2
「心をあらためたんです」
私は言った。変に、感情が動かなかった。心のどこかが凍り付いてしまって、全てのことが無意味でのっぺりとしたものに見えていた。
そんなわけで、私の声も、奇妙にのっぺりとしていた。
「よい侍女になろうと思ったのです。お嬢さまの恋を取り持つ、物語の中に出てくるようなよい侍女に」
「小玉! 一体何があったんだい!? 君はそんな娘じゃなかったはずだ!」
東原さまが驚きの表情で私に迫ってきた。あんまり近くで顔と顔を合わせたくなかったので、私はそっと横を向いた。
何があったんだい、って言われても。せっかく私が協力するって言ってるんだから、東原さまも喜べばいいものを。
「東原さまはおっしゃったじゃないですか。君は馬鹿な忠犬だと。主人を不幸にする、と。私はお嬢さまを不幸にしたくないんです」
「うん……まあそんなことも言ったような気がするが、しかし、君がそうあっさりと態度を変えると、こ
ちらもなんだか落ち着かないというか、気分が……。――気分が、悪い」
最後の一言は声の調子が変わっていた。見ると、東原さまが胃の辺りを抑えて、青い顔をしている。本当に気分が悪そうだ。
「ちょっと、失礼!」
そう言うと、東原さまは、しげみのほうへと駆けこんだ。私も後を追う。体調が悪いという話だったし、何か身体によろしくないことでも起こったのかと心配になってしまう。
しげみに向かって、身体を折って、東原さまが何かを吐き出していた。私は背中をさすり声をかける。
「大丈夫ですか?」
東原さまの手の中に、何か黒くて小さいものが見えた。口から出てきたもののようだ。私はそれを見てぎょっとした。虫!? そう、虫よ! 黒くて小さな虫!
丸い頭に触覚があって、つややかな羽に大きな後ろ足がある。ちょうどコオロギみたいな虫。なぜそれが東原さまの口の中から……?
驚きで声を失っていると、虫がぴょんと跳んだ。その際、わずかな液体が、私の頬にかかった。虫が何かを出していったらしい。なんなの? ばっちいなあ、もう。
頬をぬぐっていると、東原さまが不思議そうな顔で私を見ていた。
「小……玉……?」
「はい、そうですけど」
なんだか初めて私を見た、みたいな顔だ。東原さまは混乱した声で私に言った。
「なんで君がここにいるんだ? ……というか、ここは劉家の屋敷じゃないか……」
東原さまは辺りを呆気にとられた表情で見渡す。そして再び私を見て言った。
「どうして私はここにいるんだ?」
……どうなってるの? 突然、記憶喪失にでもなったの、東原さまは。
私も混乱していると、背後で音がした。振り返ると、連貴さんがいる。連貴さんは、しゃがんで何かを捕まえているみたいだった。両手を丸く合わせて、たぶん、その中に捕まえたものが入っているのだろう。連貴さんは立ち上がる。そしてそっと手を開いた。
手のすき間から、光がほとばしる。明るい真昼の庭に、太陽の光に負けじと、その鋭い白い光が広がった。けれども光の放出はすぐにやむ。連貴さんは手を開く。その手の中にはもう何もいないようだ。
「……君は……」
私と一緒にその光景を見ていた東原さまが、連貴さんに声をかける。連貴さんがこちらを見て、そしてにっと笑った。
「見られてしまいましたね」
「……君は何者なんだい?」
自分のことでも混乱しているだろうに、東原さまが、連貴さんにそう尋ねた。連貴さんはますます笑う。といっても、大笑いではない。あでやかに品を崩さず、けれどもどこかこの世のものではないみたいに。
「私は――狐」
「狐?」
東原さまが聞き返す。と、連貴さんの頭に狐の耳が、そして背後に九つの尻尾が現れた!
――――
「……ではありません」
連貴さんがそう言うと、狐耳と九つの尻尾が消えた。いつもの連貴さんがそこに立っている。見間違い……? でもはっきりと見た、ような……。
「狐じゃなければなんなのだ」東原さまが苛立ちもあらわに言った。「耳と尻尾が生えているのを見たぞ。さっきのあれはなんなんだ。妖術か? そして私はどうしてこんなところにいるんだ!」
混乱のあまり、怒っている。連貴さんはふんわりと微笑んだ。
「私は狐ではありません。けれどもこの星の狐に似ているかもしれませんね。姿形が」
「この星……?」
「ええ。私は、よその星から来たのです」
星からやってきた! 白い生き物もそうだった! ということは、連貴さんと白い生き物は仲間なの?
「空には無数の星があるでしょう? あの中には生き物が住んでいる星もあるのです。私はそのうちの一つからやってきて――」
そう言って連貴さんは空を見上げた。つられて私と東原さまも上を向く。雲一つない青空が広がっていた。日の光がまぶしい。星は全く見えなかった。
「……まあ今は見えませんけど。明るすぎて」
連貴さんが視線をおろして、私たちを見た。私たちもまた、連貴さんのほうを見る。
「宇宙にはたくさんの生き物が住んでいて、あちこち移動しているのです。でもたまに迷子になるものもおりますわ。私の役目はその迷子を助けること。元の家に帰してやることなのです。――ときに、あなた。東原さま」
「私が、何か?」
連貴さんは真っすぐに東原さまを見た。そして美しい唇が開かれ、はっきりと告げた。
「東原さま――あなたは、特別な人間なのです」
「私が……特別?」東原さまは衝撃を受けたようだった。よろめいて、片手で額を抑えると苦悩を帯びた声を出した。「――そんな気がしていたのだ……。私はなんでもよくできる。何をやらせても人並以上だし、容姿も優れているし、他と明らかに違うと、幼い頃からひしひしと感じていたのだ……」
何を言ってるんだか。
「それに秋芳さま」連貴さんがそんな東原さまを無視して話を続ける。「秋芳さまも特別な人間なのです」
やっぱり! 私もそんな気がしてた!
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