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「わかるよ、結婚は人生の大きな選択だからね。ためらう気持ちもわかる。でも――秋芳にとって私と結婚することはとても良いことだと思うんだ。だから、不安を取り除いてあげたい」
とても良いこと――そういえば、東原さまは優秀な方なのだった。役人の試験に良い成績で合格して皇帝陛下のお目にも止まって。そうだ、前に義山さまが言ってたっけ。東原は将来、宰相になるかもしれないって。
そうすると……もし、お嬢さまが東原さまと結婚すると、お嬢さまは宰相の奥さまか。それは良いことかもしれない。
私は東原さまから少し遅れて、とぼとぼとついていく。東原さまが私に笑顔を向けた。
「ねえ、小玉。私は君とあまり話をしたことがなかったね」
それはそちらが話しかけてこなかったから。東原さまが私に近づいて、ますます笑顔になった。
「これを機に親交を深めようじゃないか。何しろ君は、秋芳の一番近くにいる使用人だし……」
と、そのとき、悲鳴が聞こえた。お嬢さまだ!
聞き間違えることのない、お嬢さまの声! 私は東原さまを放っておいて、一目散に声のする方向へ走る。東原さまもついてくる。
声はお嬢さまの部屋から聞こえた。私は「お嬢さま!」と叫びながら、部屋に入る。
そこには驚くべき光景があった。
お嬢さまが部屋に一人立っていて――そしてなぜか、身体を、お腹の辺りを腕ごとぐるぐるしばられている!?
お嬢さまをしばっているのは、濃い青でぬらぬら光っている、何か気持ちの悪い触手みたいなものだ。私は驚きのあまり一瞬部屋の戸口に固まって、でもすぐにお嬢さまに駆け寄った。
東原さまも私の後からやってくる。私のほうが、早く、東原さまよりも早くにお嬢さまの元に到着した。どんなもんだい。って、得意になってる場合ではない!
「小玉……」
お嬢さまが私を見て、力なくつぶやいた。お嬢さまはとても困ってらっしゃる。けど、特に怪我などはないようだ。しかし。何これ。何この、お嬢さまにぐるぐるまとわりついてる気味の悪いの。
「秋芳! 大丈夫か!?」
東原さまがお嬢さまに尋ねた。お嬢さまはうなずいた。
「自由は奪われているけれど、怪我はないわ。ただ、動けなくて……」
「どうしてこんなことに?」
「私にもよくわからないの。部屋にいたら、いつの間にかこうなっていたの」
私はお嬢さまに絡みついている青黒いものを引っ張った。表面はすべすべしててほんのりと温かくて、ちょっと生き物っぽいというか、気持ち悪いよー。でも、どんなに引っ張ってもびくともしない。東原さまもお嬢さまを助けようと引っ張っている。こちらも苦戦している。
「お嬢さま……これ、頑丈ですね」
引っ張りつつ、私が言う。お嬢さまは心配そうに言った。
「二人とも離れて。危険だわ。二人もこんなふうになるかもしれないし……」
「いや! 離れるわけにはいかない! 私は君を助けなければいけない!」
東原さまが悲壮感を身にまとって断言した。お嬢さまが「でも……」と言いかけると、そこに足音が聞こえてきた。
「何やってるの~」
のどかな声。昨日ひょっこりと現れた秋華さまが、今日もひょっこりと現れた。お嬢さまの部屋の戸口に姿を見せて、そしてぴたりと動きを止めた。
笑顔がみるみる消えていく。顔がこわばって、そしてそこから大きな声があがった。
「き、狐ー!」
狐? 私は何のことかわからずきょとんとしてしまった。と、たちまち、お嬢さまの身体から気持ちの悪い触手が消えていく。煙のように、あっという間に、跡形もなく。後にはお嬢さまが残された。
「狐?」
無事、自由を取り戻したお嬢さまが秋華さまにきいた。
「狐! 狐に化けた人間! ……じゃなくて、人間に化けた狐よ! 頭に狐の耳が生えた……。窓の外に!」
私たちは急いで窓に駆け寄った。けれども窓の近くには誰もいない。窓の向こうにはうららかな春の光景が広がっているだけだ。劉家の広い庭。池があって木々がある。そしてさらに遠くに使用人の姿が見えるだけ。
「誰もいないわ」
お嬢さまは振り返って、秋華さまに言った。秋華さまもこちらに近寄ってくる。
「そうなの?」
そして外を見た。異常がないのを確認して、秋華さまは不思議そうに首をひねった。「でも私見たのよ……」
そして、私のほうを見ると言った。「何やら騒がしい声がしてたけど、何かあったの?」
私が説明しようとすると、目の端で、東原さまが動くのが見えた。お嬢さまのそばへ行く。そして、手を! 手を握った! お嬢さまの白く美しい手を!
「秋芳……君が無事でよかった」
手を! 手を離しなさい!! お嬢さまは手を握られたまま、それを振り払おうとしない。
私は不安になってきた。宰相の奥さま……。栄華の人生ではあるな。お嬢さまは……東原さまと結婚しようとしているの?
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