第4話 魔法少女のお仕事②
「ほいで、この本はどちらに持っていけば?」
「作者名とジャンルを見れば分かるでしょ」
大量の本を両手に抱えたアカリが疑問符を浮かべながら尋ねると、アリスは眉一つ動かさず、ついでに顔さえも彼の方に向ける事無く一言で切って捨てた。
アリスは無駄にだだっ広い部屋のど真ん中に置かれた、本が山積みになった丸テーブルに向かい書類にペンを走らせている。その様子は真剣そのもので、アカリに構っている暇はないようだった。
しかし、そんな事知ったこっちゃないとばかりに、
「いやいや、そもそも本棚がどこにあるのかも、間取りがどうなってるのかも、こちとら全く分からないわけで。ちっとで良いんで説明が欲しいんですが……」
「……聞きしに勝る使えなさ」
ため息と、ついでに辛辣な呟きを漏らして、アリスは持っていたペンを手の中でくるりと回して弄ぶと、本を抱えたまま困った顔をしているアカリの方を振り返った。
アズと山に入った翌日である。この日、彼はアリスの手伝いとして彼女の自宅兼書庫を訪れていた。
「酷くないっすか?」
「別に。私は本当の事を言ったまでなんだけど」
不満そうなアカリを、彼女はジト目で睨みつけた。
昨日、アズと共に帰ってきた彼は、びしょ濡れで半べそをかき見るも無残な情けない姿をさらしていたのだった。
「戦力にならなかったらしいじゃない。戦闘でも、食料調達でも」
「うっ……」
胸を抑えて呻くアカリだったが、その仕草はどこかわざとらしい。
この男、どうにもこうにも所作の一つ一つが冗談じみていて、ふざけているように見えてしまう。
「いやいやいや。おれだって、そこそこやりましたよ? 食べ物だって集めましたし。それにちゃんと戦いましたから! アリスさんにも見せたかったなぁ、おれの雄姿! 化物相手に剣を抜き、さっそうと立ちまわるおれの姿! まさにイかしたクールなナイスガイ!」
「イかれて狂ったキ〇ガイの間違いじゃなくて?……木の実を取ろうとして木から落ち、魚を獲ろうとして川に流され、その度にアズに助けられたのは誰だったかしら」
「うっ」
再び彼は言葉に窮した。今度のは、演技でも何でもなく正真正銘、素の反応であった。
「化物相手に大立ち回りも何も、なんとか不意打ちで一匹倒して、その後は二匹目に食い殺されかけたって聞いたけど?」
アカリはついに黙り込んでしまう。つまり、全て本当の事だった。
「それで、アズに使い物にならない宣言されて、外回りを外されたと」
「あははははは」
「笑い事じゃないでしょう」
笑って誤魔化そうという魂胆が見え見えだった。
「まぁ良いわ。仕方がない。さっさと仕事してもらおうかしら」
「自信はないっすけど頑張ります!」
冗談めかして敬礼のポーズまでとる青年を、少女は無言で睨みつける。それだけで芯まで凍り付きそうな、冷たい目だった。
「それにしても」
書類の仕分けや書籍の運搬をしていたアカリが、ふと声を出した。
先ほどからずっと、それこそ二時間近くも黙々と作業をしているなかで、とうとう集中が切れたらしかった。
「何?」
正直、返事が返ってくるとは思っていなかった。
振り返ってみれば、先ほどまでずっと机に向かって書き物をしていたアリスが、椅子に座ったまま彼の方に体を向けていた。彼女も、いい加減に一息つきたかったらしい。
「ここ、妙に広いですし、こんな風に書庫として使われてますけど……もとは民家ですか? それにしちゃ随分とまぁ立派なこって」
「さぁ」
アカリの疑問に、アリスはにべもなく答えた。
「私も詳しくは知らないの。もう長らく人が住んでいなかったから、私の自宅兼書庫として使ってるけど」
アカリも、思わず沈黙せざるを得なかった。
彼がこの町に滞在するにあたって、仮の宿として与えられたのもかつてはどこかの誰かが暮らしていた一軒家だった。そして、きっと、他の三人の魔法少女が暮らしている家も。
かの災厄によって多くの人間が、この町を去ったのだろう。この家の持ち主がどこか別の地に移ったのか、それとももっと遠い場所へ旅立ったのかは最早調べる事すら困難だ。
ただ、ここには、かつての人々の営みの痕跡だけが、残像のように染み付いていた。
「アリスー、差し入れ持ってきたんだけど」
しんみりとした空気になっていた時、玄関口の方からそんな声が聞こえてきた。
やがてそれは足音に変わり、彼らのいる方に近づいてくる。
「書類作成お疲れ様。これ、エリからお茶とお菓子……って、」
岡持ちを片手に、書斎に入ってきたメグは視界にアカリを捉えるなり、露骨に嫌そうな顔をしてみせた。
「何であんたが……あぁ、仕事にならないからってアリスの手伝いに回されたんだっけ」
「アリスさんといい、メグさんといい、どうしてそんな冷たいんですか? いい加減。お兄さん泣いちゃいますよ?」
両手で目元をこすって泣きそうなアピールをするが、そういう所がウザがられる原因であると本人は果たして気が付いているのか。
「丁度良かった。そろそろ休憩をいれようと思ってたの。アカリ、向こうからカップ三つ持ってきて」
「へーい」
アカリが言われた通りにキッチンから人数分のティーカップを持って戻ってくると、その間に本をどけたのか、幾分片付いたテーブルの上には小ぶりなドーナツがいくつも盛られた大皿が乗っていた。
「お待たせしました」
「ん」
アカリが持ってきたカップを受け取って、アリスの左斜め前に座っていたメグが立ち上がり、岡持ちから金属製の水筒を取り出して中身を注ぐ。ふんわりと、湯気と共に立ち昇った紅茶の優しい香りに、アカリも自身の表情がゆるむのを感じながら、二人の少女の丁度間にある席に腰を下ろした。
「いただきます。紅茶なんて久しぶりっす。いや、いつぶりかな……お、美味ッ!」
紅茶を口に含み、すぐに彼は目を見開いた。
「紅茶ってこんな美味いんですか!? いつぞや淹れてもらったのは、何か泥水みたいな味だったってのに……こんなに香り高くて、何て言うか爽やかな苦みって言えば良いんですか? ってかドーナッツも美味い!」
「食レポうざいんだけど。下手だし」
紅茶を一口飲んで、メグが一言。
ただし、彼女も仲間が淹れてくれたお茶とお菓子を褒められるのは悪い気がしないのか、その口元は少しばかり微笑むような形をしていた。
「辛辣ですね、それにしても。でも本当美味しいっすよ、このドーナツ。昔、師匠が作ったのつまみ食いした時を思い出した」
言って、アカリは少しばかり遠い目をした。今までの彼とは似ても似つかぬ顔だった。
だがそれも一瞬の事、すぐにいつも通りの緩み切った表情に戻って、
「ところで、アリスさんは何の書き物してたんですか?」
「都への提出書類。こんな僻地でも魔法少女には活動報告の義務があるから」
ドーナツを摘まんで、アリスが答えた。
彼女の言う通り、魔法少女は定期的に都へ連絡をいれなければならない事になっている。魔法少女は祀都、つまりは国の管理下に置かれるものであり公務員に近しい立場にある。建前上は、この町を管轄し、化物絡みの事件解決を主目的とした治安維持のために都から派遣されたという事になっている。
建前上、というのは、実際の所、彼女達の仕事がその範囲だけでおさまっていないからだ。食料が足りなければ、昨日アカリが同行した採集のように町の生活の為に動くこともある。地元の警察だけでは人手が足りない場合は、人間の起こす事件に介入することだってある。化物退治から果ては犬の散歩まで、彼女たちの仕事は多岐に渡り、もはや便利屋か何かのようでもあった。
「報告書ですか……ん? って事はおれの事も書いちゃってる系ですか?」
「勿論」
断言するアリスを見て、アカリが困ったように眉間に薄く皺を寄せた。
「何? 何かやましい事でもあるわけ?」
メグが怪訝そうに尋ねるが、アカリは答えずにへらへらと笑ってみせるだけだった。
韜晦しているようにも、あるいは本当に何も考えていないようにも取れる、ひどく曖昧な笑みである。
「えーと、どのくらい詳しく?」
「流れ者の魔法戦士を自称する男が町に来た。以上」
「ちょっと、アリス。そんなのでいいの?」
思わずメグがツッコミをいれるが、
他に書けるような事がないんだもん。情報が少なすぎるし。名前にしたって偽名かもしれないし、そもそもフルネームで聞いてないし」
「本名ですよ? フルネームは、あんまり名乗りたくないですが」
「出来る事に関しても何も知らないし。アズの話によればたいした戦力はないらしいけど、どこまで本当なのか」
「おっと、気づかれちゃいました? そう、何を隠そう昨日のは演技! おれの実力はそんなもんじゃないっすよ!」
「本人もこんな調子で、どこまで本当なのか分からない。それが分かる程深い付き合
いをするわけでもない。それこそ、ずっとこの町にいるって言うなら話は別だけど」
どこまでもふざけているアカリを無視して、淡々と、冷静にアリスは語る。
「みなさんがどうしても、ってんならここに根付くのもやぶさかじゃないですけど」
「冗談。怪しげな流れ者にいつかれちゃたまったもんじゃないわ。で、それなら報告書に何書いたの? 昨日のあれの事は?」
「当然書いたわよ。見た事のない化け物が近隣に出没するなんて、そんなに珍しい事でもないけど、一応」
「それ、詳しく書いて調べるように言った方が良いですよ」
アカリが真面目な顔をしてぼそりと呟いた。
「え?」
「昨日のって、アズさんとおれが出会ったあれですよね? 奴らは蟲雕。赤子の声で鳴く鷲頭の怪物なら間違いないかと。大陸の古文書の文面には角ある鷲って書いてあるくせに、付録の図はどう見ても四足歩行の獣……変だとは思いましたが、なるほど、正しくは角のある鷲頭の獣だったってわけか」
すらすらと、怪異の名と特徴を述べるアカリに、アリスもメグも思わず固まってしまう。
「南山経に、水場に出るらしい事が書いてあるが……実際に目にするのは初めてだけど、群れで出るってのは初耳だ。いやぁ、野には化け物が多いとは聞くし、実際問題、おれも長らく彷徨い歩いて色々見てきたってんのに、まだまだ初見のものがこんなにあるとは。そもそもにしてこの国の怪異は大陸の影響を」
二人の反応に気が付かないのか、アカリは聞かれてもない事をしゃべり続ける。次から次に出てくる怪異についての蘊蓄の数々にメグはぽかんとし続けていたが、しかしそのすぐ横でアリスは目を瞬かせていた。
「昔から、それこそ大厄祭が起こるよりもずっと前から、この国の魑魅魍魎は大陸のものと似た存在が多い。分かり易い例で言うと、ろくろ首とかですかね? 師匠曰く、生物学的見地で見るのであれば、かつて地続きだった頃の名残だとか、もしくは人間の移動によって一緒に移動したとも」
「待って。ストップ。止まりなさい」
止まらないアカリのトークをアリスが制した。
そこでアカリは我に返り、
「っと、すんません。そうそう、蟲雕はそもそも大陸の南方の山の出です。しかしこの辺は魚だの植物だのを見ると西方のモノが多い。そうなると少しばかり妙な……」
「良いから黙れって言ってんの!」
メグの苛立たし気な一喝でアカリはようやく黙った。もっともまだ話足りない風ではあるがさすがに彼女の怒りを買うのは得策ではないと判断したらしい。
口を両手で押さえて沈黙の意思を示す彼を見て、アリスはため息を一つ。
「あなた、思ったより詳しいじゃない?」
「そうっすか?」
小首を傾げ、なおも曖昧に笑うアカリを、アリスは相も変わらず憮然とした表情で見つめる。だが、先ほどとは違い、彼女の目は好奇心に輝いていた。
「そういえば、昨日アズも言ってたわよね。何か妙なところで目ざとい、妙な事を知ってるって」
「偶然知ってただけっす。そんな大したもんじゃないですよ」
ひらひらと、見てる方の力が抜けるような動きで手を振って見せるアカリの姿は、彼の言う通り、とても大層な者には見えない。
「魔法戦士なんて名乗って旅をしてるだけあるわね。てっきりモグリのバッタもんかと思ってた」
「これは手厳しい」
メグはそんなアカリに懐疑的な目をやってから、
「で、こいつがさっき言ってた事、アリスとしてはどう思う?」
「そうね……一考の価値はあるわ。というか、彼、とっぽい見てくれと言動の割に、よく勉強しているようね」
アリスは書きかけの書類を手に取り、アカリの顔と見比べた。
「さっき偶然知っていた、なんて言っていたけど。かの大陸の伝説に詳しい魔法戦士、もとい魔術師。あなたの得意分野は……仙道ってところかしら?」
「おっと」
アリスが言った一言に、今度はアカリが目を丸くする番だった。
「直接戦闘はあまり上手くない。でも動植物に詳しいってことは、丹鼎派の術者かしら」
「いや、まぁ、幅広く浅くやってます、はい」
丹、すなわち薬の事である。彼女はアカリの事を薬の扱いに長けた術者であると考えたようだ。対するアカリは肯定するでも否定するでもく、苦笑を一つ。
「そういうアリスさんは西洋の技ですか。いや、でも珍しいですね。魔法少女が既存の術式を使うなんて。しかも、自分の分野以外にも広い知識を持ってる」
魔法戦士と魔法少女。
多種多様な魔法を用い、魑魅魍魎と戦う者であるが、両者の間には数多くの違いが存在する。それこそ、二つの存在は全くの別物と言ってもいい。
その大きな違いは魔力の生成手段と術式にある。魔法戦士、即ち大厄祭以前の魔術師達は自身の生命力を燃やし、体内で魔力を生成する。勿論それを自在に行うには、多大な努力と鍛錬、その為の長い時間が必要となり、加えて各々の魔術を学び、実戦で行使するにはその倍以上の時間が必要になる。
対して、魔法少女は外部デバイスを用い、自身の肉体そのものを魔力に直接変換する。そしてデバイス自体にはあらかじめ様々な機能が備わっており、魔力の再物質化による衣装の生成は勿論、肉体の強化、さらには魔術自体も魔力さえ通せば自在に使用できるように設定されている。
新たな魔術など覚えなくても、変身アイテム内蔵の術式だけで十分に事足りるのだ。
「私の魔法石……変身アイテムの内蔵術式は特殊なの。あんまり戦闘にもサポートにも向かない。それならいっそ、魔術を覚えるのも一つの手かと思って」
アリスはそっと、手元の万年筆を持ち上げて見せる。持ち手に施された装飾の中央で、はめ込まれた蛋白石が陽光を反射し虹色に輝いていた。
「なるほどなるほど。とはいえ、魔力量があるからっておいそれ使えるほど魔術は簡単なもんじゃない。おれなんか、魔力は少ないし、センスもない。おまけに運動神経もそれほどでもないもんだから、そりゃもう、」
アカリの台詞を遮って、アリスが彼の目の前に一枚の紙切れを掲げて見せる。
「ん? あぁ、
紙に描かれた幾何学模様に目を細め、感心したように言うアカリだったが、それを見るアリスはどこか複雑な表情をしていた。
「食えない人。他の分野にも詳しいのはどちらかしら」
「曲楽阿世ってやつですよ。それよか、これ、アリスさんが作ったんで? こんな複雑なものを? こりゃまたどうして、なかなか……ってか何の為に?」
問いに答えたのはメグだった。
「この町の防衛の為よ。昨日、アズと見てきたでしょ?」
「あぁー……」
思い出して、少年は間が抜けたような納得の声をあげた。
町からそれほど距離もないところに、人食いの化物が出没する山がある。当然それらが里にまで下りてくることもあるだろう。昨日も見せて貰った通り一匹二匹ならば何とでもなる。十匹でも余裕をもって蹴散らせる。だが、もし数十規模で現れたなら? 百を超える数で押し寄せてきたら?
この地の魔法少女、四人総出で立ち向かえば決して負ける事はないだろう。だが、瞬時に全滅させることは出来ない。その間に、一体どれほどの一般人が犠牲になるだろうか。
「アリスと、それからエリはこういう魔術に詳しいから。こうやってたまに結界用の札を作ってもらってるの」
語るメグがどこか誇らしげに見えた。
それはきっとアカリの見間違いではないだろう。自分の仲間の活躍が自分の事のように嬉しいらしかった。
そういう気質は、アカリにしてみても見ていて好ましいものだった。
「……ちょっと? 何にやけてるの?」
「いや、メグさん、可愛いなーって」
次の瞬間、メグがとった行動は真っ赤になるでも動揺するでもなかった。
「あべしッ⁉」
メグはアカリの鼻っ柱を真正面から殴りつけた。
「い、いい、いきなり何言うのよ⁉」
「い、いきなり何すんだお前!」
どうやら口よりも先に手が出る性分らしい。少年の顔面をぶん殴ってから赤面して動揺を見せる少女、対するアカリは殴られたばかりの鼻を押さえ、抗議の声をあげる。
よほど痛かったのか、口調が変わっている。
「だぁッ、クソ……何するんですか。危うく鼻が折れ曲がるところです! おれの美貌が台無しになったらどうしてくれるんですか」
「は? 美貌? 良く言うわ。だいたい、変な事言ったのはそっちでしょ!」
「変な事って……それよか、急に人様の顔面殴りつけるって何ですか。蛮族でもそんな事しないっての!」
「何、私が野蛮人だとでも言いたいわけ?」
「やってることはそれ以下だろうが!」
「痴話喧嘩なら他所でやって」
ヒートアップしていく口論を見かねてか、アリスによる静止が入った。
二人とも一旦は口をつぐむが、忌々し気ににらみ合ったままである。
「それで、アカリ。一つお願いがあるんだけど」
そんな少年少女の事などお構いなしに、あるいは関わり合いになりたくなくて敢えて無視したのか、アリスはアカリの顔をじっと見つめた。
「はい、なんでしょう? あ、もしかして傷モノになったおれを貰ってくれるとか? いやぁ、モテる男はつらいなー」
「寝言は寝ていえ、間抜け面!」
なおも寝ぼけた事を言い続けるアカリに、再びメグがかみついた。またしても開戦するかと思われる一色触発の空気。それを振り払うようにアリスが咳ばらいを一つ、
「アカリ。あなたの術を見せて貰ってもいいかしら?」
「え? 術? ここで?」
「えぇ。折角だし参考までに、他人の使う技を見てみたいの」
「そんなもん、アズさんやエリさん、そこの蛮人で見慣れてるんじゃないんですか?」
「誰が蛮人よ!」
今にも掴みかからんばかりのメグを手で制し、アリスは冷たい目で少年を一睨み。
余計な事を言うなと語る彼女の目はどこまでも冷たく、これには彼も両手を上げて降伏の意を示すほかに出来る事はなかった。
「そうね。でも、魔法戦士が術を使う所なんて滅多に見られるものじゃない。都ならまだしも、こうして郊外で野良に出会うなんて、この先あるかどうかも分からないわ」
「どうでもいいですが、その野良って呼び方やめてもらえません?」
「メグも見ておいた方が良いわよ。仙道系の術者なんて私も初めて見るもの。こんな機会、そうそうないんだから」
「そりゃまぁそうなんだけど……」
どことなく嫌そうに、しかし興味は抑えられないのか、メグもちらちらとアカリの方を伺い始める。
一方の少年はというと、二人の少女の好奇の視線にさらされて、冷たい汗を額に浮かべている。アリスのそれは無茶ぶりに等しいものであった。
「あのですね……見せるのは構わないんですが。その、そんな期待されちゃうと、なんと言うかやりづらいといいますか……」
「良いから早く見せなさいよ。それとも魔法戦士なんてはったりで本当はただのコソ泥とか下着泥とかだったりするわけ?」
「誰が下着泥だ! 誰がいつそんなことした⁉」
流石にその汚名は無視できなかったのか、アカリは目元をひきつらせ、徐にズボンのポケットを漁った。どうやらムキになっているらしい。
「見世物じゃないんですがね……」
彼の右手、突き出された人差し指と中指の間にくしゃくしゃの皺だらけの紙切れが挟まれていた。
漢字を崩したような文字と、複雑な紋様の描かれたそれをじっと見つめるアカリ。その横顔はいつになく真剣そのものだった。彼の肩が静かに上下する。呼吸によって取り込んだ気を圧縮し、体内の炉心を起動。魔力を生成していく。
かちかちと、彼の口の中で歯をかみ合わせる音が、一定のリズムで小さく響く。
「ひゅッ」
彼の口から鋭い呼気が迸った。
それは笛の音に似ていた。甲高い音を合図にしたかのように、彼の指先で呪符に橙色の火が灯った。
「よっと!」
アカリが指先を弾くと、燃え上がった呪符がふわふわと空中に舞い上がった。
彼が指先を上下左右に振るうたびに、それも同じ方向に一拍遅れてゆっくりと移動をする。さながら人魂を操っているかのようだった。
「どんなもんすか。ちょっとした応用技ですが、暗闇での読書やらなにやら、結構役に立ちますぜ」
どや顔で言って見せるが、それは明らかに強がりだった。その証拠に彼の額には汗が浮かんでいる。それも、うっすら、などというものではない。今にも流れ落ちそうな、玉のような汗である。
「やるじゃない。詠唱なし……いえ、詠唱省略? 実戦的な技みたいね」
「エリが似たような事やってるの見た事あるわね」
アリスとメグが各々の感想を述べるが、当のアカリはというと、彼女らの声に耳を傾けられる余裕は殆ど無いに等しかった。
「良いわよ。もうやめても」
そう言われても、アカリは火の玉を空中に漂わせるのをやめようとはしなかった。
突き出した二指は力の入れすぎで真っ白になり、手首から肘までプルプルと細かく震え続けている。
「アカリ?」
「えーと、ですね」
人魂を懸命に操る若き魔法戦士は、困ったような笑みを浮かべた。
「これ、応用は応用なんですけど、元は攻撃用の術でして」
「え?」
「いったん出すと、引っ込める事が出来ない仕様でして」
「は?」
二人の魔法少女が顔を見合わせる。
少年が言っていることの意味がよく分からなかったのだ。
「要点を言って」
「爆発します」
メグとアカリ、二人が慌てて何ごとかを言うよりも早く、火球が膨れ上がる。
それは一瞬の事だった。
軽快な破裂音を上げたそれは、部屋中に火の粉をまき散らした。
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