第1話 魔法少女と行き倒れ
冷えきった朝の空気の中、双眼鏡をのぞき込む。
朝七時前。つい先日までは既に明るくなっていてもおかしくない時間だったというのに、まだ太陽は完全に世界を照らしきっていない。季節が代わり、太陽が上がるのが遅くなってきているのだった。
ともかく。長かった夜が明け、朝日が昇る。人外の魔性どもの手から人の元へと世界が帰ってくる。遠く、朝焼けと言うには白くなりすぎた地平線を眺めながら、少女は一人、携行食糧として持ってきた焼き菓子にかぶりついた。手作りのクッキーは甘さ控えめではあるが、朝食代わりになるようにと、大きめに作ってあるのがありがたい。作り手の心遣いが伝わってくる。
だが、いかに美味しいとは言っても、こうも寒いと暖かい食事が欲しくなるのが人情というものだろう。拠点にいる仲間達が今頃どうしているのかを考えると、いかに当番の勤めとはいえ、こんな日に外回りをしなければならない事に気が滅入る。
そんな事を考えながら、水筒に入れて持参してきた薄い茶に口を付けた。
「ん?」
見慣れた風景の中に、見慣れぬものが映った気がして、レンズ越しに目を凝らす。
たとえるならば蜃気楼。空気が揺らいでいるように見える箇所が一つ。その揺らぎは自然現象によるものではない。その証拠に、それを目にした時から彼女は背筋を冷たいものが走るのを感じていた。
反応は早かった。愛車にまたがり、エンジンを吹かす。単気筒独特の振動を感じながら、風を切って走る。あの方向には、町に通じる道があるはずだ。加えて、あそこでは最近よくないモノの出現の噂がある。本来の持ち場ではなく、町から離れたこんな場所にまで見回りの範囲を広げたのは、その噂を調査するためでもあった。走り出して数分と経たない内に、彼女は先ほど視認した場所にたどり着いていた。
「これって・・・・・・」
停車したその先で彼女が目にしたのは、予想したものの斜め上をいく光景だった。
穴だらけのアスファルトの道のど真ん中に倒れているものがある。
それは人の形をしていた。
より正確に言うならば、かろうじて人と分かる形。薄汚れた布で覆われた姿は、一瞬、ゴミか何かと誤認するほどにボロボロだった。
目を剥いて、硬直していたのはほんの僅かの間のこと。すぐさま彼女は乗り物を降りると、倒れている彼に駆け寄った。
脈は、ある。若干弱いが、呼吸もしている。ひとまず命に別状はなさそうだ。まずはそれだけ確認して、彼女は周囲一帯に気を配る。先ほど感じた異様な気配はまだこの周辺に残っている。だが、この場にあるものは、残り香のようなもので、気配の主はもうこの近くにはいないらしかった。
「よく助かったものね」
倒れている彼に再び目をやって、半ば呆れたように呟く。
これほどの気配を残すような相手に遭遇して、こうして無事でいられるとは余程の運の持ち主なのだろう。ましてやそれが五体満足な状態ともなれば、奇跡にも等しいことだ。
とは言うものの、それがすなわち彼が全くの無事であるということにはつながらない。
アスファルトに押しつけられた彼の顔を覗き込んでみる。予想に反してまだ若く、彼女と同年代と思われる彼の顔色は、生気を失った土気色をしていた。
邪魔な布切れを少しまくって見れば、その下にある身体がひどく傷ついている事が分かる。放っておけば、一昼夜の間にも、この眠りが永遠のものになってしまう。あるいは、野に潜むモノに捕食されるのが先か。
どちらにせよ、このまま放っておけば彼の命はごく近い内に失われることは明白だった。
「ちょっと。大丈夫? しっかりして」
頬を小突いて呼びかけるが返事はおろか、うなり声一つ帰ってはこない。
正直なところを言うのであれば、関わり合いにはなりたくない。見ず知らずの行き倒れに情けを掛ける事が出来るほど余裕があるわけではないのだ。
しかし、現実問題、余裕があろうとなかろうと窮している人間を放り出して帰る訳にもいかない。
人間的にも、彼女の職務的にも、その選択肢はあり得ないものだ。
なのだが、
「・・・・・・面倒くさい」
一番の本音はそこにあった。
「しかし、驚いたぜ。メグが男を連れて帰ってくるとはな」
まどろみの中、少女の声が聞こえた。
目覚ましとしては悪くない。寝ぼけた頭がそんな感想を浮かべる。だんだんと、霧が晴れるように意識がはっきりとしてくるにつれて、倦怠感がはっきりとしてくる。気分が悪い。覚醒が進むにつれて、いや、進めば進むほど、目が回ってくる気がする。
前言を撤回して、過去最悪の目覚めかもしれなかった。
「ちょっと言い方。行き倒れなんだから、そのままにしておく訳にもいかないでしょ」
先ほどとは違う声が聞こえた。こちらも少女。メグ、と言うのが彼女の名前らしい。
目を閉じたまま、聞こえてくる会話に耳を澄ませる。別に盗み聞きをするつもりがあった訳ではなく、純粋にまだ身体の自由が利かないのだ。
「まぁ、そりゃそうだ」
からからと、屈託なく笑う声。
最初に聞こえた声だ。少女にしてはハスキーな声に、どこか男勝りな調子。
身体が動かないなりに、周囲の状況を伺い始める。
どうやら自身の身体は柔らかな布・・・・・・おそらくはベッドの上に横たえられている。声の方向と気配からして、彼女たちは自分を取り囲み、見下ろすような形でいるようだ。
「行き倒れ、ですか・・・・・・」
三つ目の声が上がった。
またしても少女の声。話し方、声のトーンは優しげで、おっとりした印象を受ける。
先の二人よりも少し年上のように感じた。
「でも、メグさんのお話によると、町の南・・・・・・旧道の方に倒れていたんですよ
ね?」
「えぇ。この見たままの姿で道路上に倒れてたわ」
「そいつはおかしいな」
メグと呼ばれた少女の言葉を、ハスキー声が遮った。
「だって、あそこはもう大分長いこと誰も使ってるのを見てないぜ? 第一、どっかにつながってんのか?」
「それは・・・・・・」
視線が一斉に集まるのを感じた。
「この人は、一体どこから来て、どこに向かうつもりだったんでしょうか?それに、この人は、」
「どういう人間なのか、と言うのなら、職業は分かるわよ」
木がきしむような音。それから別の、気だるげそうで、どこか湿っぽい声。
これでこの部屋にいる少女の数は四人になった。
「彼の持ち物、これでしょ」
ベッドの隣、テーブルの上に広げられたそれに全員の視線が集まった。
ポーチのついた、くたびれたベルト。ズタズタの中折れ帽子と皮袋。革袋の中身は空っぽになった携帯食のパッケージに緊急キット、刃こぼれだらけのハンティングナイフ……どれもこれも、傷つき、薄汚れた道具の数々である。
それらは彼が長らく旅の空にあることを意味していた。
彼女の内の一人が、並べられた品物の中から二つの物を取り上げた。
それはひどく剣呑なものだった。
鞘に収まった短めの西洋剣。飾り気ない鍔と、細い革紐が巻かれただけの柄。装いは簡素で実戦を重視したものらしい。鞘から少し抜いてみれば、諸刃、細身の刀身はまばゆいばかりの銀光を放つ。薄汚れた外装に反して、刃の手入れは十分すぎるほどに行き届いていた。
対してもう一つは何かの冗談かと言いたくなるような代物だった。
ぱっと見は無骨な回転式拳銃。前装式の古い造りで、今時こんなものがあるとすれば博物館、使う者があるとすればよっぽどの数奇者だけだろう。
そこまでであればまだ良い。問題はその大きさだ。
通常の大型拳銃に比べても明らかに一回りも二回りも大きい。振り回せばそれだけで鈍器になりそうだ。
薬室もそれに見合って大きい。二十ミリを越えるような弾薬など、そうそうあるものではないだろう。そんなもの使うのは、重機関銃か対戦車ライフルくらいのものだ。
総じて、これを拳銃と呼ぶことは勿論、武器として見るにも無理がある。
こんなものを携えて旅を続けているのだとしたら相当無茶苦茶だった。
「この装備。ご同類ね。魔法戦士さん?」
「や、ご明察」
少女がそう告げると同時に、彼はベッドからのっそりと起きあがった。
意識が戻っている事にはとっくに気づかれていたらしい。ならばもう狸寝入りをする意味はない。
「おまえ生きてたのか!」
「起きてたの間違いでしょ」
しょうもない掛け合いをしながらも、彼女たちはゆっくりと彼から距離をとり始めていた。恐らくは剣の間合いを意識しての距離感。勿論、彼の手の届く範囲に彼の武器はなく、凶器になりそうなものもないが、それでも警戒は一切怠っていない。
人数は予想していた通り四人、いずれも彼とそう年は離れていない。
「盗み聞きなんてずいぶん趣味が良いのね。それとも育ちがいいのかしら?」
タレ目の少女が、手にした拳銃をもてあそびながら問いかける。
色白で華奢、病弱や不健康といった印象を与えてくる少女だった。
「さぁて。趣味はともかく、育ちはあいにくさ。っと!」
おどけるように答えて、彼は両手をあげてみせる。
少女は銃口を彼の方に向けていた。
「あんた、何者?」
別の少女がきつい口調で問いかける。先ほどメグと呼ばれた少女だ。ミドルくらいの髪を後ろで結んでかんざしで止めている。今にも噛みつかんばかりに目をつり上げる彼女に対して、それでも少年はまだ余裕の態度を崩そうとはしなかった。
肩をすくめてみせて、
「さっき、そっちの色白少女ちゃんが言ってただろ」
言いながら、中折れ帽子をテーブルからとって、目深に被り直すと話を向けられたタレ目の少女が眉をひそめた。
「ずいぶんと余裕なんだな」
ハスキー声の少女が横から口を挟む。
「余裕? さて。まぁ、美人さんにこうして囲まれちゃ、悪い気はしないが」
「女ばかりだからって嘗めてる、って訳じゃないよな?」
口振りとは違って、彼女はにやにやと笑いながら言う。
彼女はこの状況を楽しんでいる……いや、これから起こるかもしれない状況を楽しみにしているのだ。
「まさか。こちとら、ボロボロ死にかけ行き倒れのか弱い男の子だぜ? 魔法少女四人も前にして、ふざけてられる程メンタル強くできてないっての」
魔法少女。
その一言によって、場の空気が張りつめていく。
かちり、と。
撃鉄の起こる音がした。
「ちょ、ちょちょちょッ! 分かった、銃をおろせ! ってかおれの銃を返せ」
もう一度両手をあげて、慌てた様子を見せる彼。情けない表情が妙に板についている。
「何だ。さっきまでの余裕がなくなってきたな?」
「降参だ降参、お手上げ、打つ手なし・・・・・・や、まじめにやります、すみません。調子のりました!」
先ほどまでの余裕のある言動はせめてものはったりだったのだろう。涙目で両手を上げる情けない姿にに拍子ぬけしたのか、ひとまず少女は銃をおろす。
それと同時に今まで静かにしていた金髪の女性が前に一歩進み出た。
「えぇと、あなたは」
「ちっちっち。人に名前聞く時は自分から名乗るのが礼儀だぜ、
顔の前でこれ見よがしに指を振りながらである。
この男、いちいちふざけたり格好つけたりしなければ会話ができない病にでもかかっているのだろうか。しかもそれらはその都度周りの人間を苛つかせているのだから、ある意味命に関わる病なのかもしれない。
「アリス。もう撃っちゃえば?」
メグが呟くと、もう一度銃口が持ち上がる。
「わー! よせって! 悪かった! アカリだ、アカリ。おれはアカリ! ナウでヤングな、ぴちぴちの十九才、
大慌てで名乗るが、余計な一言を付け加えるあたり、生まれもっての性分なのだろう。
金髪の彼女はメグとアリスにやめるように目で告げてから、
「すみません。ではアカリさん。私はエリ、
胸元を押さえながら、エリはゆったりとした動きで頭を下げる。
「これはこれはご丁寧に・・・・・・」
釣られてアカリも帽子をとって一礼してみせた。
「アカリさんはその、魔法戦士・・・・・・なんですか?」
「えぇ、まぁ、一応ね。いや、だった、って言うべきなんですかね? まぁ職業? 生態? うん、区分としてはそうなりますね」
アカリは複雑な表情を浮かべた。
困ったような微笑み。それは自嘲の笑みにも見える。
かつて、大きな災いがあった。
ありとあらゆる道理が覆り、今まで絶対と信じられてきたこの世の法則が意味を失った。
度重なる天災により大半を失いながらも、どうにか立ち直ろうとした人類を襲ったのは、かつて彼らが存在を否定し、迷信と切り捨てたモノ達だった。人間が忘れて久しい夜の闇と共に現れた魑魅魍魎達を相手取る余力は、疲弊しきった人類には残ってはいなかった。
だが、それでも人類が、文明がかろうじて最後の一線を踏みとどまり、大厄祭から二十年たった今なお存続していられるのは、皮肉な事に、同じく無用の存在と断じ、排してきた者たちの働きによるものだった。
妖怪や怪物、魔物と伝えられる超常の存在は古今東西、様々な形で伝えられている。逆に言えば、人類は一度といわずそれらに打ち勝ってきたからこそ繁栄が可能であったのだ。その陰には、人の中にあって超常の力を使う、一種の異能者の力があった。
あるときは神代の英雄、あるときは高僧。神官や仙人、拝み屋、陰陽師。ウィッチ、シャーマン、ソーサラー。名と有り様は民族や宗教人種と同じだけあるだろう。
化け物共が闇に息を潜めていたのと同じように、それと戦う術を持つ者もまた、科学第一の時代にあってもなおその命を細々とつなげてきたのだ。
後の世に、即ちアカリ達が生きるこの時代に於いて”魔法戦士”と総じて称される事になる彼ら。
迫りつつある滅びを目の当たりにしてから、彼らの動きは早かった。
死蔵するつもりだった秘術の粋を、失われるはずだった魔術の秘奥を、今まで振るわれる事も振るう機会もなかった全身全霊の力を振り絞り・・・・・・
「今や絶滅危惧種で過去の遺物、激レア中の激レア、正真正銘純度百パーの生きた化石、自称最後の流れの魔法戦士っす!」
へらへらと笑いながら彼は語る。
だが、その目は笑ってはいなかった。
魔法戦士と呼ばれた彼らは、決して長くはない戦いの中で次々に散っていった。
増えていく化け物に対して、ただでさえ数を減らしていた術者達ではいかんともしがたい、覆す事の出来ない物量差があったのだ。
それでもその抵抗によって稼がれた時間は、決して無意味なものではない。
命がけの時間稼ぎで作られた僅かばかりの猶予の中で、次なる力は生み出された。
そうやって可能性のバトンが繋がれるのを見届けるかのように、今から七年前に起こった祠都奪還作戦により、魔法戦士達はその大部分の人員を失った。
事実上、その役目を次なる世代に譲り渡したのだ。
「へぇ、初めて見たぜ。野良の魔法戦士なんて」
「野良って・・・・・・犬猫じゃあるまいし。フリーランスとか雇われ者とか、格好いい言い方してくれると嬉しいんですがね、おれとしては」
口を尖らせ苦言を呈するアカリに対して、彼女はけらけらと、快活に笑ってみせた。
「悪い悪い。おっと、あたしは
「お、おう。よろしく。んで、今更なんだが、ここはおれだ?どこは誰だ? ……じゃなかった、ここはどこだ? 確か、」
言いながらポケットをひっかきまわして、地図を取り出す。擦り切れ日に焼け、ちょっとしたことでバラバラになってしまいそうな物だった。
「アカリさんは、この町に通じる道で倒れてたんですよ」
「え? それはそれは、どーりで・・・・・・ん? ってことは皆さん、もしかして、おれの命の恩人って事になるんですか?」
「もしかしなくてもそうだな」
「そういう事になるわね」
アズとアリスが答えると、彼は少し思案するように空中に視線をさまよわせ、
「失礼しました!」
その場で飛び上がって、両手両足、両膝、おまけに額をを固い床にに押しつけた。
ようは土下座である。
「ちょ、え?」
「このたびは危ないところを助けていただき、まことにありがとうございます。そうとは知らず、無礼な振る舞い、どうかお許しください!」
ごりごりと、音がするほど床に頭をこすりつけて、謝罪を続けるアカリの様子に、一同は面食らう……というより完全にドン引いてしまった。
「あ、あの……そんな、」
「ついでに!」
額が擦り切れるんじゃなかろうかと不安になる程、なおも床にこすりつけながら、彼は声を張った。堂々とした、よく通る声だった。
「ご飯ください! もう数日、まともに飯食べられてないんです!」
「・・・・・・は?」
思わずぽかんと口を開けた四人の前で、盛大に低い音がした。アカリの腹の虫が吠える音だった。
「お、おい。分かった、分かったから顔上げろって。な?」
恥も外聞もなく土下座のまま固まり続けるアカリを見かねて、アズが声をかける。
しかし、彼は微動だにしない。
少女達は困ったように顔を見合わせて、それからエリがおずおずと彼に近づいて、それから彼の肩を揺すってみる。
が、反応はない。
しばらく彼の様子を伺っていた彼女は、沈痛な面持ちで目を伏せて、
「……死んでます」
「いや、待て待て待て!」
「ちょっとあんた、こんなところで死なないでよ!」
アズがエリに食い気味につっこみを入れるのと同時にメグがアカリの胸ぐらを掴んで揺さぶり始めた。
「ちょっと! おい! 戻ってこい!」
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