第3話 魔法少女のお仕事①
翌朝になった。
日はとうに上りきり、町を覆っていた夜の帳は既に十時間以上先の時間軸に追いやられている。
「ふわぁ……」
オート三輪車の助手席で揺られていたアカリが大きな欠伸を一つ。
まだ頭がはっきりとしていないらしく、その目は虚ろである。窓からだらりと腕を外に出し、視界に入る物をぼんやりと目で追っていく。
とはいえ、それらは木々や岩、それから時たま見かける野鳥といったものばかりで大して変化のあるものではない。
出発して数十分としない内に、彼らの乗った車は山の中を進んでいた。
獣道に毛が生えた程度の、碌に整備も舗装もされていない道である。
「何だ、良く寝れなかったのか?」
運転席からそんな声がかけられた。
少女にしては少し低い、ハスキーヴォイスである。
「いやいや。おかげさまでちゃんと快眠出来ましたよ」
「その割には朝っぱらから大あくびとはな」
「ここんとこずっと、生活が不規則だった影響ですかね。眠くなったら寝たいだけ寝る生活でしたから」
「なんだそりゃ。また随分とうらやま……いや、その生活の結果が昨日の体たらくか」
「ははは。面目次第もございません、と!」
不意にトラックが止まった。
見ればその先には道らしい道はなく、かろうじて獣道らしきものが見えるのみだった。
「ここから歩きだ。ほら、これ背負え」
「おっと」
荷台からアズが放り投げた背負い籠を両手で抱えてキャッチする。
竹を編んで作られていて、軽さの割には頑丈そうだ。子供一人くらいなら余裕で入りそうな大きさをしていた。
「また随分と大荷物ですね?」
「まぁな。食料はあって困るもんでもないからな」
彼女も自分の籠を背負うと荷台の上から飛び降りて、
「それじゃ行くか。はぐれるなよ?」
「はい。って子供じゃあるまいし……」
慣れた足取りで草木をかき分けて獣道を進むアズと、その後ろに続くアカリ。
しばらく進むうちにアカリは水音を耳にした。
近くに水の流れがあるらしい。
「沢が近くにあるんだ。今日はそっちの方に行くぞ」
アカリの考えを読んだかのようなタイミングでアズが言う。
ほどなくして二人は沢に辿り着いた。
斜面を注意しながら下って、沢岸に降りる。
ごつごつした岩場はところどころ濡れており、足元を見誤れば靴が浸水、下手をすれば滑って転びかねない。
沢の流れ自体はそこまで大きなものではないが、青く澄み切った水は触れれば切れるほどに冷え切っているのが見て取れる。もし水没などしようものなら、そのまま凍死しかねないだろう。
「さ、さささ、寒ぃ」
自前のマントをきつく体に巻き付けて、アカリはかちかちと歯を鳴らした。
冬という季節に、水場の近くというロケーションも手伝って、体感温度が極端に低い。
「おおおお、おう。さっさと仕事済ませちまおう」
アズも紅いロングコートのポケットに両手を突っ込んで、震えながら呟いた。
「それで、どうすりゃ良いんですか、おれは?」
「簡単だ。言っただろう?今回の私たちの仕事は食料調達とプラスアルファだ。プラスアルファの方は、情報が確実じゃないから今は置いといて……あった」
言いながら、彼女は沢沿いにはえていた樹に駆け寄った。
それほど太くも高くもない樹だった。葉が落ちて、寂しくなった枝ぶりの先には橙色の実が生っている。
アズは勢いを僅かも緩めることなく、ネコ科の動物を思わせる動きで、木に登ると実を片っ端から捥いでいく。
「ほらよ」
アズが放った一つを受け取ったアカリはその実をしげしげと見つめた。
「これは……何でしたっけ?」
「食ってみろよ」
悪戯っ子のような笑みを向けるアズに、アカリは恐る恐る実を齧った。
「甘……酸っぱ!?」
口に含んだ瞬間に広がる滋味に富んだ甘味。しかし、一瞬遅れて強烈な酸味が口内を蹂躙した。
「はははッ!やっぱそうなるよな」
「っ……なるほど、思い出した。
顔をしかめて、アカリは齧りかけの果実を見つめる。
彼はそのナツメに似た味と、凄まじい酸味に覚えがあったのだ。
「お、さすが魔法戦士。知ってたか」
「えぇ。しっかしこんなもん、こんなとこに生えてるもんなんですね……中国の奥の奥、それも高山の山頂付近にしか生えてないかと」
「うん?」
アズの顔から笑みが引っ込んで、代わりに疑問符が浮かんだ。
「
すらすらと、当たり前のように口にするアカリだったが、それは恐るべきことだった。
聊齋志異、抱朴子、山海経。いずれも大陸の怪異や神仙、妖怪、伝説をまとめた書物である。
そこに詰め込まれている情報は決して少ないものではなく、また、全てが正しいものであるとも限らない。その膨大な文献の中から、正確な情報を即座に取り出して諳んじてみせるのは並みの事ではなかった。
「何でもいいからさっさと収穫手伝えよ」
アズは首を傾げながらも、興味なさげに言う。
アカリも大げさに肩をすくめてみせてから、彼女に従って果実の収穫に移った。
「こんなもんがねぇ……この国のあり方も、随分と様変わりしちまったもんだ」
果実を籠に放り込みながらアカリが呟く。本来ならばこの果実はこの国には自生しないはずの植物である。
「そりゃな。二十年前の大厄祭で色々変わっちまったわけだし……っと!」
アカリのすぐ横で沢に釣り糸を垂れていたアズが竿を思いきり振り上げた。
糸の先には数十センチもあろうかという魚が食らいついている。
スッポンのような、甲羅とも鱗ともつかない殻に覆われた魚だった。
「こいつも昔はいなかったらしいじゃないか?」
「
手を止めて、彼はアズの手元に目を向けた。
それらがこの国で、この時代で普通に見つかるようになった。
大厄祭による世界の変化。こうしてその影響を目にする度にアカリは背筋を冷たいものが伝わるのを感じてしまう。大厄祭から二十年、その間に世界は次々に変わっていく。あり得ざるものが現れ、今までの常識が崩れ去っていく。その変化はこれからも続く。
この先、世界はどうなってしまうのか……
「ま、有用な食材が増えるのは良い事だろ」
黙り込んだアカリを見て、アズが明るい声で語り掛ける。彼の考えが分かった訳ではないにせよ、何か感じ取ったらしい。
「まぁ、そりゃまそうっすね。……そんで、今回どのくらい食料集めりゃ良いんですかね? 籠一杯とかですか?」
真顔になったのはほんの一瞬の事。すぐにへらへらとした軽薄な表情を浮かべ、冗談めかして尋ねた。
「まさか!」
「ですよねー!」
けらけらと、お互いに笑って見せる。
だが、次の瞬間にアカリの表情が凍り付いた。
「そんなんで足りるわけないだろ。荷台一杯さ」
「……は?」
「町の人間、どんだけいると思ってんだ?」
釣った魚を魚籠に入れ、アズは針先に餌をつける。
慣れた手つきだった。
「え、これ、町の人たちの分なんですか? アズさん達の分じゃなくて?」
「私らの分も多少はあるがな。だが、うちの町、都とは離れてるだろ? おかげで物流もまともに機能してなくてな」
竿を振ると、小さな水音が静けさの中に響いた。
「あー、なるほど」
アカリも納得したのか頷いた。
祠都やそれに準ずる都市はともかく、こうした辺境の市町村が置かれている状況は、彼も決して短くはない旅の中で実際に見てきたのだ。
アカリが現在滞在せざるを得なくなったこの地は、火之原町という。祀都から北東に約百五十キロほどに位置する小さな町だ。かの大厄祭以前、すなわちアカリやアズ達が生まれる以前にはまだ活気があったと言われているが、今となっては全国的な人口の減少と高齢化の影響をもろに受け、見る影もない。魔法少女達が詰め所として利用している小学校の跡地を中心とするかつての住宅街にまとまって三百人ほどの住人が暮らすのみ。現在の中心地を外れれば、そこには朽ち果てたかつての商業施設や廃屋が並ぶばかりの惨状を見る事が出来る。
産業や特産品、観光資源などもない、ただただ人が暮らしているだけの町だった。
「この町もそんな感じっすか。いや、景気の悪い話だ。大厄祭以来、どっちを向いてもどこに行ってもそんな町ばっか」
「例にもれずな。もっとも、私らは景気が良かったことなんて生まれてこの方知らないわけだが。っと、話戻すぜ。今月なんか特にそうだが、物流は結構滞るんだ。そうなると町の人間の食い扶持にも困る訳だ。おかげで私らは本職の他に、こうして食料の調達もしなきゃならない」
本職、と。彼女はそう言った。
「はぇー、大変なこって」
アカリは気の抜けた答えを返しながら、何気ない風に背負っていた籠を地面に下ろした。
そのままそっと、中折れ帽子を目深にかぶり直す。
「いや、本当に大変だ。こんな山の中ともなれば、危なっかしくてアズさんやエリさん達でもない限り入れないってのも」
「そうさ。こんなとこに来れるのは、私らや、お前みたいなのくらいだ」
釣竿を脇に置いて立ち上がると、アズは軽く屈伸運動を始めた。
「ふむふむ、おれみたいな魔法戦士くらいか」
「そうさ。私みたいな魔法少女……いや、この呼び名はあんまり好きじゃないな。むず痒い」
「それはお互い様、ってことで。おれだってそんな大それたもんじゃない。魔法使いとしちゃ三流だし、戦士なんて柄でもないや。せいぜいが流れ者、そんじゃなきゃ小悪党が良いところ」
アズとアカリはいつの間にか、川を背に横に並んで立っている。その目つきは鋭く、その佇まいに緊張感がみなぎっていた。
二人は周囲に漂う異様な気配に既に感づいていた。
それらが殺気をまき散らしながら、自分たちに向かってきている事も。
「おいアカリ。ちょっと聞くぞ」
「はいはいなんでしょう。下着の色以外なら喜んで答えますよ」
「それは良かった、私もお前のパンツなんかに毛ほどの興味もないし、考えたくもない。……武器は持ってきてるか?」
「そりゃね。エリさんとメグさんに頼み込んで装備一式返してもらってますよ」
言うなり、少年がマントを翻した。ベルトの左に差されていた鞘から銀光が迸る。
彼の右手には一本の抜身の剣が握り締められていた。
諸刃の直剣。刃渡り六十センチメートルほどのショートソード。長剣ほどの威力はないが軽く、取り回しが良い。旅の者にとって実用的な武器だ。
「おれも聞きたいんですがね」
ゆっくりと、剣を八双に構える。
おんぎゃあ、と。
声が、聞こえた。まるで赤子が泣くような声だった。
「これがもう一つの仕事ってことですか?」
おんぎゃあ
おんぎゃあ
ぎゃあ
ぎゃあ
声が近くなる。
こんな場所で、赤子の泣き声が聞こえるはずがない。
あり得ざる場所で聞こえる、あり得ざる声。それがどれほど恐ろしい事か、彼らは身に染みて感じていた。
剣を握る手に汗が滲む。横目を向かわせれば、すぐ横でアズの顔にもうっすらと汗が浮かんでいるのが見えた。
「察しが良いな。頭の良い男は嫌いじゃない」
「わぉ! 両想いってことっすか⁉ やった‼」
「言ってろ!」
声の主が間もなく姿を現した。
それは、見た事もないような獣だった。
鋭い爪を持つ、四つ足の獣。
その頭は鷲か鷹のような猛禽類を思わせる形をして、しかしその眉間にはごつごつした角が生えている。
おんぎゃああ、と。
獣の嘴が開き、声が響いた。
呼応するように深い森の中から次々に姿を現した。その数五体。
頭がどうにかなりそうな光景だった。
「
脂汗をにじませながらも、アカリは怪訝な顔で首を傾げた。
だが、深く考えを巡らせる暇はない。
「五秒、時間稼いでくれ!」
「合点承知の助!」
アズが言い終わる前に、アカリは動き出していた。
飛び掛かってきた最初の一頭に対し、強く踏み込む。
息を大きく吸い込み体内で魔力を生成、腹部から四肢へ、腕から剣へと流し込む。魔術師としての基本の動きでありながら、彼が瞬時に一連の動作として行ったそれは堂に入ったものだった。
「ひゅッ!」
笛の音に似た呼気が迸った。
横薙ぎの一刀、半拍遅れてその軌跡に沿って化物の首元に文字の朱線が走った。
続けざまに手首を返して放たれた次の一閃で、蟲雕の顔が、顎から頭にかけて真っ二つに叩き斬られた。
「どんなもんすか! これぞ、津川式刀法『
返り血を受けて染まった顔で、アカリは自慢げに流派と技名と思しきものを宣言した。
獲物と思っていた相手の思わぬ反撃に、残された四体の蟲雕がたじろぎ、動きを止める。
その時間こそ、アズが欲したものだった。
「オーケー、上出来だ!」
アズが不敵な表情を浮かべたまま両方の拳を叩きつける。
がつん、と。鈍い音が響いた。
とても生身の肉体がぶつかったとは思えない音だった。
「『
声高に、けれど謡うように宣言する。
それが合図だった。
彼女の右腕のバングル、その中央にはめ込まれた真っ赤な宝石が目も眩まんばかりの光を放った。
光は瞬く間に少女の小さな体を包み込んでいく。
少女の体に生じた大きな変化は瞬く間の事だった。茶色がかった髪が燃えるように染まる。纏っていたコートが、その下の衣類が光に変わり、形状を変えていく。
「“紅玉”の魔法少女、アズ……この名乗りも好きじゃないんだがな。こっ恥ずかしい」
あまり気乗りしないのか、困ったように名乗りを上げると、彼女は深紅に染まった長髪をかきあげた。
袖やスカートにフリルのついたレオタードのような真っ赤な装いは、まるでプロレスラーを思わせる。
光が収まった時、そこにいたのは先ほどまでの少女であり、しかしながら先ほどまでとは全く異なる存在だった。
「行くぜ!」
少女が踏み込んだ。それは軽く、ステップを踏むような動きに過ぎない。
だというのに、その刹那彼女は一迅の風になった。
彼女が踏みしめた地面が抉れ、礫と土ぼこりが舞い上がる。
飛んできたそれらから顔を庇いながらも、どうにかアカリは彼女の姿を目で追っていた。
否、目で追うのが精いっぱいだった。
「せぇ、のッ!」
蟲雕の一体のすぐ目の前に近づいた彼女は、まだ行動に移れないでいる化物の横っ面目掛けて拳を振るった。
大振りの右フック。直撃したと見えるやいなや、蟲雕の顔面が熟れすぎたトマトのように爆ぜた。
「おっかねぇ……これが魔法少女か」
それを見ながら、アカリが心底恐ろしそうに呟く。
魔法少女。
それがアズの……彼女達の職であり、在り方だった。
かつての戦いで多くの魔法戦士達が散っていった。けれど彼らの働きにより得られた僅かな時間は決して無駄ではなかった。
命をかけた時間稼ぎの中で作り出された、魔法戦士に続く存在。
人類に残された希望。あるいは人類が先に進むための新たな姿。
それが彼女達、魔法少女だった。
「らあッ!」
雄たけびを上げて、アズが新たな蟲雕に踊りかかる。
力任せに振り回した拳は、ギリギリのところで化物に避けられてしまう。
それでも掠っただけの化物の体が裂け、血が滲んでいた。
恐ろしいまでの怪力だった。
右の上段蹴りが続いて放たれる。今度は外さない。彼女のつま先が喉元に深く食い込み、化物の体が宙に舞い、近くにあった木の幹に叩きつけられた。
断末魔の声を上げて、体から力が抜けていく。その口角からは白い泡が噴き出していた。
あまりにも凄惨な暴力だった。
あまりに一方的な殺戮だった。
とても少女の身に収まるとは思えない力を使いながら、彼女はその顔に心底楽しそうな笑みを浮かべていた。それは己が持ち得る力を思う存分振るえる喜びであり、そして人間の持つ原始的な闘争への欲求の現れであった。
「どうしたどうしたどうした!」
後ろから飛び掛かってきた獣の爪を、バングルで受け止める。金属質な音が響き、けれども少女の体は僅かも揺らぐことはない。
逆に前足をもう片方の手で握り締め、力任せに振り抜いた。
再び、蟲雕の体が吹っ飛んで、今度は地面に叩きつけられる。
痛みによるものかそれと生理的なものか、痙攣を続ける獣は血にまみれていた。
前足の一本が、千切れてなくなっていた。
アズは笑みを浮かべたまま、手に握ったままだったそれを投げ捨て、動けずにいる化物にゆっくりと歩み寄り、
「もうしまいか! なぁ、アカリ、そっちは……」
化物の喉を楽しそうに踏みつぶしてから、少年の方に目を向ける。
「た、助けて! 助けてくださいーーーー‼」
当の少年は、最後の一体の化物に押し倒されていた。
ギリギリのところで前足を剣の鎬で受け止め、次々繰り出される嘴を、首を倒しては体をくねらせ、何とかかんとか防御をしている。が、それも長くは続きそうになかった。
死に体である。
「こんなところで死にたくないぃぃぃぃぃ!!」
「なにやってんだ、お前はぁぁあああ⁉」
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