第30話 本当の名

 穴の底には清彦、正樹、若菜、正樹の4人がガタガタと震えながら響子をじっと見ていた。いつ、弾が飛んでくるかと・・・死の恐怖で動けないのだ。

 一方、響子の拳銃の筒先はまず誰を撃とうかと4人の命を弄ぶかのように左右に揺れていた。


「誰から死んでもらおうかしら・・・」


 響子は不気味に笑っていた。


「た、助けて!」


 ようやく若菜が声を上げた。


「私たちが何をしたって言うの! 先輩に言われたままにしただけじゃない。今も11年前も・・・」

「そうよ。だから死ぬのよ。みんなと同じように・・・」


 笑っている響子の目には狂気が宿っていた。


「さあ、死んでもらうわよ!」

「やめて!」「助けて!」


 4人の悲鳴が上がった。響子は抱えた頭蓋骨をゆっくりと地面に下ろし、両手で拳銃を構えた。その時だった。


「待て! 動くな! 警察だ!」


 男の大きな声が響いた。そして木の枝をかき分けて駆けてくる音も聞こえた。響子はその方向に鋭く目だけを向けた。


「待て! やめろ!」


 そこに現れたのは佐川だった。目の前の状況を見て、彼は何とか間に合ったことを知った。だがまだ安心はできない。響子は穴の底の4人にまだ拳銃を向けているのだ。佐川はゆっくり彼女に近づいていった。


「もう終わったんだ。拳銃を捨てるんだ。」

「近寄らないで!」


 響子は拳銃を佐川に向けた。彼はそこで立ち止まって言った。


「話すために来たんだ。君を助けたいんだ。」


 興奮して危険だと判断した佐川刑事は、武器を持っていないという風に両手を上げて、その手を開いて見せた。そして決定的な一言を告げた。


「もうやめるんだ! 山形さん。いや、!」


 その名前を聞いて4人はあっと驚いて顔を見合わせた。その名前に聞き覚えがあった。確か殺した舞子の姉の名だった。目の前にいたのは響子先輩ではなかったのだ。4人は目の前の女をじっとよく見た。改めてよく見れば目の前の女は響子先輩ではなかった・・・。

 佐川の言葉に、響子に化けた香は一瞬、たじろいだ。だがすぐに気を取り直した。


(ゆくゆくはそんなことがばれると思っていた。それが少し早くなっただけ。ここまで来たら何も変わらない。)


 香は佐川に拳銃を向けたまま、不気味に笑いながら言った。


「気づいたのね。」

「ああ、すっかり騙された。いろいろとおかしな点があった。滋賀県育ちなのに「うみのこ」を知らなかったり・・・。だが一番決定的だったのは日輝高校の卒業アルバムだ。それを見て確信した。軽音楽部のところに確かに平塚響子が写っていた。だがそれは君じゃない。その顔は琵琶湖疎水で殺された日比野香と思われた女性に似ていた。それで入れ替わった可能性について考えた。」


 佐川刑事は一息入れてまた話し始めた。


「君は今、コンタクトレンズをしている。だが普段はコンタクトレンズをせずに眼鏡をかけていたんだろう。コンタクトレンズに慣れていないって言ったからな。君がかけてきた眼鏡を殺した本当の山形警部補にさせて、コートとジャケットを替え、かつらをかぶせて日比野香に仕立てたんだ。そして君が山形警部補に成り替わった。」

「そう、そうよ。ははははは・・・」


 それを聞いて香は高らかに笑った。見事な推理ともいわんばかりに・・・。その笑い声は山の奥に響き渡った。


 ◇


 取調室に再び荒木警部が入って来た。彼は佐川から連絡を受けて知ったのだ。うなだれて何もしゃべろうとしない良一の前におもむろに座って告げた。


「何もかも分かった。お前がかばおうとした相手もな。」

「そんなことはない。俺がすべてやったんだ!」


 良一は即座に否定した。それも感情的になって・・・。だがそれは嘘であることは明らかだった。荒木警部は良一の目を見ながらズバリと言った。


「連続殺人事件の犯人は日比野香だ。」

「あっ・・・」


 それを聞いて良一はひどく動揺していた。それを見て荒木警部は畳みかけた。


「そうだ、犯人は日比野香だ。香は山形警部補を殺して、彼女に化けていた。お前は香をかばおうとしたんだな。」


 それを聞いて、良一は顔をうつむけた。


「すべてがわかったんだ。お前も辛かったのだろう。愛していた香が殺人犯になって・・・。だがもう話してもいいじゃないか。」


 荒木警部の言葉に、良一はこらえていた涙を流して嗚咽し始めた。そしてポツリポツリと話し始めた。


 ◇


 香は穴の底の4人に拳銃を突きつけながらしばらく笑っていた。佐川は怒りを感じて大声を上げた。


「何がおかしんだ! これほどの人を殺しておいて!」


 佐川の言葉に香は笑いを止めた。


「自分自身の間抜けさを思い出して笑っていたのよ。11年前、舞子がいなくなって私は方々を探したわ。舞台の仕事もほっぽり出してね。それで女優はクビ。それでも舞子が見つかればいいと思っていた。」


 そして香は穴の底の4人を見た。


「日輝高校にも行ったわ。軽音楽部の部員にも直接会って話を聞いた。覚えている? 私が必死になって聞いていたのに、あなたたちは『知らない』の一点張り。舞子へのいじめがあったのにそれも隠ぺいした。それでとうとうい舞子は見つからなかった。私は失意のどん底だった・・・」」


 香はひとつため息をつくと、また話し始めた。


「女優の仕事を止め、いろんな仕事をした。いろんな資格を取って・・・それでも東京は私に冷たかった。だから生まれ故郷の静岡に戻った。自分自身を見つめ直すために・・・。そこでうまく静岡県警の事務職員に採用されて職を得ることができた。しかしそれが運命の皮肉だった。そこであの山形響子に会ったのよ。」


 香はまた佐川の方を見た。


「しっかり者で優秀だった山形響子は出世して警部補になっていた。そして彼女は上の者だけに気を配るだけではなく、下のものにも優しく接していた。私に対しても・・・。それでよく話すようになった。趣味のバイクの話とか・・・・でも私は彼女が軽音楽部の部長だった平塚響子とはわからなかった。あの事があるまでは・・・」


 香は饒舌に話し続けていた。

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