9話目 郷愁 ①


 「新しい護衛騎士ですか。へえ? 随分と整った顔をしてますね。それに……珍しい瞳の色だなあ」


 次の日、東翼でアデライードに引き合わされたフィトは両腕を組むと、自身より頭ひとつ分小さな新入りの顔を、まじまじと覗き込んだ。

 顎の下で切り揃えられた月を溶かしたような髪、白く透明な肌、すっとした鼻筋、ふっくらとした赤い唇。造作の整った顔であるのは間違いないが、何よりも鮮烈すぎる燦きを持つ、黄金に赤い薔薇を散らしたような大きなその瞳が目を引く。

 臆することなく無表情のままフィトを見返すアデライードは、早速に用意された騎士服を着込んでいた。マントを片掛けに、黒のダブルブレストは上半身をタイトに包み、惜しげもなく晒されたすらりとした形の良い脚は白いトラウザーズと脛までの長さがある黒色のブーツに押し込まれている。

 つと真っ直ぐに顔を上げ、腰に吊った剣の柄頭に軽く手を当てている様子は、絵姿の騎士のようでありつつも、若輩者としては実に居丈高でもあった。

 またその姿は、騎士というよりも年若く美しい従騎士として、式典などで女王または王妃の式服の裾を持つ役目の方が相応しいようにも見える。だが、かといって幼いという感じはない。その上、自分と揃いの軍服であるというのに凛々しいというよりも、どこか艶っぽくも見えてしまうのは何故だろう、とフィトは首を傾げていた。

 そのままの格好で視線を巡らせれば、苦虫を噛み潰したような顔をしたエリアスが見え、ますます首を傾げることになる。

 ――なんだ? 何がある?


「オレがデカいのは確かですけど……に、したって小柄だよなあ。俊敏そうではあるけど、も少し肉をつけた方が良いんじゃないんすかね? とはいえ絵物語の挿絵のような見目麗しの騎士とは……こりゃあ城中の女共が悲鳴を上げそうだ」

 

 夢見る乙女が描いたような出来過ぎた騎士の姿に、フィトは自身の癖のない琥珀色の髪を片手でがしがしと掻き回しながら、どこか呆れたように笑った。

 そのあとで再び手を腰に当てながら、頭の先からつま先までアデライードの身体をしみじみと眺め回す。

 それを見たレオネルは眉根を寄せ、

「フィト、見過ぎだ。それに、あまり近寄るな」と、不機嫌そうに言い放つのだった。


「えー、見るくらい良いじゃないですか。ところで、どちらから連れて来たんですか?」

「エリアスの血縁筋だ。ゆえに部屋はこちらに取らせることにした」

「あー、なるほど。エリアス様も人の子だったんですねえ。殿下の毒牙にかかるんじゃないかって、心配のあまり苦虫を噛み潰したような顔してますよ」

「やめてくださいフィト、私が心配しているのは殿下の方です」

「またまた、護衛騎士に選ばれるくらいだから腕は確かなんでしょう? 可愛いから心配なんだって素直になれば良いのに」

「まったく、エリアスを揶揄うとはな。ダリルと違ってフィトは命がいくつあっても足りないに違いない」


 レオネルは、もっと距離をおけと言わんばかりに、アデライードと触れそうなほど近くにあるフィトの顔を軽く後ろへ押すように小突くと「さて、顔合わせは済んだからもう良いだろう」と身体を翻し西翼に向けて歩き始めたのだった。


「うへえ。やんごとなきご令息には、オレみたいのは近寄るのも駄目とか……こりゃあ参りました。まぁねえ確かに、心配も分かりますよ。騎士舎に突っ込んだら間違いなく間違えたフリしてヤラれちゃいますもんね。この城の騎士といや地元出身や放浪者、傭兵上がりだったりと、荒くれ者は多いし出自の良い者は極端に少ないですし……意趣返しみたいなこともありそうだ。ま、なんと言っても、こんだけ綺麗な顔してるからなあ。うん、間違えちゃうのは間違いない。とか言ってオレも間違えちゃうのか?」


 アレ? それって間違えないと間違わない間違いなのか、とレオネルの背後で頭を捻るフィトの横に並び歩きながらアデライードは、苦笑いを噛み殺した。

 過去において、このようにお喋りで傍若無人な騎士など、アデライードには馴染みがなかった。その癖、どこか憎めない相手だと思いながら、ちらと視線を上げる。


「アデルだ。よろしく」

「おっと、フィトだ。挨拶は、まだだったな。こちらこそ、よろしくって……なんか傲岸が似合うというか、何というか……高位のお貴族様はやっぱり違うよなあ。随分とまあ偉そうな態度が板に付いているのは、さすがエリアス様のご親戚でいらっしゃることもあって良く似てるという感じですかねえ?」


「……ふ」

「ごほッ……ん」

「おや……レオネル殿下? エリアス様? 聞こえていましたか」


 笑いを堪えたつもりが、堪えきれず声を漏らしたレオネルに、エリアスの咳払いが重なる。

 フィトが惚けた振りで呼び掛けるも、無論、答えなど返ってくる筈もなかった。アデライードとエリアスは血縁どころか、無関係の犬猿の仲と知るからこそフィトの言葉に噴き出してしまったとは、いくらレオネルでも言える筈がないからである。


 そうもしながら、西翼の中庭を囲む回廊に差し掛かった時、アデライードの息を呑む音が誰の耳にも聞こえた。

 思わずレオネルがアデライードを振り返ると、目に入ったのは、長い睫毛に縁取られた魅惑的な黄金の瞳を、薄らと細めているところだった。

 眩しいものを見ているかのようなアデライードの、それでいてどこかへ消えてしまいそうな心許ない様子を前に、レオネルは不意にその身体を抱き寄せたい気持ちに駆られる。

 だが一方で、何故そのような表情を見せるのだとアデライードに対し、理不尽な憤りをも覚えたことにも戸惑うのだった。


「すっかり変わってしまったと思ったが、年月を経ても変わらぬところもあるのだな」


 そっと小さな声で吐き出されたアデライードの言葉は、足音に掻き消されることなく、深い吐息となって辺りを震わせる。

 少し前から何を思ってか眉根に深い皺を刻んでいたレオネルを横目にしていたエリアスだったが、漏れ聞こえたアデライードの言葉に不可解な顔で問いかけるようにしているフィトに気づくと再び下手な咳払いをした。

 アデライードはそれを無視して口を開く。


「……ずっと昔に、私はこの廊下を歩いたことがあるんだ」

「へえ? 小さな頃に遊びに来たことがあるんなら、そりゃ懐かしいよな。オレの小さな頃なんてのは、そりゃあ城なんかとは当たり前に縁もないが」


 まるでそこに、その頃の幼子がいるかのようにフィトが優しげに見下ろしたのと、過去を振り返るアデライードが、蕾の綻んだような笑みを湛えた顔を上げたのは同時だった。

 思い掛けず匂い立つような笑みを見てしまったフィトが顔を赤く染め目を逸らせば、その先にあったレオネルの刺すような鋭い視線とぶつかる。


「……アデル。悪いことは言わないからさ、無闇に笑顔を見せたら駄目だって、覚えといた方が良い。いやその顔はマズいわ、うん」


 誰もいない方に顔を向け片手で口元を覆うフィトが呟いた声は、アデライードには届かなかった。

 回廊と面している中庭を、ぼんやりと眺めながら歩いていたからである。

 いまにも、懐かしい声が聞こえてきそうだとアデライードが思ったその時――


『アデリー』


 耳朶を擽る囁くような甘い声が聞こえた気がして振り返る。

 一瞬、銀色の燦きが見えたような気がするも、そこには誰の姿もなかった。


「あ、そうか。じゃあもしかして、そのとき迷い子になったとか?」

「……えっ?」

「だってさ、昔を思い出したから、ここは変わらないなって言いながら途方に暮れたような顔してたんだろ?」

「途方に……? 迷い子、か……」

 

 アデライードは自嘲気味に笑う。

 確かにあれから長い間、ひとり彷徨ったままだが、それがフィトには途方に暮れた迷い子のように見えたとは。

 それでも……。

 もし、あの頃に戻れるのだとしたら例え同じことの繰り返しになるとしても、ひとり残され死ぬことが叶わなくなると分かっても、誓ってこの回廊で愛しいあの人の手を取ることだろう。そう、きっと躊躇うことなく。

 どれほどの月日を経ようとも、一日として忘れたことなどなければ、忘れようもない。

 失うことを恐れていた自分が、それによって招いた結果も……。

 透けるような銀色の髪に、美しい菫色の瞳を持つあの人の、指先に軽く唇を触れただけで身体の芯を蕩かす、その熱さ。甘い声。

 アデライードの唇が動き、声にならない名前を刻んだ。


 ……ルカ。

 

 音にならなかったその声は、代わりに足音となって消える。

 そのとき、前を歩いていたレオネルが唐突に歩みを止めた。苛立たしい様子で、アデライードに向き直ると、やや強引な仕草で腕を掴んだ。過去に思いを馳せるアデライードが気に食わなかったのである。


「そうだな。から変わらない場所は探せばまだ、あるだろう。俺もこの城に来て日が浅い。差し当たって急ぎの要件があるわけでもないから、アデル。今これより共に城の散策に勤しむとしよう」

「殿下、何を……」

 

 気色ばむエリアスを一瞥した後、アデライードの腕を掴んだまま、レオネルは皮肉げに唇の端を持ち上げた。


「エリアスは昨日、執務の間不在だったな。お前は仕事が溜まっているだろうから、俺と護衛騎士だけで構わない。なに、心配は無用だ。ああ、そうだ。それからフィトは『待て』の出来る利口な犬なのだから、此度は『お預け』を覚えろ」

「えー、どんな『お預け』ですか」

「なに、簡単だ。俺がよしと言うまで大人しく離れて歩き、黙ってればいい。エリアス、そう目に角を立てるな。説教は後で聞く。それに実際に歩き回って城の隅々まで把握しておくのも一興だと思わないか? 手元にある城絵図には描かれてないものが見つかるかもしれん」


 腕を掴まれたまま身体を強張らせるアデライードを見下ろすとレオネルは、切れ長の双眸を細めて黄金の瞳を覗き込んだ。


「……さて、アデル。城を歩きながら、お前のでも聴かせて貰おうか」


 



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