第34話 身代わり
日比野香は佐川刑事にまだ話し続けていた。彼は香を刺激しないように応援が来るまで時間を稼ごうと思っていた。
「佐川さん。あなたは日輝高校軽音楽部の過去を洗おうとしていた。あなたの目には狂いはなかった。だがそこを調べられたら何もかもが終わると思った私は、できるだけそこに行かせないように妨害した。滋賀温泉病院に行ったり、病気の振りをしてホテルまで送らせたりしたわ。でもそれは単なる時間稼ぎに過ぎなかった。あなたは私がどう言っても日輝高校に執着していた。だから非常手段を取った」
「だから急に大橋署長のところに直談判に行ったんだな」
あの時の前日とは全く違う様子、手のひらを返したような態度はこうしたわけだったのかと佐川刑事は合点がいった。
「捜査方針が違うとか言って、私を捜査本部付きにしてあなたを捜査から外そうとした。あの時点で日輝高校軽音楽部の過去を調べようとした人は捜査本部にいなかったから。でもあなたは独断でも捜査を続けた。全く大変な人を敵にしたものだわと思ったのよ」
香はまた微笑んでいた。
「でも私はしなければならなかった。村田葵を瀬田川の川原に呼び出して殺害した。ちょうどその時、良一に見つかったのよ。彼は私を心配していた。私は大丈夫だと言ってあなたに電話した」
(そうか、それがあの時の電話だったのか・・・)
佐川刑事は思い出した。その時も彼女はまた元のような態度に変わっていた。
「あれは良一を安心させるため。でもあなたは浜口大和が日輝高校近くのYMコンビニの店長をしていることを教えてくれた。それで次のターゲットが決まったのよ」
それを聞いて佐川刑事は唇をかみしめた。あの時、いい気になってしゃべったばっかりに浜口大和は殺されてしまったのだ。しかし香島良一はその時間に村田葵の死体を海津大崎に運んでいた。捜査をかく乱するためだとすると・・・。
「香島良一は共犯なのか?」
佐川の問いに香は大きく首を振った。
「いいえ、違うわ。あの人は私を止めようとした。私の罪をかぶって私を逃がそうとしただけ・・・」
「本当か?」
「ええ。本当よ。良一とは静岡で出会った。ちょうど彼の勤める商社が倒産して生活に困っていた。私は彼が香島良一、かつて舞子の付き合っていた相手だと知って近づいた。舞子について何か知っていないかと・・・。でも良一も舞子がいなくなったことで傷ついていた。忘れようとしていた。彼は心の優しい人だった。彼は私に安らぎを求めていた。私も彼に徐々にひかれていった。そのうちに私たちはお互いに愛するようになってしまった。そうして過去のことを忘れて2人で幸せに暮らしていたのよ」
日比野香と香島良一は青山翔太が口を滑らせなかったら、今も幸せに暮らしていただろう。何もかも歯車が狂ったためか・・・佐川刑事は思った。
「これであと4人。後は県外にいる4人だけになった。捜査本部からはその名簿が手に入った。どうやって彼らをここに呼び出すか・・・それを考えていた。捜査本部はただ良一の足取りを追おうとするだけで、私も聞き込みに駆り出されたわ。それが昨日、その最中に良一が遠くに見えてこちらに合図を送っているのが見えた。それがどうも走って丘に来てくれという感じだったのでそうしたのよ」
(それで急に走り出したのか・・・)
佐川刑事はその時のことを思い出した。
◇
湖上署の取調室で良一は供述を続けていた。
「あとどれくらいの人が殺されるかわからない。僕は香を止めようと思った。彼女は山形響子に化けている。だからまた村田葵が殺されたこの辺を捜査すると思った。だから見つかるのを覚悟してこの周辺を見張っていた。その予想は次の日に的中した。数組の刑事が瀬田周辺の家々を聞き込みに回っていた。その中に香を発見した。僕はすぐに彼女と接触しようとしたが・・・」
「我々がいたということか」
「ええ、周囲を注意深く見ると、彼女を尾行している刑事もいたことに気付いたのです。香はもう疑われている。そのことを教えてやらねばと、遠くから香に合図を送りました。走って向こうの丘で会おうと」
「それで山形警部補は走り出したのだな。我々をまこうと」
「それでやっと香と会って話ができました・・・。
良一はその時の様子を話し始めた。
――――――――――――
香は走って何とか尾行する刑事をまいたと思った。そこに良一が現れた。
「刑事が君を見張っている。正体がばれたのかもしれない。逃げるんだ」
しかし香は首を振った。
「まだ4人いるのよ。そいつらに復讐しなければならないの」
「もうだめだ。君はマークされているんだ」
「それならお願い。舞子のために。いえ、私のためにこのまま続けさせて。あなたの力が必要なの」
それは良一には「警察に逮捕されて時間を稼いでくれ」・・・と言っているようにも聞こえた。ちょうどそこに追ってきた刑事が現れた。良一は香を説得できず、ただこう言うしかなかった。
「ここは引き受けるから逃げてくれ! でも絶対これ以上は止めるんだ!」
良一は刑事を引き付けようとその場から逃げた。すると刑事たちが追ってきた。彼はこのまま逃げきれないことはわかっていた。でも香るだけは捕まってほしくなかった。
(僕が捕まって罪をかぶろう。殺人なんかしてほしくない。逃げてくれ・・・)
案の定、良一は逃げているうちに挟み撃ちにされた。良一は最後の抵抗したものの、投げられて手錠をかけられた。
(これでいいんだ。これで・・・)
顔をうつむけた良一はそう思っていた。後は香が逃げてくれていたら・・・。それが愛する香に対して良一にできる哀れみだった・・・。
――――――――――――――――――――――――――――――
荒木警部たちは静かに良一の話を聞いていた。これで事件の全貌がわかった。後は彼女を追っている佐川次第だ。
「これがすべてです。お願いです。香を助けてください。これ以上、罪を重ねないように・・・」
良一が涙を流しながら言った。それは愛する香への深い愛情だった。
「君の気持ちは分かった。今、彼女の元に部下の佐川が向かっている。これから我々も向かう。」
荒木警部は良一の肩を軽く叩いて言った。
「お願いします! お願いします! 香を・・・」
良一はそう言うしかなかった。
◇
大きな桜の木の下で香は拳銃を構えていた。その筒先は穴の下の4人に向けられていた。
「もうこれで私の計画は完成する。舞子はこの通り、取り戻した。舞子を殺した青山翔太、長良渡、山形響子、立川みどり、村田葵、浜口大和はいなくなった。後はこの4人、和久清彦、宇土和也、塩崎若菜、丹羽正樹だけ。桜の木の下で死んでもらうわ。舞子と同じように」
「やめるんだ! そんなことを妹さんが望んでいるというのか!」
佐川刑事がそう声を上げたが、香は答えない。彼女の拳銃の筒先は誰を真っ先に撃とうかと揺れていた。穴の底の4人が恐怖で声を上げた。
「お願い。助けて。」
「悪かった。舞子先輩を見殺しにしてしまって・・・」
「ずっと黙っていてすまなかった。何でも話すから・・・」
「悪気はなかったんだ。許してくれ。何でもするから!」
4人は口々に謝って命乞いをした。だが香の決心は揺るがなかった。
「もう遅いわ。遅すぎたのよ。舞子はもう戻って来ないのよ!」
香はまず清彦を選んだ。彼を狙って拳銃を撃とうとしていた。
(このままでは撃たれてしまう・・・)
佐川はとっさに左わきのホルスターから拳銃を抜いて構えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます