第5話 湖国の船内

 捜査本部のある大津署に佐川と山形警部補は出向いた。そこの捜査員に山形警部補の身に起こったことを話し、すこし剥けた首の皮膚からサンプルを取ってもらった。これであのロープが山形警部補の首を絞めた物と証明できる。


「山形さん。病院に行かなくてもいいのですか?」

「大丈夫よ。首が少し傷ついただけよ。すぐに治るわ。」


 佐川は心配するが、山形警部補は笑って首を横に振った。このまま大津署で捜査の成り行きを待ってもいいが、手持ち無沙汰になりそうだった。佐川は山形警部補に聞いてみた。


「これからどうしましょうか?」

「そうね。うちの課長に報告を送らなければならないけど・・・。スマホは壊れてしまってね。」

「それなら湖上署に行きましょう。備品をお貸しできると思います。何もなかったら今頃そこにお迎えして、今後の方針を立てていたのですから。」

「それは助かるわ。」


 

 これでやっと山形警部補を警察船「湖国」に迎えることができる。今朝、大津港から出港していた湖国はこの時間には戻っている。ジープを降りて大津港に向かうとその大きな船体が見えた。

 佐川と山形警部補はタラップを上がっていった。よくこの地に「お客さん」、いわゆる他府県からの官僚や警察関係者が訪ねてくることがあるが、佐川は案内係として駆り出され、滋賀県警の目玉としてここを案内することは多かった。彼は慣れた口調でいろいろと説明しながら中を案内した。山形警部補は物珍しそうに驚いてあちこちを見ていた。 


「珍しいですね。船の警察署なんて。」

「ええ。『うみのこ』を改造したんですよ。」

「うみのこ? 何なんですか?」

「はい。この船は元々、『うみのこ』という学習船だったのです。滋賀県に住む小学5年生が乗船して、ここに泊まって体験教育を受けるのです。」

「ここではそういうこともしているのですね。初めて知ったわ。」

「この船は長い間、その事業に従事して老朽化してお役御免となって解体されることになったのです。しかし県知事の意向を受けて残されることになったんです。湖の上の警察署として湖の安全を守ろうと。」

「そうだったのですか。」

「でも湖の行事に引っ張り出されたり、湖の監視をするだけぐらいしか仕事がないのです。今回のような殺人事件にかかわるのは初めてではないでしょうかね。」


 佐川は相手が年下だが警部補ということもあって気を使い、向こうは何か気負いのようなものがあってお互いに遠慮があった。だがいろいろと話しているうちにようやく山形警部補とも打ち解けてきた。

 佐川は様々な話をしながら山形警部補を観察した。彼女はこの若さで警部補まで昇進したエリートだ。昇任試験を一発で合格してきた、頭が切れる人なのだろう。だがそんな雰囲気は全くなかった。キリキリした様子はなく優しい感じがあった。

 捜査課に案内してみたが、そこには事務職員の上村さんはおらず、書類仕事をしている梅沢しかいなかった。仕方がなく佐川がコーヒーを出していると、ドアをノックして大橋署長が入ってきた。あわてて山形警部補は立ち上がった。


「山形君かね。署長の大橋です。遠いところをようこそ。」

「ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします。」


 山形警部補は頭を下げた。その様子を大橋署長は一瞬、鋭い目で見た。


「まあ、座りたまえ。話は聞いた。いろいろあって大変だったね。」


 大橋署長は優しく言葉を駆けながら、ドカっとソファに腰を下ろした。それを見て山形警部補もゆっくりソファに座り直した。大橋署長は私の方を向いた。


「犯人が網にかかるのを待っているんだな?」

「はい。山形さんが追ってきた香島良一の可能性が高いと思います。」

「ふむ・・・」


 大橋署長はそう言って考え込んだ。佐川は山形警部補に言った。


「そういえば静岡の事件について何も伺っていませんでしたね。資料は届いていますが、説明をお願いできますか?」

「はい。わかりました。」


 山形警部補が話し出した。


「昨日の朝、佐鳴湖公園で男が背中から血を流して死んでいるのを散歩中の男女が発見しました。前の夜にナイフで一突きされたようであり、凶器は見つかっていません。被害者は青山翔太、28歳。職業は自営業ということですが、脅迫などヤクザまがいのことをしていたチンピラです。青山は夜に香島良一に呼び出されてそこに行ったようです。その時刻、その現場を通りかかった人が男の口論する声を聞いております。それで香島良一を容疑者として任意同行しようとしたのですが、一足違いに逃げられてしまいました。そして同棲相手の日比野香も姿を消していました。その部屋のパソコンを調べると滋賀県への電車と時刻表を調べた形跡があり、彼らが滋賀県に逃亡したと見て私が派遣されたのです。」


 そこまで山形警部補が話した時、佐川が尋ねた。


「どうして香島は青山を刺したのでしょう?」

「それはわかりません。彼らが高校の同級生だったことしかわかっておりません。特に親しかったわけでもないようです。」


 動機がはっきりしない・・・それは琵琶湖疎水の殺人事件と同じだった。とにかくそこでも桜の咲く木の下で人が殺されたのだ。


「それで山形さんは京都で日比野香を見つけたのですね?」

「ええ、偶然。新幹線を降りてJR琵琶湖線に乗ろうとしたら彼女がいたのです。香島はおらず一人でした。私は気づかれないように後をつけ、その電車に乗り込みました。膳所駅で降りて、京阪に乗り換えて三井寺駅について尾行しているときに、佐川さんから電話をもらったのです。」

「その前に私に電話をくれただろう?」


 大橋署長がいきなり言った。それに大橋警部補は「えっ!」と戸惑っていた。


「ええ、そうでしたね。確か・・・」


 山形警部補はそのことをすっかり忘れているようだった。大橋署長が言った。


「君が京都で日比野香を見つけて尾行していて、湖上署への到着が遅くなると電話をくれたのだよ。忘れたのかね?」

「そうそう、そうでした。思い出しました。とにかく日比野香を三井寺へと追っていくと、彼女はだんだん人にいない寂しい場所に歩いて行きました。これは香島良一と会うのではないかと思いさらに尾行を続けていくと、伽藍の裏で木々が生い茂っているところでいきなり後ろから首を絞められました。」

「香島だったのですか?」


 佐川が尋ねた。すると山形警部補はうなずいた。


「ええ、ちらっとだけど確かにそうだった。そして気を失ってしまい、佐川さんに助けられたというわけです。」


 山形警部補が佐川を見てそう言った。そこで佐川が後を続けた。


「このことから犯人は香島と断定したのです。彼らの間に何らかの諍いがあったのでしょう。香島を逮捕すれば詳しいことがわかると思います。」


 だが大橋署長は納得していない顔をしていた。


「だが、なぜという疑問が残る。私の勘だが、この事件、単純ではない気がするが・・・」


 署長がそう言いかけた時、捜査課の電話が鳴った。


「こちら湖上署捜査課、梅沢です。」


 梅沢は電話に出ると、すぐに佐川に受話器を回した。


「佐川さん。県警の堀野さんです。」


 それは堀野刑事だった。香島が網にかかったのか・・・と思った佐川が電話に出るとそれは思わぬことを聞かされた。


「佐川か。たった今、こちらに飛び込んできたことだが・・・」

「香島が捕まったのか?」

「いや、それはまだだ。それより大変な事件が起こった。昨夜、彦根で男が刺殺されたのだ。」

「殺人事件か。しかし今回の事件と関係があるのか?」

「それが・・・その犯行に使われたナイフが日比野香を刺したナイフと大きさが似ているようなのだ。」

「なんだって!」


 佐川は大きな声を上げた。それに驚いた大橋署長と山形警部補が佐川の方を見た。


「とにかく今は確認中だ。現場は彦根城だ。その大手門の辺りらしい。こちらも捜査員を向かわせている。」

「わかった。知らせてくれてありがとう。」


 佐川は電話を切った。もしそれが香島の犯行なら、彼は静岡で殺人をした後、次の日の夜に彦根に現れて男を刺し、大津に行って三井寺で山形警部補を襲った後、近くの琵琶湖疎水のそばの倉庫で日比野香を殺したことになる。山形警部補は別として殺された人たちに何か共通点があるのかもしれない・・・佐川はじっと考えていた。その様子にこらえられなくなったのか、大橋署長が口を開いた。


「佐川君。大きな声で驚いていたが何かあったのかね?」


 佐川はそれではっと我に返った。


「すいません。つい考えこんでしまって・・・。県警捜査一課の堀野刑事が知らせてくれたのですが、昨夜、彦根で男が刺殺されたそうです。それに使われたナイフが日比野香を刺殺したナイフと似ているようなんです。」


 それを聞いて大橋署長の目は鋭くなった。山形警部補は佐川に尋ねた。


「それは確かなんですか?」

「これから調べると思います。もしそうだとしたら日比野香の事件と関わりがあります。」

「この辺りに潜伏している香島は大津署が逮捕するでしょう。それではっきりするかもしれませんね。」


 その山形警部補の言葉に大橋署長が口を開いた。


「いや、香島が口をつぐめば解明できないかもしれない。彦根と大津、場所は離れているがこの2つの殺人事件が結びついた。静岡の事件を含めて犯人の動機が分かるかもしれんぞ。」

「確かに・・・」


 佐川はうなずいた。ここでちゃんと調べないと後で困るような気がしたのだ。


「念のために彦根に今から行ってきます。山形さんはどうしますか? 一緒に行きますか?」

「え、ええ・・・はい。私も行きます。」


 山形警部補はそう答えたが、何か気乗りしないように佐川には見えた。彼女は大津署の網にかかった香島を逮捕さえすれば、わざわざ彦根に出向かなくてもすべて解決すると思っているのかもしれない。


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