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「私はかなりの高さから落ちたのよ。でも怪我一つしなかった。あなたが私の上に落ちたときも、そんなに痛くなかった。まるでやわらかい毛布でも降ってきたみたい。おかしいわよね。そんなことあり得ない。きっとこの穴は私たちを傷つけるつもりはないの。それがこの穴の――思いなのよ」


 穴の思い? なんだかよくわからない話だけど。


 少しして、足音が聞こえてきた。それから声も。義山さまの声だ! 枇杷が連れてきたんだ!


 今度は義山さまが落ちてくることを警戒したけれど、そうはならなかった。穴のふちから、義山さまの顔がのぞく。そして枇杷も。それから――東原さま。


 なんだ一緒にいたの。せっかく助けに来てくれたのに、そんな風に思ってしまうのは悪いけれど。


「なんなんだこの穴……秋芳、小玉、大丈夫かい?」


 義山さまが恐ろしそうに声をかける。私たちは口々に大丈夫だと言った。


 とりあえず、ここから出してもらうことにする。義山さまが縄を取りに行く。その間、東原さまが私たちになんだかんだと励ましの言葉をかける。


 別にいらないんだけど。


 義山さまが戻ってきて、私たちは二人にひっぱりあげてもらって、無事、地上に帰還できた。枇杷が喜びの声をあげる。お嬢さまが「ありがとう、枇杷」と言うと、枇杷は嬉しそうにお嬢さまの肩に止まって頬に顔をすりよせた。


「それにしても、一体何があったんだい?」


 義山さまが尋ね、お嬢さまが説明したけれど、お嬢さまもどうしてこんなことになったのか、全くわかっていない。だから、上手く説明になってなかった。


「とりあえずこの穴……ふさごうよ。危険だよ。また誰か落ちるかもしれないし」


 義山さまが言った。「でも、これだけの穴をふさぐにはかなりの量の土がいる……いや、そもそもこの穴を掘ったぶんの土は一体どこへ?」義山さまは言いながら首をひねる。


 一方東原さまはちゃっかりとお嬢さまに近づいていた。


「怖かっただろう、秋芳」

「平気よ。あの穴はいい穴だから」

「なんだい、いい穴って」


 そういってお嬢さまの肩に手を回す。私が、それを止めることもできず、見つめていると――目の端に不思議なものが映った。


 穴だ。穴の入り口。ぽっかりと暗くなっている入口。それが、ほんの少し――動いた?


 見間違いかなと思って、もう一度よく見る。でもそうじゃなかった。本当にそれは動いたのだ!


 身を揺するように、ぶるぶると。穴は動き、震え、そして突然、地面からはがれた! 


 はがれた暗い丸が、いきなりこちらに襲いかかってきたのだ! 私は叫ぶ。


「お嬢さま!」

「危ない!」


 東原さまが素早く異変に気づき、身をていしてお嬢さまをかばう。あの暗い丸は、お嬢さまを襲おうとした……?


 枇杷が飛び、鋭く鳴いた。そして次の瞬間、驚くべきことが起きた。枇杷が口を開ける。そこから光がほとばしったのだ!


 光が暗い丸を包み込む。丸は小さくなって……親指ほどの大きさになった。あれ、これって、前にお嬢さまに付きまとってた謎の雲みたいなやつじゃない?


 謎の雲は狼狽しているようだった。謝るかのようにうろうろと、地面に降り立った枇杷の周りを飛ぶ。枇杷がそれをにらみつける。雲はしゅんとなって(そんなふうに見える)どこかへ飛んでいってしまった。


 これはどういう……何が……一体何が起こったのだろう……。


「秋芳……」


 東原さまの声が聞こえた。見ると、東原さまは、ほとんどお嬢さまを抱き寄せるようにしている!


「大丈夫かい?」


 優しく、東原さまが尋ねる。お嬢さまの頭は、東原さまの肩にほぼ触れ合わんばかりで、私は二人の間に割って入るわけにもいかず、なすすべもなく、それを見つめる。


「大丈夫よ」


 そっと、小さな声でお嬢さまは言った。よかった、お嬢さまが無事で。よかった……けれども、いつまでじっとその恰好でいるつもりなの?


「穴、どっかいっちゃったね……」茫然と、義山さまは言った。たしかに、地面にどこにも穴は開いていない。


「穴を埋める土の心配はしなくてもよさそうだ」


 うん。とりあえず、一つ心配はなくなった。




――――




 その夜、私はお嬢さまの部屋で寝る前の準備を手伝った。今日の不思議な出来事の話になって、お嬢さまが枇杷に優しく声をかける。


「ありがとう、私を守ってくれて」

「とても勇敢でしたね」


 というか、あんなことができるとは。口から光が出るなんて。ほめられた枇杷は嬉しそうに机の上をぴょんぴょん跳んでいる。その様子はかわいらしい……けど、やっぱり普通の生き物ではないな。妖怪なのかな。


 枇杷は勇ましくて、お嬢さまを見事に守って。それに――と私は思った。もう一人、お嬢さまを守った人がいる。東原さまだ。


「……東原さま、かっこよかったですね」


 思わずぽつりと私は言ってしまった。お嬢さまが同意する。


「そうね」


 やっぱり、お嬢さまの目にもかっこよく映ったんだ。そうだよね、身をていして自分をかばってくれた人だもんね。お嬢さまは、東原さまに好意を持っているのだろうか。


 そして、結婚のことも――。東原さまと結婚してもいい、って思ってるのかな。

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