10話目 宮廷の呪術師 ②



? それは誰のことだ?」



 先入観とは恐ろしいものである。

 従者の格好をしたアデライードを、いくら類稀な美しさがあろうとも、ひと目見ただけでは女人だと思う者はいない。ましてやこの暗がりの中で、見分けられる筈もなかった。

 それにも拘らず――


「殿下が背に庇っておいでの人ですよ」

「これは俺の従者だ。女人ではない」

生憎あいにくの男装姿は良く見知っているんです。でも……胸まで潰しているの? 残念。そのままで凄く魅力的だったのに。そうか。ヴェネセティオ王国この国には女騎士は存在しないから仕方ないよね」


 ルフィノは燈火あかりを掲げたまま、ゆっくりと二人の方へと近づいて来る。

 優美な笑みは、少しも崩れていない。

 歩みを進めるにつれ、その姿は、闇の中から浮き上がるように鮮明になるのだった。

 燈火あかりを柔らかく受けた銀色の髪は月明かりの下の雪の結晶の如く燦き、揺らめく菫色の瞳は、夜空に瞬く光のようだ。

 繊細な鼻筋に、扁桃形のやや吊り上がった目元、常に微笑みを浮かべてすら見える形の良い仰月型の唇。

 だが何よりも覚えのあるのは、涼やかな深みのある声。


「……ま……さか……そん、な」


 途切れ途切れに掠れ、言葉にならないアデライードの声は、確かに目の前にいる呪術師のルフィノへ向けられたものだった。

 ただならぬものを感じたレオネルが、後手うしろでにアデライードを守るように立つと、震える細い指が縋るように腕に伸ばされる。


「殿下とは一度だけお会いした事がありましたね。とはいえ擦れ違っただけですが。それにしても……こうして改めてお会いしてみれば、実に気味が悪いくらいにに似ている……因果を感じずにはいられないと思いませんか?」


 レオネルに向けた菫色の瞳が、じっと細められた。


「……何を言っている?」

「さあ、何でしょうね? 分からない?」

「ルフィノ・ベレス……貴様、何者だ?」

「ご存知でしょう? 宮廷の呪術師ですよ」


 レオネルは、腕に痛いほどに喰い込むアデライードの指先を感じ、彼女の柔らかな身体が背に触れるほど後ろへ下がった。

 それを見てルフィノはようやく、アデライードが震えていることに気付いたらしい。微かに片方の眉を上げる。


「震えているの? 信じられないものを見たって顔をしてる。それにしても……まあ、随分とよく懐いたものだね? 違うとは分かっていても君が縋っているのはに見えて……」


 赦せないな、と低い声で呟くとルフィノは小首を傾げてアデライードを見た。

 菫色の瞳には一切の笑みがない。唇は変わらず優美に微笑んで見えるというのに。

 

 王宮に銀色の髪と菫色の瞳の呪術師がいるとレオネルから聞かされた時、ルカの血を繋げることはアデライードには出来なかったが、一族から特別な魔力を繋ぐ者が現れたことに安堵していた。少しはルカに似ているだろうか、などと考えたこともある。

 だが、この人物は……?

 不意に、過去に於いてロランドが呪いの解呪の方法について漏らした言葉が蘇る。


『そなたが知らぬことは多いらしい。実に狡賢い男だ。呪いを解く為のもう一つの方法は、何もあの男でなくとも良いのだという』


 ロランドは暗に言っていたのだ。

 愛し合う者ならば呪いは解ける、と。

 だからこそロランドは、アデライードに愛を迫った。その愛し方がどうであれ、今なら分かる。ロランドはアデライードを愛していたのだ。何度も殺さずにいられないほど。

 確かめていたのだ、アデライードの愛を。

 だが、アデライードがルカに聞いて知っていた方法は、二つ。ルカの子を宿し産み落とすか、ルカがアデライードを殺すまで……。


 『


 ルカによって秘され、知らされていなかったことは沢山あるのかもしれないと、震えながらもアデライードは、思わずにはいられなかった。

 それにしても、目の前の人物は誰だというのだろう?

 宮廷の呪術師? ルフィノ・ベレス?

 呪術師だからアデライードが男装していることを見抜くことが出来たのだろうか? 

 だが、そのような口振りではなかった。

 ルカとは他人の空似に過ぎない?

 ……まさか。

 そんなものでは済まされよう筈もない。


「君はいま、何を考えているの? ねえ? 教えて欲しいな……?」


『アデリー』


 懐かしい呼び掛けだった。

 ずっと焦がれていた、甘さの滲むルカの声が、アデライードの震える身体を溶かしてゆく。レオネルの腕を掴んでいたアデライードの細い指先が力を失い、やがて離れた。


「……ルカ、なのか? まさか、本当に?」


 アデライードの口にした名前に、レオネルが勢いよく振り返る。


「ルカ? ルカとは誰だ? アデライードに呪いを刻んだ、あの……」


 ぎり、と歯を噛み締める音がした。

 レオネルの瞳が仄暗い色に染まる。


「アデライード、だって? 二人は名前で呼び合う仲なの?」


 かたやルフィノと名乗る人物は、菫色の瞳を細め、アデライードとレオネルを交互に見ては笑みを深めた。


「……答えろ」

「……答えて?」


 身動みじろぎひとつで、皮膚が切り裂かられんばかりの恐ろしいほどに、空気が張り詰める。

 アデライードの小さく息を呑む音が、辺りを震わす。


「ル……ルカは、ロランドに……殺された筈だ。何故なら確かに……この手で私は、ロランドに刎ねられたルカの首を抱いて……」

「莫迦な……! 死んだ者が生き返る筈がない。であるならば、アデライードと同じように……」

「いいや。確かにルカなら、死んだよ。に殺されてね? それなのによくもまあ……二人で寄り添い合って。ねえ、アデリー。そんなには良かったの? それともこの男の方が?」

「……ッ貴様。ふざけたことを」

「まあまあ、殿下。そんなに怒るってことは、二人はまだそこまでの関係じゃないんだね? アデリーは、なかなか靡かないだろう? とは言っても、そこがまた魅力のひとつなんだけど」

「……そなたは、ルカではないのか?」

「僕? 僕はルフィノ・ベレスであり、同時にアデリー、君のルカでもある」


 訝しげなアデライードに向かうルフィノの顔は、どこか愉快げな笑いを堪えているようにも見えた。


「ねえ、アデリー? 僕が何も考えずに、君を不老不死にしたとでも? あの時、僕はちゃんと君に言った筈だ『これから僕が君にすることは、結局のところ君の為なんかじゃない。君を僕に縛りつける為にすることなんだ』って、ね?」


 あの夜が、アデライードの脳裏に浮かぶ。

 ルカと初めて過ごした、あの夜。

 アデライードの腰に刻んだ、呪い。

 そう、忘れもしない……。


 呪いを刻む覚悟を決めたのは、ロランド――あの頃は、サルゴバリ国のナサリオ辺境伯ロランドだった――を迎えた御前試合の後に開かれることになっていた夜会から、抜け出す約束をした回廊。

 諦めきれなかったのだ。

 ルカのことも、騎士としてある自身も。

 目を閉じれば、鮮明に浮かび上がる。



 あの、夜――



 ――アデライードは自室の扉を開け、ルカの姿を目にした途端、飛び込みたいのか逃げ出したいのか分からずに足が竦んでしまう。

 

『……アデリー。上手く抜け出せたみたいだね。男装も素敵だけど、ドレス姿の君は、やっぱり誰にも見せたくないな』


 月明かりだけが照らす仄暗い部屋の中であっても、ルカの銀色の髪の輝きは一層の美しさを放っていた。

 艶を含んだ菫色の瞳で見つめられ、その優美な唇が弧を描くのを見ただけで、アデライードの身体は震える。

 戦いの前の武者震いとは違う。

 純粋な恐怖、それから……歓喜で。


『ルカの方こそ……既に来ているとは思わなかった』


『待ち切れなくて……ははッ。いや、嘘じゃないよ。まあ、本当のところは君が心変わりするんじゃないかと思ったら落ち着かなくて、マテオ殿下に協力して貰ったんだ』


『……兄上に?』


『そう。僕たちのことは、随分と前から知っているし、今夜のことは話してある。君の覚悟は、間違いなく陛下にだって伝わっている筈だよ』


『父上にも……?』


『そりゃそうさ。欲しいものを確実に手に入れるためなら、外堀から埋めるに越したことはないからね』


 ゆっくりとした足取りで、だが音もなく、狙った獲物を決して逃すまいとする獣のようにルカは、アデライードに近づいてくる。


『逃げないで』


 背中に扉が当たったことで、ようやく、アデライードは自分が後退あとずさりしていたことに気づいた。ルカの顔が、菫色の瞳が、すぐ目の前にあった。


『……逃げてなどいない』


 膝の震えを隠すべくアデライードは、挑むように真っ直ぐルカを見返す。

 黄金の瞳の中に散る赤い花弁が、燦然と煌めきを増した。


『これから僕が君にすることは、なんだ。それでも……そうまでしても僕は、君のことが諦めきれない』


 優しい声で、だが諭すように、ルカは言った。その表情は、何処か痛みを堪えるかのように強張っている。

 苦しそうなルカを前に、アデライードの膝の震えが止まった。


『違う……諦めきれなかったのは、私だ。剣で戦うことも、ルカが他の誰かの手を取るのも』

 だから、とルカに向かってアデライードは手を伸ばした。


『望んだのは、私だ。どんなに痛みを伴おうとも、たとえそれが、呪いのようなものだとしても……』


 ルカはアデライードの手を取り引き寄せると、もう片方の手を頬に当て、親指で柔く彼女の唇に触れる。

 何も言わないでいい、というように。


『そうだね。これは、呪いだ。僕が君を死なせない為の。血を繋ぎ、




 ――そうして、アデライードはルカによって不老不死の呪いを腰に刻むことになったのだ。

 あの夜、ルカによって齎された初めての痛みと悦びは、どれほどの歳月が過ぎたとしても、忘れようにも忘れることなど決して出来る筈がない。


「その顔を見れば分かるけど、忘れてしまった訳じゃないみたいだね。それに、またちゃんと思い返して貰えたみたいだから、僕としては凄く嬉しいよ」


 ふふッと、ルフィノ……否、ルカ、だろうか? が笑うのをレオネルは愕然として見遣った。


「……アデライード? この男は何を言っている?」

「やれやれ。殿下はまだ分からないとは。困ったものだな。いい? アデリーはね、僕のものなんだ。もう、ずっと前からね? 貴方の入り込む余地はないんだよ。……聞いたことはない? 結構有名な話なんだけど。古代から魔力を宿した血を細々と受け継ぐ不思議な一族の中に、時折、銀色の髪と菫色の瞳を持った者が生まれる。その者は計り知れない魔力のみならずって、ね?」

「それは……つまり……?」

「生まれ変わるんだよ。僕は、何度でも。記憶を繋ぎ、愛しい人の為に」


 アデリー、君のことだよ。

 

「僕はあれから何度か生まれ変わり、その間もずっと、君を探していたんだ」











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