第6話 彦根城の桜

 佐川刑事と山形警部補はまたジープに乗って名神高速道路で彦根まで向かった。もう夕暮れ近い空の下、サイレンを鳴らして赤色灯をつけて快走していく。窓からは遠くに見える山々に咲き始めた桜が見えた。山形警部補はあまり話さず、それをぼうっと眺めていた。その姿はなぜか悲しげな影を背負っているようだった。佐川刑事は彼女に尋ねた。


「朝からいろいろあってお疲れですか?」

「いえ、ただここも桜がよく咲いていると思って・・・」

「もうすぐここも満開になると思います。桜はお好きですか?」

「いえ、桜を見ると何か物悲しい気持ちになってしまって・・・」


 山形警部補はそう答えた。満開になって鮮やかに咲く桜はあっという間に花びらを散らす・・・その姿が美しいと思う反面、はかなく寂しい気持ちにさせるのかもしれないと佐川刑事は思った。それにしても山形警部補はただ何もせずに座っているだけである。壊れたスマホの代わりに湖上署の業務用のスマホを貸与したが、それで連絡する様子もない。


「静岡県警の捜査課には状況について連絡したのですか?」


 佐川刑事は山形警部補に聞いてみた。事態が思わぬ方向に進んでおり、静岡県警の捜査課では彼女から連絡が来ないと気をもんでいるに違いない。もちろん滋賀県警からの報告は行っているとは思うが・・・。


「はい、いえ・・・。報告しようにもまとまらなくて・・・。今夜にでも課長にメールで報告を入れるつもりです」


 山形警部補はそう答えて、また黙り込んでしまった。


(やはりお疲れなのかもしれない。そっとしておくか・・・)


 佐川刑事はそう思って彦根への道を急いだ。


 ◇


 彦根城は約400年前に建てられた、現存する天守のある国宝の城である。その堀沿いを中心に桜が花を咲かせていた。それは堀の水面に映り、その石垣や白壁に調和していた。そして日が暮れるとライトアップしてさらにその姿を浮かび上がらせていた。

 彦根城に到着したのはもう日が暮れる頃だった。城の大手門の横の茂みに事件現場はあった。佐川と山形警部補はそこにいる警官に警察手帳を見せてバリケードテープの中に入った。


「湖上署の佐川です。こちらは静岡県警の山形警部補です。滋賀県警捜査1課の捜査員が聞いていったとは思いますが、私たちにも状況を教えてください。こちらで追っている犯人の関与が疑われますので」


 佐川刑事は近くにいた彦根署の年配の刑事に尋ねた。彼は「えっ!」と驚きながらも眉間にしわを寄せた。そんな遠いところから犯人を求めてきた私たちを胡散臭く思ったのだろう。


「そういえばさっき県警のお偉いさんが来て、いろいろ聞いて行ったな。大津で起こった殺人事件と同一犯の可能性があると聞いてはいるが・・・」

「その犯人は静岡でも殺人を行った可能性があるのです。香島良一という男です。彼を追っているのです」


 佐川刑事がそう説明すると、その刑事はやっと話し始めた。


「そうか・・・。それなら話そう。被害者は長良渡。28歳。この近くでバーを開いている。背中をナイフのような物で一突きされて殺されている。状況から見て昨日の夜といったところだ。今日の午後、巡回していた警備員が、大手門の横の草むらが踏み荒らされているのを不審に思って、木々の茂みに入って発見したそうだ。使用された凶器は見つかっていない。それが大津の事件で使われて、被害者の胸に突き刺さって見つかったと聞いたが」

「他に遺留品は?」

「今のところ、見つかっていない。現在、捜査員が聞き込みに回っている。もう少し詳しいことがわかるかもしれない」


 その刑事はそう言ってため息をついた。こんな桜が美しい時期によりによってここで殺人事件が起こるとは・・・多分、そう思っているのだろう。佐川刑事と山形警部補は死体を確認した。

 被害者の男は散り落ちた桜の花びらをつけてあおむけに倒れていた。その背中にはナイフに刺された跡があった。それは青山翔太と日比野香が刺されたナイフと同じかもしれない。争った跡はない。一気に後ろから刺されたようだ。その表情からは苦痛と驚きが読み取れた。これはいきなり後ろから刺されたのだ・・・佐川刑事はそう直感した。


「そういえば昨夜、事件があった時刻ぐらいに警備員が不審な男を見たと言っていたな」


 その刑事がふと思い出して言った。


「おかしな男?」

「昨夜、この近くで警備員の姿を見てあわてて走り出して姿を隠したそうだ。」

「そいつが犯人では」

「多分、そうだろう」


 その男は香島良一だろう。やはり奴の犯行か・・・。 それとは別に私にはもう一つ気にかかることがあった。


「28歳、28歳でしたね。」

「そうですが・・・何か?」

「いえ、殺された静岡の事件の被害者が28歳だったので」

「それが何か関係が?」


 その刑事が佐川刑事に逆に尋ねてきた。


「いえ、別に・・・」


 佐川刑事は言葉を濁したが、大いに気にはなっていた。香島良一も28歳なのだ。香島と青山は日輝高校の同級生だ。もしかしたらこの長良渡も日輝高校出身かもしれない。そうだとすると線がつながる・・・彼はそう思った。


「まあ、明日になったら聞き込みでもう少し何かわかるだろう。私は彦根署捜査課の南野だ。聞きたいことがあったら来てくれ」


 その刑事はそれだけ言って向こうに行ってしまった。

 横にいる山形警部補は手帳にメモしながら聞いていた。多分、報告書を送るためだろう。だがその表情は冴えなかった。またぼんやりと顔を上に向けて桜を眺めている。そして、


「桜の花は華やかで美しいけれど、人の気を狂わせる・・・」


 彼女はかすかにつぶやいた。確かに殺人は桜の木の下で起こった。何か意味があるのかもしれない・・・。

 そういえば今回の一連の殺人は桜が付きまとう。確か、静岡の事件は佐鳴湖公園の桜の木の下だった。三井寺では気絶した山形警部補が桜の気につながれ、日比野香は桜咲く琵琶湖疎水のボートで発見された。そして今度は彦根城だ。確かそこも桜が咲いている。いくら桜の季節とはいえ、こうまで桜が付きまとうのか・・・佐川刑事はそれに不気味さを感じた。


 とにかく捜査が始まったばかりで何も出てきていない。香川良一を探す手がかりも少ない。一度、湖上署に戻り、明日の大津署の捜査会議に出てみようと考えた。


「山形さん。ここでは何もつかめそうもないので戻りましょうか。明日、大津の事件の捜査会議が行われるはずです」

「ええ、そうですね」


 山形警部補はそう答えた。そしてまた桜を見上げていた。



 それから佐川刑事は山形警部補を大津港に隣接する滋賀ホテルまで送っていった。もう夜になっていた。そこから見える夜の琵琶湖は点々と灯る対岸の光を儚げに映し出していた。


「山形さん。明日朝、大津署で捜査会議です。迎えに行きます」

「ありがとうございます。では・・・」


 彼女はそれだけ言ってホテルに入って行った。その横顔は何か思い詰めているようにも見えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る