第11話 魔法少女と終わりの始まり
翌朝、メグは家の中に響き渡る聞き慣れない音で目が覚めた。
目覚ましとは違う音に慌てて飛び起き、しばし呆然とした後にそれが何なのか理解して首を傾げる。
その正体は、久しぶりに聞く呼び鈴の音だった。
この町に戻ってから、メグの家を訪ねる者は限られていて、いたとしても魔法少女の仲間たちくらいのものである。それにしたってアズは家の前で大声を出して人の名前を呼ぶし、アリスはそもそもにして自分の家と詰め所以外に出歩く事自体が稀だ。
あるとすればエリだが、彼女も滅多な事では家までやって来ることはない。プライベートにはなるべく踏み込みたくないのだと、いつだったか、彼女がそう言っていた。
寝ぼけ眼ながらも何とか返事をやって、取り急ぎ寝間着を脱ぎ捨て仕事着兼私服に着替えると、髪を軽くまとめてから玄関に向かう。
まだ目も覚めきっておらず、足取りもあまり覚束ないままに、扉を開く。
「おはようございます」
「……何?」
そこに立っていたのは、彼女の予想だにしなかった人物だった。
いや、よく考えれば昨日の今日の事、彼がやってくる事はそう不思議な事ではないのだが、あいにくとまだ碌に働かない頭ではそこまで思い付きはしなかった。
「朝早くからすみません。少し、お時間よろしいですか?」
「……まぁ」
下駄箱の上に置いた置時計に目をやる。
時刻は七時少し前くらい、詰め所への集合は毎朝八時半なので、準備を考えても、余程込み入った話でなければ聞くくらいの時間は十分にある。
玄関を開け放ち、内側に引っ込む。
上がる様にと示したつもりだったが、しかしアカリは笑顔でそれを辞退した。
「いやー、そこまで大した話でもないので手短に」
そう言って彼は改めてメグを見つめる。
まっすぐに、昨日の夜メグが彼に対してそうしたように。ただ一つ違うのは、彼が微笑んでいる事。
それは優しい笑顔だった。向けられて思わず反射的に微笑み返してしまいそうになるような、そして何故か無性に泣きたくなってくるような、儚い笑みだった。
「本当ならみなさんにしなきゃいけないんですが……そうすると寂しくて、おれ泣いちゃうかもしれないので、代表してメグさんにと思いまして」
「は?」
「いや、ご挨拶を。短い間でしたが、お世話になりました」
それは、どこからどう聞いても、何度反芻してみても、間違いなく別れの挨拶に他ならなかった。
「おれ、もうこの町を出ます」
「え?」
「何と言うか、あんまり歓迎されてないみたいですし」
「そんな事は……」
ないと、慌ててそう言おうとしたが、生憎彼女には身に覚えがあり過ぎた。
一番彼に、冷たく当たっていたのは彼女だった。
原因は意思疎通の不足や偏見、その他諸々ではあったが、思い返せば随分な事をしたと、彼女自身も思うところがある。
だが、一度腰を据えて話をしてみて、誤解が解け始めてきたこのタイミング、少しはマシな関係が築けるかと思った矢先で彼がそんな事を言い出すとは……
そこまで考えて、彼女ははたと気づいて心の中で首を振る。
こんなタイミングだからこそ、彼はそんな事を言い出したのだ。
「はは、何て冗談です、冗談。懐かしかったもんで、つい……じゃねぇや。あんまりこの町の居心地が良かったから」
急ぐ旅でもなければ、そこまでの目的がある訳でもない、あてどすらもない旅ではあるが、さすがに長居しすぎだと、アカリも感じていた。
脛に傷持つ身としては、一つ所に居座るのは、あまり望ましい事ではない。
だが、今しがた口にした通りに、この町に居心地の良さを感じていたのは紛れもない事実であり、借金の事がなくてもなかなか抜け出せずにいたのだ。
彼にしてみれば、昨晩の出来事は好い転機だった。
「借金の返済もまぁ、これだけ働けば……っても何もしてないか。足りない分は何とかしますんで」
彼はそう言うと、右腰に下げていた回転式拳銃を引き抜いて何やら手元で弄り回し、チャンバー一つにつき一つずつ、中から眩い銀色の球体を取り出していく。
「これって……」
球体を、メグはそっと手に取った。
実包が実戦に使用されるより以前に使われてきた、相当に古いタイプの銃弾。別々に込める炸薬と火薬によって打ち出す球体状の金属の塊。
だが、人外の化生を相手取る存在が持つそれは、ただの金属で出来ているはずがない
「これ、一応、そこそこ純度の高い銀で出来てます。本当は大事な商売道具をあんまり切り売りしたくはないんで黙ってましたが、そうも言ってられなさそうなんで」
「ちょっと待って。いくらなんでもこれは貰いすぎよ」
彼が取りだした弾丸は計五つ、どれもこれも直径二十ミリを超える、弾丸としては規格外のサイズ。その全てが彼の言う通り銀で出来ているのならば、その価格はかなりのものになる。
「いやいや。とっといてください。久しぶりに良い物を見れましたから」
「良い、もの?」
「懐かしいもの、ですかね? いや、例えそれが仮初のものであったとしても、平和ってのは良い。特に、エリさんみたいな美人が笑ってる風景は、なかなか絵になります……おっと」
こんな時まで冗談めかして笑い、合計5つの弾丸をテーブルの上に広げた彼は、しかし六つ目のチャンバーから転がりだしたものを慌てて拾い上げた。
それは、銀とは違う輝きを持った物だった。
「って! ちょっと待ちなさい」
今の今まで面食らって動けなくなっていたメグが、正気を取り戻したようにアカリの手を掴んだ。
ただ一瞬目にしただけで目が覚めるほど、それは彼女にとって衝撃的なものだった。
見間違いを疑うほどにあり得ないもの。そして、彼女にとって見間違いようのない程に手元で慣れ親しんだものだった。
「今の何?」
「いや、ちょっとしたお守りでして。これは流石に差し上げるわけには、」
「見せなさい!」
「いやー、それは」
苦笑を浮かべながらも、アカリはそれを固く握りしめたまま決して離そうとはしなかった。
表情とは違って必死ささえ感じさせる。目が明らかに笑ってはいない。
それを知ってなお、メグは無理やりにアカリの手をこじ開ける。そうしてでも確かめなければならない理由が彼女にはあるのだ。
「やめてくれ!」
軽くもみ合いになり、昨日下駄箱の上に置いたカバンが転がって、中身が土間にぶちまけられる。
ついにアカリの手が開かれた。果たしてそこにあったものは、彼女の予想した通りのものだった。
「これって!」
彼の手の中から零れ落ち、玄関先の石畳の上を転がったそれを拾い上げ、メグは目を見開いた。
銃弾にはあり得ない、不自然な姿。
先端に向けて鋭くなっていく、角ばった柱状のフォルムは特徴的で、他に見間違えようがない。
見てくれこそ白っぽく、くすんでいるもののそれは、よくよく観察すれば、元は透明な内側に無数の皹が入って濁りきっているのが分かる。
それは、間違いなく鉱物……水晶の結晶であった。
それもただの水晶ではない。
一瞬見ただけでも分かった。そして手に取ってみて、それは確信に変わった。
これは、
「魔法石……魔法少女の変身デバイス……っ!」
言うなり彼女は眦を吊り上げて、アカリを睨みつける。
何事かを口にする前に、簪を引き抜いて彼の喉元に突きつけた。
メグの簪やアズのバングルのように周囲を覆う装飾はなく。知らない者が見たらただの水晶の欠片にしか見えないだろうが、魔法少女からすれば一目瞭然だ。
それは間違いなく、彼女たちが用いる魔法石そのものだった。
「何で、あんたがこれを!」
思わず声を荒げてしまう。
魔法石は魔法少女の変身や能力の要であり、同時に彼女達にとっては一心同体、命と等しい代物である。
魔法少女は魔法石を媒体に肉体を魔力に変換、再構築して人知を超えた力を発揮する。そのシステム上、魔法石と魔法少女の肉体の結びつきは非常に強く、文字通り切っても切り離せない関係にある。
故に、持ち主以外、ましてや魔法少女でもない者が魔法石を持ち歩く事はあり得ない。あってはならない事態なのだった。
「いや、その、事情が……いや、」
両手を上げて降参の意思を示しながらも、魔法戦士の少年言いよどむ。
余程言いづらいことなのか、あるいはやましいところがあるのか。
「魔法石は魔法少女の命そのもの。こんなもの、どこで手に入れたの?」
喉に簪の先端をぴったりと押し付けて、メグはなるべく冷静に尋ねた。
ともすればこのまま変身までして叩きのめしてしまいそうになるのを何とか抑える。
これは、それほどの緊急事態なのだ。
今、彼女が言った通り、魔法石は命そのもの。魔法石を手放すという事は、魔法少女にとってその力を放棄する事に等しい。
否、魔法石との結びつきが強ければ、石の喪失はそのまま精神や魂に負荷をかけ、時には本来の持ち主の命を奪う事すらも有り得る。
ならば考えられるのは一つしかない。
「どこからか、盗んできたの?」
「そんな、まさか! これは、」
手を上げたまま、力強く首を振る。その仕草とは裏腹に、彼は発言を途中で止めて黙り込んでしまった。
メグはなおも問い詰めようと、彼の襟元を空いた手で掴むが、それでもアカリは何も言わない。弁解も、韜晦も何もない。ただ目を逸らせるだけの彼の顔は、どこまでも悲しみに満ちていて、果てしなく辛そうだった。
昨晩、己が戦う理由を語った時と同じ目をしていた。
「……何か、理由があるのね?」
簪を下ろし、魔法少女は魔法戦士の少年の顔を睨みつけた。
少し前までだったら、ここで彼の事を締め上げていたかもしれない。力づくでも魔法石を取り上げ、有無を言わさずに叩きのめしていたことだろう。
だが、昨晩話し合ってみて、彼にも何かしら抱えている物がある事を知った。彼の心にも決して軽くない重しが圧し掛かっている事を知った。
そしてそれは恐らく、メグと同じ種類の傷だ。
だからこそ、彼女は彼を必要以上に警戒したのだ。
軽薄な態度も、調子のいい言動も、勿論癪に障った事はたしかだが、それだけではなかった。直感的に彼が自身と同じであると分かってしまったが故の、自己嫌悪が多分に含まれていた事に、今の彼女は気づいていた。
鏡に映る、自分とは違う自分の可能性を、まっすぐに見つめ、目を離さない。
「でも、理由は教えて。どういうことなのか説明しなさい」
長い付き合いではないが、少なくとも彼が嘘を言っていない事だけは分かる。
やむを得ない理由と深い訳があるのだろう。だが、それとこれとは話が別だ。
例えそれが人には話せない事情であっても、こればっかりは聞かないわけにはいかなかった。
魔法石を持ち主以外の人間が持ち歩いているという事は、彼女の同類、仲間の命が関わっていることなのだから当然だ。
「それは……」
眉間に深い皺を寄せ、なおも言い渋る。
ぎりり、と。
そんな鈍い音が聞こえた。真一文字に結ばれた、彼の口元から発せられた音だった。
噛み砕かんばかりに歯を食いしばって耐えなければならない程、凄まじい葛藤が彼の胸の内で起こっているのだった。
「これは、貰ったものだ」
「貰った?」
怪訝な顔をするメグに対し、アカリは顔を俯かせて視線を彷徨わせ、
「……おい、待て」
彼の目が、地面に向けられたまま見開かれた。
「は?」
「これは、何だ?」
言うなり彼は土間に散らばっていたカバンの中身を拾い上げる。
それは一枚の板切れだった。かまぼこ板程の大きさの木版に、文字とも紋様ともつかない複雑な図が細かく描かれている。
刃物によるものだろうか、その表面を斜めに断ち切るように、一本の傷がつけられていた。
「え? いや、エリから仕掛けるように言われた魔除けだけど……じゃなくて! 今は私が聞いて、」
「そんな事はどうでもいい!」
急な話題変更に驚きながらも、質問を続けようとするメグだったが、アカリは彼女の台詞を一喝して遮った。
彼が初めて見せる顔だった。
昨晩、過去の一端を語った時も、先日、メグに叩きのめされた時も決して見せなかった表情をしていた。
驚愕、怒り、そして焦り。それらがないまぜになった、酷く不安定で危うい表情。余程のことなのだろうか、彼の様子には切羽詰まったものがありありと見て取れる。
「これ、エリさんから貰ったのか? 本当に?」
「え、えぇ。そうだけど」
「それじゃこの傷は? もともとあったのか? それとも、落として傷ついたとか、もしくはメグさんがつけたとかしてないか?」
矢継ぎ早に問い、アカリは散らばった品々を慌てた様子で拾い上げ、それぞれを確認していく。一つ、また一つと魔除けの品を拾うたびに彼の顔色は酷いものに変わっていった。
「多分、元からついてたと思うけど……私は少なくともいじったりはしてないわよ」
「そんな、まさか」
板きれに刻まれた傷を指先でなぞり、呻くように呟く。
「ちょっと、一体何を」
新たに増えた疑問の前に、どこから尋ねるべきか決めかねていたメグだが、その思考は次の瞬間に雲散霧消することになる。
朝の静けさをかき消して響き渡るサイレンの音。アカリもメグも、同じタイミングで玄関の外に向き直った。
暴力的なまでの合成音は、この町に訪れた危機を意味していた。
「メグ!」
「分かってる!」
二人の反応は早かった。
アカリはメグの手から水晶をひったくると、今しがた下駄箱の上に置いたばかりの銃弾をかっさらって走り出す。
遅れてメグも彼の背中を追いかけながら、
「後で、ちゃんと説明しなさい!」
返事はなかった。
だが、走りながらも彼はちらりと彼女の方をほんの一瞬、たった一回振り返る。
その首が、僅かに縦に振られたように見えたのは、きっと見間違いではないはずだ。
今は、それだけで十分だった。
魔法戦士は再び前を向いて加速する。彼が振り返る事は二度となかった。負けじとメグもまた全速力で駆け出す。
既に二人は道の先にあるものが、これ以上ないくらいに危険なものであると本能的に察していた。
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