第8話 魔法戦士の功罪
天を、仰ぎ見る。
相変わらずに空は青く、手が届かないところにある。雲は白く、風の流れるままに動き続けている。
大厄祭の前も後もそれだけはずっと変わらない。
「どうすっかねぇ……」
口を半分開いて、ぼんやりと寝ぼけたような感想を口にする。
随分と長い事放浪生活を続けてきた。別に大きな目的があったわけでもなく、人の世に嫌気がさした訳でもない。
ただ何となく進んできただけだ。やりたいようにやってやりたいように生きる。
何物にも縛られず、何者も背負わない事を信条に生きてきた。
だからこそ今の状況は芳しくない。
昨日のメグとのやりとりが、アカリの心の中に蟠りとなっていた。
前々から彼女がアカリに向けてきた異常なまでの敵意の正体。それは昨日初めて見せた魔法戦士への憤りとどうやら繋がっているらしい
それが分かったからと言ってどうなるわけではないし、それ以上詳しく知ろうとするのは筋違いなのは良く分かっている。
誰にだって、知られたくない事の一つや二つ、あるものなのだから。
「んー……あだだだ!」
どん詰まりに向かいつつある考えを変えようと、伸びを一つ。
途端に体中をくまなく襲う痛みに顔をしかめた。メグから受けた傷は一つ一つは軽傷でも、一晩経っても彼の身を苛み続けていた。
「大丈夫か?」
将棋の盤を挟んで向かい合っていたツネキチが心配そうに声をかける。
盤面の状況はツネキチ老人が優勢、アカリの王は丸裸も同然の状態であった。
「えぇ、まぁ。いやー、おれとしたことが大分傷だらけです」
気持ちを瞬時に切り替えて、軽く笑って答えるアカリだったが、幾分笑みがひきつっている。正直笑うだけでもキツイものがあるのだ。
「何じゃ、喧嘩でもしたのか」
「まさか。喧嘩するような相手もいないですもん」
「それじゃ何だ? まさか化物とやりあったのか?」
「それも違いますよ。お恥ずかしながら、サボりがばれてぼこぼこにされちゃいました」
ツネキチ老人は一瞬きょとんとした顔をして、すぐに破顔した。
「ふははははは! それは良い。お前さん、もう少し真面目にやるべきじゃったな」
「はははっ、面目次第もない」
「それにしても、」
互いにひとしきり笑った後で、アカリは笑みを浮かべたままに、座った縁台から周囲の様子を見回し、
「ここ、良い町ですね」
ツネキチ宅から見える景色には限りがあって、見えるのはせいぜいが向かいの家の庭くらいのもの。それでも彼は柔らかい顔で目を細める。
耳を澄ませるまでもなく、昼間だと言うのに人の声も車の音も、凡そ人間の暮らす音は殆ど何も聞こえてはこない。届くのはせいぜい風が庭木を揺らす音位のものだ。
喧騒も何もない、静かな時間。
これは仮初の平和に過ぎない。そんな事はアカリだって知っている。
この静けさは、衰退した人の世だからこそ成しえたものだ。
それでも彼は偽物の平穏が嫌いにはなれなかった。
長い旅の中で、嫌なものも醜いものも、それこそ死ぬほど目にしてきた。
あの災害の爪痕はまだ治らない。規律が乱れ切った時代の中で、人が被ってきた善性の仮面は悉くはぎとられた。
薄皮一枚剥ぐだけで、人間は下手な獣よりもケダモノらしいことが証明されたのだ。
だからこそ、
「小難しい事を考えておる」
ぱちり、と。
止まったままだった駒を進め、ツネキチ老人が呟いた。
「……おっと。おれとしたことが」
同じく、アカリも自分の駒を動かして、守りに徹する。……とはいえ、彼の実力ではその場凌ぎがいいところ、敗北必至だった。
「この町が好き、か」
答えた老人の声は、複雑そうだった。
何とも言えない表情のまま、さらに、駒が進める。アカリの金が取られ、王手が仕掛けられた。
「何か含むところが……あ、これは失礼」
「何故謝る?」
王を逃がす。
「実は昨日、メグさんにも似たような事を言っちまいまして。おかげでエラい怒られたんです」
困ったように頭を掻き、ため息を一つ。
この先逆転の目が無い事はさすがのアカリでも分かってしまった。詰むまであと三手、出来る事はもう何もない。
「そうか……」
けれどツネキチは駒を握りしめたまま黙り込んでしまう。
何秒、何十秒、やがて三分近くも沈黙を続ける老人を、アカリは何も言わずにそっと伺い見ることしかしなかった。
「お前さんも気づいてる……かどうかは分からんが」
「はい」
今さっき取ったばかりの金を打ち込んで、老人は小さな声で呟いた。
「この町は一種の姥捨て山だ」
龍の駒が寄り、王が逃げる。
「儂も、それから他の者も、この町の九割以上の住人は元々この町の人間ではない」
銀が打ち込まれた。
もう、逃げ道は残されていなかった。
「儂らは元々、政府の人間だ」
空を見上げ、浮かぶ太陽に眩しそうに目を細める。
真っ青な空を、真っ白な雲が流れているのを見て、彼女は小さくため息をついた。
空も雲も太陽も、何もかもいつもと変わらず普段通り。変わったのは彼女の心境に他ならない。
昨日の一件は、魔法少女の心にも蟠りを残すのに十分なものだった。
「ちぇっ」
舌打ちを一つ。自分の両頬を平手でぴしゃりと叩いて、気持ちを切り替える。
今は仕事の時間で、余計な事に考えを巡らせる時間はない。
自分に言い聞かせ、ともすれば心の隅をよぎる魔法戦士の少年の顔を振り切ると、彼女は目の前の扉のドアノッカーを打ち鳴らす。
アカリが老人と将棋に興じている……もとい、町のパトロールを行っているのと時を同じくしてメグはエリの教会を尋ねていた。
「はーい……あら、メグさん」
返事が聞こえ、間もなく姿を現したエリは彼女の姿を確認すると、驚いたような顔を見せた。
「どうしたんですか?」
「どうしたって……昨日貰った魔除けの設置終わったから、他に仕事あるかと思って」
「お疲れ様です。そうですね……私の方は特には。アズさんはどうでしょう? ここのとこり、町の外れで魔物の出没が多いとぼやいていましたよね?」
「アズならもう帰ってきてシャワー浴びてるわ。何でも、この間山で化物を倒して以来、妙に静かになったらしいわね」
「それは良かった……と手放しでは喜べないですね」
「そうね。何か嫌な予感がするわ」
エリが神妙な顔で頷いた。
それは、ただの勘に過ぎない。だが、だからこそバカには出来ない。
戦いを乗り越えてきた魔法少女の勘である。実地においてそれは下手な物証などよりもよっぽど頼りになる。
「しばらくは動向に目を光らせた方が良いですね……それはそうと、なら、アリスさんの方はどうでしょう?」
「聞いてきたんだけど、一通り書類作成は終わったって。何でも、また都からの使者が遅れてるらしくて、むしろ提出が出来なくて困ってるそうよ」
「まぁ。今月、まだいらしていないんですか? 使者の方の遅れはいつもの事ですが、それにしても遅いですね」
玄関先にかけられたカレンダーを確認して、エリは小首を傾げた。
「どうしたの?」
黙り込んでしまったエリを見て、今度はメグが首を傾げる番だった。
「本人は否定していましたが、もしかしてアカリさんが都からの使者なのでは?」
「は? あいつが?」
かの少年の名前が挙がった途端、メグは露骨に嫌そうな顔をした。
先ほど振り切った彼の顔が、再び彼女の心をよぎった。
「そんな訳ないでしょ。あいつ、弱いし馬鹿だし、お調子者だし」
「それもそうですね」
くすり、と小さく笑ってエリも頷いた。自分で言っておきながら、あり得ないと考え直したらしかった。
「そうだ。メグさん立ち話もなんですし、上がってお茶でもいかがですか? そろそろ休憩にしようかと思っていたところなんです」
「あ、それなら折角だし」
エリに勧められるままにメグは彼女の教会に足を踏み入れる。
昨日もアカリと共に来たばかりの客間のソファに腰かけると、既に準備は出来ていたのか間もなくお茶と菓子が出てきた。
「ありがと。やっぱりエリが淹れてくれるお茶が一番ね」
「ありがとうございます。さっき、出かける前にアカリさんも同じことを言ってくれましたよ」
アカリ。
その名がまたしてもメグの心に影を落とした。
「……どうしました?」
そんな心の動きが表に出てしまったらしい。
彼女の様子がおかしい事に目ざとく気づいたエリが、心配そうに問いかけた。
「いえ、何でも……」
何でもないと、そう言って終わりにしようかと思った。そんな考えとは逆に、続きは口から出てこなかった。
「何か、あったんですね? もしかして、アカリさんですか?」
メグは何も言わなかったが、それがそのまま答えに他ならなかった。
沈黙とは時に雄弁に語るのだ。
「あいつ、気に入らない」
長い沈黙の先で、やっと言葉になったのはそれだった。
「メグさん……」
子供の駄々のような、短い一言だったが、エリは呆れるでも怒るでもなく、ただ悲しそうに表情を曇らせるばかりだった。
「あいつ、ムカつく。弱くて、馬鹿で、その癖調子だけが良い。実力もない癖に、戦士なんて言ってふんぞり返る」
エリは、メグの事情を知っているだけに、何も言えない。
魔法少女。
人ならざるモノと戦う者。人を襲い、食らうモノに真正面から立ち向かう者。
ならばその身には魔を超える業を背負う覚悟がなければならない。
では、その覚悟の在りかはどこにあるのか?
魔法少女は多かれ少なかれ、覚悟に見合った何某かを抱えているものなのだ。
それはアズも、アリスも、そしてエリも同じこと。
「立場と名前で、自分が偉いと、偉くなったと思い込んでいる。あんな奴らの所為で、この町は……!」
「メグさん」
言葉を吐き出すうちにどんどん熱くなっていくメグを、エリが一言で制した。
静かだが、有無を言わせぬ口調だった。
彼女は知っているのだ。
魔法少女に抱える物があるように、魔法戦士もまた。
「確かに、メグさんのいう事に一理はあります。ですが、一括りにすることは良くないですよ」
魔法戦士。
大厄祭以前より人の世を人知れず守り続け、大厄祭の後には真っ先に表立って戦い続けた者達。
自負がある。誇りがある。その名は決して軽くない。
「大厄祭の後……祠都奪還作戦では多くの人間が犠牲になりました。その多くは魔法戦士……それに、実戦配備されたばかりの魔法少女」
大厄祭以降、数多くの市町村が闇に飲まれ、滅び、地図から姿を消していった。
当時の魔法戦士達の抵抗空しく陥落した場所、その中には名だたる都市も数多く、かつてこの島国の首都とされた場所も例外ではなかった。
「当時、大都市の奪還が第一目標とされていたのは、知っていますか?」
「えぇ、まぁ」
当時のメグはまだ魔法少女を志す事はおろか、実際の戦いも知らなかった。それでも、知識としてあの作戦とそれに伴う悲劇の事は知っている。
それほどに大きな事件だったのだ。
「目的は拠点の確保……だけではありませんでした。都市の奪還を以て、人類は未だ健在であると、我々は負けないと、そう喧伝し人々の希望となる事が一番の目的。その為に、まずは、首都に次ぐ西の都、つまり現在の祠都の奪還が計画されたんです」
「祠都の奪還後に、態勢を整え直して首都の奪還……の予定だったっけ?」
メグが自分のこめかみのあたりを指先でつつきながら思い出す。
意識して思い出さねばならない、それはつまりその予定は破綻し、過去のモノとなった事を意味している。
当時、祠都の状況は、確かに首都よりはマシと言えた。
だが、それは比較に過ぎない。
かの地は千年に及ぶ歴史を積み重ね、その年月の間に数えきれない人の闇が堆積した土地。大異変を機に噴き出した闇は人類の予想を遥かに超えて膨大で、魔性のモノに占拠され、難攻不落の魔城と化した都を取り戻すのはあまりにも無謀だった。
故に、上層部が立案した作戦が意味をなさなくなるのにそう時間はかからなかった。
「降魔の剣士たる鶴来一門の高弟は軒並み再起不能。修験道の吐山一派は壊滅。呪術の大家である芦屋家の党首、芦屋架澄に、当代最強の戦士、津川冬夜は戦死。西の勇者、丘咲暁人は行方不明……」
つらつらと、エリはかつての作戦で散っていった者達の名を挙げる。
いずれも名だたる面々だった。
一流と名高い魔法戦士五十四名に、彼らに次ぐとされる高位の戦士百余名。さらには数えきれない程の名もなき戦士。それでも足りずに、戦士たちの、まだ年端もいかない弟子まで駆り出してなお戦力は足りなかった。
当時の新技術で生まれた存在……最初期の魔法少女七人が投入されるまでに数多くの戦士が無為に命を落とし、数を減らしていった。
魔法戦士と魔法少女。総数三百名以上で立ち向かい、生き残ったのは僅か数十名。内、半分は再起不能の重傷で、二度と戦線に立つ事は出来なくなった。
そこまでの代償を払って、ようやくかの作戦は終わりを迎え、ようやく一都市の奪還は成ったのだ。
「だからって……エリだって、あいつらがその後どうなったか知ってるでしょ?」
メグがエリの顔を睨みつけた。
魔法戦士達の過去の栄光など、聞き飽きた。
命を賭してまでやり遂げた偉業は、彼女から見ても確かに素晴らしい事だと思う。
仮初の物に過ぎないとしても、今この時の平穏は彼らの働き無くしては得られなかったものだ。
だが、だからこそ、彼女には許せないのだ。
奪還作戦を超えて生き残った戦士達がどうなったのか。
戦士達にはあの作戦の為に命を賭けたという誇りがある。あの作戦を生き残ったという自負がある。
あの作戦を成功させた実績は軽くない。
だから、驕りが生まれた。
「あの戦いを生き残った戦士達がまずやったことが何だったのか……正直言って最低よ」
我々こそが人間を救うのだ。我々こそが人類の反撃の嚆矢なのだ。我々こそが世界を救う一番槍を成し遂げたのだ。
祠都奪還作戦成功の後に急ピッチで進められた、かつての東の都に変わる新たなる首都の建造。
その裏で魔法戦士達の企みは確実に進められていた。
大厄祭から今日に至るまで、魑魅魍魎に対抗できる数少ない手段として最前線に立ち続けてきた戦士達。しかし彼らは権力を笠にきた者達によって武器として消耗される日々にいい加減に反発を覚えていた。素人の無知と無謀によって散っていった同胞の命に、人知れず怒りを燃やしていたのだ。
長年に渡り溜めこまれた怒りと、過去最大級の戦果による驕り。その結びつきがもたらすものは何か。
即ち、権力の簒奪である。
「結局、あいつらだって権力が欲しかっただけじゃない」
「それは……その、メグさんの言い分は……分かります。ですけど、」
「あのバカだって、所詮は奴らの仲間よ。昨日、聞いたでしょ。あいつが何のために戦おうとしてるのか」
メグは目を閉じれば今でも思い出せた。
昨日、彼がこの場所で語って言葉を一言一句違うことなく復唱できる。金の為と、彼は確かにそう言った。自分の欲を満たす為と、彼は笑いながらに言ってのけたのだ。
到底、許せるものではなかった。不愉快を超え、嫌悪の感情しか浮かばないような考えだった。
けれど、そんな彼女に対して、エリはまたしても静かに問いかける。
「まさか、彼の言っている事が本当だと思っているわけじゃないでしょう?」
それは責めるような言い方ではない。
彼女はただ、疑問を投げかけているだけだった。
それなのに、メグは口ごもってしまう。言おうとした答えが、口から出てくれなかったのだ。
「たかだか数日の付き合いですから、彼が本当はどんな人間なのかは分かりませんが。少なくとも、悪い人ではない事は確かだと思います」
本当に金や名誉が目的ならば、もっと他にやりようがあるはずなのだ。
少なくとも、そんな不真面目な考えを、何の臆面もなく口に出して笑うような人間が、悪人であるとはちょっと考えにくいことだった。
それはメグだって分かっている。分かっていても、どうにも出来ないものだって、世の中にはたくさんある。それが人の心ならばなおさらの事。
「メグさん。あなたの悪感情は、本当にアカリさんに向けたものですか?」
沈黙を続けるメグになおもエリは問いかける。
それは核心を突いた一言だった。
「それは……」
続きは、上手く言葉にならない。
自身の感情が何なのか。それがどこに向けられているのか。
本当はどこに向けるべきなのか。
少なくとも、その刃は彼の少年に直接向けるべきものではなかった。それだけは確かだと、分かっていた。
「アカリさんとの間に何があったのかは知りませんが……少しでも、罪悪感を覚えているならば、一度彼と話すべきです」
言って、彼女は胸元にかけられた金の十字架にそっと手をやる。
祈る様に。それはメグの為か、アカリの為か。
それとも……
瞳を閉じた彼女の表情からは、何も読み取れはしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます