第23話 魔法少女に最後のお誘いを

ばしゃり、と。

水を踏む音が暗渠の中で反響する。

命からがら怪樹の襲撃から逃げ出したアカリ達は、勢いのままにもと来たマンホールの中に間一髪で逃げ込むことに成功したのだ。


「大丈夫、か」


「えぇ」


アカリが肩を貸し、支える形となって歩みを進めていく。

二人ともボロボロだった。一歩進んでは荒い息を吐き、一歩進んではよろける。

汚水を踏みしめる足は最早立っている事さえ辛そうだった。


「何が、起きたの?」


メグが尋ねる。

その声は小さく今にも消え入りそうだった。先程の戦いで、消耗しきっているのだった。


「恐らく、おれ達の……魔力に惹かれて、怪樹が目を覚ましたみたい……ですね」


普段通りの敬語崩れのおどけた口調を何とか繕って、彼は大きく咳き込んだ。湿っぽいもの、恐らく血が絡んだ咳だった。


「なるほど、ね……この作戦は絶望的、ってことかしら?」


「まだ、可能性の目はあり、ます……地表じゃ、奴は蠢いてたが、こっちに潜ってからは追撃がない……もし、核に辿り着ければ、もしかすると」


「そう」


メグは深いため息と共に顔をしかめた。

彼の言う可能性の目が出たとして、核まで二人が無事にたどり着いたとして。満身創痍の今の二人で一体何が出来ると言うのだろうか。

ましてや万全の状態の三人がかりでも危うい相手だ。疲労困憊の魔法少女と瀕死の魔法戦士だけでは、一矢報いることすらも至難の業だろう。


「少し、聞いても良い?」


「あぁ、もちろん」


言葉を発するだけでも辛いだろうに、二人はそれでも会話を途切れさせる事は無かった。話し続けていなければ、意識を保っていられそうになかったのだ。


「あなたの、あの魔法少女の力……何で、最初から使わなかったの?」


アカリは無言のまま、片手で器用に拳銃の弾倉を回転させ、シリンダーとフレームの隙間から、チャンバーに収められた魔法石をメグに見せた。

傷だらけで白く濁り、辛うじて元が水晶であったと分かるようなそれは、以前に彼女が目にした時よりも皹が増しているように見えた。

触れただけで崩れてしまいそうで、誰が見ても、もう魔法石自体が保たない事は明白だった。


「これには、昔、世話になった魔法少女の姉さん……あの人が変換された魔力が込められてるんだ」


「それって、エリの仲間の?」


メグの質問にアカリは頷いて見せると、再び、血の絡んだ咳をしてから続ける。


「おれが受け取った時には既に、もうこの魔法石はボロボロで……姉さんは、戻ってこないって、分かってた」


そう言って彼は、銃を腰に戻すと、代わりに先ほどエリから受け取った魔法石をポケットから取り出した。

大きな罅割れの入ったトパーズの魔法石。

そこにはエリが自身を変換した魔力が込められている。だが、それだけだ。

そこに彼女は存在しない。

変換が彼女の死に間に合わなかったのだ。

彼が姉と呼ぶ魔法少女も、同じだ。


「だから、これを使って、あの人の分まで戦おうって、そう思った事もあったとも。あの力があれば、いや、姉さんの半分でも力があれば、もっと……でも、おれは魔法戦士で、魔法少女じゃないんだ」


汚水の水面に零れた雫が波紋を作る。アカリの頬を流れたそれは、彼の血液だった。


「何とかかんとか工夫して、ズルして騙して、詐術と欺瞞で補って、それでやっと戦

えた。でも……」


少年の体がよろめく。

先ほどの変身の副作用なのだろう。彼の体は内外問わず重傷を負っているらしかった。


「そう……」


メグも納得したように頷く。

短時間の変身と、その後にくる重い副作用。

ごく僅かな間の戦闘能力向上と引き換えの戦闘不能。

いや、今の彼の窮状を見ればそんな生ぬるい物ではすまない事が分かる。ともすれば戦いを終えた後に、命がある保障すらないのだろう。

とても釣り合いが取れるものではない。

本当に、最後の最後でしか使えない切り札だ。

加えて、


「それに、さ」


拳銃をそっと見つめる。チャンバーの中に納まった水晶を。


「もう、変身できるのは後一回か二回……そしたら、これは砕けてなくなっちまうんでしょうね」


魔法少女の力は、肉体を変換することで得られる膨大な魔力が源になっている。

だが、アカリにはそんな芸当は出来ない。ただの戦士に過ぎないアカリに出来るのはあくまで、魔法石に込められた魔力の解放だけだ。

だから、その変身には回数制限がある。魔法石に込められた前有者の肉体に由来する魔力のみ。それが失われた時、アカリはその力を、そして魔法石を失う事になるだろう。


「お姉さんの形見、なんだっけ?」


「えぇ、まぁ。姉っていっても、血のつながりは」


アカリがよろけ、肩を借りていたメグもまたバランスを崩しかけてぎりぎりで踏みとどまる。

いい加減に二人とも限界だった。だが、それでも歩き続ける足を止める事も、休息をとろうとすることもしない。

一度でも立ち止まれば、二度とは立ち上がれない事を理解しているのだった。


「……魔法少女の姉さん達は、おれの……おれ達の恩人です。みんな、良い人だった」


エリの魔法石を固く握りしめ、アカリは顔をしかめた。


「何で、こんなことになるんだ」


絞り出すような声に、メグから答えは返って来ない。


「おれがもう少し強ければ」


エリの企み、彼女が抱えるものにもっと早く気づくことが出来れば。

あの怪樹を滅ぼせるだけの力があれば。

彼女を無傷で止める事が出来れば。

そうすれば、誰も傷つかずに済んだかもしれない。もっと被害者は少なくて済んだかもしれない。あの化物をこれから討滅することだって出来たかもしれない。

こんなに痛くて辛い思い、誰もすることはなかったかもしれない。

エリだって、死ななくて済んだかもしれない。

かもしれないの連続は、後悔の、後悔は無力の証明に他ならない。


「それは、私も同じよ」


掠れたような声でメグが呟いた。


「ずっと、エリとは一緒にいたのに、気づけなかったんだから」


悔恨のこもった口調に力はない。


「それに、私がもっと強い魔法少女なら、こんなところで……」


ずるり、と。

肩からずり落ちたメグの体を慌てて担ぎなおす。

もう、二人とも限界だった。

そして、先にそれを超えてしまったのはメグの方だった。

エリによって受けた傷は、すでに血が止まってはいる。だが、それだけだ。

それ以上再生が進む事は無い。

こうして動き続けていればいつまた傷が開くか分からない。まともな治療はおろか衛生状態さえも期待できない地下空間で、そうなってしまえば、命の保証はまずない。それほどの重傷だった。


「あのさ、アカリ」


「何だ?」


どんどん重くなっていく少女を懸命に抱えながら、アカリはそれでもゆっくりと前に進む。先にあるのは絶望と、勝ち目のない戦いであると分かっていても止まる事は出来ないのだった。




「考えが、あるんだけど」




息も絶え絶えに、彼女が語る提案を聞き終えた時、魔法戦士の顔に浮かんだのは紛れもない嫌悪と憤怒の情だった。


「……自分で、何言ってるか分かってるのか?」


初めて、アカリの足が止まった。

深く、重いため息を一つついて、そっとメグを壁に寄り掛からせるように座らせて、自分は濡れる事もいとわずにその前にかがみこむ。彼女の顔を真正面から覗き込んで、


「ふざけるな。そんなこと、出来るわけがない。不可能だ」


「それしかないでしょう……ううん、違う。私はそうして欲しいの」


今にも消え入りそうな声ではあるが、そこにははっきりと、曲がらぬ決意が秘められていた。


「ふざけるな!」


間髪入れず、死に体とは思えぬ声量で否定する。

彼女の提案は、到底受け入れられるものではなかった。


「おれは! おれにこれ以上、背負わせるんじゃねぇ! もう、限界なんだよ。無理して無茶して、取り繕って諦めて切り捨てて、おどけてなんとか妥協して! それで何とかかんとかここまでやって来たんだ! おれは、おれだってただの人間なんだよ! 師匠や、他の先輩たちみたいな超人や怪物でも、お前らみたいな魔法少女でもねぇんだよ!」


弱っていた喉が裂けたのか、血を吐きながら彼はまくしたてる。

メグがアカリの本音を聞くのが初めてならば、彼も弱音を人前でぶちまけるのも初めてだった。

そこにいつもの飄々としたおどけ者の姿はなかった。底を見せない食わせ者の欠片もなかった。

そこにいるのは、悲鳴を上げる、ただ一人の少年に過ぎなかった。

普段の姿は、自分を騙すための自己欺瞞に過ぎなかった。底なんて、ちょっとまさぐれば手が付く位に浅くて、ばれないようにするのが精いっぱい。

最強の魔法戦士の弟子。あの戦いを生き残った兵士。

彼に出来たのは、その重圧による苦しみを周りに悟らせない演技だけ。

そんな少年に対し、メグは声を荒げる事も感情の高ぶりを見せることもなかった。


「それでも、やってほしいの」


青ざめ、今にも死にそうな顔で、魔法少女は微笑んだ。

ただそれだけだった。

それだけで、十分だった。


「出来るわけがない」


頭を抱え、アカリは水の中にへたり込んだ。

なおも拒否を続ける彼のうめき声は震えていた。


「そうね」


「上手くいくはずがない」


「かもしれない」


「無駄死にだ」


「やらなきゃ、どっちにしても二人とも無駄死によ」


ばきり、と。

鈍い破壊音が聞こえた。それはアカリの口元からのものだった。

噛みしめすぎた奥歯が砕けた音だった。それほどの苦悩が彼の胸中を埋めているのだった。

実際の時間は数分に満たないのだろう。その数分はアカリにとって数年分にも匹敵するほどの時間だった。

固く、瞑っていた瞼を開ける。

彼女の言う通りだった。

それ以外に道がない事は、彼にも分かっていた。

理性がそう判断しても、感情が拒んでいるのだった。


「けっ。メグさんみたいな美人さんが、おれみたいなのと心中がご希望とはね」


悩みに悩み続け、ついに彼が口にしたのはそれだった。

普段通りのおどけた調子。普段通りの張り付いたような薄っぺらい笑みを浮かべる。

他に出来る事はない。取るべきは最悪の中の最善。

だからこそ彼は微笑む。

どうしようもない時、人は笑うしかなくなるのだ。


「あら。あんたからしたら光栄なんじゃない? こんな美少女が最後まで一緒にいてあげるんだから」


彼女にしては珍しい冗談だった。

そんな彼女の瞳には変わらずに強い決意の光が灯っている。


「自分で言うか?」


「自分で言わなくて誰が言うのよ?」


思えばこんな掛け合いを彼女とするのは初めての事で、こんな状況だというのに少しだけ楽しさのようなものを感じてしまう自分がいることに気が付く。

願わくば、こんな時、こんな場所じゃなくて、もっと別の……そう別の出会いが出来ればよかったのにと、そう思わずにはいられなかった。

またしても眉間に皺を寄せた彼の変化に気づいたのか、それともただの偶然か。不意にメグがはたと気づいたというような顔をしたかと思うと、憮然とした様子で、


「それよりアカリ。私の事は誘わないの?」


「誘う?……あだッ⁉」


メグが放り投げた簪が、アカリの顔にヒットした。


「美人を口説かないのは失礼って、あんたが言ってたことでしょ」


「……ははっ。これは失礼を」


一度間をおいて、少年は声を出して笑い出した。

今度は、作り物の笑みではなかった。


「なら、後だしで失礼ですが。この戦いが終わったら、」


「お断り」


「は?」


アカリが言い切る前にメグはそっぽを向いた。

言わせておいて断られるとは思わなかったし、彼女の子供っぽい仕草も予想外のことだった。あまりの事に目を白黒させる彼を見て、メグはくすり、と頬を緩め、


「戦いが終わったら、じゃない。勝ったら、よ」


「……はい!」


逡巡は一瞬。力強く、頷いた。


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