第21話 びわ湖バレイ

 4月6日は朝から晴れ渡っていた。今日は軽音楽部で花見に行く日だった。桜はちょうど満開で見頃の時期だった。参加する部員が甲賀駅に集まった。だが全員ではない。バイトや用事があるとか言って来ない部員もいた。参加するのは響子を含めて3年生6人、2年生4人だった。響子が提案したときは案内盛り上がっていたのに、半数以上が止めたのだ。厳しい響子と一緒では息が詰まると思った者が多かったのだろう。


(まあ、いいわ。私たちだけで楽しむから・・・)


 響子は少しむかむかした気分を押し殺してそう思うことにした。

 出発時間が近づくというのにまだ来ていない部員がいた。それは浜口大和だった。彼は大きな荷物を抱えて時間ギリギリに姿を現した。


「さあ、早く! 遅れるわよ!」


 響子がせかした。駆けつけた大和は息を切らしていた。


「ちょっと待ってよ。重いんだから。」

「どうしたの? その荷物。」

「へへへ。花見といえばこれさ。」


 浜口はちらっと中身を見せた。そこには缶入りの飲み物が入っていた。


「ちょっと店のものをいただいてきた。」

「いいの? そんなことして。」

「かまいやしない。どうせ売れ残るんだから。」


 家が酒店をしているので、大和はコンサートの時など、いつも飲み物を差し入れてくれた。(これは本当に助かる)と響子は思っていた。


「重そうね。みんなで分担して持つわ。」

「そりゃ、助かる。」


 部員たちは荷物を分けて持って、停車している電車に乗り込んだ。

 びわ湖バレイには、まずJR草津線で草津駅まで行き、そこでJR琵琶湖線に乗り換える。それから下り電車で京都の山科まで出て、そこでJR湖西線に乗り換えて志賀駅まで行く。そこからバスが出ている。甲賀から琵琶湖まで出るのに距離があるが、それから琵琶湖をぐるりと回って湖西に行くのである。2時間ぐらいの時間がかかる。

 だがそれも楽しみだった。少し短い電車の旅ということで、車内は楽しく話でもしながら過ごすのだ。幸いJR草津線は乗っている人が少なかったので、少しぐらい騒いでもあまり迷惑にならない。部員たちは花見の前でも大いに盛り上がっていた。

 やがて草津駅に着き、琵琶湖線の下り列車に乗り換えようとした。ホームを歩いていると、響子は向かいの上りホームに思わぬ人を見た。


(舞子! 間違いない!)


 それはまぎれもなく日比野舞子だった。裸眼視力のいい響子だから見つけられたのだ。舞子は大きな荷物を手に持ち、物憂げな顔をして向かいのホームに立っていた。そっちは米原方面だ。その雰囲気と格好からして・・・


(家出するのね。辛かったみたいね。いい気味だわ。でもここから逃がさないわ。あんたは私の奴隷だから・・・)


 響子は部員に荷物を預けると、さっと階段を駆け上って舞子のいるホームに下りた。そしてぼんやりしている舞子に声をかけた。


「舞子! どこに行くのよ!」


 舞子はその声にはっとして顔を上げた。目の前に響子が立っているのを見て驚きで目を見開いていた。


「響子さん・・・どうしてここに・・・」

「あんたこそどこに行くのよ? そんな大きなカバンを抱えて。」

「それが・・・」


 舞子は正直に家出とも言えず、答えられなかった。その姿に響子はニヤリと笑った。


「家出でしょう?」

「いえ、そんな・・・」

「隠さなくてもいいのよ。そんな大きなカバンを抱えていたら誰でもそう思うわ。」


 その言葉に舞子は大きなバッグを後ろに隠した。


「辛かったのね? わかるわ。ここんところずっと部活にも顔を見せないから。相談してくれたらよかったのに。」


 響子は陰険な笑みを浮かべていた。その原因は自分の舞子への嫌がらせであるのはわかっていながら響子はわざとそう言った。そして彼女は見下すようなうすら笑いを浮かべながら舞子をじっと見た。舞子はその蛇のような目に震えが来ていた。


「わかっているわ。黙っていてあげる。どこにでも行くがいいわ。でもこれからみんなに花見に行くの。びわ湖バレイまで。でも荷物がとっても重くってね。持ってきてくれる。いいよね? 私に逆らえないもんね。」

「え、ええ。」


 舞子はおびえながらうなずいた。拒絶してしまえばいいものを舞子はそうすることができない。響子に逆らうとどんな目に合うかわかったものではないという感覚が舞子に染みついているからだ。


「よかった。向かいのホームにみんないるから。みんなの重い荷物を持ってあげてね。それから今日一日、付き合ってね。花見の宴会には手伝ってくれる人がいるの。下働きとしてね。フフフフ。」


 響子は舞子を引っ張るようにして階段を上がり、そして京都方面の下りホームに降りてきた。


「みなさん! 舞子がいたの。今日は一緒に行ってくれるって。よかったわ。人が多い方がいいもの。」


 響子は他の部員に大きな声で言った。


「ああ、そう・・・」


 響子の言葉に他の部員は白けたように言った。どうせ花見の席で響子が舞子に当たり散らして憂さを晴らすのだろうと。


「さあ、これをもって。」


 響子は他の部員に預けていた自分の荷物を舞子に押し付けた。舞子はそれを受け取るとしっかりと抱えた。自分のカバンだけでも重かったのに、缶の飲み物が多く入った響子の荷物を加わって足元がふらついた。


「しっかりしてよ。まだ先は長いのよ。ははは・・・」


 響子は勝ち誇ったように言った。舞子は唇をかみしめて従うほかになかった。



 志賀駅をからバスに乗ってびわ湖バレイ前で降車すると、もう桜が満開に咲いている景色が目の前に広がっていた。ここは琵琶湖の絶景と桜並木を同時に臨めることができる名所なのだ。またそこの山麓駅から山頂まで行けるロープウェイがあり、そこから見下ろす風景も格別で、1000本の桜を眼下に一望できる。もちろん山頂から眺める琵琶湖の景色は筆舌に尽くしがたい。

 花見をするのは山麓だが、ここまで来た以上、ロープウエェイも乗りたいのは誰もが同じだった。


「ロープウェイに乗る?」

「賛成! 乗ろう、乗ろう。」


 響子の言葉に部員ははしゃいだ。


「じゃあ、行きましょう。舞子はここで荷物の番と場所取りしていてね。帰ってきたらここで花見をするんだから。いいわね。逃げないでよ!」


 響子は舞子を威圧するように言った。舞子は「うん・・・」とうなずくしかなかった。

 部員たちがわいわい騒ぎながら楽しそうに山麓駅に行くのを見送って、舞子はそこに座り込んだ。考えれば考えるほど悲しくなった・・・。


(どうしてこんなことになったのだろう・・・)


 思い返してみると、あの万引きの一件で弱みを握られてから、響子の言いなりになっていた。逆らうことのできない絶対的な支配・・・それがもう身にしみついているのだ。今日、家出して何もかもリセットしてやり直すつもりだった。しかし響子につかまってしまった。ここから逃げようとする気持ちは残っているものの、響子への恐怖でそうすることができない。舞子は今日のところはあきらめることにした。


(でももうこれで最後だ。ここを離れて上京したらきっといいことがある。予定が1日ずれたってかまいやしない。花見が終わったらその足で東京に行くんだ。嫌なことは何もかも忘れて・・・。)


 舞子はそう思って今日一日耐えることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る