第2話 魔法少女と魔法戦士

「いや、助かりました! みなさんは命の恩人です・・・・・・あ、コーヒーお代わりお願いしてもいいですか?」


口の周りについた汚れをハンカチで拭いながら、アカリは満面の笑みを浮かべていた。

エリが注いでくれた熱々のコーヒーを、そのまま一気に飲み干して、


「熱い! 舌火傷した! ・・・・・・すみません、もう一杯!」


「あんた、どれだけ飲み食いすれば気が済むのよ・・・・・・」


今にも永遠の眠りにつくかと思われたアカリ少年を無理矢理たたき起こしてから一時間、案内された食堂での彼の食事の様子はまさに圧巻と言うべきものだった。

がつがつと、本当の飢えとはこういうもいのだとでも主張するかのような食べっぷりだった。食べ物を滓一つこぼさず、口に入れた物は全て瞬く間に飲み込まれて消えていく。

礼儀正しいというよりかは、わずかな欠片一つ残す事でさえも惜しんでいるらしい。

大人の手のひらサイズのチョコチップクッキー五つ、即席麺三袋、おにぎり五つ、ボウルいっぱいのサラダ二杯、パウンドケーキまるごと二個、ハム、チーズ、フルーツジュース・・・・・・常人の三日分の食料を瞬く間に平らげて、今や何杯目になるか分からないコーヒーをがぶ飲みしている。

まるでコミックやアニメーションのワンシーンを見ているようだった。


「はは、すげぇ食べっぷりだな、お前」


アズが面白半分、引き半分に笑みを浮かべていると、喉をならしてコーヒーを飲み干したアカリが両手を勢いよく打ち合わせた。


「ごっそさん! いや、ホント、マジで助かりました。ここんとこまともに睡眠も食事もとれてなかったもんで。これはもう、即身仏にでもなって民衆の救済の道を模索するか、さもなきゃ本格的に仙人でも目指して霞を食べるしかないかなー、なんて思ってた次第で。地獄に仏とはこのことです」


良く回る舌をぶん回し、照れくさそうに頭をかくと、彼は少女達に頭を下げた。


「落ち着きましたか?」


「はい、おかげさまで」


自分の分のコーヒーを入れて、エリがアカリの前の席についた。


「お体の方は大丈夫ですか?」


朗らかな笑みを浮かべながら、彼女はアカリをじっと見つめる。それは言葉通りに心配してというよりも、観察や見張りに近い。まだ正体が知れない彼を警戒しての事だった。

知ってか知らずか、アカリは同じく笑顔を見せながら、


「もちろん! 十分に睡眠もとれましたし、栄養も補給できました」


「それは良かった」


くすり、と。

柔らかに微笑んで、エリはコーヒーに口をつけた。


「で、おれに何か聞きたい事があるんでしょ?」


「そう思いますか?」


エリはイエスともノーとも答えずにはぐらかすが、アカリはさしてそれを気にする様子もなく、


「えぇ。別にそう警戒しなくても大丈夫ですよ?」


言いながら、食堂の入り口の方に目を向ける。そこにはアリスが腕組みして扉に寄りかかっていた。窓のすぐ側にはアズが、テーブルの横にはメグが立っている。出口が塞がれた。彼女達それぞれがアカリの一挙手一投足に注意を払っている。

もし彼が妙な動きをとろうものなら、瞬く間に無力化と拘束、おまけに地面への熱いキスのフルコンボを食らうことは確実だろう。


「別に誰か取って食おうなんて思ってないんでそんなに睨まないでくださいよ。ってか、恩人に何かしようなんて、そんな没義漢に見えますか? 今日日、野生のケダモノだって腹いっぱいに餌くれた相手にいきなり噛みつくほど不義理ではないでしょうに」


「残念ですが、あなたとは初対面ですから」


エリが困ったように、目元を下げた。


「それよりこの状況で、ずいぶん余裕なのが気になるんだけど?」


メグが横から睨みつけながら問いかけると、彼は不適に笑ってみせて、


「余裕? これははったりと言うものだ」


言いながら、彼はそっと両手をあげる。彼の手の平は見てわかるほどに汗ばんでいた。


「あるいは見栄とも言いますけどね」


そのまま両手をあげた姿勢で、彼は頬を緩めた。

完全なお手上げ状態。表すのは全面降伏。盛大なため息をつき、堰を切ったかのように語りだした。


「勘弁してくださいよ。おれの商売道具、全部そっちで取り上げてるでしょ? これ以上どうすりゃ良いってっんですか? 身ぐるみ全部かっぱいでケツの穴まで見なきゃ安心出来ないってんなら、仕方ない。この場で一糸まとわぬ生肌さらして、何なら裸踊りのひとつでも、」


鈍い音がした。メグが無言のままテーブルをたたいた音だった。

彼女の剣幕に、冷や汗を一つ、アカリは口をつぐんでしまう。


「余裕ない割にはよく回る舌だ。喋らなきゃ死んじまうのか、お前は」


「マグロか、おれは。いや、あながち間違いでもないですね。おれはどうやら、舌から先に生まれたようでね。いや、飯も食べたんで元気百倍、勇気りんりん、鼻歌るんるん。何ならここで一つ、お得意の落語でもかましてイッチョ笑いをドッカンドッカンと、」


アズに言われた通り、信じられないくらいに良く回る舌であった。一通り騒いだ上でなおも先を続けようとして、それからすぐに彼は再び口をつぐんだ。

メグ、それからアリスの冷たい視線に気づいての事だった。


「アカリさん、で良かったですよね? すみません、別にあなた個人を疑っているわけではないんです。このご時世です、その、あなたは」


エリが少し言いよどむと、今度はアズがその続きを口にした。


「あぁ、お前はここじゃ余所者だ。そんでもって胡散臭い職業……みたいだからな。

そりゃ用心もするさ」


「あぁ、そりゃまぁ仕方ない。用心してし過ぎるって事は無いですからね、このご時世」


アカリはさして気にした風もなく、得心がいったと言わんばかりに手を打ち合わせた。


「ご理解いただけたようでうれしいです」


「いやいや、こっちも理解できてうれしい限り。相互理解はコミュニケーションの第一歩ってなことで。ほいじゃまぁ、そろそろ本題に入りません? おれに聞きたいことあるんでしょ? おれだって色々聞きたいことがあるんですから、手っとり早くいきましょうや。たいむいずまねー、時は金なりってなもんで」


「聞きたいこと? 私たちにですか?」


きょとんとした顔で首を傾げるエリ。

なまじ整った顔立ちだけにそんな仕草も絵になっている。

アカリはそんな彼女の様子に少し鼻の下を延ばしたかと思うと、至極真面目な顔をして、


「えぇ。具体的には今も下着の色とか……⁉」


後頭部を思い切りひっぱたかれた。


「あ、ああああんた、言うに事欠いてどういうついもりよ⁉」


メグが目をつり上げて、アカリの胸ぐらを掴みあげた。

小柄で、どちらかと言えば華奢な体躯でありながら、20センチ近く身長差のある男性をこうも軽々と持ちあげたのだ。ちょっと信じられない怪力だった。


「ジョーク! ジョークですって! 首、首しまって、ぐぇ」


今にも殴られそうになって、というよりもキツい一撃を今さっき食らったばかりのアカリは大慌てで弁解をするが、


「はぁ、上下とも黒ですが」


「ぶっ⁉」


「ちょ、エリ!」


小首を傾げたまま、不思議そうに・・・・・・というより、何の気なしかえってきた答えに、アカリとメグが目を剥いた。

アカリとしても、まともな答えが返ってくるとは思っていなかったのだ。


「それは、その、ずいぶんとまぁ、せくすぃーな……」


「あんたはいい加減にしなさい」


乱暴に、今の今まで掴んだままだった手を離し、アカリを突き飛ばす。

やられた方の青年は情けなく尻餅をついた。


「メグさん、何をやっているんですか! ……アカリさん、お怪我はありませんか?」


「いや、大丈夫っす。体は人一倍頑丈なもんで。なんか、その、すんません」


あわてて立ち上がりかけたエリを手で制して、彼は椅子に座り直す。

さすがにふざけすぎたと反省してか、幾分先ほどよりは真面目な顔で向き直り、


「で、おれに聞きたい事って何ですか?」


「はい。アカリさんは魔法戦士との事でしたが、この町……というか、この付近には一体どのようなご用件で?」


「用件?」


「お仕事ですか?それとも」


「あぁ」


少年は頷くと、


「残念ながら、お仕事の方はここんとこ日照り続きでしてね。まぁ元が自転車操業のその日暮らし、開店休業状態で宣伝も何もやってない上に腕も評判も良くないときたもので」


「では何故あんなところに一人で?」


「何故……それを考えると長くなりそうですね。何故おれがここにいるのか、そもそも何故おれが生まれたのか、否、人間が何のために生まれたのかを考える必要が出てくる。最早哲学ですよ、哲学。いや、ある種の宗教かな? まぁどっちにしても似たようなもんか。さぁてどこから」


「長い。簡潔に」


無意味な上に面白くもない、ただ長い講釈にうんざりしたのか、アリスが口を挟んだ。


「ふらふら旅してたら行き倒れました」


「なるほど。旅の目的は……聞かない方がお互いのためですね」


簡潔ではあるが、酷く大雑把な答えである。だが、エリはそれに納得して頷いた。

大厄祭後、世を儚んで旅に出る者は数多い。世界の変革に耐えられなくなったものや、己の生きる意味を見失った者、その理由は様々であり、もしそんな旅の人間に出会ってもそこに深く踏み込まないのは暗黙の了解であった。

それでもこうして彼女たちがアカリに尋問じみた真似をしたのは、彼が魔法戦士という少しばかり特殊な技能を持つ者である。


「祠都からの査察とか、使者とかというわけでも?」


「いやいや、ないない。それなら、こんな愉快でふれんどりぃな美少年じゃなくて、もっと高慢ちきでかたっ苦しいお役人がくるでしょうよ」


ひらひらと、力が抜けるような動きで手を振って見せる。

愉快な美少年かどうかはさておくとしても、誰の目にも彼が大層な役職にあるとは見えはしなかった。


「うん。こいつ、多分ただのアホだ」


アズが呆れたようにアカリの顔を指さした。


「何だ、つまんないの。都から昇進の話でも来たかと思ったのに」


「人員交代でもあるのかと思ったわ」


メグが大きなため息をつき、アリスがそれに同調する。


「ちぇっ。面白い話でもあるんなら一枚かませてもらいたかったのに」


アズが不服そうに舌打ちを一つ、拳を叩き合わせる。その右の手首のあたりで。少女には少々似合わない、大きめのバングルがきらりと光った。


「もう、みなさん」


エリが呆れたような表情を見せるが、彼女もそれ以上は何も言わない。

彼女もまた良く知っているのだ。それが良い知らせか悪い知らせはさておき、厄介事を持ってくるのはいつだって余所者だと。そして、アカリもまた。


「さて、と。それじゃ、おれはそろそろお暇しますかね。いやいや、大変お世話になりました」


「もう行かれるんですか? もっとゆっくりしていっても」


「美女からのお誘いはありがたいですがね。邪魔者はさっさとどっか行くに限ります」


ご馳走様、と。

そう言って彼は席を立ち帽子を深くかぶる。


「おれの商売道具、返してもらっても?」


そう問うアカリに、メグが無言のまま手を差し出した。


「ん」


「ん?」


「ん!」


「ん? あぁ!」


メグの手をアカリが固く握りしめた。


「違う! お金!」


「は?」


「さんざん飲み食いしたんだから、その分払いなさい。ほら」


手を乱暴に振り払い、メグは掌を少年の目の前に突き出した。

対するアカリ額にうっすらと汗を浮かべて、


「いや……マジで? 助けてくれたんじゃないの?」


「助けたでしょ。でもそれとこれは話が別」


「えー……」


本当に情けない顔で彼は他の少女たちに助けを求めるが、残念ながらこの場に彼の味方は一人として存在しなかった。


「少しくらいなら、良かったんですが。ここまで食べられてしまうと……」


「そうそう。お前が食ったの、常人の軽く三日分の量はあったぜ?それをまさかタダでってわけにはいかないだろう」


「こっちだってそんなに裕福な訳じゃないの」


「いや、おれも裕福じゃないもんで」


言って、アカリは両方のポケットを裏返して見せる。


「その、今無一文の素寒貧なんですが」


「はぁ⁉」


「へへっ、宵越しの金は持たない主義で」


頭を掻き掻き、照れくさそうにはにかむアカリだったが、彼を見る少女達の目は冷たい。


「笑い事じゃないんだけど」


「とは言え、無一文なのは確かなもんで。ひっくり返しても何も出てきませんよ?」


両手をひらひらとさせて手持ちがない事をアピールするアカリ。

態度こそふざけてはいるが、彼としても心中穏やかではなかった。命の恩人相手に食い逃げを働くような不義理な真似はしたくはないが、先立つものがないのもまた事実。

メグやエリが先ほど確認した通り彼の手持ちで金目の物も武器くらいのもの。しかもそれにしたって、とてもまともな買い手がつくかどうか分からないような代物だった。


「……なら働いて返してもらうしかないわね」


しばらく黙り込んでいた少女達だったが、ついにアリスがそんな事をぼそりと呟いた。

その提案は苦肉の策だったのだろう。彼女の眉間には深い皺が刻まれていた。

だというのに、言われた当の本人はあまりその話には乗り気ではないらしい。困惑するような仕草で、


「働くったって……見ての通り、何の取り柄もない男ですよ? こんな男雇うくらいなら猫の手を借りた方がマシってもんです」


「誇らしげに言う事じゃないでしょ、それ。それとも身ぐるみ剥がされる方がお好み?」


「え? つまり、お嬢さんがたはこんな冴えない男の裸踊りがお好みで?」


メグの眉間に青筋が浮かんだ。

ついでに、次の瞬間にはアカリの体が宙に浮かんだ。

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