第15話 甲賀の鮎河
「リーン! リーン! リーン・・・」
スマホの電話の音で佐川刑事は飛び起きた。時計を見ると朝の8時前だった。彼は目をこすりながら電話に出た。
「はい。佐川です」
「堀野だ」
「堀野か。どうしたんだ? こんなに朝早く・・・。」
「つながってよかった。一刻も早く、お前に伝えようと思ったんだ」
「何かあったのか?」
「ああ、大津署に泊り込んでいたんだが、思わぬことを耳にした。また殺人事件が起こった!」
「なにっ!」
佐川刑事は思わず声を上げた。寝ぼけていた目がいっぺんに覚めた。またしても・・・という気持ちだった。
「殺されたのは?」
「被害者は浜口大和、28歳。YMコンビニの店長だ」
「何だって!」
佐川刑事はまた声を上げた。
(昨日、会った男ではないか! 怪しい態度をしていたから、もう少しつつけば何か出てくると思っていたのに・・・。まるで自分の行動を先回りするかのように殺されてしまった・・・しかし彼に警護はつけていなかったのか?)
佐川刑事が疑問を呈する前に堀野が言った。
「わかっている。彼も日輝高校軽音楽部のOBだ。甲賀署に警護するように連絡は行ったが、その前に彼の姿が消えてしまったらしい」
佐川刑事は唇をかんだ。こんなことなら最優先で警護を甲賀署に依頼すべきだったと後悔した。しかし驚いてばかりもいられない。現場にすぐに行かなければ・・・佐川刑事は尋ねた。
「場所はどこだ?」
「場所は甲賀だ。鮎河の千本桜と呼ばれる名所だ。また桜の木の下で殺された」
「とにかく現場に向かう」
「いや、ちょっと待て! 相手は凶悪犯だ。武器を持っている。山上管理官は捜査員に拳銃の携帯を命じている。お前もそうした方がいい」
堀野刑事はそう言った。確かに素手では危ない。相手は連続殺人の凶悪犯だ。警棒に拳銃を用意しなければならない。
するとすぐに荒木警部や他の同僚の刑事が出勤してきた。もちろん梅原刑事もいる。佐川刑事はすぐに荒木警部に今の電話のことを話した。
「警部。また殺人事件です。甲賀でまた日輝高校の軽音楽部のOBが殺されました。浜口大和という昨日、私が話を聞いた男です。すぐに現場に行かせてください。それに捜査員には山上管理官から拳銃携行を命じられています」
「わかった。拳銃を所持して現場へ向かえ。だが一人では危険だ。おい! 梅原! 佐川ととともに甲賀に向かえ!」
荒木警部から急に命じられた梅原刑事はきょとんとしていた。その横で上村事務員が梅原をつついて言った。
「しっかりしなさいよ! 現場に出るのよ!」
「あ、はい! 現場に行ってきます!」
梅原刑事ははっとして荒木警部に敬礼した。あまり頼りになりそうにはないが、彼が佐川刑事のバディとなった。
2人は、総務課で手続きをしてから、そこの署員から拳銃を受け取った。佐川刑事にとってこの重みは久しぶりであった。5発の弾を確認してからシリンダーを閉めて安全装置をかけてホルスターにしまう・・・。いつもながら緊張するが、身が引き締まる気がしていた。これを使うことがなければいいが、いざという時は速やかで的確な判断の元、犯人を撃たねばならないだろう・・・。佐川刑事は今まで人を撃ったことがない。訓練では人並み以上の腕前を示せたが、実際に凶悪な犯人であっても撃つことができるのだろうか・・・いつもそんな気持ちにさせていた。
一方、梅原刑事も同じような気持ちだった。彼の方は不慣れな拳銃の扱いにびくびくしていた。手が小刻みに震えているのを、佐川刑事が軽く彼の肩を叩いて言った。
「大丈夫だ。そのうち慣れる」
それは梅原刑事にだけでなく、佐川自身にも言い聞かせてもいた。後は伸縮性の鋼鉄製の警棒も準備できて装備は整った。
◇
佐川刑事たちは甲賀の鮎河に向かった。そこは鈴鹿山系の麓に流れるうぐい川の両岸に千本以上の桜が咲き誇る、桜の名所でもある。この深い山々に抱かれた静かな里で人が殺されたのだ。
駐車場にジープを停めるとすぐに現場に入った。そこは満開に桜が咲いており、穏やかな風でもちらちらと花びらが舞い降りていた。被害者の浜口大和はここの桜の下で殺された。いつもの静けさとは打って変わって忙しく動きまわる多くの捜査員とそれを取り囲む野次馬でそこはごった返していた。そこには捜査1課の堀野もいた。あの電話の後、彼も駆けつけてきたようだ。佐川刑事は右手を上げて、
「おう!」
と声をかけた。すると堀野刑事は佐川刑事に気付いたようでそばに来た。
「俺も今来たばかりだ。そこの捜査員に状況を聞こう」
堀野刑事は遺体を調べている甲賀署の刑事に声をかけた。
「県警捜査1課の堀野です。状況を教えてください」
「はい。今朝の6時に川に仰向けに浮かんでいるのを通りかかった近所の人が発見しました。うちの警官がここに引き上げました。所持品の免許証から浜口大和と断定しました」
「死体の様子は?」
「後頭部を鈍器で殴られています。何か棒のようなもののようです。昨日、撲殺されて川に遺棄したものと思われます。詳しくは解剖の後ではっきりすると思います」
その刑事はそう答えた。凶器は立川みどりや村田葵の時と同じ棒状のものだった。手口から同一犯と思われた。殺害時刻ははっきりしないが、海津大崎のあの男の行動はここから目を離させるためかもしれないと佐川刑事は思った。堀野刑事はさらに聞いていた。
「殺害現場は?」
「そこの河原です。血痕が認められました」
その刑事が指差した。死体を引き上げた場所からは近い。そこも鑑識が調べていた。
「凶器は見つかっていますか?」
「まだです。棒状のものはこの辺りにはありませんでした」
「目撃者は?」
「まだ見つかっていません。捜査員が聞き込みをしています。ただ近くの家の人がその時間にバイクの音を聞いたと証言していますが・・・」
犯人はバイクを使って現場に来た。それなら車と違って足がつきにくいと思ったのかもしれない。他の事件もバイクを使ったのかもしれない。それに凶器は犯人がまだ持っている。これからも殺人を犯そうとしているためなのか・・・佐川刑事は凶暴な犯人に怒りを覚えた。一方、横にいる梅沢は一生懸命メモを取っていた。
「どうだ? 梅原。何か気になる点があるか?」
「え? いえ・・・やはり犯人は香島でしょうか? 手口が似ていますから・・・」
「香島かどうかはさておき、確かに石山と海津大崎の事件と同一犯だろう。」
「それなら海津大崎で死体を遺棄して逃走して、この甲賀まできて殺人とはかなり忙しいですね。」
梅原刑事に言われて佐川は「ん?」と思った。
(死亡推定時間にもよるが、時間的には可能かもしれない。しかしそんな面倒なことをするのか・・・わざわざ海津大崎まで死体を運んでこちらの目を引き付けたのは・・・)
やはり謎が多かった。堀野刑事は甲賀署の刑事からあらかた話を聞いたようだった。
「この件も同一犯による連続殺人だ。捜査本部で捜査するだろう」
「そういえば山形警部補は? 一緒に来なかったのか?」
「いや、一緒に来たはずだが・・・」
堀野は辺りを見渡したがそれらしい姿はなかった。
「どこかに行ったようだ。ここだけの話だが、あの人は書類の作成はしっかりしているが捜査の方はあまり・・・」
「そうなのか?」
声をひそめた堀野の言葉を聞いて佐川は意外だった。あの年で警部補になるほどだから優秀な捜査官と思っていた。
「そのくせ単独行動が多い。ちゃんと捜査しているのか・・・それに拳銃の扱いも知らなかったぜ」
「えっ! まさか!」
「使わなかったから忘れていたんだろうと思うが、俺が一から教えてやったぜ。まるで新米の警官のように」
「俺だって拳銃は久しぶりだから慣れないぜ。そんなものだろう」
「じゃあ、俺はもう少し調べてくる、じゃあな」
そう言って堀野は向こうに行った。佐川刑事は梅原刑事とともに殺害現場を見て回った。確かに血痕がある。下が砂利なので足跡は見つからないようだ。そこは川のすぐ前であり、後ろから何度も殴りつけ川に突き落とした・・・というのかもしれない。そして川底が浅かったためにあまり流れずに、何かにつかえて途中で止まったところを発見されたようだ。ここにも犯人を特定する手掛かりはない。
「あれ?」
佐川刑事は少し離れたところにたたずむ山形警部補を認めた。じっと桜を見て何かを思い巡らせているようだった。佐川刑事は梅原刑事を残して彼女に方に駆け寄った。
「山形さん!」
「あっ! 佐川さん・・・」
山形警部補は佐川刑事に気付いて微笑んだ。何か疲れているようにも見えた。
「佐川さんも来られていたのですか?」
「ええ、驚きました。昨日は石山寺、そして高島の海津大崎、そして今日は甲賀。犯人の動きが激しくて、先が読めません。ところで疲れているように見えますが、大丈夫ですか?」
佐川刑事は気遣った。滋賀県での連日の捜査で、勝手が違って心身ともに疲れているのだろう。それにいつも着ている薄い紺色のジャケットが今日は脹れている。凶悪犯を追っているので特別に彼女も拳銃を携帯しているからだ。その重みものしかかっているに違いないと彼はそう思った。
「いえ、大丈夫です。体力には自信がありますから。私を気遣ってくださるのですね。ありがとうございます。」
山形警部補はニコリと明るく笑った。そういえば彼女のそんな笑顔を佐川刑事が見たのは今日が初めてのような気がしていた。
「でもなかなか香島の足取りがつかめなくて・・・」
「昨日、海津大崎に現れた男は香島かもしれないと思っているのですが、どこに隠れたのか・・・。ここにはバイクで来たようですが・・・」
「バイクですか? それなら渋滞があっても横をすり抜けられますから、時間的には可能ですね。」
山形警部補はバイクに乗っているポーズをして説明した。その様子は普段からかなりバイクに乗っているように見えた。
「バイクがお好きなのですか?」
「ええ、いえ、二輪免許を持っているだけですけど。あまり乗る機会がなくて」
「琵琶湖の湖周道路を走ると爽快ですよ。事件が解決して遊びに来る機会があれば案内しましょう」
佐川刑事も二輪免許を持っていた。いっしょにツーリングできれば・・・そんな思いがかすかにあった。
「そうですね。それには早く事件を解決しないとね」
「でももうすぐ破人を追い詰められますよ」
「そうなるように私も捜査を続けるわ。じゃあ、私は行くわ」
「がんばってください。山形さんなら大丈夫ですよ」
「ありがとう。では・・・」
佐川刑事の励ましに山形警部補はまたニコリと笑って立ち去った。佐川刑事はなぜか、親しい人にでも会ったような気になっていた。彼女とはまだ数回、少し言葉を交わして程度なのに・・・。
「佐川さん!」
梅原が呼んでいた。佐川ははっと気を引き締めて頬を叩いた。とにかくこれからやることが多い。
(香島の足取りは捜査本部が追っているはずだ。こちらは過去を洗おう。日輝高校軽音楽部に何が起こったのか・・・)
佐川刑事はまた近江八幡に行くつもりだった。
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