第8話 彦根警察署

 彦根警察署は城の近くにあった。それはいくつもの建物を継ぎ足して増設した構造になっており、下から見ると人を威圧するようにそびえ立っていた。その古ぼけた玄関から入り階段を上ると、その窓からも城の桜が見えた。夜間とは違って昼間は鮮やかに、また違った美しさを見せていた。

 佐川刑事と山形警部補はそこの捜査課でここの事件の担当の南野刑事に会えた。その人はここの古い建物と同じくらいのかなり年輩であり、彼から見たらまだ青臭い佐川刑事に、事件の捜査状況について詳しく教えてくれた。


「被害者は長良渡、28歳。同居する家族の話では、一昨日の夜10時に電話で誰かに呼び出されたようだ。その電話の後、家族にどこに行くかは告げずにすぐに家を出た。かなり慌てていたらしい」

「電話を掛けてきた人物に心当たりはなかったのですか?」

「家族の話では、思い当たる人はないと証言していた」

「それからの足取りは? 目撃者はいるのですか?」

「いえ、誰もいない。人目につかぬように大手門のところまで行ったようだ」


 その話からは、被害者の長良渡は人に知られてはいけないことで呼び出されたようだ。犯人は弱みを握っていたのかもしれない。佐川刑事は続けて聞いた。


「草むらに連れ込まれて殺されたのですか?」

「いや、城の大手門のところに血痕が残っていたから、そこで後ろから刺されたのだろう。傷は背部から心臓に到達しており、死因は失血死だ。それから奥の草むらに死体を隠したようだ」

「凶器は見つかったのですか?」

「いや、凶器は現場から見つかっていない。差し口から凶器はだいたい刃渡り9センチぐらいのナイフと思われる。捜査員が総出で堀をさらったり、近くの草むらを探したが。大津の殺人事件で残っていたナイフがそうらしいと聞いたが・・・」


 大津の事件のナイフが彦根の事件の凶器ならば、香島の犯行の可能性が高い。それはいつ頃なのか・・・香島がここにいたのは・・・。佐川刑事はさらに聞いてみた。


「推定死亡時刻は何時頃ですか?」

「一昨日の午後10時から11時というところか」


 南野刑事はファイルを見ながら丁寧に説明してくれた。


「当日夜に警備員が怪しい男の姿を見たということでしたが、それはどうでしたか?」

「それっきりだ。調べたが、それが誰だかわからなかった。若い男のようだとその警備員は証言しているが、それ以上ははっきりしない。他の目撃者もいない。他に犯人につながる手掛かりもみつかっていない」


 こちらの事件も今のところ、何も手がかりはないようだった。佐川刑事は気になることを聞いてみた。


「そうですか・・・。ところで被害者は日輝高校の卒業生ではないですか?」

「えっ? そうだが・・・。長良渡は日輝高校を出ている」

「それなら香島良一や青山翔太、日比野香という名前は出てきておりませんか?」

「いえ、それも全く・・・。昨日あなたからその名前を聞いて、家族や関係者に一応、尋ねてみたのですが、皆知らないと言っていた」


 長良渡は日輝高校の卒業生だった。長良が28歳、香島と青山も28歳いうことは同級生だったのだ。だが家族が知らないというのはそんなに親しくなかったのかもしれないが・・・。


「佐川さん。卒業した高校が何か関係があるのですか?」


 山形警部補が尋ねた。


「ええ。あまりにも偶然が重なりすぎている気がして」

「しかし日比野香は歳も違えば、日輝高校の出身者ではありませんよ」


 確かにそうだ。しかし佐川刑事はそれが引っかかっていた。


 彦根にまた来たが、あまり収穫はなかった。今後の目途もつかないまま、あきらめて戻ることになった。次は東近江の滋賀温泉病院に日比野香の死を伯母の大角伸江に伝えにいくことだった。これは堀野刑事に頼まれた件だった。


(無駄足だったか・・・)


 佐川はそう思いながら、山形警部補とジープに乗り込んだ。すると彼のスマホが鳴った。画面を見ると湖上署捜査課からだった。


「こちら佐川だ」

「湖上署捜査課、梅原です。佐川さん。大変です!」


 また梅原刑事の慌てた声が聞こえてきた。


「どうした?」

「また殺人事件です。県警から今、情報が入ってばかりです。石山で若い女性の変死体が発見されました」

「なに!」


 佐川は驚きのあまり、大声を上げていた。


「石山寺の境内です。桜の木の下で死体が発見されました。撲殺のようです」


 また桜の木の下だった。この事件も静岡や昨日の琵琶湖疎水の事件、そして彦根の事件と関係がある・・・彼の刑事の勘がそう告げていた。


「わかった。すぐに向かう」


 そこで佐川刑事はスマホを切った。助手席の山形警部補がその様子を見て彼に尋ねた。


「また事件ですか?」

「はい。今度は石山寺です。桜の木の下で若い女性が撲殺されたようです。手口は違いますが、今までの事件と関係があるかもしれませんのでこれから向かいます。東近江の病院は後回しにします」


 佐川刑事はすぐにジープを走らせた。ここからなら高速で30分ほどだ。サイレンを鳴らして名神高速道路を疾走していった。

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