第7話 捜査会議
次の日の朝、新聞には2つの殺人事件が大きく扱われていた。
「滋賀の狂気の桜。大津と彦根で殺人事件!」
「桜咲く琵琶湖疎水に浮かぶ死体。彦根城に残された死体」
「連続殺人事件か! 桜の下で男女の刺殺体!」
それぞれがショッキングな見出しで紙面をにぎわせていた。もちろんそこには日比野香と長良渡の2人の被害者の名がある。だが犯人の香島については捜査のために報道規制をかけて伏せてある。どの新聞も、
「・・・このような凶悪な犯人が道を歩いているとしたら、外出もできないだろう。安心な生活を取り戻すために犯人を一刻も早く逮捕する必要がある。滋賀県警の手腕が試される時だ。」
という意のことを書いて記事を締めくくっていた。いつもながらに佐川は、
(勝手なことを言うな! こっちは犯人を上げるために必死にやっているんだ!)
という気分になった。しかしこれほど凶悪な事件がこの地、いや静岡と滋賀で起こっているのは確かだ。いまだに香島が捕まったという情報は流れてこない。何としてでも早く逮捕せねば・・・次の被害者が出る前に・・・そう思う佐川だった。
◇
その日は朝から大津署で合同捜査会議が行われる。入り口には「琵琶湖疎水殺人事件」と書かれてあった。凶悪事件でもあり、県警の捜査1課が担当する。
「・・・・捜査状況について報告してもらう。・・・」
山上管理官と久保課長が前の机に座って構えている。そこに捜査員が報告を次々にあげる。佐川と山形警部補は後ろの席に座って聞いていた。
(かなりお疲れのようだな。)
佐川は山形警部補の顔色が悪いのが気になった。昨日も何かぼんやりしている瞬間もあった。緊張感の連続で心身ともに調子が悪いのかもしれないと佐川は思った。
「被害者は日比野香、30歳。琵琶湖疎水の大津乗船場に近い場所でボートの中で発見されました。発見者は観光船に乗った乗員、ボートが浅瀬で止まっているのを不審に思ってのぞいてみたそうです。そのボートは近くの倉庫の近くにつなぎ留められており、死体を載せて流したようです。」
「その倉庫は観光船の会社の所有のもので、メンテナンス用品や予備の装備品などが置かれており、普段は人が立ち寄るところ出なかったということです。カギはされてなかったようで中に入れたと思います。血痕が飛び散り、水路まで引きずった跡と血の跡が残されていました。ここが犯行現場のようです。」
「その前に静岡県警の山形警部補が京都から尾行されていましたが、三井寺で香島良一と思われる人物に首を絞められて失神して見失っています。今回の殺人事件はその後に起きたことと思われます。倉庫近くで落ちていたロープが山形警部補の首を絞めたロープかどうか、鑑定をしています。なお香島良一という男は静岡での殺人事件の容疑者であり、滋賀に逃亡した恐れがあったので山形警部補が派遣されておりました。」
捜査員は次々に事件の概況を話していた。聞いていた佐川はそれがまるで昨日のことのようには思えなかった。いろいろなことがありすぎて、頭が整理できていないのだ。
「被害者の日比野香については?」
久保課長が尋ねた。
「静岡県警に直接、問い合わせました。職業は静岡県警の事務職員。勤務態度はまじめだったそうです。家族はおりません。ただし殺人事件の容疑者である香島良一と内縁関係にあったようです。両親は15年前に交通事故で他界。もともと静岡県に居ましたが、15歳、高校1年の時、甲賀の親戚に引き取られたようです。2歳下の妹がいましたが、11年前に失踪しております。親族がいないので遺体の確認は静岡県警の山形警部補にしていただきました。」
「左胸部にナイフが刺さっておりました。それは心臓に達しており、それによる失血死のようです。ナイフについた血については鑑定を行っています。ナイフからは指紋は出ておりません。」
「長髪のかつらをかぶっておりました。本人の髪型は首までのショートカット。黒縁の眼鏡をかけています。度は強いようでかなりの近視と思われます・・・」
「レザーコートに広範囲に血を浴びた跡があります。血液型はB型で、被害者本人のA型とは異なります。」
さらに彦根の事件の報告もあった。
「一昨日夜、彦根城内でも殺人事件が起こっております。被害者は長良渡、28歳。ナイフで背後から刺されて死亡。そのナイフの形状が本事件のナイフと似ております。鑑定を急いでいるところです。同時刻、警備員が不審な男を目撃しております・・・」
報告がどんどん上がってきていた。会議の広告から照らし合わせても、今のところすべての犯行を香島がしたと示しているようだった。それに他の容疑者は浮上しなかった。だが肝心の香島はというと・・・
「この辺りに潜伏していると考えて緊急配備を行いましたが、香島良一の行方はつかめておりません。管内の交番にも手配写真を回して引き続き探しております・・・」
香島良一はまだ逮捕されていなかった。あれほど素早く手配したのにかかわらず・・・。一番恐れているのは次の犯行もあるかもしれないことだ。そのために香島の行動を読まねばならない。
佐川は資料を見ながら思った。
(手掛かりナイフだけ。動機も不明だ。 犯人と思われる香島良一は一体、どこにいるのか・・・またレザーコートの血は何を意味するのだろうか? 静岡の被害者の青山翔太はB型。彦根の被害者の長良渡もB型。香島の血液型はB型・・・レザーコートの血液は誰のものか? なぜ日比野香のレザーコートに付着していたのか? もしかすると一連の犯行に日比野香が関わっていたのか?)
すべての報告が終わり、久保課長が言った。
「ご苦労だった。何か質問がある者は?」
「はい。」
佐川は手を挙げて立ち上がって発言した。
「湖上署の佐川です。香島良一と殺された日比野香が共犯だった可能性はいかがでしょうか? また他に犯人がいる可能性についてはいかがでしょうか?」
「今の時点で判断するのは早計だ。先入観を捨てて捜査に臨む必要がある。」
久保課長が不機嫌そうに言った。それはまるで部外者が余計な口を出すなという風だった。
やがて会議は終わった。山上管理官から捜査方針が示された。有力な容疑者である香島良一の捜索を第一とされた。捜査1課の捜査員が分担した仕事を与えられ、また捜査に戻っていった。部外者の佐川や山形警部補には声がかからなかった。邪魔しないように見ておけということか・・・佐川はそう思って、席を立ちながら小声で山形警部補に言った。
「山形さん。行きましょうか。我々には捜査させないようですから。」
「ええ・・・」
やはり山形警部補は元気がないようだった。配られた資料も何か読みにくいらしく、何度も目を近づけて瞬きしていた。
「どうしたんですか?」
「コンタクトがずれて・・・慣れていないから・・・」
山形警部補は何度も瞬きしていた。佐川は聞いてみた。
「これからどうしましょうか? 香島の捜索は捜査員を動員しているようですし。」
「ここで待つしかないのかしら。」
「いえ、私は香島がまた犯行を行うように思えてなりません。それに彦根の事件が気になります。もし被害者に接点と動機が見つかれば、香島の先回りができるかもしれません。」
「では彦根署に行きましょう。」
「そうですね。」
すると2人のそばに久保課長がそばに寄って来た。
「山形警部補でしたね。遠いところをお疲れ様です。」
「いえ、こちらこそご厄介になっています。捜査協力をしていただけるとのことで。」
山形警部は頭を下げた。しかし久保課長は意外なことを言った。
「そうだったのですが、それはできなくなりました。」
「それはなぜですか?」
山形警部補が眉をひそめた。
「あなたがこの事件の被害者になったからです。香島に襲われて首を絞められた。原則的に事件の関係者は捜査に加われませんし、捜査会議にも出ることもご遠慮いただきたいのです。」
「それはおかしい。山形警部補は静岡県警から殺人事件の捜査で来られたのです。自分の事件じゃないのですよ。」
佐川が久保課長に食ってかかった。しかし久保課長は冷たく言い放った。
「これは上からの命令です。佐川君も湖上署に戻りたまえ。君はあくまでも山形警部補の案内係、つまりエスコートだ。山形警部補が捜査できないのなら、君はお役御免だ。湖上署の大橋署長にもそう伝えさせてもらう。」
それだけ言って久保課長は行ってしまった。すると今度は堀野刑事が声をかけてきた。
「せっかく来てくれたけどすまなかったな。」
「いいんだ。こっちはこっちで動くから。」
佐川は答えた。彼は久保課長のことなど気にする気は毛頭なかった。すると堀野刑事は辺りに聞こえないように小さな声で言った。
「山上管理官が、『滋賀県警のメンツにかけて解決する!』って息巻いているんだ。変な縄張り意識があってな。山形警部補には申し訳ない。捜査から外したような形になって。」
「いえ、いいんです。こちらにはこちらのやり方があると思いますから。」
山形警部補は微笑んでそう言った。堀野刑事はすまなそうに佐川に言った。
「それより彦根方面に行くのだったら、東近江市の滋賀温泉病院に寄って行ってくれないか?」
「そこに何かあるのか?」
「日比野香の唯一の親族。15年前に香姉妹を引き取った伯母の大角伸江という人がいる。認知症で入院しているようだ。一応、日比野香のことを知らせねばならないからな。理解できるかどうかはわからないが・・・。それに多分、その伯母とは音信不通だったから、日比野香の最近の情報は引き出せないとは思うが・・・」
「わかった。伝えてくるよ。」
「すまんな。」
そう言って堀野刑事は会議場を出て行った。佐川は山形警部補とともに彦根と東近江に行くことになった。
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