第16話 魔法少女の狂気

「それに触らない方がいいですよ」


「あら? どうしたんですか、アカリさん。お休みになられている筈じゃ」


今にも人を殺しそうな剣呑な目つきは瞬く間になりを潜め、エリはゆっくりと彼の方を振り返って困ったような微笑みを浮かべた。

慈愛に満ちた優しい笑みだった。


「アカリさん?」


どれほど二人は見つめ合っていたのだろうか。

数分か、あるいはほんの刹那か。

アカリは白い息を吐き出して、ゆっくりと魔法少女の方に足を動かした。


「それは、奴の果実、ようは種子だ。いつぞやの作戦の時にも見たことがある。そん

なもん収穫して何をするつもりですか?」


へにゃりと。いつもと変わらぬ脱力した笑みを浮かべ、しかし目だけは微かにも笑う事は無かった。


「いえ、外に出てみたらこんなものがあったので、つい……もしかしたら食べられるのかなー、なんて思いまして」


「ははは、それは無理でしょう。人が口にするには、内包する魔力が歪すぎる。毒の有無はともかく、ね」


「そうですね。言われてみれば随分と禍々しい魔力です……私としたことが好奇心に駆られてらしくもないミスを」


くすくすと、口元を抑えて上品に微笑んで見せる。

その手がそっと、首元の十字架のチョーカーに伸びた。


「いやいや、極限状態じゃそんなミスは誰だってやりますよ。ほら、いつぞやもそれを食べた魔法少女がグロッキーになってたでしょ?」


「そうですね、あの時は看病が大変で、」


言いかけて、はたと気づいた。

その出来事はかつての祠都奪還作戦の際のもの。何故、アカリがそれを知っているのか。


「さ、そんなもの放っておきましょう。もうすぐ時間になります」


さらにアカリは近づき、果実から手を離すように促した。彼女は未だ、果実に手をかけたままだった。本人も無意識であったのだろう。彼に指摘されてびくりと指を振るわせて、しかし、その指先は再び果実の表面を撫で始めた。


「それに、もしそいつを他の土地に植えたりなんかしたら大変だ。繁殖力そんなに強くないとはいえ、一度芽吹いたらこの通り手に負えない。一種の生物兵器みたいなもんです」


ゆっくりと。

距離を詰めるアカリの動きは、隙を伺う肉食獣のそれに似ていた。

口調こそ柔らかく、剽軽な笑みさえ浮かべ、しかしそこには僅かな油断も存在していなかった。


「それとも、エリさんはもとからそれが目的だったんですか?」


「……何を言っているんですか?」


ことり、と。

小首を傾げて浮かべた微笑はけれど冷たく、作り物めいていた。


「おれ達だけで核を潰す……こんな無謀な作戦を提案したのもエリさんでしたよね」


残り数メートルの距離でアカリは足を止める。会話をするには少し遠く、仕掛けるにも半歩遠い、そんな距離。


「アカリさんが何をおっしゃりたいのか分かりませんが……分の悪い賭けと言われれば、そうかもしれません。ですが、私は町の人が一人でも多く助かる方法を選んだだけです」


「まさか。エリさんは、おれなんかよりもよっぽど頭が良い。言ってることが分からないわけないでしょう。それに、一人でも多く、ってんなら、『低確率で全員助かるけど高確率で全滅する』なんて方法とりますかね?」


「そこに可能性があるのなら。全員助かるに越したことはないでしょう?」


アカリが笑い声をあげた。

ひどく乾いて、空虚な笑いだった。


「はは、言っちゃなんですが、成功確率は一桁大。奇跡みたいなもんだ。魔法だの化物だの相手取るおれらだからこそ知ってるでしょ? 奇跡ってのは滅多に起こらないから奇跡です。あの奪還作戦を乗り越えた歴戦の勇士が考えるにしちゃお粗末だ。……それに」


魔法少女の足元に投げてよこしたそれは、彼女が作ったという護符だった。

隙を見てメグから失敬してきたそれに描かれた複雑な紋様には無残な傷が刻まれている。


「そいつは確かに魔除けの護符だ。おれの目から見てもなかなか出来が良い。ですが、この細工はあからさま過ぎる。あんまり術に詳しくないメグさん達なら騙せたんでしょうがね。これは、魔導符だ。魔除けをわざわざ傷つけて効果を逆転させ、化物共を呼び寄せる……真っ当な術師なら柄合わない外法。一体どれだけの時間をかけたんですか? あんな大物を呼び出すのは難しい。いや、もしかしてあんなのが来たのは計算外とか? 本当はもっと御しやすい、」


「アカリさん」


アカリの台詞を途中で遮った。


「メグさんはどうしました?」


「彼女なら、まだ向こうに」


それは良かった、と。

アカリの返事を聞くか聞かないかのタイミングで、彼女は首からかけたロザリオに手をかけた。


「『バーン・アップ変身』」


エリの胸元から迸った閃光が周囲を照らし出す。

シルエットとなった二人の間を、ひと際眩い光がつないだ。


「察しが良い人は嫌いじゃありません。貴方の事も。だから、残念です」


光がおさまると同時に、アカリは音もなくその場に崩れ落ちた。

ロザリオが変化した十字槍を突き出すように構え、魔法少女の戦装束を纏ったエリは少しだけ残念そうに呟いた。

変身からの不意打ちで放った火球が、アカリの胸元を直撃していた。

怪樹の茂みを一掃する威力の火球。対人用に調整していたとはいえ、その一撃は人一人この世から葬り去るには十分な火力を持っている。

焦げ臭いにおいを感じながら、エリは少年の死を確認すべく一歩踏み出して、


「エリ、さん……」


「――あら」


足を止めた。

まだ彼に息があることが心底不思議でたまらないらしい。形のいい目を丸く見開いて、しかしすぐに細める。


「まだ生きているなんて、さすがですね」


「な、んで……」


地に伏したまま、息も絶え絶えに疑問を口にする少年を見下ろして、彼女はこの場には似合わぬ、いつも通りの微苦笑を浮かべてみせた。


「何故? 簡単に言えば、堪忍袋の緒が切れたんです。いいえ、そんなもの、ずっと前にばらばらに千切れていたのかもしれません」


口調も表情も変えぬまま、淡々と語る彼女の姿は異様だった。


「アカリさんが本当は何者なのか、ついぞ正体は分かりませんでしたが……あなたなら何となくわかるんじゃないですか?」


「復讐……いや、八つ当たり、か」


絞り出すような答えに対し、彼女は不服そうに


「八つ当たりとは心外です。いい加減にうんざりなんですよ。こんな僻地で、お年寄りの相手をし続けるのは。……身を粉にして、第一線で戦い続けて、その結果がこんな僻地での勤務なんて、割に合わないと思いませんか?」


「奪還作戦の、ことですか?」


アカリの問に、頷いて、


「あの時、私のお友達が死にました。魔法少女になってから、ずっと一緒だったお友達。それに、良くしてくれた方々もたくさん。私たちにも親切で、笑顔を絶やさなかった丘咲さん。津川さんはぶっきらぼうで無愛想ながらみんなの事を気にかけてくれていましたっけ。芦屋の人に吐山の人、櫻場の人にも支えてもらいました……。それに、まだ年端もいかない、当時の私達よりもずっと若くて可愛い盛りの、少年兵のみんな。みんな、死にました。みんな遠くに行ってしまった。私だって辛くて辛くて、辛くてたまらない思いをしたのに。それなのに、与えられた任務はこんな僻地の守り」


槍をくるりと回し、彼女は鋭い目をアカリに向けた。


「それに、この町に暮らしているのは、あの時、安全圏から私たちに無茶な命令を出して、状況をひっかきまわしてくれた偉い人達です。そんな人たちを守り続けなければならない、この仕事がどれほどのものか、あなたに分かりますか?」


「エリ、さん……」


アカリは答えない。答える事など出来るはずがなかった。


「だから、全部壊してしまおうと思ったんです。全部壊して、すっきりしようって」


彼女はいつから、こんな狂気に囚われてきたのだろうか。

この町の防衛任務に就いたその時か。あるいは作戦が終了した時だろうか。

否。きっとそれは、彼女が動かなくなった友の骸を抱え、慟哭を上げたあの時からなのだろう。

虚無と憎悪にねじ切れそうな心を支え、平静を保つためには復讐の狂気に身を捧げるしかなかったのだろう。


「死出の旅路へのお土産にしても、少し話過ぎましたね。何だかアカリさんを見ていると、不思議に饒舌になってしまうんです。……メグさんも待っている事ですし。このまま苦しませるのも趣味ではないので、さっくりと終わりにしましょう。大丈夫、あなたの体は木が栄養にしてくれますよ」


槍を手に、今度こそとどめを刺すべく歩み寄るその足取りに、一切の迷いはなかった。

一歩、また一歩と。死神の足音はアカリの元へと迫っていく。

槍が振り上げられた。


「エリ姉から、そんな台詞は聞きたくなかったな」 

                  

心臓目掛けて穂先が走った瞬間、エリはそんな台詞を聞いた気がした。

死に体の少年の口から出たとは思えぬ、力強い声。

幻聴だと、そう思った。


「え?」


使い慣れた槍だ。魔物に対しては勿論、人間に対して振るうのも初めての事でもない。

命を奪う、湿っぽく重い嫌な感触も身近なものになってしまった。

だが、たった今振るった槍は、慣れてしまったそれを伝えてくることはなかった。

穂先は地面に食い込み、貫かれて死すはずだった少年は転がる様にその切っ先から逃れていた。

先の火球を受け、致命の傷を負った身で何故そこまで機敏に動けるのか。疑問に思う間はなかった。

起き抜け様に少年が腰元から走らせた白銀の閃光。十字の軌跡を描いた二連撃をとっさに戻した槍の柄で受け止める。

鈍い音、体の芯に響く重み。反射的に振るった槍に対し、少年は怪我や不調など僅かも感じさせぬ動きで跳びずさって逃げた。


「……何故動けるのですか?」


槍の切っ先を向けて、エリが訝しむように尋ねる。

答えはない。代わりに、アカリがまとったマントの下溢れ出して地面に散らばった、無数の焦げた呪符が答えだった。


「とっさに術で防御したわけですか」


「魔法戦士なんて、伊達や酔狂で名乗ってるわけじゃないもんで」


片手に握りしめた剣を構える。

先ほどまでの演技は、情報を引き出し、あわよくば隙をついて終わらせるためのものだったが、後者の目論見は上手くはいかなかった。

虎の子の不意打ちが外れた今、アカリに出来るのは真っ向からエリと対峙することのみ。

魔法少女の戦闘能力は魔法戦士五人分……五対一の戦い。とてもではないが、分が悪すぎた。


「勝てると、思ってるんですか?」


「さーて? でもどのみちここでしっぽ撒いて逃げても許してはくれないんでしょ?」


「何も言わずに消えてくれるなら何もしない……なんて言っても信じてはくれないんでしょうね」


「信じたいのはやまやまなんですが」


剣と槍を向け合ったまま、二人はゆっくりと動き始めていた。

両者の間合いの中間地点を中心に円を描くように。しかけるタイミングを探っているのだった

その円は少しずつ、しかし確実に縮まっていく。


「あの果実を取ろうとしてた、って事は、目的はこの町の壊滅だけじゃないんでしょ? それだけが目的なら、あんた一人暴れるだけで何人も殺す事が出来たはずだ。……となると、察するに、今度はその実を都にでも持ち込んで、さらなる大暴れ……もとい、復讐でもおっぱじめる」


「本当に察しが良いですね」


二人の間合いが重なった。瞬間、どちらともなく駆け出した。

一条、二条と、月光を受けた刃が閃き、鋭い金属音が鳴り響く。エリが繰り出す槍を弾き、あるいは流し、そうして作った刹那の間を利用してアカリは反撃の為の一手を繰り出していく。

驚くべきことだった。

ただの魔法戦士が、歴戦の魔法少女と互角に打ち合うなど、とうていあり得る話ではない。


「まさか、ここまで出来るとは」


「お褒めにあずかり恐悦至極。エリさんに褒められる日がくるとは、おれも少しは強くなってるみたいで安心しましたよ」


ほんの一瞬の鍔迫り合いの間に言葉を交わし、アカリはその場を離脱する。そうでもしなければ、単純な膂力の差で押し負けてしまうのだ。

駆けて跳んで跳ねて、躱して逸らし、時には欺き、先を読む。

そうして繋いだ僅かな可能性をたどる。動作を見てから対処をしていたのでは遅すぎる。行動よりも先に死がやってくるだろう。顔を狙って繰り出される刃を予測し、紙一重で避ける。

頬が裂けて、熱いものが顔を濡らした。分かっていても怪我は避けられない。

エリが槍を再び操るよりも速く、彼女の懐に飛び込んで剣撃を見舞う。


「ちぃ……ッ」


だが、当たらない。彼の剣は虚空を斬って、代わりに振り回された槍の柄が彼の体を横薙ぎに打った。

直撃の瞬間、ぎりぎりで槍と体の間に剣を滑り込ませて守り、さらに同じベクトルに跳んで衝撃を逃がす。それでもダメージは免れなかった。


「かっ……」


熱い息が漏れた。

肋骨に皹の一つや二つ入っていてもおかしくない痛みに顔をしかめる。剣を壊されなかったのは不幸中の幸いだった。

立ち止まっている余裕はない。すぐにその場から転がって逃げて、追撃を寸でのところで避ける。


「あなた、何者なんですか?」


「ん? ただの、流れ者の、魔法戦士、ですが……!」


再び武器同士が火花を散らしてぶつかり合う中で、エリが訝し気に尋ね、アカリが答える。その間にも何度も何度も剣と術の応酬が続いている。


「ただの魔法戦士がここまで出来るとは思えませんが」


「へ! それならおれが一流の、戦士ってことでしょうよ。あるいは、エリさんの腕が、鈍ったか」


減らず口を叩く彼には、言葉とは裏腹に僅かの笑みも何もない。汗みずくで傷と泥にまみれた顔を紅潮させ、荒い息を繰り返していた。

アカリがエリに向けた剣の切っ先から、赤い光弾が放たれた。いつぞや彼がアリスの家で見せた火の玉に似たそれは、エリの顔面目掛けて飛ぶ。

首を傾げて避ける。それは彼女の顔の真横でごく小規模な爆発を起こした。

魔法少女にダメージを与えるには程遠い威力のそれだが、不意打ちと、それに続く攻撃への起点を作るには十分なものだった。

アカリが踏み込み剣を数度振るう。躱されていく中でようやく剣閃の一つが彼女の魔法衣を微かに切り裂いた。

さらにその次の一撃。一際甲高い音を立てて刃同士がぶつかると、二人はそれぞれの後方に跳んで下がる。


「あなたが都からの調査員なのか、それとも本当にただの流れ者なのか。気にはなりますが、仕方がありません。もうそろそろ終わりにしましょう。メグさんを待たせてはいけません」


「へっ、へへ。そんな野暮な事言いっこなしで、すよ。おれとしてはもうちょいエリさんと遊んでいたいとところ、なんですけど」


槍を止めたエリの前で、アカリは剣を地面に突き立てて肩を上下させる。

息が上がっていた。

当たり前のことだった。いかに彼が肉体を鍛えていたといえ、彼自身はあくまでもただの人間に過ぎない。いくら術で強化を加えたとしても、根本的に魔法少女の能力には及ばない。

そうでないのならば、魔法少女が生まれる事も、魔法戦士が衰退する事もなかったのだ。

加えてこの膠着状態も良くない。

ほんの一手間違えただけで死ぬ。コンマ一秒測り間違えれば命はない。

そんな極限状態では心身にかかる負担は計り知れない。


「随分と苦しそう。可哀そうに、今、楽にしてさしあげます。あなた達に恨みは……ありますが、嬲る趣味はありませんから」


「恨み?」


「えぇ。奪い取った権力に座にふんぞり返って、そのくせ私達魔法少女を最前線で使い続ける魔法戦士も私の復讐の対象です」


とん、と。

軽い音がした。

それがアカリの耳に届いた時、既にエリの振るう刃はアカリの顔の真ん前に迫っていた。

小手先の技術では、音さえ置き去りにする魔法少女の本気の動きに対処出来ようはずがなかった。


「エリ?」


不意に。

彼ら二人の意識の外から、想定外の声がかかった。

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