第7話 魔法少女の激昂

「エリさん良い人ですね。お土産もたくさんもらっちゃいました」


夕暮れ時。

帰路につく二つの影が、朱に染まった道に長く伸びる。

地平線の向こうには真っ赤な太陽が沈みかけている。

エリとの仕事を終えたアカリと、同じく自身の仕事を終えたのであろうメグ。

勿論二人とも取り掛かっていた事は別である。

偶然帰宅時間が被ってしまっただけだ。


「うるさい」


エリの手作りの菓子が詰まった袋を片手にホクホク顔のアカリを、少し距離を取った場所から一睨み。

少年は困ったような顔で両手を掲げて大げさなジェスチャーをしてみせる。


「まぁまぁ、そう邪険にしないでくださいよ。」


「何で着いてくるのよ」


何とかコミュニケーションのとっかかりを得ようと話かけるアカリに対して、メグの態度は相変わらず冷たい。

それはまるで、彼と言う存在を認めていないとでも言いたげだった。


「別にストーカーしてるわけじゃないですよ? たまたまおれの家がこっちなだけで」


「あんたの家じゃない」


間髪いれず、有無を言わせぬキツイ調子で否定する。メグにとって譲れぬ一線がそこにはあるらしかった。


「すみません」


アカリとて、それが分からない程鈍くはない。素直に詫びて、すぐに話を切り替えた。


「それにしても。この町、いいところですね。夕日がきれいに良く見える」


「そうね」


またしても返ってくるのはたったの一言。

だが、そこには先ほどよりかはいくらか柔らかい感情が混じっている……ように思えた。


「この間、アズさんと行った山の方、紅葉もさぞ綺麗でしょうね」


「……えぇ。そう、だったわ」


だったと、過去形で語った。

顔が翳るも、それは一瞬の事。すぐにメグは話を続ける。それは今、表出しかけたものを隠すためのもののように見えた。


「秋……もっと冬が近づけば、山も色づく。赤とか黄色とか、色とりどりに。それから、夜になれば虫の声も綺麗でね。それを聞いてるうちに眠くなってくるの」


「へぇ、そいつは……」

なかなか良いものだと、本心からそう思った。


「良いところよ。今も。都からは確かに遠いけれど。不便な所はあるけれど、それでも」


僅かに。

語る彼女の声が、僅かに震えていた。

自らの本当を隠そうとして、それでも隠しきれず、しかし表にも出せず。そんな心の動きが形となったものなのだろう。あるいはここにいたのがエリやアズ、アリスであったならそんな彼女の心の在りかに気が付いたことだろう。

だが、


「ですよね。おれも移住しちゃおうかなー、なんて」


アカリが薄く笑いながら冗談めかして言った。

それは普段通り、彼のトレードマークとも言うべき軽口。だが、その一言で、メグの纏う空気が変わった。


「いやね。おれも長い事旅暮らしなもんで。そろそろいい加減、流れるのをやめて、地に足つけるのも有りかなー、って。この町のお年寄りの方々には覇気がないなんて言われちゃいましたが」


アカリより一歩前で、メグが立ち止まる。

真っ赤な夕日に照らされ、逆光で真っ黒に染まったシルエット。


「メグ、さん?」


アカリの顔から笑みが引っ込んだ。

振り返った彼女の表情は伺えない。それなのに、どうしようもないくらいに分かってしまう。

背中を伝わる冷たい汗の感触。全身を襲う悪寒。

彼女が発する、凄まじいまでの殺気。


「ねぇ、アカリ」


こつり、と。

固い靴音を響かせて、メグが一歩、アカリへと足を踏み出した。


「少し、付き合ってもらっても良い?」


「……何に?」


口調こそ穏やかで、むしろ普段の刺々しい彼女の様子が嘘のようであった。

だからこそ、恐ろしい。

それはまるで真っ青に燃える高温の炎を思わせる。

気が付けばアカリは一歩、退いていた。


「魔法戦士の実力ちから、見せて」


「……ははは」


笑ってみせた、つもりだった。

けれど、口から出てきたのはからからに乾いた声だけだった。

誤魔化そうにも、上手く笑えやしなかった。


「どうしました? 魔法なら昨日、アリスさんと一緒にいるときに見せたでしょ? それにチャンバラだって、ほら。アズさんに聞けば分かると思うんですけど、おれ、弱っちいですし。……なんて、自分で言ってて空しくなってきますね」


それでもアカリはもぞもぞとマントの下で体を動かしてから手を出して、いつもの調子を崩さないよう、やりすぎなくらいに身振り手振りまで交え、自らのダメさを強調してみせる。それは、アカリが長い旅暮らしの中で培ってきた処世術だった。


「いいから」


メグは一歩も譲らない。

ゆっくりと、アカリを中心に円を描くようにして、距離をつめていく。

赤い夕陽に照らされた彼女の表情に、思わずアカリは息を飲む。


「マジで勘弁してくださいって。そもそも、見せろったって何すりゃいいんですか?」


「簡単な話。私と、今ここで戦って」


風が、吹いた。

夜を連れてくる、冷たい風だった。


「……断る」


凍り付いた二人の間の時間を溶かしたのは、黒衣の少年の声だった。

彼の、声音が変わった。軽いノリは息をひそめ、代わりに錆びを含んだ低い声で、呻くように呟いた。


「いいから、戦えって言ってんの!」


「よせ!」


メグが後ろでまとめていた髪に手をやった。

すらり、と。

束ねていた簪が引き抜かれ、彼女の黒髪が広がった。


「『メイク・アップ変身』!」


少女の高い叫びを合図に、簪につけられた宝石が輝きを放つ。

緑と赤が幾重にも混じった二色の光が彼女の体を包み込む。

纏った衣服が、肉体の一部が、魔法石を媒介にして魔力に変換、さらに物質へと再変換が行われていく。

目が焼けんばかりの光が収まった時、アカリが目にしたのは、彼が知る少女の姿ではなかった。

学生服を思わせるシルエットでありながら、フリルに覆われた翡翠色の戦闘用衣装。

透明感のある緑色に炎のような赤いメッシュの入った髪。

彼女は、存在ごと別のモノに変わっていた。


「“翠雷玉”の魔法少女、メグ」


静かに名乗りを上げて、少女は右手を一閃させる。

その中には先ほどの簪がそのまま巨大化したかのような武器が握り締められていた。

刺突剣に似た形の武器。されど、その刀身に当たるべき部分には刃がどこにもついていない。

ただ、その先端だけが鋭く研ぎ澄まされている。エストックと呼ばれる刺突に特化した古い武器だった。


「しぃッ!」


メグが動いた。次の瞬間、彼女は一陣の風に変わった。

マントを翻し、アカリは続く刺突を躱す。避けきれなかった。

掠めた服が裂け、鋭い痛みがアカリの脇腹を襲った。

ほんのかすり傷だが、気を抜けば、彼女の刃はアカリの体にまともに突き立てられただろう事は想像に難くない。

メグは本気だった。彼を、アカリを殺すつもりで挑みかかっていた。


「やめてくれ! 頼む!」


言いながら、アカリは次々に繰り出されるメグの攻撃を、身のこなしだけで避けていく。

動きの一つ一つがギリギリで、とても余裕なんてなかった。

一太刀躱そうとするごとに捌ききれなかった刃が皮膚を裂く。


「いい加減に! 真面目に、やりなさいよ!」


さらにメグの刺突の速度が上がった。

狙うは胸元。心臓を直撃するかに思われた剣は、けれど鈍い音を立てて、少年の体に突き立つ寸前で止まった。


「いい加減に、するのはあんたの方だ……!」


アカリがメグの剣を受け止めていた。

腰から鞘ごと引き抜いた愛剣を振り回し、メグの剣を弾き飛ばす。


「どういうつもりだ! おれは……」


メグの攻撃が一瞬止まった隙をついて、アカリが数歩後じさって距離を取り直す。

よろけるような足運びだった。先ほどの剣捌きとは打って変わって、別人のように情けない動きだった。


「はは、落ち着いて……ね? そろそろやめてくれないと、本当におれも死んじまいます」


鞘入りの剣を握りしめるアカリの手は震えていた。

口ぶりこそおどけていたが、彼の瞳には恐怖の色がありありと浮かんでいる。

心の底から戦うことを嫌がっている、そんな目をしていた。


「少しは、やるじゃない」


だが、メグはそんな彼の様子を目にしてなお、剣を握る手から、僅かも力を抜くことをしなかった。


「本気を見せて」


「何を、」


エストックの柄にはまった宝石が青白い火花を散らし始めた。

それはどんどん広がっていき、ついには彼女の全身を覆う。

魔法少女の持つ固有の術式は、その宝石の持つ力に由来するところが大きい。それは鉱石としての特性であったり、魔術的な意味合いだったりとまちまちではあるが、総じて高い能力を発揮する。

アズの強力な身体強化の能力が高い硬度を誇るルビーに由来するように、メグもまた。


「電気石か……!」


メグの簪に仕込まれた魔法石はリチア電気石。摩擦や圧力により電気を生じさせる特性を持つ。

故に、彼女の能力は、


「やぁッ!」


紫電を纏った彼女の身のこなしは、もはや常人の目には追えない速さに至っていた。

人外の加速を以て、彼女は剣を振り回す。


「ぬぅッ……!」


アカリの口から苦悶の声が漏れ出た。

最早、彼女の剣を紙一重ですらも躱す事は出来なかった。

こうなれば、彼も剣戟に応じるより他に出来る手立てがない。刃と鉄鞘がぶつかる乾いた音、それから肉を打つ鈍い音が連続して響く。

急所を避ける事に全力を費やしていた。刺突は鞘を用いて弾き、それ以外の打撃は両手両足まで使い、体すら盾にする。

未熟な魔法戦士に出来る事はそれだけだった。

数秒か、あるいは数分か。メグの猛攻を必死に耐え続けるアカリだったが、その終わりは既に見えている。

ダメージの蓄積と体力の消耗は避けきれない。剣を抜かない限り、アカリに待っている結末は一つしかなかった。


「ぐ、」


アカリがよろけ、その場に膝をついた。

隙と呼ぶにも大きすぎるその一瞬を見逃すほど、メグは甘く出来ていない。

横薙ぎの一閃、エストックの刃のない刀身がアカリのわき腹を強打した。


「がッ、あぁ……」


心臓が止まるかと思う程の衝撃だった。

肺の中の空気という空気が口から絞り出され、苦痛の呻きさえ途中で声にならなくなってしまう。

その場で倒れ込んだ黒衣の少年は、そのまま指一本動かす事が出来なかった。

動きが止まった事により、アドレナリンが切れ、今までどうにか無視できていた痛みが身を襲ったのだ。

マントの下、彼の肉体は火傷と痺れに苛まれていた。捌ききれなかった打撃の一つ一つ、その衝撃こそ防げても、のせられた電撃までどうにも出来なかったのだ。


「そんなもの、なの? ねぇ?」


這いつくばるアカリを見下ろして、メグは問いかける。

その声はひたすら冷たく、乾ききっていた。それなのにどこか感情豊かな声でもあった。

怒り、憎しみ、悲しみ。そう言った複雑な感情をミキサーにかけて一色汰にしたような灰色な平坦さ。

アカリには、彼女が今にも泣きそうに思えてならなかった。


「っ……」


何とか上体だけを起こしたアカリがマントを跳ね上げ、腰に手を伸ばす。

次の瞬間、彼の手にはもう一つの武器が握り締められていた。

パーカッション式の、酷く古めかしい造りの回転式拳銃。

二十ミリを超える化物じみた口径は凶悪そのもので、当然本体の大きさも拳銃とは思えない程に巨大だ。一見して正気を疑うようなサイズは、もはや現実味さえ薄い。

そんな怪物銃の威力は小型の大砲に等しい。いかに造りが旧式といえど、まともに撃たれようものなら人間は勿論、化物、そして魔法少女でさえひとたまりもないだろう。

とても人間が使いこなせるような武器には見えなかった。


「撃つの? やってみなさいよ」


銃を目にしてもなお、メグは僅かも怯まない。

剣先をアカリの顔に向け、真っすぐに彼の目を睨みつける。

魔法少女は魔法戦士の少年が次にいかなる動きを見せようと、間髪入れずに対応出来るように身構えていた。

それでも、彼が次に取った行動は彼女の予想をはるかに上回っていた。


「な……!」


拳銃も剣も、鈍い音を立てて彼の手の届かない場所に転がった。

両手に持った武器を放り投げたのだ。


「すみません。謝りますから剣を退いてください、お願いします」


更に、彼は地面に両手をついて、額を地面に擦りつけんばかりの勢いで頭を下げた。恥も外聞も、何もかもを投げ出した見事な土下座だった。


「あんた、何を」


「おれが何か、メグさんの気を悪くするような事をしたのなら謝ります。だからもう、やめてください」


地に伏したままの状態で、努めて冷静に彼は続ける。


「もう、痛いのも辛いのも苦しいのも、戦うのだってこりごりなんです。だから、もうやめてください」


丸まってうずくまる彼の姿は、酷く情けなかった。

彼の語る言葉は、どれもこれも真に迫っていて、とても嘘には見えなかった。


「あんたは……!」


鈍い痛みと衝撃が、アカリの背中を襲った。

メグがエストックで彼を打ったのだ。


「がッ……」


続く、文字通りに焼けるような痛みに息が詰まり、彼は再び地面に這いつくばった。

その背を何度も、何度も執拗に彼女は打ち続ける。


「あんたは、何でそんな!」


「ッ、すみません、すみません……」


それでもなお、アカリは無抵抗を貫き続けた。

ただひたすらに謝り続ける彼を、メグは足蹴にして何度も蹴りつけ、踏みつけた。


「あんたは、あんた達魔法戦士は……! 何が、戦士よ! 何が魔術の専門家よ! あんた達がそんなだから、私は!」


「ぐ、ぁ……ごめん、なさい……ごめんな、さぃ……」


どれほどメグに責められようと、彼は抵抗はおろか口答えすらもしようとはしない。ひたすらに、言われなき罪に対する謝罪のみを繰り返し続ける。だがそれも、どんどん声が小さく、ついには虫が鳴くかのようにか細くなっていく。


「ちッ……どっか、遠くに! 私の見えないところに消えて! この、屑!」


動かなくなったアカリの頭に思いきり唾を吐き捨てて、彼女は踵を返した。

夕日も沈み切り、夜の青さに包まれた町、その闇の中にメグが溶けて消え、さらにそれから数分が経った頃、ようやく黒衣の少年は体をゆっくりと動かし始めた。

体中の痛みにうめき声をあげながら、拳銃を拾い上げ、弾き飛ばされた帽子を目深にかぶり直す。

その姿はまるで、醜態を取り繕うかのようだった。

頭を下げ、這いつくばって。打ち据えられ、蹴られて、罵られて。

どこまでも惨めだった。どうしようもないくらいに哀れだった。

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