第13話 魔法少女と最後の希望

炎の灯りが届かない闇の中からゆっくりと姿を現したエリは、ずいぶんと憔悴している様子だった。

そして、彼女の傍らには、明らかに様子がおかしいアズの姿があった。


「エリ!」


「って、アズ! ちょ、おい!」


エリに肩を借りたアズはぐったりとして、目も閉じられていた。


「よう……どじっちまったぜ」


蚊の鳴くような声だった。

言うなり、彼女の体から一気に力が抜けて、すぐにまた意識を取り戻す。

既に変身の解けた彼女の腹が真っ赤に染まっていた。

蔓による鋭い一撃を貰ったのだろう、右わき腹が抉られているらしかった。エリによるものか、包帯がきつく巻き付けてられているが、それも赤一色に塗り替えられ、今こうしている間にも抑え切れない血が彼女の足元に水たまりを作っていく。

本来ならばもう、意識を手放してしまっていてもおかしくない傷と出血量だった。


「しっかりしろ! アリス、メグでも良い! 担架か何か持ってこい」


「おい、あんまり騒ぐなよ。傷に染みる……と言いたいが、すごいな。全然痛くない」


エリによってそっと横たえられた地面で、自嘲気味に、力なく笑って見せた彼女の顔色は土気色で、誰が見ても分かる程はっきりと死相が浮かんでいた。


「しゃべらないで! すぐに何とか……」


その先の言葉を続ける者は誰一人としていなかった。

最早、誰であれどうこう出来るような状態でない事は明らかだった。

アズもそれが分かっている。

エリも、アリスもそうだ。

メグは認めたくなかった。アカリも分かりたくなんてなかった。

しかし、誰がなんと思おうと現実は変わらない。

どうしようもないくらいに、致命傷だった。


「ふざけるな……」


地の底から響くような声は、魔法戦士のものだった。


「しっかりしろ! ふざけるな、てめぇ!」


どんどん血の気の退いていくアズの顔を睨むように見つめて、アカリは強い調子で声をかけ続ける。彼岸に渡らんとする彼女を、少しでも此岸に引き留めようとしているようだった。それが無駄な努力と知らないアカリではない。それでもそうせずにはいられない。


「へぇ、それがお前の素か。なかなか口が悪いみたいだな」


「そんな事言ってる場合じゃねぇだろ! ……そうだ、おれとの約束はどうなる! デートの約束!」


「そりゃ……残念だな」


くすくすと、年相応の少女の如く笑う。

嬉しい時、楽しい時、そしてどうにもならないと分かってしまった時にも人は笑うのだ。


「そういやアカリ。お前、知ってるか? 魔法少女の最期を、さ」


少年は息を飲んだ。

鍔を飲み込もうとして、それすらも叶わない。口の中がカラカラに乾いていた。

吐きそうなくらいに最悪な気分だったのに、気の利いた言葉一つ口から出てはくれない。


「まぁ、そんな顔をするな。今生の別れとは限らないんだ」


彼女がゆっくりと持ち上げた手を、アカリはそっととった。冷たく、生気の感じられない手を彼は強く、しかし優しく握りしめる。少しでも、彼女の体から命の温もりを逃さぬように。

彼女の手から、少しでも震えがなくなるように。


「じゃあ、エリ。後の事は、頼んだぜ」


「……はい」


エリが目を伏せたまま頷くと、アズも安心したように頷き返してそっと目を閉じた。

アカリが握りしめた手のバングルにはめ込まれた紅玉が、光を放ちだす。

否、発光を始めたのは紅玉だけではない。魔法少女の衣装に包まれた彼女の体全体が、うっすらと燐光に包まれ、やがてそれは目も眩まんばかりの強い光に変わっていく。

魔力の光だった。彼女自体が、量、質共に凄まじい魔力に変換されているのだった。

直視し続ければ目がどうにかなりそうな光を間近で見ながら、若き魔法戦士は僅かたりとも目を背ける事も、目を瞑る事もしなかった。

彼女との別れを、目に焼き付けようとしているかのように。それこそが彼女に対する唯一の手向けであるとでも言うように。

冷たく、固い音を立てて、地面にアズのバングルが転がった。

いつの間にか、アカリの手の中でアズの手の感触は消え去っていた。


「お疲れ様でした、アズさん……いいえ、新川梓しんかわ あずささん」


紅玉のはまったバングルを大事に拾い上げ、沈痛な面持ちで彼女の本名を口にすると、その場で黙とうを捧げた。

拳を、握る。形も重さも、何もかもなくなって、しかしそれでもその中には確かに彼女の温もりが残っていた。彼もまた強く目を閉じ、歯を食いしばる。そうしなければ、抑えきれない感情が溢れてしまいそうだった。


「肉体の魔力への変換……魔法少女の基本能力にして、その真髄」


目を閉じたまま、枯れそうな声で彼は呟く。

今アズが見せたものこそが、魔法少女の最期であり、そして最後の希望であった。

瀕死の重傷を負った魔法少女の肉体は、半ば強制的に全て魔力に変換され、それらは全て魔宝石に回収される。遺体や、身に着けていた物まで残さず、残るのは彼女たちが使っていた魔宝石と僅かばかりの装飾品のみ。


「その、アカリさん。気休めかもしれませんが……先ほど、アズさんが言っていたこと。アズさんの石には傷一つありません。これなら、都で適切な処理を受ければ」


「えぇ。分かってます」


アズがその身を魔宝石に捧げる前に口にした言葉。

曰く、“今生の別れとは限らない”。

それこそが、今の光景が曲りなりにも最後の希望とされる所以。

魔法少女の基本性能、肉体と物体の魔力への変換と、魔力の物体への変換。それは彼女達の肉体全てにも適応される。それはつまり、魔宝石に回収された魔力を再度人の形に戻せる可能性を示唆していた。

ただし、石の状態が悪ければ、それは叶わなくなるし、状態が良いからと言って絶対に元に戻れるとは限らない。あくまでも可能性に過ぎないのだ。


「前向きに、考えましょう。……この戦いが終わったら、アズさんの復帰パーティーの準備をしなきゃ」


デートの約束もある事だし、と。

いつになく明るい声だった。場違いなほどに、そして彼らしくない程に。

数えきれない程の命の終わりを見てきた。目に、心に、魂に刻まれた終わりの中にある魔法少女のものは一つや二つではない。にも拘わらず、彼は戻ってきた者を一人も知らなかった。

それでも、信じる事は個人の自由だ。


「……愁嘆場はここでいったん終わりにしましょう。今考えるべきはこれからの事よ」


アリスは瞳を固く閉じ、俯いたまま話を戻す。

冷淡ともとれる彼女の言動に文句を言う者は一人もいない。

彼女の声は、いつになく震えていた。


「これから、ね。……実際問題、どうしますかね」


「先ほどのアカリさんの案……夜逃げ作戦が一番無難ではありますけれど」


エリが言いよどむ。その理由はアカリにも理解できていた。


「四人がかりでどうにか、って話ですからね。全員を守り切れる確率は大分下がるかと」


「そんな……」


「それでもここで籠城するよりかはマシね」


一同、黙り込んでしまう。

彼女達が望むのは全員が無傷で生き残る事だが、現状、それは不可能に近い。

ならば少数を切り捨ててでも多数を助けるべきだ。

それが理解できない者は今この場に存在しない。しかし頭で理解できることと、実際にそれをやれる事は全くの別物だ。


「……犠牲は覚悟してもらって、逃げるしかないでしょう」


真っ先にそれを口にしたのはアカリだった。彼女達にその決断を下させまいとしての事だった。

メグもエリも、ただ唇をかみしめて俯くより他になかった。それ以上の作戦など、思いつくはずもなく、時間が経てば経つほど、夜明けが近づけば近づくほどに作戦の成功率は下がっていく。

悩んでいる時間は残されていない、はずだった。


「賭けに出る気はありますか?」


メグとアリスが顔を上げ、その声の主の方に目を向ける。その先では、今まで黙り込んでいたアリスが何かを覚悟した様子で、万年筆を握りしめていた。


「エリ?」


「あの木の化物を討滅します」


「無茶だ」


何の事もなさげに、淡々と告げるアリスだったが、アカリは間髪入れずに声をあげた。


「あの化物は相当な大物だ。新人魔法少女と三流魔法戦士が束になったところででどうこう出来る相手じゃない」


「アカリ?」


何事かと目を丸くするメグの前で、少年は尚も話をやめようとはしなかった。


「奴は……正確な所は分からない。ムコド族に伝わる生贄の木とか、暗黒大陸の怪樹ヤ=テ=ベオの近縁種とか言われてる。何にせよ一筋縄じゃいかない。祠都奪還線で一番最初の障害になったのが奴だ。あいつの所為で何人の魔法戦士が、仲間が犠牲になったか……!」


拳を握りしめて熱弁を振るう彼の様子は、メグには些か不自然に映った。


「……あれの倒し方なら、判明していたはずです」


そんなにアカリに対し、エリはあくまでも冷静だった。


「七年前は討滅方法を探すのに一番時間がかかったはず。それが判明している今ならあるいは」


冷静に、諭すようにエリは続けた。


「それにしたって、時間が足りませんよ。今から手を打って、夜が明けるまでに探し出してどうこうするのは不可能です」


「時間ならなんとか出来るわ」


三人の目がアリスに集まった。


「私のとっておきを使えば、しばらくの間は町を凍結状態に出来る」


「あれを使う気ですか?」


「それしか手がないなら、私は迷わない」


エリとアリスが真面目な顔で真っ向から見つめ合う。

その意味するところが分からないアカリは、メグの方をちらりと見やるが、彼女も分かっていないらしく、疑問符が浮かんでいるのが見て取れた。

意味するところは、仲間であるメグでさえも知らない秘術。


「分かり、ました。……維持出来る時間は?」


「大雑把な計算で十二時間、プラスマイナス二時間ってところかしら」


「半日……かなり難しいですね」


「だけど上手く行けば、町の人は全員無事で済むわ」


「もし私たちが失敗した時は」


「全滅……とはならないように余力は残すわ」


「ちょっと待て。二人で話を進めるの、少しやめてもらえますかね?」


エリとアリスの間にアカリが割って入った。このまま放っておけば知らない間に何か取り返しのつかない事が決まってしまう気がした。


「エリさん。それにアリスさんも。二人にしか分からない事で納得されると、こっちとしてはあまりいい気分ではないもので……あ、いやすみません。お二人が特別な関係で、睦言を囁いてたっていうならその、止めはしないんですが。むしろいいぞもっとやれってとこで」


「アカリさん」


へらへらと。いつも通りに軽く、ふざけて、ともすれば不謹慎ともとれる態度でまくしたてるアカリを、エリはやんわりと、たったの一言で制してみせた。

そして、酷く困ったような、哀しそうな微笑みを浮かべ、アリスの方に向き直る。


「……何をするつもりか知らないが、よせ。こんな土壇場で思いつく事なんてロクなもんじゃない」


アリスが何かを言うより早く、吐き捨てるように魔法戦士は呟いた。

だがそんな彼の考えや思いなど無視して魔法少女は先を続けた。


「アズの身体強化、メグの雷撃……今度は私の、魔法少女としての固有の能力を使うわ」


「そりゃ興味深い。ですが、それをお披露目してもらうのはまた今度ってことで」


「アカリさん!」


茶化して何とか話を逸らそうとするアカリを、再びエリが制した。


「これより、アリスさんがこの避難所を、町の人々を凍結封印します。私たちは、その時間内に怪樹を討滅します」


「出来るの⁉」


「不可能だ!」


メグとアカリが同時に声を上げた。

驚愕に満ちた声だった。少女のそれは希望から、少年のそれは否定からのものである。


「可能なはずです。確かに正面から戦うのはこの人数では不可能です。でも、かつての奪還作戦で判明したあの怪樹の弱点をつくのならば、十分に可能性はある」


「それにしても時間が足りない! たった半日であれを見つけてどうこうするなんて!」


「前例はありませんが、決して分の悪い賭けではありません」


食ってかからんばかりの勢いで感情的になったアカリだったが、それを前にしてもエリは揺らがない。いつも通りの優しげな態度は崩さず、しかし決して譲らぬという固い意志を持って彼の反論を真っ向から切って捨てた。

最早、彼女の決意を変えられるものはこの場にいなかった。

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