第15話 魔法少女の決死行

濡れた地面を踏みしめる。

元から、まともに人が歩くようになど作られていないのだろう。ともすればくるぶし近くまでが汚水に沈む。靴に防水加工こそされてはいるが、それでも足先に感じる冷たさは彼女たちの士気を下げるのには十分なものだった。


「どれくらい経ったの?」


メグの問いに対する答えはすぐには返ってこなかった。

冷たい金属音が薄暗い空間に響く。


「出発からおよそ三時間……地上はあと二時間もすれば夜明けですね」


傍らに灯りとして浮かべた火球が揺らいだ。

薄橙色の明かりに照らされた懐中時計の文字盤を見つめてエリは上に目を向けた。

そこにはあるべき空はなく、ずいぶんと低い位置に人口の天井があるばかり。

地上と、そう言ったように、彼女たちが今いる場所は町の地下を走る暗渠の中だった。

カビと腐った水の悪臭に満ち、湿り切った空気は重く、一呼吸ごとに体が内側から汚染される気分になってくる。


「随分歩き続けましたね……そろそろ休憩すべきじゃないですか?」


最後尾を歩いていたアカリが提案する。彼の手には小さな火が灯った一枚の呪符が握り締められていた。この日も月も、星の光さえも届かぬ地下において、エリとアカリの作り出す術による灯りのみが唯一の光源であった。


「そんな暇は……と言いたいのですが」


エリが困ったように眉をひそめ、口元を覆うスカーフを直した。

彼女たちの決死行のゴールまでどれほどの距離があるのか、そもそもにして彼女達が目指す先にゴールがあるのか、そこまでの道のりがどのようになるかは神のみぞ知るものだった。

時間も限られている以上、急がなければならないのは確かだが、このまま消耗を続けるのも得策とは言えない。


「さすがに、ね……」


メグも拳をぎゅっと握りしめて頷いた。

一刻も早く辿り着かねばならないと言う焦りはある。だが、今の消耗具合は決して無視できないものだった。


「あら?」


エリがふと声を漏らし、足を止める。

僅かな風を感じたのだ。それはこの湿った地下空間には似合わない新鮮な空気を運んできた。薄闇に目を凝らすと少し先に開けた場所があり、そこがぼんやりと明るくなっているのが見て取れた。

彼女が少し歩調を早め、メグとアカリもそれに続く。間もなく辿り着いた場所はどうやらマンホールの真下らしかった。経年劣化によるものか、あるいは度重なる戦いの影響によるものか、本来頭上にあるはずのマンホールの蓋がなく、外の空気と灯りが零れてきているのだった。


「丁度おあつらえ向きの場所ですね」


「そう、っね。少しだけ休みましょう」


エリが言うなり、アカリは真っ先に腰を下ろす。ここで休めとでも言わんばかりに乾いた地面に、二人の少女もそっと座り込んだ。


「いや、疲れた……こんな無茶な行軍久しぶりですよ」


壁に背中を預けてアカリがぼやく。

いつの間にか、彼の手の中の呪符は輝きを失っていた。地下に潜ってから灯しっぱなしだったそれは、少しずつではあるが、総じて決して無視できない量の魔力を燃やしてきていたのだった。


「三十分…いえ、十五分。休んだら行きましょう」


「それで充分です……」


中折れ帽子をずらして少年は目元を覆う。

どうやら休憩の時間内に少しでも寝て魔力と体力の回復を図るつもりらしかった。


「エリ」


「どうしました?」


壁に背を預けたままメグが尋ねる。


「こんなところに、奴の弱点なんてあるの?」


「えぇ。以前にあれの同種が現れた際、当時の魔法少女と魔法戦士が見つけたんです」


「それって、七年前の奪還作戦の時のこと?」


「えぇ。あの時も今回と同じように、斬っても燃やしても、何をしても有効打を与えられずに魔法戦士たちは苦戦を強いられました。その戦いの中で、あの怪物には本体と言うべきものがあるのが判明したんです」


「根の部分にある“核”」


二人の視線が、寝ているかと思われた彼の方に向く。


「それを潰さない限り奴は何度でも再生する。気づくのに結構な時間がかかったおかげで有力な魔法戦士が序盤で何人もやられて、その弟子やまだ実戦経験のない見習いみたいなのまで駆り出される羽目になったんだ」


心底忌々しそうな物言いだった。まるで彼自身、あの怪物と因縁があるかのような口ぶりだった。


「あの時、怪物の核は地下の暗渠の中にあったんです。どうやらあれは地下水を好むみたいでした。恐らく今回も」


「でも、暗渠って言ったって結構広いじゃない。この先にある確証なんてあるの?」


「一応は。今回、戦いながら樹海が広がっていた範囲を調べて、凡その中心位置を求めたんです。前回と同じなら、おそらく核はそこに」


「そう……分かった。でも、それならなんでわざわざ地下を進む必要があるの?」


エリはもっともだと言うように頷いてから


「あの怪物は、夜は大人しいとは言っても完全に活動を止めているわけじゃないんです。何かの拍子に活性化することだって……それに、結界が崩れたことで町の中にも他の化物が侵入して来ていました。それらと交戦して無駄に力を使うよりも、少しでも安全な道を行くのが得策と思います」


「捕食器官の役目をしてる樹木部分に比べて、根っこの部分はまだ警戒が薄い……とは言っても絶対安全とは限らないんだがな。滅多に人が入らない場所だ、何がいてもおかしくはない。……おまけにこの匂いだ」


帽子をずらして、アカリはわざとらしく鼻をつまんで見せた。こんな時でもおどけるのをやめないのは彼の性分と言うより、身についた習慣のようだった。

今だからこそ、こんな時だからこそメグにも分かる。彼のそれは場を少しでも和らげようとする気遣いからくるものだった。


「この戦いが終わったら、まずは風呂に入らなきゃですね。ふわぁッ……っと話過ぎた。おれはちょっと寝ます。メグさんもそうした方が良い。もしそれも出来ないってんなら」


大きな欠伸を一つ、アカリは帽子をもう一度目元まで下ろして、天井を指さした。


「丁度、マンホールは空いてるんだ。地上の空気でも吸ってくると良いですよ」


「……いい。やっと慣れたのに、今外の空気なんて吸ったら後が大変だもん


「私は行ってきます」


エリが立ち上がりマンホールに続く梯子を登り始めると、アカリはそっと帽子をずらしてそれとなく目線を上に向け、


「アカリ」


「ぶみゃッ」


飛んできた鞄が彼の顔面にヒットした。

視界がしっかりしていなかった分反応が遅れたのか、モロに直撃したらしく、アカリは涙目でメグを睨みつけた。


「何しやがる!」


「あんた今何見てた?」


「……優れた美とは、人の目を奪う物です。魔法戦士と言えど、美の誘惑から逃れるのはどうにも難しい」


それは殆ど無意識の行動だったのだろう。バツが悪そうに、アカリはそっと帽子を元に戻した。


「恰好つけてんじゃないわよ。人のお尻をおっかけるのが魔法戦士のやること?」


「あらあら」


梯子の上からエリが振り返って笑いかける。アカリのセクハラに呆れ半分、しかしその笑みの真意は二人の掛け合いに微笑ましい物を見てのものだった。


「全く、こんな時だって言うのにこの男は……」


「こんな時だから、ですよ。ずっと緊張しっぱなしでは身も心も持ちませんから」


ころころと、今度は笑い声を上げながら彼女は梯子を上りきり、地上へと消えていった。

それを見送って、メグはアカリを一瞥する。今まさにふざけた事をしたばかりだと言うのに、既に彼は休息に入っているのか規則正しい寝息を立てていた。

ため息を一つ、メグも体から力を抜いて瞼を閉じる。体中の疲れは瞬く間に眠気に変わり、彼女の意識は深い闇の中に溶けていった。






降り注ぐ月の光をいっぱいに浴びながら悠然と歩む彼女の姿は、古の女神と見紛うばかりに美しかった。身を裂くような寒気など僅かばかりも感じていないのか、あるいはそれを跳ねのけるものを持っているのか。

荒れ果て、瓦礫の山となった町を進む彼女の体は、霊視の利く者が見れば薄青白い気に包まれているのが分かった事だろう。

凄まじいまでの魔力か、あるいは気迫か。そういったものが彼女を覆っているのだ。

それはエリが意識して行っている事ではなかった。

身の内に宿すものが抑えきれずに漏れ出でているらしい。それは怒気であり、殺気であった。普段から隠し続けて来たそれを表出させたのは、こらえきれない程の歓喜によるものだった。

一際冷たい風が彼女の長い髪を乱す。薄い笑みと共に顔にかかった髪を整えて、彼女は目的の物を見つけたのか、瓦礫の山に生い茂った木に近づいていく。

怪樹の一本。その枝先についた子供の握りこぶし程の丸いもの。

赤く熟した果実だった。

エリは満足そうに頷いて、口元をほころばせ、それに指先を触れさせて、


「よせ」


凍り付いたようにエリが手を止めた。ゆっくりと首だけを回して向けた視線の先、眩いばかりの月光に目を細めれば、そこに映るのは照らされて立つ蒼影。

若き魔法戦士がそこに居た。

いつもの一種飄々として、ともすれば軽薄な様子はどこにいったのか。真っすぐに、僅かもぶれずに立つその姿は名工の彫像を思わせる。彼の表情は、彼女の方からは逆光に遮られて上手く伺えない。

だが、何故か。

理由は分からないが、彼が今にも泣きそうに唇を噛みしめているのを幻視して思わず目元をこすった。

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