第10話 薔薇は惑う

館の中に、死体があった。それも、使者アポストロのものが。


ローズの頭の中はただただ、館への侵入があったのであれば今はボスの身柄が危ないと考えるばかりである。

「ボス!!」

「どうした?マルコが叫んでいたが……」

「館に侵入者とそれから──」

ボスの背後にあった西洋鎧ががしゃり、と音を立てて動き出す。ローズは勢いよく机へ飛び乗り、テーブルの上にあったナイフを手に取ると勢いよくボスの元へと駆けていく。料理を避けたのはやはり、勿体無い、というよりは美味しいものだからという考えが頭に浮かんでしまったからだろう。

前までならこんなことはしなかった。これも一種の雑念と言えるのだろうか、と内心自嘲しながらボスの前へと飛び出し、ナイフを勢いよく敵に投げつけた。


カァンッ、と激しい音がした。敵の姿勢や装備を見るにやはり防がれたか、と歯噛みしていると、背後からほれ、と別のナイフが渡された。

「何が起きた?」

使者アポストロの死体が館内に出現しました。侵入者がいると考えて間違い無いです」

「侵入者……少なくともバルトロのことを掻い潜ってこられるとは思い難いな。あいつの感知能力は何より信頼できる。風を張り巡らせているから……いや、もしや地中からか?」


と、なるととボスはニヤリと笑みをこぼす。


「お出ましか?『眠り姫ソンノ』」

ぐらぐらと揺れる兜に体をも揺らしながら、鎧は立ち上がる。そしてぐぐ、と体を縮こめた。突進してくる、と思った瞬間鎧がすでに間近に迫っていた。ギリギリで避けたものの、体を無理に捻ったためによろけて転がってしまう。相手はといえば、壁に勢いよくぶつかり、硬い樫の扉は蝶番ごと外れて倒れたために部屋の外へと転がって出ていった。

「……油断しました……」

「うぉっ!?なんじゃこいつ……」


バルトロがそう言いながら戻ってきて、勢いよくその鎧を空中に飛ばして固定する。ジタバタと腕を暴れさせたものの、どうにもならないことを察知すると途端に動かなくなる。

眠り姫ソンノの仕業じゃな。あやつときたら狡っからい真似ばかりしよって……この中身も死体なんじゃろ。ローズ」

「はい」

阿吽の呼吸といったところか、その頭に被っている兜を外した瞬間──三人とも息を呑んだ。


蝿王モスカ……!?」


蝿王モスカはかつてファミリーの中でも異彩を放つ、豪放磊落な性格で知られていた。あちこちに噛み付く狂犬のような生き様でありながら、なぜか信者にも似た部下が自然と生まれていく。彼の戦闘スタイルはやや破滅的だったが、その信者に似た部下たちがそれをサポートすることによって奇跡的に成り立っているようなスタイルだった。

そんな彼があっさりと突き破られ、死んでいる。


「ま、待ってください、蝿王モスカが死んでいるということは……あなたが話していたファミリーの逆転の目がないということになりますよ!?蜘蛛ラーニョ!」

ローズが眉を怒らせて激昂したが、バルトロもそれにかちんと来たのか勢いよく言い返した。

「今はそんなことどうでもええじゃろが!ワシだって蝿王モスカが死んでるなんぞ、信じられんわ……そんな噂もまだ入ってきてはおらんかった!」

「死体の状況から見ても、蝿王モスカが死んだのは昨日だ。今は仲間の間でギャアギャア文句言い合ってる場合じゃねえだろう、状況を見やがれボケナスども。終わったらこいつをきっちり墓に放り込む、それが俺たちのできることだ」


二人がボスの言葉に黙り込むと、彼はその花のかんばせを綻ばせる。

「そもそも、バルトロとローズが揃っていて俺一人を守りきれねえはずがないだろう。眠り姫ソンノ本人が攻めてきたのであればともかく、だ」

「この状況を継承機関エレディタに伝えることは──」

「マフィア同士のとは言えねえよ、これは。眠りソンノが力を切ってしまえば、ただ単に死体が歩いて帰ってきた不思議な話ってだけだ」


継承機関エレディタ


マフィア同士の抗争を監視・制限する機関であり、マフィアが勝手に争いあうことを禁止している。マフィアが勃興してきた頃は多数の民間人を含めた死者が大量に出たため、それを憂慮して作り上げられたのが継承機関エレディタだ。


彼らは新旧お構いなく全てのマフィアに通ずる連絡先を持っており、その全てに情報を開示することができる。つまり、もし彼らを通さない抗争が起こったりした場合には直ちに居所や資金源などありとあらゆる情報が全てのマフィアに開示され、全てのマフィアがその慮外者バカを殺すために動き出すことが許可される。

情報は力なりというが、果たしてその通りである。


ちなみに、この継承機関エレディタは暗殺や、内部分裂に関しては口を出さない。あくまで正式なぶつかり合いとして抗争が起こった時にのみ対処する。

なぜかといえば継承機関エレディタがそう暇ではないからだ。あちこちで抗争が起こっており、それぞれに対処する。特に番外エクストラでは抗争を多くやっており、その分裂や同盟などのスピードも今日くっついて明日反目する、なんてことを毎日繰り返している。

つまり、あくまでファミリー同士の正式な《抗争》のみを仲立ちする、それが継承機関エレディタの役割なのである。


「くそッ、ワシが外でつけられてた時は何も口出しせんかったのに……」

「俺たちのファミリーは瓦解しているから、お前個人に対しての喧嘩をふっかけただけだと判断されているんだろう。マルコに対して喧嘩を売ったのも……」

ふとそこで全員がマルコの存在と、そのそばにあるだろう死体のことに思い至る。かつての眠り姫ソンノは五体まで軽々と操って見せたのだ。死体がある時点で気づくべきだった。


使者アポストロが死んでいると言ったが……マルコも一緒か?」

「マルコも…………一緒だ」

三人の顔色が変わった。


「マルコが危ない」

細い声で、ボスはそう呟いた。


足が一瞬、その方に向きかける。そこでハッとした。


私の使命はボスをこの命に変えても守ることだ。なのになぜ──私は彼を守らねば、と一瞬でも思ったのか?命令さえ出ていないのに、自発的に行動しようとした。

こんなことは、今までで一度もなかったのに。

ローズが密かに混乱しているのにはバルトロは気づかず、焦りを滲ませた表情で吐き捨てる。


「──ワシが行く。万が一、すでに操られとったら……やつを殺さねばいかん」

「殺さずとも良いでしょう」

すんなりと出てきた言葉に、バルトロが目を剥いた。

「……変なものでも食うたか?」

「……失礼ですね。食べたとしても同じものです。……ただ、この食事がなくなると、またオートミールに戻りますから」

「それは……嫌じゃの」

からから、とバルトロは笑い、それから真剣な眼差しでローズを見つめてくる。なぜだか気恥ずかしくなり、ぷいと目を背けるとまたからからと笑い声が響いた。


「……これも成長かのぅ」

「何か?」

「いや、何でもないわい。それじゃあ、ワシは行くぞ」


ふぅっと微風が吹いたと思った瞬間には、目の前からバルトロはかき消えていた。

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