第5話 魔法戦士の私事

冷たい風を全身に浴びて、身振るいを一つ。

お気に入りにして唯一のマントを体にきつく巻き付ける。多少はマシだが、気休め程度にしかならない。防寒性はそれなりにあったはずだが、普段からの酷使によって劣化が進んでしまっているらしい。

思えば随分と長らく流れてきたものだ、などと柄にもない事を考えてしまい苦笑する。

流れるも何も、その出発点さえ最早明らかでないのだから何を今更恰好つけているのだろうか。

師と出会ってから凡そ十年。最初はこんな風になるつもりは無かったはずだ。記憶なんて曖昧なもので、それも幼い頃のものとなればなおさら、当時のことなんてほとんど覚えていない。目標もなく、志もなく、ただ流されるままに生きて、なるようになっただけのこと。


「しかしさみーなっ」


ぶるりと、ひと際大きく震えると肩をいからせながら歩みを進める。

夜気を一身に浴びながら進む先は、町のはずれ。アカリに宛がわれた家から、魔法少女達の拠点とは逆方向に進んでいくと、人の営みの気配は消え去り、崩れて自然に戻りかけた廃墟群が見えてくる。

人がいなくなった建物、町というものは驚くほど速く痛んでいく。だが、この街並みはどうやら経年劣化によるものだけではなさそうだった。

暗闇に目をこらすと、自然に崩れたにしては不自然な破壊痕が目についた。

この地で何かがあったのは間違いなさそうだった。

尤も大厄祭後、何もなかった場所などほぼ無いと言って良いのだが。

ほう、と。

白い息を吐く。

文明の光がなくなった夜は、存外に明るい。

冬の澄んだ空気のもと、ガスの薄くなった空は透き通っていて月や星の光が地表を照らしている。

天候や月の満ち引きといった自然現象にこそ左右されるが、こうして条件さえそろえば、夜目が利くものが出歩くには十分だった。


「ま、月をお供に夜の散歩、なんて小洒落たのはがらじゃないんだが」


一人おどけるように呟く。これも長年の一人旅の孤独の中で身についた気の紛らわし方だった。

こつり、と。固い靴音を立てて彼の足が止まった。

地面をじっと見つめ、たっぷり時間をかけてから更に一歩を踏み出した。

今しがた踏んだ場所が、結界の境界線らしい。

ここから先は昼間にアリスが言っていた魔除けの効果範囲の外。


「さて、鬼が出るか邪がでるか」


腰の物に手を添えて、慎重に歩き出す。

異様な気配を全身に感じ始めるのは間もなくのことだった。

昼間、町に来る途中でこの近辺を歩いていた時とは比べ物にならない魔力、それもあまり性質の良くない類のものが半ば実体化し、薄霧のように立ち込めている。

虚弱なものならば、呼吸を続けるだけで体調を崩してしまうだろう。

何が出ても不思議ではない―

そう考えていた時だった。


「おいおい」


心中で呟いたつもりだった。しかし、驚きを通り越した呆れは意思とは無関係に口からこぼれていた。

そこら中に転がる瓦礫と、それを埋め尽くす背の低い枯草草の間、物陰に蠢く影がある。

大きさはアカリの腰に及ぶか及ばないほど。手足があり、頭部があり、つまりは人の形をして、遠目には子供のようにも見える。

だが、腰をかがめ何かを探る様な身のこなしは、人のそれではなく、獣のそれに近かった。

まさか本当に鬼が出るとは。

口元を皮肉気に歪める。

勿論、目の前にいるのは本物の鬼なんて大層なものではない。一般に小鬼と称される妖物だ。所詮は名前ばかりのまがい物、小物ではあるが、あくまでそれは本物の鬼と比較した場合。ただの人間にとってその危険性は、決して無視出来るものではない。

音もなく後退する。逃げる事への躊躇いは微塵もなかった。

数は五。アカリでも対処出来ない数ではないが、無駄な争いは避けるに限る。

第一、周辺にいるのが小鬼だけとは限らない。下手に動いて近くに潜んでいるかもしれない何かを刺激するのは得策ではない。

だが、そんな彼の考えは見事に破綻した。


「ちっ!?」


刺すような殺気を感じ、反射的に身を翻す。

すぐ真横にあった瓦礫の山の影から、別の小鬼が跳びだして来たのは彼が動いたすぐ後だった。

跳ね上がったマントが再び彼の体を覆う頃には、彼の両手にはそれぞれ武器が握り締められていた。

右手にはショートソード、左手には回転式拳銃。

二つの得物を胸の前で十字に組み合わせて構える。手加減や手抜きをしている余裕はなかった。

鋭く、先に見つけた五体の小鬼を目で追う。どうやら彼らもこちらに気づいたらしい。

きぃきぃとガラスをすり合わせるような耳障りな鳴き声を上げ、こちらに向かってきていた。

交戦は避けられない。

状況の判断と方針の決定をするまでに、一瞬もいらなかった。

再び飛び掛かって来た小鬼の手を、バックステップで跳んで躱す。子供ほどの背丈には見合わないごつごつした手の先には、さほど鋭くはないが頑丈そうな爪が見える。

こんなもので引っ掻かれたら肉が抉れてしまうだろう。

着地した先、なおも追いすがって来る小鬼の顔面を思いきり蹴飛ばした。

固い革靴の一撃。鈍い、というより湿った音を立てて小鬼は仰向けに吹っ飛び、動かなくなった。

再び最初の一団に目を向け、ついでに剣先をそちらに向ける。

剣の切っ先に橙色の光が灯った。そう見えた次の瞬間には、それは小鬼たちに向かって放たれていた。

火の魔弾の三連撃。昼間の内にアリスに見せたものと同質のものを、今度は呪符なしで放たったのだ。

それぞれが三体の小鬼の顔面、胸、肩を打つ。

小規模な爆発が起き、それぞれがその場に崩れ落ちた。元は攻撃用の術と言っていたのも頷ける威力だった。

残り二体。倒された仲間の事などお構いないしに向かって来るところを見るに、元から仲間や群れの意識は低いのだろう。

だが、些末事に気を取られない分、接近は早い。

すでに小鬼とアカリの間の距離は、魔弾の射程には近すぎる。

先にアカリを攻撃圏内に捉えた小鬼が、熊手のように開いた手を振るう。

だが、それを視認してから動いたというのに、若き魔法戦士の動きの方がなおも速かった。

左手に握った拳銃を一閃、銃身で小鬼の横っ面を思いきりぶん殴ったのだ。

二十ミリを超える口径を持つ銃身は相応に太く、銃本体の大きさも常軌を逸している。鈍器としても十分な殺傷能力をもっていた。

口から血と歯の混じった唾液を散らして飛んでいく小鬼には目もくれず、返す刀でさらに銃を振るう。続いてやってきた小鬼の頭に鈍色の銃身がめり込み、最後の一体はその場で糸の切れた人形のように倒れ伏した。


「ふー」


ゆっくりと、息を吐き出す。

その間も周囲への警戒は怠らない。周囲に何かの気配がない事を念入りに確認すると、やっと彼は拳銃を腰に戻し、残った剣で足元に転がる小鬼の体をひっくり帰す。

会敵から現在に至るまで、アズとの一件や、昼間の顛末が嘘のような見事な動きだった。

見事に脳天が陥没し、こと切れているのを確認してから、その体をしげしげと見つめ、そう時間が経たない内に彼は眉を潜めた。

小鬼。そう呼ばれる妖物は数多い。

大陸では魑魅や魍魎。山河や木石等の自然の気が形を得た化け物がそれだ。欧州ではゴブリンやコボルトなど、これらも精霊の一種とされている。

大厄祭の前の人の世ならば珍しくはあるが、このご時世、この類が人里の近くに現れる事は珍しくはない。珍しくはないのだが、

—ここらじゃ見ないタイプだ。

アカリが見下ろす先にいるのは、どうにもこの国に本来いるモノとはどこかが違うものだった。

灰色とも緑色ともつかないむき出しの肌。やけに骨ばった体格。古いファンタジー小説にでも出てきそうな外観。


「話に聞く欧州のタイプに似てる……か? うんにゃ、ちっとばっかし違うような……」


ぶつぶつと呟きながら、首を傾げるばかりだった。

最初の見立て通り、小鬼と称されるものの一つで間違いはなさそうだが、その先が分からない。

所詮妖物の本質は曖昧なもの、外観や分類など大した意味をなさないと言われればそこまでではあるが、どうにもこうにも引っかかるものがある。

こんな夜更けに、わざわざ彼がこうして危険を冒してまで町の外まで出てきたのも、そうした違和感の正体を確かめるためだった。先日の蟲雕といい、どうにも妙だ。果たして同所的にこうもちぐはぐなものが出るだろうか。

解決の糸口になればと思ったが、予想に反して疑問は増すばかり。漠然とした不安は募る一方だ。

微かな違和感は気が付けば暗雲となっていた。

何かが、おかしい……


「っと、そろそろやべ」


ぶるり、と再度体を震わせる。いい加減に寒さが許容限界を超えて来ていた。素早く武器を仕舞う。

きっと、今の震えは何も寒さによるものだけではない。

いつの間にか、魔力の霧が濃くなってきている。彼の周りではざわざわと枯草が風もないのに音を立て始めていた。何者かの存在を感じる。それと同時に情念のような何か。無邪気な悪意とも、興味本位の害意ともつかない視線。

これ以上深入りするのは良い選択ではなさそうだった。

尋常な精神の持ち主であればどうにかなってしまいそうな中、彼はどこ吹く風、鼻歌まじりに意気揚々と帰路に就く。

けれど、彼の手は、結界の中に戻るまで腰の物から離れることはなかった。

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