盗み見る。ただ綺麗な顔のまま、うっすらと微笑んでいて何を考えているかわからない。
「……ボス」
横で不安げな顔をしているローズがそう呟いたところで、ボスは一歩前に進み出た。
「そいつと、俺とを交換したいというのが交渉の内容か?」
──ええ、そうですね。そこまでお分かりなら話は早い。
「悪いが、死ぬにしてもそいつは一般人でな。流石に俺のことを重荷に思われては居心地が悪い。それに退職金の話もまだ済んでいない。多少言葉を交わさせてもらってもいいか?」
──この距離であれば構いません。バルトロ、あなたも動かないように。
マルコは下ろされると、左の手首に巻かれた茨に鬱陶しそうな表情をした。それから、バルトロに視線を合わせる。
切れ、ということか、と思ったがどう考えても逃げられないタイミングではなかろうか。
まずマルコを抱えて逃げるにしても自分以外を風に乗せて運搬するのはタイムラグが発生する。感知しながら左手の茨を切るのも必要となると、同時に三つの作業をやらねばならないが、今のバルトロにはそれは難しい。どうしたものか。
「バルトロ」
はっ、と我に返ると玄関ホールの階段の上から見下ろしていたボスの声がさらにかぶせられる。
「俺がマルコの場所に行くまで、決して動くな」
「……ッ、そんな……」
命令に気が重くなる。
「こんな、こんなのは……あんたを見捨てるのと何が違うんじゃ!!」
「いーから。黙って見てろ、ボケ」
「は……?」
ボケ呼ばわりされて少々悲嘆を通り越して怒りすら湧いてきたが、ローズが嫌に冷静なのを見て不可解な心持ちになった。ぐ、と言いたいことを押し込めると、そのタイミングが来るまで待つしかないのだろうか、と成り行きを見ることにした。
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