第24話 忘れられた過去

 4月8日に日輝高校は始業式を行った。新学期を迎えて、そこにはいつもと変わらない高校生活が始まっていた。日比野舞子がいないのを除いては・・・。学校側はまた不登校になったぐらいにしか思っていなかった。そして舞子の伯父母も彼女の書置きがあったので、家出して東京の姉の香のところにでも行ったと思っていた。

 あれから響子や部員たちは普通に家に帰った。誰にも怪しまれないように・・・。だがひどく元気がなく疲れた顔をしていた。だが彼らの家族はおかしいとは思わずに、花見で遊び過ぎたぐらいに思っていた。

 部員たちはあのことについてみな口をつぐんでいた。しゃべればどんなことになるか・・・彼らにははっきりわかっていた。だから他の誰かに花見のことを聞かれても、


「桜がきれいだった・・・」


 と言うだけだった。軽音楽部でお互いに顔を合わせても、その話はしなかった。皆、すべてを忘れてしまったようでもあるし、忘れようとしていた。彼らは年月だけが解決すると思っていた。


 ◇

 

 姉の香が、舞子の家出のことを聞いたのは、彼女が姿を消して1週間を過ぎてからだった。舞台公演でしばらく家を留守にしていたから、伯母と連絡が取れていなかったのだ。公演が終わりアパートに帰った香は珍しく伯母から電話をもらった。


「舞子がそっちに行ったと思うから、荷物を取りに来て。」


 用件はそれだけだった。それで香は舞子がいなくなったことを初めて知った。


「おばさん。舞子は来ていないけど。」

「でも書置きにそう書いてあったんだよ。あんたの所に行くからって。じゃあ、頼むよ。」


 それだけで電話が切れた。厄介払いができて清々したという雰囲気が電話越しでも伝わって来た。

 香はアパートをしばらく留守にしていたが、誰かが訪ねてきた様子はなかった。もちろん周りの人にも聞いてみたが、誰も知らないという・・・。


「(もしかして舞子の身に・・・)


 香は悪い予感がした。それですぐに甲賀に戻って来た。真っ先に大角の家を訪ねたが、伯母の伸江は冷たかった。


「あんたはもうこの家を縁が切れているんだからね。勝手に出て行って。舞子だってそう。書置きだけで出て行って人騒ぎだわ。みんなに迷惑をかけて。あんたのところに行ったんじゃないの?」

「それが来ていないのよ。」

「そんなことは知らないわ。自分で探しなさいよ。それと舞子の荷物をあんたの所に送っておいたから。家が狭くて仕方がないから。」


 伸江は玄関先でそう言って、ドアをバタンと閉めた。香はともかく甲賀署に捜索願を出した。しかし警察の方では事件と考えておらず、単なる家出としか見てくれていないようだった。


「若い子ならよくあるんです。家出してパッと消えてしまうことが。東京に行って自由にしているんじゃないですか? 東京の警察に相談されたらどうです? 未成年なら補導されているかもしれませんから。名前を隠して親元に連絡が来ないこともあるんですよ。」


 担当の警察官にはそう言われた。確かにそうかもしれないが、香は嫌な予感がしていた。


(何かの事件に巻き込まれて姿を消したのか。どこかに捕まっているのか、最悪はもう・・・。)


 そう思うと胸が締め付けられる思いがした。自分がこの家を捨てて東京行ってしまったのが悪かったのか・・・。妹を一人にしてしまったから、こんなことになってしまったのか・・・香は自分を責めた。

 それから何度も甲賀署に足を運んだが、担当の警察官には同じようなことを言われた。実際、捜査しているかどうかも分からずに・・・。

 舞子の書置きも見せてもらったが、やはり姉のいる東京にいると書かれていた。もしかしたら東京のどこかにいるかもしれないと・・・香はそう思うしかなかった。香は東京に戻っていった。


 ◇


 香は東京に戻り、すぐに警察で舞子の捜索願いを出した。しかし東京では家出人は数多いる。姉のところ以外、行先の手がかりのない舞子を探し出すのは難しいように思えた。

 彼女のアパートには伸江から送り付けられた舞子の荷物が届いた。


(今となってはこれしか手掛かりはない・・・)


 そう思って香は荷物を開いた。そこには教科書やノート、エレキギターに譜面、衣類などの身の回りの物・・・あまり手掛かりとなるものはなかった。香はため息をついてそれらを整理していた。だがふと手が滑って落としたノートの中に、舞子の日記が紛れ込んでいたのを発見した。家出の時に持っていくのを忘れたようだった。


(もしかして、何かの手掛かりが・・・)


 香は日記を読んでみた。すると自然に涙がこぼれてきた。そこには舞子の苦しみが綴られていたのだ。伯父母の冷たい仕打ち、せっかくできた彼氏の留学によるしばしの別れ、そしてあの万引き事件。その頃から部長の平塚響子にいじめられ、他の部員にも冷たくされて精神的に追い詰められていることがわかった。香は舞子の辛さが直接、身に染みてくるように感じた。

 そして最後のページには・・・ただ家出して東京にいる姉のもとに行く…と書かれていた。そこからは舞子の行き先はわからなかった。


(もう一度、甲賀に行こう。日輝高校で直接、生徒に聞いてみよう。)


 香には舞台の仕事があった。しかしそれを辞めてでも舞子の行方を探すつもりだった。今は舞台女優として花開いてきており大切な時期だったものの、そんなことより妹のことが大事だった。

 香は再び甲賀に行き、日輝高校を訪ねた。そしてまず顧問の藤宮先生を訪ねた。香は日記を見せて軽音楽部にいじめがあったことを告げた。


「すまないと思っています。顧問と言っても名前だけで、たまに活動を見に行くだけだった。生徒たちの自主的な活動が多く、まさか部内でそんなことが行われているとは思わなかった。」


 藤宮先生は謝った。香は舞子の行き先の心当たりについて聞いてみた。


「舞子の家出と関係があると思いますが、行先はわからないのですか? 生徒の方も何か知っておられなかったのですか?」

「いや、まったく・・・。舞子さんが家出されたことで警察の方が調べに来られたので生徒に聞きましたが、舞子さんの行き先はわからないと・・・。確かその日は10人ほど集まって花見に行ったようです。舞子さんを誘っていなかったから、その日は会っていないと言っていました。」

「そうですか・・・」


 藤宮先生からは手がかりを得られなかった。香は軽音楽部の生徒からも話を聞いた。それも舞子をいじめていたという平塚響子からも・・・。


「私は知りません。いじめなんかしていません。万引きをしていたのを見たから注意しただけです。それも秘密にしてあげたのに・・・多分、被害妄想でそう思っているんじゃないですか。」


 響子は悪びれた様子もなく、冷ややかに言った。他の部員からも話を聞いたが響子の話と同じようだった。まるで口裏を合わせたように・・・。それに舞子の行き先の心当たりを尋ねたが、みな同じ答えだった。


「知りません。」


 その一言だけで、後は何も話そうとしなかった。香は軽音楽部の部員たちに不信感を抱いたが、それ以上、どうすることもできなかった。

 結局、香は日輝高校で舞子について何の手掛かりも得ることができず、東京に戻っていった。ただ彼女は一縷の望みは捨てていなかった。いつか舞子に会えると信じて・・・。


 ◇


 しばらく日がたった後に、香島良一がアメリカ留学から帰ってきた。だが日比野舞子はもういなかった。学校の噂では家出して東京に行ったらしい・・・。

 あれほどアメリカから手紙のやり取りをしたのに、もう舞子からは手紙は届かなかった。良一は彼女の身が心配でなんとか探し出したかったが、高校生の身では東京まで行くことはできなかった。

 そこで、舞子がなぜ家出をしたのか・・・良一は考えてみた。引き取られた伯父母の家に居づらいのはわかっていたが、家出するほどまでとは思わなかった。それに軽音楽部でのいじめは彼がアメリカに発った後に起こったので、良一が知る由もなかった。彼が知る限り、舞子は充実した楽しい高校生活を過ごしていた。良一にはどうして家出してしまったのかはわからなかった。


「舞子がどうして家を出たか知っているか?」


 良一は同級生や軽音楽部の生徒に聞きまわった。だが「何も知らない」と答えが返って来るだけだった。特に軽音楽部の部員たちは舞子の話をしてもそれを避けるようにしていた。まるで舞子など最初からいなかったともいわんばかりの態度を取る者もいた。


(一体、何があったんだ・・・)


 良一は心の中でつぶやいた。アメリカに届いた彼女の手紙にはつらいことなど何も書いていなかった。きっと隠していたんだろう・・・。


(僕にだけは言ってくれたらいいのに・・・)


 急に姿を消した舞子を良一は恨んだ。だが日が経つにつれて舞子のことを少しずつ忘れていった。それは彼にとって苦い青春のほんの1ページに過ぎなくなっていた。


 やがて1年が過ぎた。また桜が咲く時期になった。響子たち3年生は日輝高校を卒業していった。彼女らはあのことについてはずっと口をつぐんでいた。残された清彦たち新3年生もあのことをすっかり忘れたかのように、普通に高校生活を過ごしていた。だが軽音楽部の恒例の花見はその年から無くなった。そして彼らは桜の花が咲いているのを見ると、急に身震いして恐怖に青ざめているようになった。あのことで桜を直視できなくなっていたのだ。それだけが他の者から不思議に見えていた。


 だが年月は無情にも流れていった。あの事件に関わった部員たちはすべてを記憶の底にしまい込んだ。今では桜の花を見てもあのことを思い出すこともない。あのことは心の中で風化してしまい、忘れ去られてしまったのだ。あの日までは・・・。



 第3章 花蕾編 終わり


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