星降る夜のお客さま

原ねずみ

第一話 求婚者あらわる

1

 そもそもの発端は東原とうげんさまが風邪をひいたことにあるのだ。でも私がそれを知ったのは後のことだし、とりあえず今は置いておこう。そこで話を、ある春の日から始めようと思う。春たけなわ、うららかに光が満ちて桃の花がこぼれるように咲いていたあの日から。


 私の名前は小玉しょうぎょく。今年で15になった。劉家のお屋敷で侍女をしている。私が仕えているのは、このお屋敷のお嬢さま、秋芳しゅうほうさま。秋芳さまは私より二つ年上で、とても美しい。すらりと背が高く、猫のような大きな目をしている。高い鼻に形のよい唇。評判の美人だ。


 私はそんなお嬢さまにもう5年もお仕えしていて……そう、最初にここに来たときはまだ見習いの身だったから、たくさんいる下級使用人の内の一人だったけど、今は出世して秋芳お嬢さまの筆頭の侍女になってるのだ。えへん。


 私は今の仕事にとても満足していた。だからあの春の日もそうだった。


 その日、お嬢様は自分の部屋で手紙を読んでいた。眉がよせられ、困惑の表情だ。その手紙は私がさっき持ってきたもの。東原さまというお役人の男性がいて、その家の下男が持ってきたのだ。秋芳さまに渡してくださいって。だから私はお嬢さまにそれを渡したのだけど……何かあったのかな。


「変ね」


 お嬢さまは言った。私は尋ねた。


「どうかなさったんですか?」

「この手紙、変なの」

「何が書かれているんです?」


 私はお嬢さまのそばへ寄っていった。美しい字が、紙面を埋めている。


「結婚したいって、書いてあるわ。私と」

「……これ、東原さまからの手紙ですよね」

「そう。だから変なの」


 ここで東原さまについて説明しておこうと思う。東原さまはお嬢さまのお兄さまである義山ぎざんさまの幼なじみで、この家にもちょくちょく遊びに来る。顔がよく身体つきもよく、とても優秀な成績で役人の試験に合格して、とにかく大変評判のよい方だ。


 性格も気さくで明るく、でも――ちょっと女好きかな。そういう噂があるってだけだけど。たしかにここに来ても、美しい使用人にはやたら声をかけている。私は挨拶くらいしかしたことないけど。なぜだか私にはあまり興味がないようなので。


 その東原さまが、お嬢さまと結婚したい?


 私はお嬢さまの顔をまじまじと見た。お嬢さまは私のほうを見ず、手紙に視線を落としてやはり困惑している。お嬢さまは話を続ける。


「東原さまは兄の友だちだから、幼いころから知っているわ。今でも付き合いはあるし。でもね、私に恋心を抱いている様子は今も昔もさっぱりないわ。それなのにどうして突然こんな手紙を?」

「それは……突然恋に落ちたのでは。朝起きたら唐突にお嬢さまに恋をしていることに気づいた」

「うーん、そんなことってあるのかしら」


 あるかもしれない。お嬢さまは首をひねった。


「なんだかしっくりこないの。お兄さまのところに相談に行こうかしら。でも、もし東原さまが本気だとしたら、繊細で個人的な問題をいたずらに広めることにならないかしら」

「まあ……いいんじゃないですか?」


 現に私がすでにこの手紙の内容を知っているわけだし。もちろん私はきちんとした侍女なので、仕えている方に関する情報を周囲にばらまいたりはしないけど。


「そうね」


 かくして私とお嬢さまは、義山さまの部屋へおもむくことになった。


 ちょうどよいことに、義山さまは自室にいた。お嬢さまと義山さまはあまり似ていない。義山さまは優しそうな顔立ちの方だ。美男子……というのではないかもしれないけれど、少したれた目が人が良さそうに見えるし、実際良い方だ。


 お嬢さまはかくかくしかじかと起こったことを義山さまに話した。話をしめくくり、お嬢さまは義山さまに尋ねた。


「で。東原さまは本気だと思う? この手紙を信じてよいのかしら」


「たしかに、東原からうちの上の妹が好きだとか、結婚したいとか聞いたことがないけど……」そう言って義山さまは目を宙に向けた。「でも、突然そんな気持ちになることもあるのかなあ……。朝起きて自分が恋をしていることに気づくとか」


 私と同じことを言ってるし。


 義山さまは再び私たちに視線を戻した。


「東原はここ何日かたちの悪い風邪をひいていてね。昨日あたりにようやく元気になったんだよ。それでうちにも来て、そのときには特に変わったことはなかった」

「やっぱり変ね」


 お嬢さまは難しい顔をした。一方、義山さまは切なそうな顔をする。


「……秋芳、僕が不甲斐ない兄でごめんね」

「なんのこと?」

「僕が……試験に合格できないばっかりに」


 義山さまは現在、役人採用の試験に向けて勉強中だ。前にも受験したことはあるのだけど、落ちたのだ。勉強のかたわら、よそのうちに家庭教師に行ったりもしている。


 義山さまは悲しい表情のまま言葉を続けた。


「もし僕が今頃立派な役人になっていれば、君の元にもっとたくさんの求婚者が訪れていただろう」

「お兄さま、私、求婚されたのはこれが初めてではないの」


 実際にそうで、お嬢さまは美しいのでよくもてるのだ。義山さまは話を聞いていないようだった。


「僕が立派な役人だったら、今頃うちの門の前には求婚者たちが列をなしていただろう……」

「それも困るわね」


 お嬢さまはあっさり言い、それに、と話を続けた。「それに、私自身の問題もあるのよ」


「なんだいそれは」

「ほら、私は私であまりよくない評判があるでしょう? 妖怪に好かれているとか」

「それは我が家全体の問題だよ」

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