第9話 祠都奪還作戦

「驚きました」


しばしの沈黙ののち、アカリは手元の茶を飲んで呟く。

彼の視線は将棋盤に向けられたまま。盤面は限りなく詰んでいる。


「とてもそうは見えんな。落ち着きすぎだ」


「そっすか?」


ため息を一つ、彼は顔を上げてツネキチ老人の顔を正面から見つめた。


「まぁ、あれっすよ。驚きはしましたが、こっちもそこそこ色々と経験してるんで」


ちょっとやそっとでは慌てたりは出来ないようになったのだと、苦笑交じりに言って、彼は後頭部をがしがしと掻いた。


「んで、その元政府の人間がこんな辺境の町にいるのはどういう理由で? 魔法少女が四人も守りについているのはやっぱりその関係ですか?」


気を取り直して、アカリは尋ねる。

彼も、この町に来て最初から奇妙には思っていたのだ。

辺境の、人口も然程多くはない町に魔法少女が四人……いくらなんでも、戦力の配分がおかしい。

そして、町を見て回るにつれ、その違和感は確信に変わった。

この町の人口の八割は老人だったのだ。

老人しかいない町に、最高戦力であるはずの魔法少女を四人もおき、主語と世話役をやらせる。おかしいを通り越して、何か裏がある事は、誰の目にも明らかだった。


「うむ……どうでも良いが、お主、時々恐ろしく勘が良いな」


「へ?」


「儂が聞いてほしい事をそのまま、聞いてほしいタイミングで尋ねてくる。もしかして本当は、かなり賢いのか?」


「まさかまさか。偶然っすよ偶然。そもそも、そんなに頭や察しが良かったら、将棋でこんな風に惨敗してませんて」


またしても人を脱力させる笑みを浮かべて、アカリは今まさに勝敗がついたばかりの盤面を指さした。


「そうやって韜晦するのは上手いようじゃが……まぁ良い」


駒を並べ直しながら、ツネキチも苦笑を一つ、さらにはため息までついてから語り始める。


「祠都奪還作戦」


ぱちり、と。

小気味の良い音をたて、並び終えたばかりの駒が陣形を崩す。


「あれは、酷い戦いだった」


「えぇ」


アカリも再び盤面に視線を移すと、自陣の歩を一歩進める。


「もちろん、儂は、戦線に立っとったわけじゃない」


「そりゃねぇ……あの時現場にいたのは魔法戦士だけで、指揮官から補給部隊に至るまで堅気じゃなかった。お役人なんてお呼びじゃありませんでしたから」


しみじみと、目をつぶって頷いてみせたアカリの姿はどこか奇妙だった。


「本当に、酷かった」


「えぇ。本当に」


老人はともかく、アカリまでもがまるで見てきたかのような口ぶりで語る。


「儂らは焦っておった。大都市の奪還は人々の希望じゃった。いや、少なくとも儂らはそう信じておった」


突如として訪れた大災害と、続く魑魅魍魎の跋扈。

かつてない厄災に見舞われた人類は確実に疲弊していった。大都市は軒並み妖物に占拠され、住処すら奪われた人間の中には暗い絶望が根付いていた。

ともすればそれは文明を、人間という種を滅ぼしかねない、危険なものだった。


「何不自由ない暮らしに慣れてしまった儂らが、全てを失った時の絶望……お主らには分からんだろうな」


「えぇ。それは」


大厄祭の後に生まれ、人類の繁栄の歴史を知らないアカリには、ツネキチ老人たちが抱いた絶望は真の意味で理解する事は出来ない。

想像すらも追い付かない。

だからこそ、分かる。

理解も想像も出来ない恐怖という存在が、どんなものなのか。


「だからこそだ。だからこそ、儂らは希望を少しでも取り戻そうとしたのだ。誰にでも分かり易く、一番簡単な方法こそ……」


「人類再興の拠点となりえる、大都市の奪還」


歩の駒を力強く打ち込んで、アカリは続く言葉を口にする。


「そうだ。儂らは、見誤っていた」


ツネキチ老人の手が止まった。

視線は盤面を見つめたままに、しかし彼が見ているのは目の前の勝敗の行く末などではなかった。


「もっとすんなり、事は運ぶはずだと。あれほどの戦力をつぎ込めば、ほどなく奪還はなると……いや、違うな。儂らはどこかで他人事のように思っていたのかもしれん」


体の中に蟠りとなったものを吐き出すように、酷く重苦しい様子で老人は語り続ける。


「戦うのは拝み屋だの魔術師だの、胡散臭い連中だ。儂らとは違う理で生きる、別の存在だと、そう思っておった。現実離れした事の連続で、儂らもそうと気づかぬうちにおかしくなっておったのかもしれん……その結果があの体たらくだ」


数週間、長くても三カ月程度と、そう思われたかの作戦は、けれど人々の予想に反して、半年経っても収束の目途が立っていなかった。どころか、当初予定されていた資材と人材のおよそ倍を使い潰してなお、都市内の状況を完全に把握する事すら完全ではなかった。


十月十日を過ぎた頃にはどうにか本格的な都市内部への侵攻が始まったものの、状況は膠着し、そうこうしている間に奪還につぎ込める物資は底をつき、現場の人間があげる作戦失敗の声は抑えられなくなっていた。

だが、その頃には人類側は最早引くに引けないところまで来ていてしまった。つぎ込み、失われた物は数えきれず、もはや取り返しようのない技術や資材、人材を使い潰し、その結果何も得られないという事態は、到底許される事ではなかったのだ。


「儂らが憎かろう。魔法戦士」


腹の底から絞り出したかのような、低い声だった。

問いかけるような形をとっているが、本当に彼が疑問を浮かべて口にした言葉とは思えなかい。

それは確認に過ぎなかった、

彼の中で、その答えは決まってしまっているのだ。

あの戦いの中で、多くの魔法戦士達が死んだ。多くの人間が、死んだ。残された者にとってそれは、友人であり、仲間であり、あるいは親族、子弟、大切な存在だった。

きっとそれは、アカリにとっても。

彼は何も語らない。だが、若い身空で魔法戦士が一人、旅を続け、世捨て人のような暮らしをする理由としては、十分すぎるものだろう。


「あの戦いで、失われたものはもう帰ってはこない」


物資も人材も底を尽きはじめ、使える物は何でも使った。

僅かでも魔道に関わったことのある人間は、まだ成人を迎えていない者はおろか十代前半の少年少女たちまでもが、戦力として現場に駆り出され、その結果は膠着状態の維持の為だけにさらなる犠牲を生み出すだけに終わった。

文字通り捨て身で行われた時間稼ぎは、始まりの魔法少女七名が、登場と同時に実戦投入ロールアウトされるまで続くことになる。

彼女たちがあと少し遅れていれば、祠都の奪還はならず、魔法戦士は滅んでいたことだろう。

否、それにしたって戦局を見れば焼け石に水だった。

実戦投入された魔法少女にも犠牲者が出て、そして最強と呼ばれた魔法戦士が命を賭した特攻を以て、やっと作戦はひとまずの決着を見たのだった。

一都市を奪還するためには、あまりに犠牲が大きすぎた。

ツネキチ老人は言い終わると、また大きなため息をついて手元の茶碗に手を伸ばす。

茶は既に冷え切っていた。


「魔法戦士達を恨んでいますか?」


己の罪を告白するかのようなツネキチ老人の言葉に対し、しかし若き魔法戦士がかけた言葉はそんな問いかけだった。

老人はてっきり、罵詈雑言を投げかけられるか、あるいは韜晦するような曖昧な返事しか返って来ないと思っていた。


「あなた方をこんな辺境に追いやって、猿山の大将の座を乗っ取った戦士達が憎いですか?」


「……そう思わなかったと言えば、嘘になる」


ツネキチの様子に構わず、アカリはなおも質問を続けた。

俯いて将棋盤を見つめる彼の表情は伺う事が出来ない。


「呪い、恨んだことさえあった。だが、もう良い」


彼と同じように、ツネキチも俯いて呟く。

心の中で凝り固まったものをほぐし、言葉として紡ぎなおすように。


「未だ平穏とは言い難く、文明の光はともすれば消えてしまいそうな程に儚い。なれど、それでも人の世は続いておる。それが答えじゃろう」


ゆっくりと。

ツネキチは盤上の駒を進め、目線を上げた。


「儂らが上に残り続けたもしもの世界と、戦士たちが儂らになり替わった今の世界。どちらがマシかなど、所詮は想像の話にすぎん。だが、儂らでは果たして、現在まで人の世を続けられたかどうか……」


いつの間にか、同じく顔を上げていた魔法戦士と元役人の目があった。

へらへらと、いつものように笑うアカリだったが、目は笑っていない。


「ならば、良い。もう、儂らはそれで良いのだ」


「なら、答えは一緒です」


老人が言い終わると同時に、アカリははっきりとそう言い切った。

今度はアカリの番だった。


「おれだって人間ですから。そりゃ憎いと思ったし、恨み辛みはしっかりばっちりありますよ。でも、まぁ、もう過ぎた事です」


温くなった茶を一気に飲み干す。

少年の目はいつになく真剣で、それでいて、優しさ感じさせる光を湛えていた。

それはまるで、彼の名を表すかのようだった。


「……や、でも、死んでいったあいつらがあなた達の事をどう思ってるのかは流石に分かりませんし、生き残った戦士のおっさんたちがどう思って暴挙に走ったのかは知りませんが。正直、あの時は、少なくともおれは、前に進むので精いっぱいでしたから。一個人、一現場の人間としては、お役人さんを一方的に責めるつもりにはなれません。……言っても、所詮おれははぐれモノのなんちゃって魔法戦士ですけど」


目を細め、彼は老人から目を逸らすと、視線を虚空に彷徨わせる。彼が見ているのは今ではなかった。


「ともかく、おれ個人としては、もう良いと、そう思ってます」


言い切って、彼はまたしても静かに微笑む。それは見る者を脱力させる、いつもの笑みだった。

だが、そんな彼を見つめるツネキチ老人の目は限界まで見開かれていた。


「……お主、まさかあの戦いに」


「王手」


ぱちん、と。

一際大きな音を立てて、歩が盤外から王の前に打ち込まれた。


「……小僧。二歩じゃ」


「え?あ!なら……」


同じ縦列に歩兵が二枚。本来ならばその場で負け判定になる反則である。

慌てて駒を手元に戻し、やむを得ずに別の駒を進める。


「王手。詰みだ」


その所為で出来た一手分の隙をつき、ツネキチ老人が、アカリの玉の真正面に金を打つ。

四方八方、どこに動こうとも、アカリに逃げ場は残されていなかった。

老人は言いかけた言葉を飲み込んで、薄く笑う。

彼は、自分と目の前の少年が先ほど言った事を思い出し、噛みしめていた。

もう、良いのだと。

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