第26話 魔法戦士の嘘

木枯らしが吹く頃のこと。

先日アズと入った端山を染めていた紅葉も色を潜め、遠くに見える連峰の上の方には白いものが積もっているのが見える。

冬がやって来た。


「冬将軍がご自慢の軍勢を引き連れて、町から町へとやってくる、か」


—ならば旅人は逃げ出すのみだ


町の外れの小高い丘の上、一人格好つけてから、黒衣の魔法戦士は愛用のマントを体にきつく巻き付け、


「いてててて!」


「何をしているのよ」


情けない絶叫をあげるアカリの背後から、アリスが呆れたような声をかけた。

思わぬ人間の登場に、アカリは驚いて勢いよく振り返り、更に痛みに顔をしかめた。


「これはこれは、アリスさん。こんなところで奇遇ですね? 体の方はもう大丈夫なんですか」


「こっちの台詞よ。あんたの方が重傷でしょうに」


アリスの指摘も尤もだ。彼の体はマントの下といい顔と言い、包帯と絆創膏に塗れていて、酷いものだった。

あの怪樹との戦いから一月近くが経っていた。

アカリ達の命がけの作戦によって核を破壊された怪樹は彼らの目論見通りに速やかに滅びを迎えた。

アリスが魔力を使い果たして石化が解ける頃には、町を覆っていた木々は立ち枯れを起こし、無残な姿をさらしていた。このまま放っておいてもいずれ土に還ることだろう。

町の住民とアリスが安堵に胸を撫でおろしたのもつかの間。

この一件の事後処理に追われる事になる。

壊された通信インフラの復旧を始め、外部の町への応援依頼、住民の安否確認まで。待てど暮らせど帰って来ないアカリ達に代わってその全てを取り仕切ったのはアリスだった。

町はずれでボロ雑巾のようになっていたアカリが発見されたのは、彼女がへとへとになりながら、ようやく一通りの仕事を何とかこなした時のことだ。

閉鎖空間で生じた爆風によって、マンホールから運よく地上に排出されたアカリだったが、彼が受けたダメージは生半可なものではなく、瀕死の重体であったらしい。それでも何とか口を利けるまでに快復して事件の真相を聞き出せたのはそれから一週間後の事。

そのタイミングで今度は過労によってアリスが倒れてしまい、今度はアカリが復興の手伝いとアリスの看病に尽力する羽目になった。

そして、現在に至る。


「で、全治数か月の重病人がこんなところで格好つけて何してるのかしら?」


「えー、いや、たいしたことはないんですが。ちょっと散歩に、なんて……」


困ったように頬を掻く少年の様子に、アリスは大きなため息をつく。


「散歩に行くのに荷物全部持ってく人がいるかしら?」


アカリの肩には、中身の少なそうな革袋がかけられている。マントの下にも恐らく装備一式が収められているのだろう。

彼はもう、この町を去るつもりなのだった。


「あはは、まぁ、そのなんて言いますか。そろそろ潮時かなー、なんて」


「潮時?」


「えぇ。居候のただ飯食らいを続けんのも心苦しいですし。それに師匠の教えでして。『金にならない仕事はさっさと降りろ』……って」


「なるほどね」


魔法少女は納得がいったというように深く頷いた。

彼はいつもふざけて韜晦を繰りかえす。だから、今の彼の言葉もあまり真に受けない方が良い。

彼が今の今までいてくれたのは、ひとまずの機能が回復するのを見守るためなのだろう。そして、都や近隣の町からの支援が確定した今日この日を旅立ちの日としたのだ。


「報酬なら十分に用意できると思うけど? もう少ししたら都からの使者が来るのだから」


「あはははは。それはそれは」


ちょっとした意趣返しのつもりだった。

それが分かった上で、アリスの発言に対してアカリはへらへらするのみ。

都に対して思う所もあれば、脛に傷まである身なのだった。


「あ! それよりも報酬といえば!」


不意に真顔に戻った少年が大きな声を出した。


「……何?」


「報酬のデートの約束! すっかり忘れてました。こうして無事に帰って来たんですから、約束果たしてくれませんか?」


アリスは眉間に皺をよせ、


「残念ね」


「あちゃあ、手厳しい」


「言ったでしょ。考えてあげる、って」


「考えてはくれたんですか?」


あいもかわらずの腑抜けた笑顔。残念残念と、口で言うよりも残念そうに見えないのは、きっとこうなる事を予想していたからだろう。


「えぇ。順番は守らなくちゃね」


「え?」


「友達相手に横入りは、無しでしょう」


少年が目を丸くして見つめた先で、アリスは無表情を貫き通す。けれど、その横顔には少しばかりの照れが浮かんでいるようだった。


「アズが戻ってきたら、まずはそっちの約束を。私はその次。それから今度はメグの番」


「そいつは……」


「一体何股かけるのかしら。この色情魔。いつか刺されるわよ」


ぷい、と。顔を背けたアリスをしばし呆然と見つめ、アカリは思わず声を出して笑い出してしまう。

からからと。わざとらしさのない、快活な笑みはきっと彼本来のものなのだろう。


「承知しました! いや、デートの予定が目白押し! モテる男はつらい。二人が戻って来るのが楽しみです」


一通り笑い続け、つられてアリスまで小さな笑い声をあげ始める。

そんな時間がどれほど続いただろうか。やがて声も小さくなり、風の音しか聞こえなくなった頃、アカリも緩んだ表情を引き締めて、


「エリさんの事……オレの力がないばかりに、すみません」


それはアカリが病床で何度となく繰り返し、そしてアリスが幾度となく聞いた言葉だった。


「別に、あなたの所為じゃない」


「しかし、」


「エリもこんな仕事をしていたんだから、覚悟はしていたはずよ。勿論、私も、アズもメグも……化物と戦って命を落とすことは」


アカリが沈痛な表情で息を呑む。

その意味に、アリスは気づいてはいなかった。

彼は、彼女に嘘をついた。

それも特大の嘘だ。

すなわち、エリの最期について。

彼女は最後までこの町の為に戦い、アカリとメグを庇って死んだのだと、アカリは残された町の人々にそう言った。

自分が不甲斐ないばかりに彼女は命をおとしたのだと、涙ながらに伝えたのだ。

我ながら、とんでもない嘘を言ったものだと、そう思う。

メグが帰ってくればすぐにそうと知れる大嘘だ。

そんな事、百も承知だ。分かった上で、それでも彼はエリを悪人にすることは出来なかった。


「……ちくしょう」


アリスに聞こえないように、呻いた。

よしんば聞こえても、それを彼女は別の意味と受け取るだろう。

彼女には、犠牲となった人々に対してとるべき責任、償うべき罪がある。それを隠し、無かったことにする事は、この上ない邪な行為だと、自分でもそう思う。

今の自分も、この町の人々にとっては大罪人だ。


「……さて。それじゃ、そろそろおれは行きます。短い間でしたが、世話になりました」


口元だけの歪な笑みを浮かべ、アカリは踵を返した。


「アカリ」


ゆっくりと、町から離れようと歩き出す戦士の背に、魔法少女の声が投げかけられた。


「あなたが何を抱えているのかは知らないけど。それでも私達はあなたに助けられた」


アカリがそっと振り返る。

そこに立つ一人の少女。彼女が突き出した手の中にある物に魔法戦士の少年の目は惹き付けられた。


「この町も、私も。それにアズもメグも。あなたがいなければ明日なんてなかった」

赤と翠、二つの魔法石。


陽の光を浴びてきらきらと輝くそれらは、まるで彼女達もアカリに何かを言わんとしているようだった。


「ありがとう」


風が、吹いた。冷たく、凍えるような風が今は何故か心地良かった。

少女が浮かべた満面の笑み。

それだけで、報酬としては十分なものだった。


「必ず、二人は帰ってきます」


アカリの言葉は風にとけ、果たしてアリスに届いたかどうか。

それを最後に、アカリはマントを風に翻す。

二度と彼が振り返ることはなかった。

固い靴音だけが、いつまでも寒空の下、響き続けていた。

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魔法少女の断末魔 南西北東 @SWNE326

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