第24話 少女と戦士
ざぶり、と。
水を蹴る音がした。
重く、湿ったそれが連続して暗渠の中に響く。
足音の数はただ一つ、すなわち魔法戦士のものだけだった。
「やー、やっと見つけた。さっすがエリ姉、予想通りの場所だ。もしかしたらこれも嘘だったんじゃないかってちょっとばかし疑ってたんだが、どうやら杞憂だったみたいだ。いや、
暗くじめじめしたこの場所には全く似つかわしくない、明るい声だった。
下水道の合流地点、四つ辻のような開けた場所。
地上の光が一切届かない地下でありながら、ここだけは微かに明るい。壁に張り付いた苔か何かが魔力を帯びた燐光を放っているのだった。薄明りに照らされて、壁に無数に張り巡らされた根が目に入る。そっと手を触れさせると、人肌程度の温かさが妙に心地悪かった。
薄闇に眼を凝らす。
四つ辻の中央、天井から垂れ下がるようにして、それはあった。
見かけだけで言うならば、巨大な種子のようなもの。人間一人が蹲った程の大きさの植物質の塊に、無数の根や蔓が絡みつき、脈打っている。これこそが、話に出てきた“核”だった。
脈動に合わせて、核が薄赤色の光を放つ。それから半拍おいて、壁に張り巡らされた根も震える。まるで心臓と血管のようだ。
ならばここは巨大な怪物の体内だろうか。
そんな事を考えてしまう。
「さて。改めましてこんばんは……いや、おはようございます? 外はもう夜明けか? まぁいいや」
愛用の拳銃のシリンダーを操作しながら、ゆっくりと足を進める。
彼の体から何かがゆらゆらと立ち昇っている。
無理に抑え込まれた凄まじいまでの殺気が、大気を揺らがせているのだった。
「久しぶりだな。前の時はよくもまぁ、おれの仲間や師匠先達、数えきれない仲間たちをたらふく……ってのも変か。てめぇと奪還作戦で会ったやつは別固体な訳だし。逆恨みもいいところだろうな。……いいや違うな。それにしたって恨み辛みに嫌悪感、消して消せるもんでも忘れられるもんでもない。そもそもてめぇも町の人たちを散々食い散らかしてくれたわけで」
固い金属音がした。再装填が終わる音だった。
「ここで、オレが、引導をくれてやる」
轟、と。
アカリを中心に風が吹いた。実際に空気が動いたわけではない。
今までぎりぎりで体内に押し込まれていた殺気と魔力が混じって、彼の体から一気に解き放たれたのだ。
口に愛剣を鞘ごと咥えた。
片手に愛銃を、もう片方の手にはメグの簪を握りしめる。簪からは、あるべきはずの魔法石が消え去っていた。
—『
—
解号を紡ぐ口は一つ。されどその言葉は二人分。
銃から放たれた咆哮は重なり、少女の断末魔を思わせる残響が入り混じる。
先ほどのアカリの殺気とは比べ物にならない程の高密度、高純度の魔力が狭い地下空間を僅か一瞬で満たした。壁という壁が震え、天井から埃や小石が落ちてくる。ともすれば崩落が起きかねないだろう。爆発が起きたと、錯覚させるほどの衝撃だった。
閃光と爆音がおさまった
その瞬間、爆心地に向けて、無数の根が殺到していた。凄まじい魔力に反応し、防衛機能が働いたのだろう。今のアカリのそれは怪樹にとって脅威となりえる存在だった。
根の先端は鋭く尖っていた。エリを殺した時のように、アカリの体など容易く串刺しにすることだろう。ましてや、今襲い掛かった数はあの時の比ではない。
コンマ五秒後、コンクリートの床が砕ける音が聞こえた。まともに食らってしまえば人間など原型も残らないだろう、魔槍の重爆撃。
水と礫の混じった飛沫が収まった時、しかしそこにはアカリの無残な姿は無かった。
ただ、残滓のように残った紫電が天井まで続いていた。
「遅い」
アカリは天井に逆さに立っていた。
ベースとなった白いドレスは薄緑色のベールに包まれ、その周囲には絶えず電撃の火花が飛び回っている。アカリのものともメグのものとも違う戦装束。
水晶と翠雷玉。拳銃のチャンバーに収められた魔法石は二つ、そして響いた銃声もまた。
今そこに居る彼の姿こそは、姉とメグの魔法石の力を同時に使用した姿だった。
再び根の槍が彼の下へと殺到する。直撃したと見えたその直後、彼の姿は閃光とともに消え、コンクリートの床の上に音もなく姿を現した。
水晶の魔法石による魔法少女の基礎能力の疑似的再現に、翠雷玉の魔法石による電撃の魔術。
魔法石二つ分の力を得た彼は、単純な出力でけならば今や本物の魔法少女すら超えかねない何者かへと変貌を遂げていた。
着地した位置で、彼は拳銃をドレスの内側にしまうと、口に咥えた剣を引き抜き、鞘を吐き捨てる。
いつの間にか、彼の片手には簪が変化したエストックが握り締められていた。
双剣を交差させ構えた瞬間、彼の体から強烈な放電が起きた。
「行くぞ」
静かに、呟いた。
声が怪樹の所に届くよりも早く、アカリの体は閃光と化した。
彼を追って動き出した無数の根を掻い潜り、邪魔なものを両手の剣で薙ぎ払う。
今の彼は、一人ではなかった。
「おぉぉぉおおおおおっッ!」
雄たけびを上げる。
メグの提案とは、
もはや自分が戦えず、足手まといにしかならないと悟った彼女は、切り札を切る事を決意する。
そこまでは良い。
だが、彼女がアカリにやらせようとしたこと……今、彼がやって見せた事は更に一歩先を行く。
肉体と魂の魔力への変換。
傷ついた自身を眠りにつかせ、いつか来る復活の日に魔法石という時のゆりかごを託す最終手段。
彼女は自身の未来を賭け金に出したのだ。
アカリが水晶の魔法石を使って変身できる時間はごく僅か。加えてその戦闘能力をもってして怪樹を滅ぼせるかは分からず、変身も後一度発動出来るかどうか分からない。
不可能に限りなく近い状態で、不可能を可能に出来る万に一つの方法。
「らあっ!」
—やぁッ!
少年と少女の声が混ざり合った。剣を振るう彼の耳にはそう聞こえた。
限られた時間、たった一度の変身。
その間に最大効率で最大火力を叩きこみ、殲滅を成し遂げる。そのための最適解はこれだった。
単純な話だ。時間も回数も限られているのならば、出力を上げればいい。
二人分の魔法少女の力を一人に託す。そして託された戦士は一切の妥協も出し惜しみもなく、文字通り全身全霊で全戦闘力を行使する。
どこまでも無茶苦茶。そもそも成立するかどうかも分からない、分が悪すぎ賭け。
そんなものに彼女は命を賭けた。
だから、アカリも持てる全てを賭ける。
そして、見よ、今や二人は一つへと昇華した。
「ちぃぃいッえあああぁぁぁっ!」
左右の武器を同時に振るい、十文字に斬り付ける。電熱をまき散らし、諸悪の根源を断つかと思われたそれは、核を守る様にその周りを覆う蔓に阻まれて、あと僅かに届かない。
傷口をなぞる様に追撃を加えようとした瞬間、蔓の束が彼に向かって伸びてきた。
「ちッ」
跳んで、逃げる。ほんのひと跳びしたつもりだったのに、彼の考えた以上、数十メートルも先に彼の体は一瞬で移動していた。
逃げた先、四つ辻から遠く離れた暗渠の中で、着地と同時にアカリは地面に膝をつき、深い息を吐く。
息と共に胃液が口から逆流した。
「げ、っほッ!」
吐き出した中に赤いものが混じっている。
喉が裂けた。あるいは臓器のどこかがいかれたらしい。当然だ。
変身を遂げた彼が見せた驚異的な動きは明らかにオーバースペックも良いところだった。
高速移動、急制動、方向転換による負荷によって内臓が縦横無尽にシェイクされる。
一歩でも動けば足が、剣を振るえば腕が。骨が軋み、血管が千切れ、筋繊維が断末魔の悲鳴をあげる。
今、膝をついたのも何のことはない、足首が折れて立っていられなくなっただけだ。
それでも痛みを我慢して立ち上がる。止まっている時間などはなかった。彼女が命を賭けて作り出したこの時間を、一秒たりとも無駄にすることは許されない。たとえこの身が失われようとも、魂が焼滅しようとも。命と引き換えにしてでもあの怪物を殲滅するつもりだった。
「じゃなきゃ、割に合わねぇよな……」
そうでもしなければ、失われた町の人たちに申し訳がたたない。
アズとメグの犠牲は何のためなのか分からない。
今なお戦い続けるアリスの頑張りが無駄になる。
そして、
口元を拭う手がひび割れて、鮮血が流れ出していた。
衣装の下でも同じ事が起きている。制御しきれない電撃が神経を焼き、抑えきれない魔力が体の内側で噴出孔を求めて暴れまわる。体が四散してしまいそうだった。
残された時間は、予想以上に少ない。
「じゃッ!」
またしても彼の影が一条の光に変わった。稲妻の如くじぐざぐに根や蔓を避け、もう一度核に接近を試みる。
コンクリートの壁を突き破って襲い来る凶器の数々を焼き切り、切り裂く。
核を覆う蔓をに確実にダメージを与え、削り、弱点を露出させていく。
あと一歩。あと数撃。
「あぅッ!?」
何度目になるか分からないヒットアンドウェイ。距離を取り直す為に退いた先で、不意に足が止まった。
痛みの為ではない。激痛など、既に無視している。
純粋に、両足が魔法少女の全力に耐え切れずに潰れたのだ。
何とか動こうとしたその時、左手に握りしめたエストックが重くなるのを感じた。
思わず目を向ければ、案の定、壁から伸びた根が刀身に絡みつき、その自由を奪い取っていた。意識がそちらに移った僅かな隙。その間にも敵の攻撃は迫ってきている。
「なめるなぁッ!」
迷わずエストックを手放し拳銃を引き抜く。
魔法石の込められたチャンバーは使えない。込められた魔力の弾丸は四発のみ。
それでも戸惑うことなく発砲した。
「“
銃口が向けられたのはコンクリート製の地面。砕け散ったコンクリート片が散弾となって襲い来る蔓たちを弾き飛ばした。
さらに発砲。銃弾が蔓を吹き飛ばし、核の表面に傷をつけた。
好機だった。
「“
更に残された洋剣を放り投げる。回りながら飛んでいった剣に銃弾が直撃し、その威力を乗せる。高速回転した刃が射線上の蔓や根を切り裂き、露出した核に突き刺さった。
「こ、れっ、で……終わりだぁぁあああ!!」
全身から血を吹きだして、叫ぶ。
手放したばかりの刺突剣を掴み、魔力を容赦なく流し込む。
内側から壊された体は、もう自らの電撃で焼かれる痛みなど感じやしなかった。
高圧電流により瞬く間に炭化した拘束から剣を奪い返し、思いきりぶん投げる。今度は真っすぐ、ぶれる事無く飛んだ剣。その柄頭を最後の銃撃が叩く。
「“
銃撃を乗せて、加速した剣の切っ先が核に突き刺さった。
彼が見ている前で剣は徐々に徐々に核に食い込んでいく。
柄本まで潜り込んで止まった時、核の明滅が止まった。蠢いていた根や蔓が脈動をやめ、静寂が地下空間を満たす。
終わった。
そう思った。
「ふぅ……やっぱ、きつ、」
張りつめていた緊張の糸が切れた。その瞬間、彼の口から凄まじい量の血が噴き出し、彼の体が膝から崩れ落ちた。
変身が、とけた。衣装が一際強い電流を放ったかと思うと解れるように元の薄汚れた服に形を変えてく。
身を横たえた彼の前身から血がしみだして、水浸しの地面を朱に染めていく。それは命が彼の体から抜け出ていくのと同義だった。
「あー……こりゃ、死ぬかも。いや、そういう訳にもいかんか」
体に、まともに力が入らなかった。
ただでさえ無茶な変身に加え、その重ねがけ。魔力経、神経系、血管系、内蔵系、筋繊維……思いつく限りの箇所に冗談ごとではないダメージを負っていた。
加えてこの出血だ。何とかして脱出し、早急に処置をしなければ命はなさそうだ。なんとか息を整えからて上体を起こし、拳銃のシリンダーを確認して安心のため息を一つ。
メグの魔法石は幸いにして傷一つなく、無事だった。これならば、彼女を人の形に戻す事も出来るかもしれない。
彼女は賭けに勝った。
ならば、そこには報酬があって然るべきだ。
安堵した影響で薄れそうな意識を何とか保ち、無理やりに立ち上がる。
急いで地上への脱出ルートを見つけ、町まで……出来る事なら避難所まで逃げなければ。
最悪、魔法石だけでもアリスの所へ届けられればそれで良いと、アカリは考えていた。
勿論、自分は可愛いし命は惜しい。が、ここで手放す事にもそこまでの抵抗はない。七年前にこの身は彼岸に踏み出した身である。もう、此岸を離れ、帰るにも遠くまで来過ぎている。
魔法戦士など、所詮は夜にしか生きられない過去の存在。けれど、メグは、アズは、アリスは、魔法少女はそうではない。彼女達こそ、いずれ訪れる夜明けを見る事の出来る可能性なのだから。
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