魔法少女の断末魔

南西北東

プロローグ

強い風が、吹いていた。

秋も深まり、冬の足音が間近に聞こえ始める頃である。木枯らしには及ばずとも、冷気を含んだ風は、一つ吹くたびにアスファルトの地面から確かに熱を奪っていく。

人通りのない道だった。

夕暮れが近いとはいえ、まだ日も高いというのに、道行く人影を見かけないどころか、車のエンジン音さえも聞こえない。

かつてはきちんと舗装されていたであろうアスファルトの道は、長らく管理をされていないらしく、ところどころひび割れて、そこからペンペン草が生えている。

そして、さらに異様なのは道の両脇の光景だった。

人の身の丈ほどもある草に覆われた荒れ地。そこから溢れてきた草によって、かつては車がすれ違えたであろう道も、今や車一台通るので精一杯にまで侵略されてしまっていた。

人しれない田舎、それも限界集落の中の道。一見してそう思える。

だが、その茂みの中には明らかに人工物が見て取れる。

ぼろぼろに朽ち果て、骨組みのみを残したそれらが、かつては人間の暮らしていた家屋であると気づくには、そう時間がかからないはずだ。

それも一つや二つではない。道の両脇にはそんな家屋のなれの果てが乱立している。それらは、この付近一帯がかつて住宅街であった事を示していた。

そんな異常な光景も広がる中、堅い足音が規則的に響く。

一つの人影がある。

色あせた中折れ帽子の下に、まだ若さの残る少年だった。

さすがに寒いのか、ところどころ擦り切れ、薄汚れたマントをきつく体に巻き付けて、身震いを一つ。しかし、それでも足音は変わらない。

こつり、こつり、と。

固い、ブーツの音が響く。

決して急ぐ訳でもなく、さりとて決してのんびり散歩という様子でもない。ただひたすら規則的に足を動かしている。

ふと、彼の足が止まり、体が軽くよろけた。

続いて、小さな、低いうなり声がする。

それは彼の腹のあたりから聞こえてきたものだった。


「これは・・・・・・」


再びうなり声をあげる腹を軽くなでて、彼は苦笑を一つ。だが、それは決して余裕のある笑みなどではない。

もう、何日もまともに食事をとっていなかった。空腹もすでに限界を迎え、立っているのも辛い。

人は本当にどうしようもないときにも笑うのだ。

もぞもぞと身じろぎをする。マントの中をあさっていたらしく、その手の中に一枚の折り畳まれた紙が現れた。ずいぶんと長く使い込まれていたらしい。ところどころ擦り切れ、シミのにじんだそれを丁寧に広げていく。

それは一枚の地図だった。

何度もひっくり返しては、空を見上げ、地図上をこれまた薄汚れた指先でなぞる。この道の先は人の住む場所につながっているはずだ。もっとも、この地図が作製されたのは十年以上前のことで、情報が正しいかどうかは分からない。

ぼろぼろの地図を大事に折り畳んで、再びマントの中に隠す。

くたびれた体に力を入れ直し、再び歩きだそうとした、まさにその時だった。


「む⁉」


風が、変わるのを感じた。

生ぬるく粘つくような風。もちろん、それは実際の事ではない。風は変わらず、冷たく乾いている。五感ではなく、脳がそれを、温度や匂いとして身体に認識させているのだ。マントを風に靡かせて、彼は再度たち止まる。彼の顔には、先ほどまでの笑みは欠片も残ってはいなかった。

まなじりをつり上げ、虚空を睨みつける。風の中に、生臭い匂いが混じりつつあった。

ごう、ごう、と。

風がうなりをあげて吹き荒ぶ。うなり声があがる度に視界が薄暗く変わり、音の中に何者かの声が混じって聞こえた。

それは笑い声だった。大小様々に、男の声にも女の声にも、子供にも老人にも聞こえる。

それは遠くから聞こえるようでいて、耳元で囁かれるようでもあった。

矛盾する情報がいくつも、彼の意志に関係なく飛び込んでくる。常人であればそれだけでパニックに陥ってしまいそうなものだが、彼は黙して動かない。

混乱して心身が凍り付いてしまったのか?

否、彼の瞳には強い意志の光が見て取れた。


「”精霊風しょうりょうかぜ”・・・・・・に、似たようなもんか? こんなところで?」


小さく呟く。厄災を齎すと言われる怪異の名だった。だがそれは、この国の南方に伝わる存在で、こんなところで出会うのは非常に稀なことだ。

小さく首を捻り、けれども悩んでいる暇はなかった。風は強さを増して、嵐といえる程まで膨らんでいた。最早尋常な、自然現象ではあり得ないことだった。

嵐と、それから内に潜む何かが間近に迫るのを察知して、彼は思考を別のものに切り替えた。

マントが翻る。

変わったのは考え方だけではない。彼の両手には、少年には似つかわしくない武器が握りしめられていた。

右手には小ぶりの洋剣ショートソード。柄は小さく、刀身は短い。実用性、取り回しに重きを置いたそれは旅の身空にはぴったりなものだった。

左手には拳銃。装弾数六発、古めかしい造りの回転式拳銃リボルバー。だが、こちらは剣とは違い、実用性とは無縁の代物だった。そもそもにして本当に武器として使う事を前提にしているのかも怪しい。


「しかも、こんな時に」


二つを胸の前で交差させ、十字を組む。独特な構えだった。

彼が嵐に飲み込まれるのはその数秒後の事だった。






人間の生きる世界はどこまでも広い。人知の及ばぬ事は星の数ほどあり、人がその全てを知る事は、永劫の時間をかけたとて不可能だろう。そうと知りながら、それでも人は知ろうとする事をやめようとはしなかった。それこそが人の習性と、あるいは遺伝子の二重螺旋に刻まれたプログラムだとでもいうように。

その成果は推して知るべしだろう。人はそのプログラムに従って、この世の全てを解きあかさんとしてきた。古来より人を脅かしてきた病や災いは知の前に次々と打ち破られて、人を悩ましてきた諸々は解明されていった。

夜、窓を開いて見るが良い。

かつて人のおそれた闇は今や遠く、無数の光に照らされている。

人は夜の征服者となった。

その驕りこそが間違いであると気づくことがないままに。

既に解き明かしたと思い込んでいたた場所が、地面ごとひっくり返るなどと、誰が考えただろうか。

かつて、大きな災いがあった。

何の前触れも予兆もなく、大地は揺らぎ、裂け、海が割れた。空は泣き、森が腐り、山が枯れた。およそ人が考えうる限りのありとあらゆる天変地異が同時に世界各地を襲った。

人類の半分以上が犠牲となり、その爪痕だけでもさらに多くの命が失われたそれは、もはや災害と呼ぶには大きすぎたが故に、後の世で大厄祭と呼ばれる事になる。

世界の大転換によって文明は滅びかけ、人の世界は危うく有史以前の状態に戻るところだった。

それは何も直接災害のみによって起こされたものではなく、その後に現れたモノによるところが大きい。

妖怪、悪魔、怪物、死霊・・・・・・

呼び方は違えども、古今東西を問わず、伝えられ、幾度否定されても決して人の心から消え去る事のなかった存在。

架空のものとされたモノどもが、現実のモノとなって人類に牙を剥いた。

人は、再び闇の恐怖に晒され、夜に怯える原始の日々に逆戻りした。今まで唯一絶対と信じていた科学の及ばぬモノによって、文明は暗黒の時代に戻るかと思われながら、しかして最後の一線は寸でのところで越えられることはなかった。

彼のモノたちがその存在を失ってはいなかったように、有史以前よりそれらと戦い続けてきた者達もまた、確かに息づいていたのだ。

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