第37話 料理人はけなされる

「じゃあまずは異能アビリタ発動してみてくれる?」

最強カンピオーネは昨日とは違うゴールドのラメを目蓋の上に乗せて、緑色のアイシャドウをつけていた。目力は昨日の3割増し、恐らくは……。


「顔、そんなに見られたくなかったんですか」

「ぶっ殺すわよ?」

「料理人に言うとはいい度胸ですね。明日から嫌いなものを必ず食事に入れるようにしますよ」

「……喧嘩をする暇があるのなら、とっとと訓練を始めてください。私も暇ではないので」

ローズのじっとりとした視線に最強カンピオーネはにこやかに微笑みわかってるわよぉ、と猫撫で声を出した。


「きっつ」

俺の唇から思わずそんな言葉が飛び出した瞬間、弾けるように飛びかかってきた最強カンピオーネの蹴りを両腕で受け止める。あまり強くはないが、大人の男の蹴りだ。それなりに重みがある。

「……いきなりですね?」

「だから男は嫌いよ。デリカシーのかけらもないんだから」

「あなたも男じゃないですか」

「そうね、できれば女の子として生まれたかったまであるわね。今はそんなことより、早くあんたの能力を発動させてみなさいって言ってるのよ」


俺は首を捻り、それからカフスボタンに触れる。それが食器に変化すると同時にぽかんとした表情になった最強カンピオーネは次第に堪えきれないと言うようにゲラゲラと笑い出した。

「ウヒヒヒヒヒヒ……ッなんなのよそのちゃっっちいぃ異能アビリタは!うププッ、おひゅ」

最後の方には呼吸困難になりながら、地面に崩れ落ちていた彼はなぜか「私を殺す気なのかしら!?」と逆ギレしてきた。本当に意味がわからない。


「俺はあくまで料理人ですから、異能アビリタの使い方なんて習ったことないんですが?」

少しムッとしてそう言えば、彼はふん、と鼻息荒く立ち上がる。

「あんたに宿ることになった異能アビリタの方が可哀想だわねえ。まあ、いいわ。本来異能アビリタは学者連中の中でもかなり意見が分かれるところではあるの。異能アビリタとは何なのか、その根源は何か、そもそも存在しているのかどうか……と言う議論が、ね。異能アビリタは神からのギフトだという者、脳の異常活動による高次元への干渉、物理法則に作用する超常的な力を手に入れた新人類なんかが有力な説ねえ。あとは、面白いところだとあくまで異能アビリタは我々が見ている共通の幻覚かもしれない、という説かしら」

「幻覚でも、起こったことが本当のことだと認識すればそれは本当のことじゃないですか?」

「そう?あなたはそう認識するのね。まあ、それも人それぞれだから悪くはないんだけれど……私は正直なところ、その幻覚説もある意味合ってると思うわね。と、こんなふうに議論はしているけれど、どうせあなた感覚派でしょ?私はまごうことなく理論派だけど」


それに関しては否定できないな、と頭をかいているとローズが背中に手のひらを押しつけて小声で囁いてきた。

「イヴァーノは感覚派ですよ、マルコ」

「え?い、いやでも今……」

「本人には自覚がないだけです。マルコもある程度、理論については知っておいた方がいいでしょうからしゃべらせていますが」


それはそうだ、ととりあえず耳を傾けることにする。


「じゃ、まずは私なりの異能アビリタの解釈ね。異能アビリタはそもそも、私が思うに──全世界の人間が、発動しうる力を元々持っている、と思っているわ。じゃないと説明とかつかないじゃない、こんな不可思議な力を持っている人間はほとんど別の種族よ。普段は何がしかの制約やら蓋やら思い込みによって、私たちはこうして力を持つもの、持たざるものに分けられた。そう考えるのが自然だわね。人間はちょっと遺伝子の情報が違ったくらいで猿とほぼ同等になるらしいわよ?」

「……つまり、人間は元々こういう種である、と?」

「ええ。ま、どうせその辺りのことはわかっててもわかってなくてもいいわ。とにかく、私が理解していることは二つ。異能アビリタは使えて当たり前であること、そしてもう一つは──異能アビリタは認識に依存すること。二つ目に関しては覚えがあるんじゃなくって?あなたが『何をしたか』は昨日、散々あのうるさいマユゲから聞いてるわ。その時に使った力はなぜ使えないのか……答えは簡単、あなたが異能アビリタをクソありがた〜いお力だと勘違いしているからよ」

「い、いや、そんなことはないですよ。現に料理にはそれを使おうと……」

ばかね、と彼は眉を顰めたまま皮肉げに笑って見せる器用な表情になる。


「いい?その能力はあくまであなたの一部であり、あなた自身を構成するものでもあるの。それを手足のように扱えていない時点で自分自身の体をうまく使えてない、アホだってことなのよねえ」

「あ、あほ……いや、だってそれは!」

「お黙り!」


びし、と俺の胸に突きつけられた人差し指に、ぐっと息を詰める。

「あんたみたいなただの一般人を今からこの私が仕込んでやろうってのに、文句も愚痴も多いのよ。あんたはただハイハイ言ってあたしの言葉に従ってれば良いの。あなたが異能アビリタを使いこなせないのは自分に自信がないからでもなんでもないわ、ただ単に異能アビリタを自分のものと認識してないからよ。何か違う?」


その言葉にとうとう俺は何も言えなくなり、下を向く。

「……ふん、そこでただへたばってるだけじゃ何も起きないわよ」

「わかってます」


現実問題、俺は自分の力として俺の異能アビリタを認めていない。

「マルコ……?」

ぴこぴこと耳を揺らしながら銀灰グリージョが俺の膝に手を置いた。銀色の不思議な色をたたえた瞳は心配そうに揺らいでいる。

「……そう、ですね。確かにイヴァーノさんの言うとおりではあります。俺は異能アビリタを自分のものとして認めていない」

「ふん、やっぱりそうでしょ。じゃないとおかしいもの、あの修道女が見抜けないほどの異能アビリタがたかだかあれしきのことしか起こせないなんて、ありえないわ。いい?彼女は私やボスの異能アビリタでさえはっきりと見透かして当てて見せたの。──あんたのものが私たち以上でないと、私たちの尊厳に関わってくるのよ」

「修道女の異能アビリタはかなり強い、ってことですか?」

「そうでなければ、あの小さな田舎町は今ごろ占拠され果てていたでしょうね」


ローズはひょいと手を差し伸べて来たため、ありがたくそれをつかませてもらう。

「ありがとうございます」

「んもぅローズったらそんなイカつくてキショい男になんて親切にしてないでアタシと遊びましょうよぉ!」

両手を広げて抱きつこうとしたのをローズがひょい、と一歩下がって避ける。しかしその真後ろにいてよそ見をしていた俺は──。


全身を包み込む香水くさい逞しい腕。胸板は硬くそして──上がる雄叫びという他ない悲鳴。


「お、おえぇえええ!!男おおおおお!!!」

「いやなんでそれこっちのセリf──」


勢いよく突き飛ばされそして俺は外壁の石に頭を強かに打って気絶した。





「目が覚めましたかな?驚きましたぞ、銀灰グリージョが血相変えて半分狼になって飛んできたのですからな」

「……はッ!?今は……」

「そう時間は経っておりませんぞ。吾輩の異能アビリタでもなかなかの衝撃でしたな、あの痛みは。頭にこう、ガツンと来る痛みが……おほふ」

すっかりなれてしまった頭の後ろに感じるもっちりとした感覚にまだまだ浸りたいのはやぶさかではないんだが、この日のあがり加減からもうそろそろ食事を作り始めなくてはまずいだろう。

よだれを垂らしそうな顔をしているあたり、アニーも空腹になってきているのだろうし。

「今日の昼食はかぼちゃを使ったリゾットと、りんごとバターのソースを使った豚肉のポワレ、それからアンチョビを使ったバーニャカウダ風のサラダが……」

「……うまそうだな」

体を起こした状態でぼんやりとつぶやいていると、右から突如として声が聞こえ、俺はガバッと起き上がり、そちらに勢いよく顔を向ける。

さらりと揺れる金髪は、背景から光を受けてまるで自ら発光しているかのように煌めいている。軸までガラスでできた芸術的なペンがゆらゆらと幻想的な光を反射して、まるで夢のような光景にいっとき言葉を失っていたが、俺はぼんやりしていた頭がはっきりとしてざあ、と青ざめたのがわかった。


「す、すみません!ボス!」

美少年が太陽の光を背にして、ペンを頬に当てて微笑んでいる。絵になるというよりもはや宗教画である。

「いや、構わないさ。それより、今の言葉を聞いてだいぶ空腹感を感じている。ローズもどうやら体を動かしたくなっているようだから、少し量を増やしておいてくれ。あと、執務室での治療はあまりおすすめしないからな」

「ホヒュ!?も、申し訳ありませんでしたな、ボス……わ、吾輩ちょ、調子に乗ってしまって、つい……むふふ」

「あ、そういえばどうして中庭で治療しなかったんですか?」

「ああ……まあ、ここまでになるとこじれそうだから言っておくんだが……」


とても言いにくそうに人差し指を数度くるくると回して、それから目を閉じてボスは息を吐く。

「イヴァーノは、男性恐怖症なんだ」

「男性、恐怖症……?」

「特に、お前のように男っぽい、筋骨隆々なタイプが苦手らしくてな。過去、ここに入りたての頃酔っ払っている時にバルトロが無理やり肩を組んだことがあったんだが、その時は酒を一口も飲んでいなかったにも関わらずぶっ倒れてゲーゲー吐いた」

「そんなことが……」

ああ、とボスは一言つぶやいて、それから正眼にグラスを掲げ、その光から透かすように俺を見る。


「詳しい話は本人から聞いた方が良いだろうが、俺は聞かないことを選択した。ま、あとはお前に任せるよ」

「……はい」

「さて!吾輩も治療は終えましたのでな、今からちょっとであればお手伝いが可能ですぞ!マルコ殿」

「アニー、お前はまだこっちの手伝いだ」

「ぁうん……」


悩ましげな声を上げつつ、襟首を捕まれて室内のソファーへと引っ張り戻されるアニーを片手を上げて見送ったあと、部屋の外へと出る。

「……なかなか、ままならないもんだな……さて、食事でも作るか」


さて──秋はキノコがうまい、というのは常識な訳だが、実際に食べるとなると毒性を知らなければ下処理がいくつか必要だったりすることがある。例えばシャグマアミガサタケ、これは揮発する毒成分が含まれているためにそれなりの時間茹でなければ食べられないという。

蒸気にも毒成分があるから、吸い込めば命にも関わる代物だ。

まあそのぶん旨味は強く、美味しい茸でもあるのだが、それはさておいて。


「……このキノコは、俺が見た時は入ってなかったはず……」

キノコを片手にもち、俺はじい、とカサの部分や軸の様子などをためつすがめつしている。人差し指の爪の先でほんの少しキノコのカサの部分に傷をつけると、黄色の白めに濁った汁が滲み出してきた。

買ってきたキノコは全て目を通して、問題がないことを確認したはずだ。毒のあるものでもある程度異能アビリタで無効化できうるが、もちろん料理人としてはっきり勉強してきたことでもある。毒がない、ということを断言できるキノコだけが置いてあったはずだ。

しかし、このキチチタケ。

一般的には食用にはできない辛味があり不向きであるため、一般には販売されないのだが。


銀灰グリージョ、このキノコ、誰が採ってきたのかわかります?」

「んん?……オマエと香水くさいあいつのニオイしかしない!最強カンピオーネのニオイだぞ」

「そ……う、ですかぁ……」


顔がヒクヒクと引き攣ったのがわかった。気づくこと前提だったのだろうが、俺が預かるこのキッチンで毒のあるキノコをこの場所に紛れ込ませたのはいっそのこと感心する。

嫌がらせにしては、度がすぎている。


「──ぶち殺す」

「……???」


顔にハテナを浮かべたままの銀灰グリージョの横で密かにブチギレていると、扉が軽くノックされた。扉の隙間から覗いたのは、ふわふわとした髪を揺らしながら現れた垂れ目の少年だった。水色のフリルがたくさんついた上着に身を包み、半ズボンを履いていて腕には大きめの猫のぬいぐるみを抱きしめている。

「おにーいちゃーん!……あれ?どうしたのお兄ちゃん」

「あ、……博愛バーチさん。えっと、すみません。前回会った時は自己紹介もあまりしっかりしていなくて」

「ううん、ボスからは聞いてるよ。僕は博愛バーチ。こっちの猫ちゃんがラーチェって言うんだ」

「そうなんですね。よろしくお願いします」


俺は苦々しくも笑っていると、彼はちょっとだけ儚げな笑みを浮かべた。


「あのね。僕は異能アビリタのおかげでちょっとした感情の機微を細かく察せるんだけど、このお部屋から怒ってる!みたいな雰囲気が漏れ出してきてて、それでマルコお兄ちゃん、どうしたんだろう……って思ったの」

「あ、そうだったんですか。でも、こればっかりは──」


俺はふう、と息を吐き出し、それから博愛バーチに話を始めた。

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