第31話 良一の自白

 湖上署の取締室では荒木警部に見守られて、涙を流しながら良一が話し始めていた。


「僕は商社の静岡支社に勤めていましたが、そこが倒産してしまい、なんとかアルバイトで食いつないでいました。そんな時、香と出会ったのです・・・」


 荒木警部は良一にハンカチを差し出した。彼は頭を下げてそれで涙を拭いた。


「僕より4歳上。人生経験も豊富だった彼女は僕を励ましてくれた。それで一緒に住むようになった。彼女もそれを望んでいた。僕たちは幸せでした。でも香がまさか、忘れたはずの舞子の姉だったとは思わなかったのです。日比野という姓が同じでも静岡生まれの静岡育ちと香が言っていたから・・・。お互いに何も知らずに恋人になったのです。」

「それがどうしてこんなことになったんだ?」


 荒木警部は尋ねた。


「あの男のせいです。青山翔太に会ったのです。高校卒業して以来・・・でも昔はそんな親しいわけでもなかった。すこし顔を知っている程度でした。まだ商社にいた頃、街で再会して名刺を渡したことがありました。それからしばらくは連絡がなかったのですが、最近になって連絡してきました。『一緒に飲もう』と。」

「そこでいろんな話をしたわけか・・・」


 荒木警部の問いに良一はうなずいた。


「はい。故郷のなつかしさにその誘いに乗りました。翔太はヤクザまがいの商売をしているチンピラになっていたのです。商社の情報でも仕入れようとしていたようですが、僕がフリーターになっているのを知って露骨に軽蔑してきました。そして高校時代のことを話し始めたのです。僕が舞子と付き合っていたのを思い出して・・・」


 良一はその時のことを思い出したのだろうか、少し怒った顔つきになっていた。


    ――――――――――――――――――――――――――――


 翔太はかなり酔っていた。彼は日頃のうっぷんがたまっているのと思い出した高校時代の屈辱が一緒になって良一に絡んでいた。


「お前、日比野舞子と付き合っていたんだろう?」

「さあな。いや、そうだったかも。もう忘れたさ。」


 良一は舞子のことは忘れようとして、すでに記憶の片隅にやっていた。


「俺も舞子が好きで告白したのだけどふられてしまった。お前がいたからな。全くいいピエロだよ・・・」


 翔太の言葉に良一の記憶はよみがえってきた。高校時代、舞子と出会い、お互いに好意を持って付き合っていた。だがアメリカ短期留学の間に舞子は家出して消えてしまった。留学中にくれた手紙には悩みなど書いていなかったのに・・・良一は裏切られた気持ちになり、その苦々しい思いを、そして舞子のこともずっと忘れようとしていた。しかし舞子がなぜ消えたのか・・・それはずっと心に引っかかっていた。良一は思い切って翔太に舞子のことを聞いてみた。


「舞子は東京に行くとか書置きしていなくなっただろう。それ以来、誰も見てない。どこに行ったのだろう?」

「ははは、東京なんかにいるものか。桜の木の下で眠っているよ。」


 酔った勢いなのだろうか。翔太は口を滑らせてしまった。禁断の言葉を・・・。


「それはどういうことだ?」

「え、なにが?」


 翔太はあわててとぼけたが、良一は逃さなかった。


「言っただろう。舞子は桜の木の下で眠っていると。どういう事なんだ。ちゃんと話さないと考えがある。」


 良一は翔太を問い詰めた。その剣幕に翔太は酔いがさめて、急に恐れをなしたのだろう。11年前のびわ湖バレイの花見で起こったことをすべて話した。みんなで寄ってたかっていじめて、偶然とはいえ、倒れた拍子に頭を打って舞子は死んだと。そしてそれを桜の木の下に埋めたことも


「お願いだ。誰にも言わないでくれ。正直に話したんだから。響子に命令されて仕方がなかったんだ。」


 翔太は良一にすがるように言った。


「少し考えさせてくれ。」


 良一は翔太たちを許せなかったものの、11年前の事件を掘り返しても舞子は返ってこない。そのまま胸にしまい込もう・・・そうすることにした。夜遅くなってアパートに帰ると、同棲している香が起きて待っていた。


「遅かったわね。誰と飲んでいたの?」

「高校の同級生さ。青山翔太っていう奴と。」

「えっ! 青山翔太ですって!」


 香はその名を聞いて驚いた。彼女は舞子がいなくなったとき、軽音楽部のことも調べていた。舞子がいじめにあっていたという。そこに青山翔太がいたことを覚えていた。いや、軽音楽部のすべての部員の名前を11年たってもまだ覚えていたのだ。


「何の話をしたの? 高校の時の話もしたんでしょ?」

「まあ、それは・・・」


 良一は適当にごまかしたが、香は女の勘で彼は重大なことを聞いたと感じた。そこでもっと突っ込んで聞いてみた。


「日比野舞子のことを言っていなかった?」

「えっ! 舞子・・・。いやそれは・・・」


 良一はいきなり舞子の話が出たのでひどく動揺した。そのおかしな様子に香はさらに良一を問い詰めた。


「言って! 隠さないで! 舞子は私の妹なのよ。」

「何だって!」


 良一はさらに驚いた。今の恋人が昔の恋人の姉だったとは! だがそれよりも舞子のことをどう話したらいいか・・・良一はしばらく悩んだ。しかし結局は香にすべてを話してしまった。舞子へのいじめとあの悲惨な最期について・・・。


「青山翔太に会わせて! 彼から直接、話を聞く。お願い。そうさせて。そうしないと私の心が休まらないの。」


 香に必死にそう言われて、仕方なく良一は翔太に連絡を取った。


「すまない。翔太、しゃべってしまった。ここに舞子の姉の香がいる。話を聞かせて欲しいと言っている。」

「おまえ、しゃべったのか! 秘密にすると言ったじゃねえか!」


 電話の向こうで翔太は怒鳴っていた。それで良一も(お前たちが悪いんだ!)とさすがにムッとした。


「そんなことは言っていない。もし会わないのならわかっているだろうな・・・」

「わかった。言うことを聞く。だからな・・・」


 良一が少し脅したら、電話の向こうで翔太がおびえていた。殺人で警察に通報されると思ったのだろう。それでその夜中、佐鳴湖公園で会うことになった。誰もいないところですべてを話させようと香は思っていた。それからどうするかは考えていなかった。香はまず事実を知ろうとしただけだった。

 やがて夜中になり、佐鳴湖公園に時間通りに翔太は現れた。そこは桜の木の下だった。咲きかけた桜が電灯の光で暗闇に浮かび上がっていた。

 翔太はそこで11年前のびわ湖バレイで起きたことを正直に2人に話した。だがそれは2人を油断させるためだった。頃合いを見て、懐からバタフライナイフを出した。彼は最初から2人を殺すつもりだった。怪しまれないように後悔している素振りを見せていただけだったのだ。

 

「死ね!」


 翔太はまず良一を狙ってナイフを突き刺しに来た。良一は間一髪、それを避けた。翔太は何度もナイフでついてきて良一を追い詰めていた。


「やめてよ!」


 香が叫んだ。それに対して翔太はニヤリと笑った。


「あれから部長だった響子に相談したんだ。そうしたら2人とも殺せと言ってた。俺はこんなこと慣れているからな。」


 翔太は両手でナイフをもてあそびながらそう言った。翔太はかつての軽音楽部の部長だった平塚響子の指示で殺しに来た・・・香はそう思った。


「そんなことをしたらあなたは捕まるわ。」

「それがそうはいかないのさ。響子は今じゃ、静岡県警の捜査1課の警部補だ。もみ消してくれるんだと。響子なら簡単だろう。」

「えっ! 捜査1課の警部補?」


 捜査1課の女性の警部補は一人しかいない。山形警部補だけだ。驚いた顔の香を見て翔太が言った。


「そうさ。今は山形警部補だ。昔は平塚だったが名前が変わったんだ。電話したら響子も驚いていたぜ。知り合いの日比野香が舞子の姉だったとは。でもこれで終わりだ。」


 翔太は再びナイフを振り回してきた。香はその場に座りこんでしまった。親しくしていた山形警部補があの高慢な平塚響子だったとは・・・。

 良一はすきを見て翔太に飛びつき、そこでもみ合いになった。その拍子にナイフは翔太の手を離れて地面に転がった。翔太は良一を押さえつけ、その首を締めあげていた。


「悪く思うなよ。響子が『口を封じなさい。証拠を残さないようにして逃げるのよ。後は何とかするわ。』とは言っていたんだから。」

「うぐぐぐ・・・」


 首を絞められて良一は苦しげな声を上げた。


(もうだめだ。意識が薄れていく・・・)


 良一は死を覚悟した。するとその時、翔太が、


「うっ!」


 といきなり声を上げた。そして急に締め上げている両手を放し、膝から崩れるようにあおむけに倒れた。その背中には深い傷がついて血が流れていた。そして良一の前には血だらけのバタフライナイフを両手にしっかり握っている香がいた。彼女が後ろから翔太を刺したのだ。翔太の背中の傷はかなり深く、もう助からない・・・。


「良一。私・・・」

「逃げよう! 早く!」


 良一は、震えている香からナイフをもぎ取って、その刃をしまってポケットに入れ、翔太の胸ポケットからスマホを抜き取った。通話記録を見られなくするためだ。そして香の手を引いてその場を逃げた。

 2人は幸いにも人に見られずに、アパートに帰ることができた。その夜、2人は一睡もせず、これからどうしようかと考えていた。自首するのか、逃げるのか・・・。朝になって決意した良一は香に言った。


「僕が罪をかぶる。今から警察に行く。君のことは言わないから安心して。」

「いやよ。良一は悪くない。行かないで。」


 香は良一に抱きついた。


「だけど警察がここに踏み込ん来るのは時間の問題だ。」

「わかっている。それまでそばにいて。」


 香は良一を離さなかった。良一は香を抱きしめ、疲れもあってそのままと寝てしまった。香がいなくなったのに気付かず・・・。

 夕方になって良一は目を覚ました。そこに香の姿はなかった。テーブルの上には翔太のスマホと香のパソコンが置かれていた。スマホのパスワードを解除したらしい。その中のデータを見ることができた。その中には11年前に軽音楽部だった長良渡と立川みどりと村田葵の名前があった。そして机の上に置いた翔太のバタフライナイフも消えていた。良一は嫌な予感がした。香が復讐を企てているのではないかと・・・。良一はパソコンのデータを消し、そのスマホを持って慌ててアパートを出て行った。


        ――――――――――――――――――――


 良一はそう話した。荒木警部はそれを静かに聞いていた。それが事件の始まりだったのだ。

 それから 青山翔太が殺されているのが発見され、捜査本部が立ち上がった。その容疑者には翔太と酒を飲んで言い合いをしていた香島良一が上がった。アパートに踏み込むと同棲相手の日比野香とともに姿を消していた。

 静岡県警捜査1課は、2人が故郷の滋賀県に逃亡したとみて捜査員の中から山形警部補を派遣することに決めた。滋賀県出身で地理に詳しいということで。しかしそれは山形警部補が上司に頼んでいたのだ。彼女は11年前の事件の発覚を恐れていた。秘密を知ったであろう2人を密かに消そうと思っていた・・・・。

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