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ともかく、壺のことはひとまず置いて、優雅なお茶の時間を愉しむ。私は給仕としてそばにいる。
白い磁器の茶碗に花の香りのするお茶。小麦粉でできたお菓子の中身は甘い餡で、薔薇の花びらが入っている。お嬢さまの白く長い指が、そっと茶碗を持ち上げる。美しいお嬢さまとかわいらしい秋華さま。なんて素敵な光景だろう。
窓からは優しい風が吹いてくる。穏やかに会話を交わすお二人は、このまま時を止めたくなるような良い光景だ。
しかし、この清らかな世界を破る足音と声がした。
「秋芳」
戸口に現れたのは東原さまだ。せっかく、素敵な時間なのに! 何しに来たのかなあ。って、今日もお嬢さまを口説きに来たのだろうけど。
なんて諦めの悪い人なんだろう。
東原さまが部屋に入ってくる。その手には赤い薔薇がある。
「美しい秋芳にかわいらしい秋華」東原さまは私が考えていたのと同じことを言う。同類みたいで嬉しくない。「――と、それから、小玉」
付け足しみたい! ようやく、気づいたってみたいに!
東原さまは私を見て、怪訝な顔をした。
「小玉、いつ私を追い越したんだい?」
「何の話です?」
私はやや素っ気なく答える。
「さっき、庭で会ったじゃないか。この花をもらったときに」
「待って! その花、どこのものなの? うちのじゃないでしょうね!?」
秋華さまが口を挟む。東原さまは当然のことのように言った。
「ここの家の庭に咲いていたものだよ。綺麗だからとってきたんだ。秋芳にあげようと思って」
「泥棒!」
秋華さまがきっぱりと言うけれど、東原さまはちっとも悪びれた顔をしない。
「泥棒じゃないよ。そばに小玉がいたんだ。だからきいたんだよ、これ、もらってもいいかいって。そしたらいいって言うから。そして私はまっすぐこの部屋に来て――小玉、君は足が速いねえ」
「……私、ずっとこの部屋におりましたよ」
私は少し怯えた声で、おずおずと言った。東原さまが驚く。
「じゃあ、私が出会ったものは? 昨日、小玉の偽物の話を聞いたけれど……」
「その偽物よ!」
秋華さまが勢いよく立ち上がった。「また現れたんだわ! 捕まえにいかなきゃ!」
「秋華」
今にも走り出しそうな秋華さまをお嬢さまがたしなめた。お嬢さまは東原さまを見て言った。
「それは本当に小玉だったの? そんなに似ていたの? 見分けが――」
言葉が途切れ、お嬢さまの目が大きく開かれる。お嬢さまが何かを見て驚いているのだ。東原様の後ろ。そこに何かが現れたのだ。
私もそちらに目を向けた。そして絶句した。
そこにいたのはお嬢さまなのだ。お嬢さまとそっくりな人。それが、東原さまの後ろに、部屋の戸口に、立っている。
お嬢さまの表情に気づいて、東原さまが後ろを振り返った。そして、動きが止まってしまう。秋華さまもお嬢さまのそっくりさんに気づいて、固まってしまった。
お嬢さまの偽物は音もなく部屋の中に入ってくる。まるですべるように。その顔はお嬢さまと同じなのだけど、でも表情というものがない。全ての感情が消し去られていて、何を考えているのか、さっぱりわからない。
怖い、と私は思った。これはお嬢さまじゃない。お嬢さまとすごくよく似ているけれど、お嬢さまじゃない。その不思議な生き物はゆっくりとお嬢さまに近づいていく。私はとっさに思った。お嬢さまを守らなくちゃ。
お嬢さまのそばにぎこちなく近寄り、そして盾になるつもりだった。でも無理。身体が上手く動かない。茶器とお菓子の並べられた卓の向こうから、偽物がこちらを見ている。お嬢さまを、まっすぐに。
お嬢さまが立ち上がった。私をその背中に隠すように、私の前に立つ。守ってくれているのかな、そう思って、少し心が温かくなってしまう。
お嬢さまはしっかりと偽物に顔を向けていた。微動だにせず。そして、硬い声で言う。
「あなたは、誰なの?」
その声はまるで偽物の身体を通りぬけたみたいだった。偽物は何も反応しない。聞こえていないみたいに。
けれども次の瞬間、偽物の身体がびくりと動いた。無表情が、わずかに崩れる。動揺している? 怯えてるみたいだ。
偽物の身体が、一瞬、縮んだように見えた。続けて、驚くべきことが起こった。偽物の身体が揺れ、たわみ、形をなくし、そしてたちまち、箪笥の上にあった謎の壺に吸い込まれたのだ!
誰も何も言わない。身動きさえしない。そこに、もう一人の人物が現れた。
戸口からこちらを覗いている。20代くらいの艶やかで色っぽく美しい人。連貴さんだ。
「どうか、されました?」
連貴さんのその声で、お嬢さまがはっと我に返ったようだ。お嬢さまは連貴さんを見ると、しっかりとした口調で言った。
「連貴、あなたには道士の知り合いがいると聞いたけど」
「ええ、おりますわ」
「私の部屋に怪しい壺があるの」お嬢さまは振り返って壺を示した。「あれをなんとかしてほしいのだけど……」
「まあ、妖怪にでもとりつかれているんです?」
「たぶん、そうなのだと思うわ」
「承知しましたわ。私がそれを知り合いに持っていきましょうか。お祓いしてもらいましょう」
「そうしてちょうだい」
連貴さんはにっこりと笑った。そして、軽々と部屋に入ってきた。部屋の空気がほっとしたように緩んでいく。
連貴さんの手によって、壺が運ばれていく。そうして、その日以来、偽物の目撃情報はなくなった。
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